「名前のない声が、確かに近くで呼んだ」
翌朝。
学校へ向かうバスの車内は、いつもどおり騒がしく賑やかだった。
なのに――三人には、世界が少しだけ違って見えた。
アリアは窓の外の太陽を眩しそうに眺めながら呟く。
「……なんか、映り込みが気になるのじゃ」
窓ガラスに映る自分たちの影。
揺れるたび、胸がざわつく。
セレナも同じものを見て、小さく息を呑む。
「影の濃さ、普通じゃない。
他の人の影より、妙に“重い”……」
リオナは不安を抑えるように笑う。
「私たちが敏感になってるだけ……ですよね?
影が動いたりはしてませんし」
アリアは心の中で
(“今は”じゃなければいいのじゃが……)
と呟いた。
三人の視線の先。
窓に映る影の右の端――ほんの一瞬だけ、影クオリアの形が重なったように見えた。
もちろん、実体はバスにはいない。
でも、“存在”はそばにあった。
◆ 学校での違和感
授業が始まる頃には、
不自然なことがもっと増えていた。
次の休み時間。
セレナが教室の中を見回して言う。
「……ねぇ二人、気づいてる?」
アリアがうなずく。
「クラスの人間の影が……
ところどころ、揺れておるのじゃ」
見た目には普通の影。
けれど、明らかに現実世界の影とは違う“呼吸”をしている。
リオナは唇を噛む。
「これ……ゲームの敵とかにいた影の揺れ方ですよね……?」
三人の手が同時に強張った。
まだ人に襲いかかる気配はない。
けれど、異変は確実に広がっている。
(影を媒介にして、ゲーム世界が侵食している……
その可能性は十分ある)
そんな推測が、三人の脳裏に重くのしかかる。
しかし――不安の渦中でも、
救いのように胸を温める感覚があった。
教室の後方の影が、
誰にも気づかれず――三人の方だけをそっと見守っている。
言葉はない。
けれど、確かに呼ばれた気がした。
(近くにいる)
そう思えるだけで息ができた。
◆ 放課後
帰り道。
三人はいつもの道を歩いた。
コンビニの看板、アスファルトの亀裂、マンションの窓。
どこを見ても、少しだけ影が濃い。
「完全に、現実側に入り込んでるのじゃ……」
アリアの声は怒りを含んでいた。
セレナは淡々と分析する。
「今日の影は、攻撃はしてこない。
観察……偵察の気配」
リオナは不安を隠さず言った。
「じゃあ……“次”は敵が来るってことですよね……?」
三人の足が止まる。
すると――
アスファルトの影が一瞬、不自然に“逆方向”へ揺れた。
敵だ。
戦闘になる――
そう思った瞬間、
違った。
影は一か所に集まり、
すっと細く一本の線を描いた。
線は形を変え、
文字のようになった。
《帰ろう》
三人は息を呑む。
声は出ていないのに、
誰の言葉かすぐに分かった。
アリアは小さく笑う。
「兄者、急かしておるのじゃな」
セレナは胸に手を当てる。
「“危険度が上がったからすぐ帰れ”って意味……優しいけど不器用すぎ」
リオナは涙を浮かべてしまう。
「先輩、こういう時だけすっごく甘いです……!!」
影の文字は、三人の笑いに反応するようにふわっと揺れ――
次いで、少しだけ滲むように崩れた。
まるで、
3人の顔を見るだけで安心した、という表情に見えた。
◆ 帰宅
玄関を開けた瞬間――
空気が変わった。
リビングの照明も、家具も、匂いもそのままなのに
ひとつだけ違う。
影クオリアが、
いつもより濃い存在感でそこにいた。
ホワイトボードに文字。
《外界の影が観察しに動き始めた》
《戦闘にはまだ入らない》
《でも 全力で警戒中》
アリアは靴を脱ぐなりすぐそばに駆け寄る。
「兄者、無茶してはダメなのじゃ」
セレナはそっと影の近くへ座る。
「全部一人で抱え込まないで。
今日、私たち何度も言ったよね?」
リオナはほほえみながら涙をにじませる。
「守られたいんじゃなくて……
一緒に守りたいんです」
影クオリアは揺れる。
震えではなく、安堵。
そして――
突然、変化が起こった。
影が、ソファの近くの床から
三人のほうへ「滲みながら伸びた」。
ゆっくり、触れ合うか触れないかの距離まで。
そのまま、
音なき“声”が響いた。
聞こえたような気がする、ではない。
はっきりと耳に届いた。
――ただいま。
息が止まる。
アリアは目を見開き、
セレナは口元を押さえ、
リオナは涙をぶわっとこぼした。
確かに声だった。
響きは低くて、優しくて、
聞き慣れたあの声だった。
けれど、声を発しているのは影ではなく――
“名前のない存在”。
影とも人ともつかない状態のクオリアの意識。
アリアは震えながら笑う。
「……おかえりなのじゃ」
セレナは涙をこぼしながら呟く。
「帰ってきてくれてありがとう……」
リオナは泣きながら抱きしめる形だけの仕草をした。
「ずっと待ってました!!」
影クオリアは、言葉を返せなかった。
声を出すことができたのは、
ほんの一瞬だったのだろう。
でも――
三人の胸の中では
“その一言”がずっと響き続けていた。
◆ 影の王の変化
落ち着いた後、
影クオリアはホワイトボードに文字を浮かべる。
《名前が 少し戻った》
《声も 少し 戻った》
三人は同時に息をのみ、同時に笑った。
アリアが言う。
「兄者は、戻ってきておるのじゃ。
影だけの存在ではない。
ちゃんと“この家の一員”として」
セレナはそっとクッションを差し出す。
「声が戻ったなら、いつか……触れられるようになる」
リオナは目を輝かせる。
「その時はぎゅーってしますから覚悟してください!」
影クオリアは揺れ、
ゆっくりと一行を書いた。
《その時が来るまで 生きていてくれ》
《それが 俺の願い》
胸の奥が、切なさと愛しさでいっぱいになる。




