「気づかぬまま始まる覚醒」
B&Eで“王の帰還の刻”イベントが発表された翌朝。
家の中はいつもどおりの光景だった――ように見えた。
アリアは食器を洗いながら、
昨日よりもずっと軽やかに動いている。
セレナは小さな音すら聞き逃さないように
周囲の気配を感じ取っている。
リオナはいつもより目の前の光景を
深く吸い込むように観察している。
それは、本人たちも気づいていない変化だった。
しかし影クオリアは見逃さなかった。
影の視線は、三人の中にある“揺らぎ”を確かに感じていた。
朝食を終え、リビングに移動したタイミングで
最初の兆候が出た。
アリアが飲み終えたカップを置こうとした瞬間、
手が滑ってテーブルから落ちかける――はずだった。
ガシッ。
落ちる前に、
アリアの手が“瞬間的に移動して掴んだ”。
誰も気づく間もなく、
彼女自身さえ驚いたように固まった。
「……今、何が……?」
セレナとリオナは同時に息を呑む。
アリアの動きは
常識的な速度ではあり得ないものだった。
その直後、
影クオリアのホワイトボードが揺れ、文字が浮かぶ。
《反応速度が上がってる》
アリアは胸の前で両手を見つめた。
「兄者、これは……妾の力なのか?」
すぐには答えず、影が揺れながら文字を続ける。
《お前の能力は 感覚強化かもしれない》
《動きの予測 物の軌道 音 気配》
《すべてが一瞬で把握できるようになる》
アリアの喉が震えた。
「兄者と同じ戦場に……立てるということなのか……?」
否定は返ってこない。
影クオリアは、その問いを否定できなかった。
次の兆候はセレナに現れた。
突然、胸元のペンダントが微かに光り、
セレナの視線がホワイトボードへ向いた。
影クオリアがまだ書き始めてもいないのに――
セレナは言った。
「クオリア兄さんが言おうとしてるのは……
“危なくなったらすぐに止めてほしい”でしょ?」
アリアとリオナは目を見開き、
影クオリアは一瞬だけ揺れが止まった。
文字が浮かぶ。
《どうしてそれがわかった》
セレナの声は震えていなかった。
むしろ静かで、落ち着いていた。
「なんとなく……胸の奥がざわっとして……
兄さんが“傷つけたくない”って思ってる感情が
流れ込んできたみたいで……」
影クオリアは気づく。
セレナが得たのは――
《感情共鳴》。
感情の波が強くなればなるほど、
クオリア本人が言葉にしなくても伝わるようになる。
リオナは震えた声で呟いた。
「セレナ……すご……」
だがその時、
今度はリオナが異変を見せた。
部屋の空気がわずかに揺れ、
影クオリアの輪郭が通常より濃くなる。
普通なら――
影に近づくほど“本能的な恐怖”を覚える。
影界の力とはそういうものだ。
けれどリオナは一歩も引かなかった。
震えもせず、むしろ一歩踏み出した。
「先輩に近づいても全然怖くないです。
前はもっと……息が止まりそうなぐらい怖かったのに」
影クオリアが揺れる。
ホワイトボードに文字が走る。
《影への耐性が出てきてる》
アリアの感覚強化。
セレナの感情共鳴。
リオナの影耐性。
それぞれ違う能力が芽生えた。
三人は互いに顔を見合わせた。
アリアは興奮を抑えきれずに笑う。
「妾たちが……兄者のそばにいるために
力を得始めているのじゃな……!」
セレナはじんわりと目を潤ませながら微笑む。
「きっと……置いていかれないように
“世界が与えてくれた力”なんだと思う」
リオナは涙をこぼしながら叫ぶ。
「クオリア先輩と同じ場所に立ちたいって
心の底から願ってたからだよ……!!」
影クオリアは揺れ、
文字をゆっくりと綴る。
《本当は 危険なんだ》
《強くなるほど 影界との繋がりが深くなる》
《俺に近づけば近づくほど 巻き込まれる》
アリアは唇を噛み、
それでも揺るがず言う。
「それでも進むのじゃ。
兄者が一人で傷つく未来の方が嫌なのじゃ」
セレナは泣きそうな微笑みで言う。
「巻き込まれたくないんじゃない……
巻き込まれない立場のまま隣にいたくないの」
リオナは涙を強く拭って叫ぶ。
「守られるだけなんてイヤ!!
同じ場所に立って、先輩を守りたい!!」
影クオリアは……
優しさと苦しさの間で震えた。
ホワイトボードに文字が浮かぶ。
《ありがとう》
《だけど 俺は まだ怖い》
《もし誰かが傷ついたら 俺は耐えられない》
アリアが歩み寄る。
「傷つかない努力を妾たちもする。
兄者だけの戦いじゃないのじゃ」
セレナがそっと続ける。
「戦うのも、守るのも、帰る場所でいるのも
全部、一緒にやるの」
リオナが涙の中で笑う。
「先輩もいつか、
守られてください。
それも愛です」
影クオリアは、
文字を綴る手を止めたように揺れた。
彼女たちの言葉を――
拒否できなかった。
《わかった》
《でも 無理はさせない》
《俺が全部守るように努力する》
アリアの拳が震えた。
「努力だけでいいのじゃ。
完璧じゃなくていい。
兄者は兄者のままで」
セレナの声が続く。
「守りたい、守られたい、どっちも愛だから」
リオナの涙の笑顔。
「一緒に未来に行きましょう。
戦って、笑って、戻ってきて、帰ってきて」
影クオリアの手が、
昨日よりもはっきりと浮き上がる。
その右手は――
三人に触れたいと震えていた。
だが、触れない。
触れられない。
まだ“その段階”には至っていない。
だから影クオリアは、
ホワイトボードに静かに一行だけ残した。
《強くなるなら 俺の隣で生きてほしい》
三人は涙をこぼしながら笑った。
影の王の力が戻っていく。
敵も動き始めている。
だが同時に――
三人もまた覚醒し始めた。
これは、戦う準備が整う物語の始まり。
「妾たちは……兄者の隣に立つために強くなるのじゃ」
「クオリア兄さんと同じ未来を掴むために」
「先輩を守るために、成長します」
影クオリアは――
その光景を見て、震えるほど誇らしげに揺れた。




