「影、デートを邪魔する」
週末。
いつもより少しゆっくりめの朝。
アリアは、鏡の前でうんうん唸っていた。
「うぅ……どの服で行くべきか悩ましいのじゃ……」
クローゼットの前には、
淡い色のワンピース、動きやすいパーカー、
お気に入りのフリル付きブラウス。
どれも、
「兄者に見せたい」
という一点だけで選ばれた服。
本来、クオリアはここにいないはずなのに。
アリアは、鏡越しにふっと笑った。
「兄者……妾、今日は“外でも”一緒におるつもりなのじゃ」
“影として”だとしても。
最近、名前を呼ぶたびに
クオリアの影は強く反応するようになった。
それは、クオリアの中の何かが
「近づくこと」を選び始めている証拠。
会えないけれど、
一緒に歩きたい。
そのわがままに、
少しだけ甘えてみたくなる週末だった。
◆ アリア編:ひとりと一人+一つの影のデート
待ち合わせ場所は、
家の近くの小さな公園。
アリアはブランコのそばに立ち、
空を見上げる。
「兄者、行くのじゃ」
誰もいない。
でも足元の影が、
アリアの一歩遅れて揺れた。
まるで“誰かが隣を歩いている”みたいに。
「今日は……兄者がいつも行きたがっておった
新しく出来たゲームショップに行くのじゃ。
兄者の代わりに、しっかりチェックしてくるのじゃ!」
足取りは軽く、
気持ちは浮き立っている。
歩道を歩き始めると――
信号が、アリアが近づくたび“青”へ変わっていく。
タイミングが完璧すぎる。
アリアは頬を緩めた。
「ふふ……兄者、やっておるのじゃな?」
足元の影が、一瞬だけ誇らしげに揺れた気がした。
ゲームショップに入ると、
アリアの視線は一気に奥の方へ吸い込まれた。
そこには最新のVRゲームのポスター。
もちろん、《Begins&End》の大型アップデート告知もある。
アリアは立ち止まり、ポスターを見上げた。
「兄者……またここに、一緒に行ける日は来るのかの……」
そのとき。
店内の照明のせいでも、
人影のせいでもない影が、
ポスターの周りにふわっと集まってきた。
ポスターを、包むように。
まるで
「もう一度、必ず」
と約束しているかのように。
アリアは小さく笑った。
「うむ。兄者がそう言うなら、妾は信じるのじゃ」
そのあと、
アリアは真剣な顔でゲーム棚を見て回った。
「兄者が好きそうなRPGは……
これは微妙、こっちは戦闘バランスが悪い、これはボリューム不足……」
口数の多さに、
店員がちらちらこちらを見る。
だがアリアは気にしない。
「これじゃな!
兄者が“おもしろそうだなー”って言いそうなのじゃ!」
一本のゲームソフトを手に取ると、
足元の影が嬉しそうにピクリと揺れた。
レジで会計する時、
財布の中の小銭がぴったりになっていた。
「……兄者、細かいところまでやっておるのじゃな……」
ささいなことが、愛しい。
帰り道、
アリアはそっと呟いた。
「兄者。
今日は一緒に歩いてくれてありがとうなのじゃ。
またデートしてくれると嬉しいのじゃ」
影は返事の代わりに、
アリアの影とほんの一瞬、重なって揺れた。
腕を組むみたいに。
手をつなぐみたいに。
触れていないのに、触れている気がした。
◆ セレナ編:本屋とカフェの静かなデート
その日の午後。
セレナはお気に入りの黒いカーディガンを羽織り、
家の鍵を静かに閉めた。
「……クオリア兄さん、本屋に付き合ってもらってもいい?」
答えはない。
けれど、
足元の影がふわっと長く伸びる。
それだけで十分だった。
駅前の大きな書店に入ると、
セレナはまっすぐ文芸コーナーへ向かう。
平積みの新刊、
話題の小説、
古典文学の棚。
ふと一冊の背表紙に触れた瞬間、
そのすぐ隣の本が“すっと”前のめりに落ちてきた。
セレナはそれをキャッチする。
タイトルは――
かつてクオリアが読みふけっていた本の続編だった。
「……兄さん、これ、前に読んでたやつの続きだよね」
影が、足元で柔らかく揺れる。
セレナは少し笑って、
その本を手に取った。
「一緒に読もう。
兄さんは“影の場所”からでいいから」
カフェの隅の席に座り、
ページをめくる。
向かい側の椅子には誰もいない。
それでも、
そこにクオリアが座っている気がしてならなかった。
ホットコーヒーの香り。
ページをめくる音。
時々、
セレナのカップが倒れそうになる前に
“スッ”と止まる。
見えない手が支えているように。
「兄さん、私が本に集中しすぎると
すぐ飲み物こぼしそうになるから……慣れてるよね」
呟くと、
影がくすぐったそうに揺れた。
読み進めていくうちに、
物語の中の登場人物が
「誰かを守るために自分を犠牲にする」場面に差し掛かった。
セレナの指が止まる。
「兄さんも、同じことをしたよね」
ページを見つめたまま、
セレナはぽつりと呟く。
「私たちを守るために、
自分が“影の王”になって……
人間じゃなくなっても、そばにいてくれてる」
胸が痛い。
でも、それ以上に――温かい。
「……ねぇ、クオリア兄さん」
セレナは顔を上げる。
向かいの空席を見つめて、微笑む。
「次は、私たちの番だよ。
兄さんを、守る番」
影が、
静かに、ゆっくり揺れた。
コーヒーの表面に、小さな波紋が広がる。
返事のようにも、
ありがとうにも聞こえた。
◆ リオナ編:デートを“邪魔される”ラブコメ
その頃、
別の場所では――
リオナが全力でオシャレをして駅前に立っていた。
今日は彼女にとって、
ある意味“勝負の日”。
「よし……今日は“先輩と一緒に歩いてるつもりデート”です!」
自分で言って照れながら、
スマホで自撮りを撮る。
画面の端に、
一瞬だけ影が映り込んで消えた。
「……今の、先輩ですよね? ね?」
誰も答えないが、
リオナには確信があった。
ショッピングモールの中を歩きながら、
リオナは鏡の前でポーズを取る。
「先輩、この服どうですか?
似合います? 似合ってますよね? ね?♡」
返事はない。
でも――鏡の中、
リオナの隣に映るはずのない“影の輪郭”が
一瞬だけ彼女を見ているように見えた。
その瞬間、
リオナのテンションはMAXを超えた。
「うわぁぁぁぁぁ先輩見てたぁぁぁぁぁ!!!///」
周りの視線が一斉に刺さる。
店員ですらちょっと引いている。
「っ……ふ、普通の女の子です、はい、大丈夫です……!」
そんな言い訳をしつつ、
アクセサリーコーナーへ移動する。
さりげなく、
ペアっぽいデザインのネックレスに手を伸ばした時――
別のアクセサリーが “カラン” と音を立てて落ちた。
拾い上げると、
それはシンプルなリング形のペンダント。
「……え、これ……
先輩っぽい……」
派手すぎず、でも少しだけ主張していて、
日常でもつけられるデザイン。
リオナは頬を染めて笑った。
「先輩、自分で選んでくれました? ねぇ?
これ、買います」
財布を取り出そうとした瞬間――
足元の影がふわっと伸びて、
リオナのスカートの裾をちょん、と引っ張る。
「ひゃっ……!?/// せ、先輩!?///」
周囲の人間から見れば、
突然スカートを押さえて赤くなっている変な女の子である。
リオナは小声で抗議した。
「ちょっと! 先輩、デート中にそういう“無言スキンシップ”は反則です!」
影は、
「知らないふり」をするように元の形に戻った。
だがそのあとも、
リオナが別の服を手に取ろうとすると値札が見えなくなったり、
他のアクセサリーに目移りするとライトが一瞬消えたりして――
結果、
最初に手に取ったペンダントだけが残った。
「……もしかして、先輩、
私にこれ以外つけさせたくないとか、そういう……?」
口に出した瞬間、
足元の影がびくんと跳ねた。
反応がわかりやすい。
「……かわいい……
はぁ……好き……」
完全に溶けたような声で呟き、
リオナはペンダントを購入した。
モールを出て、
人の少ない並木道に差し掛かった頃。
リオナは歩道脇に立ち、
さっき買ったペンダントをそっと握りしめる。
「ねぇ、先輩」
足元の影が、
彼女の影に寄り添う。
「私とデートしてて楽しいですか?
うるさいし、騒がしいし、変だし、
ストーカーって呼ばれるような女ですけど」
風が少し吹く。
葉が揺れる。
光と影が交差する。
返事の代わりに、
彼女の肩の影がそっと厚くなった。
まるで、
そこに誰かが“もたれかかっている”かのように。
リオナは目を閉じて笑った。
「……楽しいなら、それでいいです。
邪魔してくれてもいいです。
私のデート、全部先輩に邪魔されたいですから」
◆ 夜、三人と一つの影
その夜。
リビングに集まった三人は、同じことを言った。
「今日は、クオリア兄者とデートしたのじゃ」
「私も……クオリア兄さんと本屋デートした」
「私、先輩にめちゃくちゃデート邪魔されました♡」
言い方はバラバラなのに、
意味はひとつ。
“一日中、一緒にいた”。
クオリアの影は、
テーブルの向こう側で静かに揺れた。
アリアが嬉しそうに話す。
「兄者、ゲームショップ楽しかったのじゃ!
兄者が好きそうなソフト、ちゃんと選んだのじゃ!」
セレナは恥ずかしそうに微笑む。
「本……一緒に読んでる感じがして、すごく落ち着いたよ。
……ありがとう、クオリア兄さん」
リオナは満面の笑みでペンダントを見せた。
「先輩、これ。
一緒に選んだってことにしていいですよね?♡」
影はしばらく黙っていた。
三人が喋るのを、
最後まで聞いていた。
そして――
ホワイトボードに文字が浮かぶ。
《楽しかった》
《ありがとう》
《また行こう》
三人の顔に、
同時に笑顔が咲いた。
アリア:
「もちろんじゃ! 兄者、次はどこに行くのじゃ!」
セレナ:
「クオリア兄さんの行きたい場所、私たちも一緒に行く」
リオナ:
「先輩の“行きたい”は、私たちの“行きたい”ですよ」
影は、
照れくさそうに、
でも確かな喜びを滲ませて揺れた。
会えないのに、一緒に過ごした一日。
触れられないのに、
心はちゃんと近づいた。
名前が、
“距離”を溶かし始めている。




