狼と少女の出会い
救いの神と取立人の猛獣、先に少女の肩を掴んだのはどちらだったのか。
森をさまよい続け、少し開けた場所へとたどり着いた少女は崩れ落ちる。
木々に阻まれていた太陽光が少女の体を温め、膝丈ほどまで伸びていた草花も少女を包み込む大自然のベッドとなった。
もういいかな、一瞬少女の脳裏をよぎった言葉は少女から力を奪う。
諦めとも絶望とも違うその言葉は少女が最期に抱いた想いになる、そのはずだった。
「客人とは珍しいな」
突然の出来事に対して人は言葉を忘れる。
考えるよりも先に体が動くというのは通常の場合に限られるが、少なくとも今この時に限って少女はおよそ通常と呼べない状態だった。
精根尽き果て死を待つばかりとなった少女は、その言葉を幻聴と思ったのか目を閉じて終わりを待つばかりだ。
「……なんぞ、久しぶりに見た客人がこんな幼子とは」
しかし幻聴は消えない。
少女に語り掛けているのかもわからない声は、大地のように重く響き渡るものだった。
「喋れないのか? あぁいや、死にかけているのか。幼い身なりでよくぞここまで来たというべきか、はたまたこのような所に来るでないと叱るべきかわからぬな」
その声ははっきりと喜びの色を見せていた。
叱るべきか称えるべきかと悩んでいながらも、酷く面白そうな声色だと少女は思った。
「まったく、どうしてこの辺りに住む者は森へ入りたがるのか……娘よ、選べ。生きるか死ぬか」
「……ぃ…………」
誰とも知れぬ声に、少女は瞼を持ち上げようとしても溶接された鋼のようにピクリとも動かない。
口を動かそうとしても洩れるのは微かな吐息のみだ。
「聞こえぬ、今そちらへ行くからもう一度その言葉を紡げ」
草を踏み分けるというには、随分と大きな音が少女の耳を刺激する。
物心がついて幾ばくかと言う頃に見かけた熊を思い出した。
もちろん生きたものではなく、狩人によって狩り取られた物だ。
血抜きも終えて解体を待つばかりのそれも、大人数人がかりで運ばれていた。
彼らの足並みがそろった時には今よりも小さかった少女が跳ねるほどに大きな足音がしたものだと思い出す。
同時に、それを共に眺めていた母と父の顔を。
「いき……たい……」
「よかろう、助けてやる。しかし……どうしたものか、我はお前がどこの者か知らぬ故送り届けることができぬ。それでも生きたいというのであれば一先ずは身体を癒せ、幸い近くに池があってな、その周りに生えている木の実は甘くて美味い。それらを口にしてからじっくりと体を休めよ」
「……ぅ……ん……」
「良い返事だ、がまだ寝るなよ」
今にも意識を手放しそうになっている少女は自分の身体に何かがまとわりつくのを感じた。
蛇とは違う、植物の蔦や麻縄でもない、猫や犬の尾を長く引き伸ばしたらこうなるのだろうかという何かに巻き付かれた後、草よりも柔らかな物の上に落とされたがうめくこともできない。
その香りは天気のいい日に外で干した布団の様だった。
「我は人を背に乗せて走るのが好きだが、しかしここまで小さな者をのせたのは初めてだ。捕まっていろとは言わぬから楽にしておれ」
その言葉に返事はなく、少女の意識は闇に塗りつぶされる寸前だった。
「これは急いだほうがよさそうだ」
そういうと声の主は少女を背に乗せたまま、森へ歩みを向けた。
皮肉にも少女が歩いてきた道のりを遡るようにして彼は森を翔る。
木々に阻まれるはずの道をいとも容易く走り抜ける彼を見る者は何と形容するだろうか。
少なくとも、神と呼称する者は稀有だろう。