迷いの森の少女
少女は森をさまよっていた。
黄昏時の如く、暗く見通しの悪い深い森。
この森には神様が祭られているという話を聞いて、そんなモノがいるのかと好奇心に駆られた少年少女の冒険、その程度の気持ちで町を飛び出した少女は涙を流していた。
森は人を惑わす。
無造作に生えた木々、足元を覆い隠し目印を残させない草花、光を遮る葉、それら全てが人から方向感覚を奪う。
故に慣れた物でも方角を見失いやすい。
「ひっく……うぅ……」
目元をこすりながらも懸命に足を動かす少女、しかし彼女の思惑とは裏腹に森の奥深くへと進んでいくことになった。
時折鳥の羽ばたきや風の音に身を竦ませては、自らを奮い立たせて前へと進ませる。
辛く険しい道のり、否道なき道、それは子供のあこがれる英雄譚とは打って変わって辛く険しいものだ。
まだ10年と生きていない幼子には厳しすぎる。
喉も乾いているが、それを口にしたところで何も変わらない。
命の尊い世の中ではないというのを、少女は十分に理解しているからこそ死を身近に感じてしまう。
このまま何もしなければ遠からず自分は森の一部へと還る、つまりは死ぬだろうという事を。
だからこそ涙を止めようとするも、溢れ出るそれらを押しとどめるには少女は未熟だった。
「……冒険なんてやめておけばよかった……おかぁさん……おとぅさん……ごめんなさい……いっぱいおこられてもいいから、誰か助けて……」
既に唾液も出ない程乾いた喉から声を絞り出し、懺悔の言葉を口にする。
しかしそれに答える者はいない。
手を差し伸べる者もいない。
町の周囲では少女を探して大人が駆け回っている事だろう。
そして少女が森へ向かっていったという事も、すぐに広まるだろう。
けれど彼女を助けに向かう者は……。
それが町の掟だった。
森へ入る事が禁じられているのではない、森を荒らすことが禁じられている。
故に大勢で森に押し掛ける事は許されず、少数精鋭が入ることしかできない。
そして、その少数を選りすぐっている間に少女は跡形もなくなっているであろう。
だから森へ向かおうとする者は、少女の両親を除いてはいなかった。
世代ごとに必ず起こった事だ。
時間にすれば数年に一度有るか無いかと言った頻度だろう。
ふらりと森へ入っていった子供が帰らなかったという事故が起こっている。
中には森の神が生贄を求めたと言い出す者までいる。
時世を変え、あらゆる方法で禁止しても、必ずそう言った事故が起こっていた。
「う……うぅ……」
森で涙を流す少女も、その事故の一件として数えられる。
そこに二件の事例を無意味に増やす事は出来ないと、少女の両親は町へ押し込められていた。
もし今、少女の命を救うことができるとすればそれこそ神だけだろう。
森で迷う、という事態になってしまっている以上少女に運は残されていないのだから。
強いて言うならば神の救いが手を差し伸べるのが早いか、猛獣の牙が少女を森へ帰すのが早いかの賭けだろう。
酷く歩の悪い賭けだ、少女の賭け金は全て。
命を始とした周囲の人間の生涯に影響を与える彼女の全てであり、得る物はいつ何時脅かされるかもしれない平穏、誰もが成立しないと異議を唱えるであろう賭けに少女は乗るしかなかった。
「だれか……」
神への祈りは充分だろう、そう彼女の耳元で悪魔がささやく。
少女の体力はすでに限界を迎えていた。
木にもたれ掛かって食べようと思っていた果実は既に彼女の腹へと収まり、元より深い場所へ入るつもりもなかったため備蓄はない。
だから少女に残された物は、今着ている衣服と命だけだった。
「…………」
もう涙も枯れたのか、すすり泣く声も止まった。
助けを求める言葉も捨てて、鉛のように重くなった足を引きずりながら進んでいく。
その先に待ち受けているのが、断崖絶壁であろうとも、限界を迎えて気力も尽き果てていようと、それでも少女は懸命に足を動かした。
それ以外の方法を、彼女はとることができなかったから。