第1羽 速水チーム① -4/6-
「ふぅー久しぶりに歌えて楽しかった!」
部屋に戻り、ノアが言う。そのままノアは椅子に座った。
「そうだな……」
速水も腰掛けた。
速水はノアの歌の余韻に浸っていた。頭の中で先程の『きみょうなメロディー』を繰り返す。
――書き留める事が出来ないのがもったい無い……。
「ハヤミ、なんか機嫌良いね?」
今日は朝っぱらからボーカルトレーニング、速水は気が重かったのだが意外とあっさり済んで良かった。
時刻は午前十一時。
「そうだノア。何か飲むか?」
――丁度いい時間だ。速水は珈琲を煎れる事にした。
「じゃあ、ラテで。ウサギ描いて!」
ノアが注文した。
「かしこまりました」
速水は言って、立ち上がり。
「……あれ、変わってる?」
部屋の端の棚を見て呟いた。
ここにあったサイフォンがいつのまにか新品になっている。前の物より良い品だ。
――むしろ色々増えてる?
他の段を見ると、小型のエスプレッソマシン…珈琲豆も数種。ケトルと紅茶類まである。とても嬉しいが、何故だろう、と速水は首を傾げた。
(まあいいか)
速水はいつの間にか新しくなっていたサイフォンで珈琲を煎れ始めた。
準備の間にふと横を見た。
「……最近思うけど。俺の頭が色々おかしいのも、きっと悪い事じゃないんだろうな……」
「ほら、今もそっちの方にスズメがいるだろ?」
速水はノアの後ろを指さした。
「げっ」
とノアが振り返った。
もちろんいない。
「どこ!?」
ノアが震え上がったので、速水は苦笑した。
「そんな、ただの幻聴だから。いないって。俺に聞こえるだけ……」
ちゅん。
ちゅん……?
――二羽か。
「そこに一羽、そっち辺りに一羽」
速水はテーブルの近く入り口付近と、ノアの後ろ、ベッドの方の床を指さした。
「げっうそ、って…ちょっと待てよ!!―そんなにハッキリ分かるの!?」
「まあ、……」
速水はガタリと立ち上がって、テーブルの側のスズメを追ってみた。
ちゅん。ちゅん。
試したことは無いが――、この鳴き声を捕まえられないだろうか?
もっと言えば――手のひらに乗せたりできないだろうか?
この辺りかと、床に手を伸ばす。
ちゅ。
「あ……」
声が消えてしまった。耳に手を当てるが、聞こえない。
「逃げたな。スズメは警戒心が強い。ハトならもう少し近づけるかもしれない」
ノアは速水を見た。
「……ねえ、それって、本当は」
「ん?」
速水は珈琲でも煎れたらハトが来るかな、と考えてカップを手に取っていた。
――速水は、相当ハッキリ聞いている。
それはもしかして、鳥が本当にそこにいるのでは?
ノアはそう思った。
「いや…、違う、絶対違う」
ノアは幽霊が怖かったので、自分に言い聞かせた。
カタカタと背筋が震える。今日はベスと一緒に寝よう……。
足音が聞こえ、ノアはすこしびくついた。ガチャ、と扉が開き、目隠し手錠のレオンとベスが戻って来た。
レオンとベスもこの時間はボーカルトレーニングだった。同じ時間開始だったから、てっきり四人一緒だと思ったが、途中で別れた。
「あ、ベスおかえり!どうだった?具合は?」
ノアはホッとしてベスに尋ねた。
「ええ、大丈夫。――でも難しいわ。歌はあまり得意じゃ無いの」
彼女の表情は冴えない。
速水はレオンを見た。そう言えばレオンは歌はどうなのだろう?
「レオンは?」
「……ダンサーが歌とか、いらないと思うんだ」
レオンはそう言って、椅子に座った。正直ダメらしい。
「レオン、落ち込まないで、私もあなたと似たような物だから……」
ベスが嘆息しつつ、レオンを慰めた。
「ねえ、俺上手いって褒められたよ!」
ノアがベスと話している。
「ノアの歌声はきれいだものね。胎教にどうかしら?」
ベスが微笑んだ。
「そうだ。クイーン、ココアはいかがでしょうか?レオンはいつもの?」
「ああ。頼む。疲れて眠い。――ん?いやもうすぐ昼だから、後にするか」
レオンが時計を見て言った。
「そうね。じゃあ私も食後に貰おうかしら?」
「仰せのままに」
速水は微笑んだ。
ノアがラテを飲みつつ。ほう、と息を吐く。
その後、腹をさすって「美味しい、けど腹減ったー」とぼやいた。
アンダーのこの施設はそれなりに広い建物らしいのだが、構造がサッパリ分からない。
上にも横にも広い感じはするが、迷路のように入り組んでいる。
サンルーム1という物があって、そこは地上で、周囲はガラスに囲まれている。その外の風景は塀。手前に少し木々。
サンルーム2は天井が硝子張りの広い部屋で、日光浴に最適。
たまに足音や扉の音がするので、他のチームも居るのだろうが……鉢合わせしたことは無い。
他チームとの結託を防ぐ為だとは思うが、レッスンは端末で時間を告知されて、勝手に連れて行かれ、終わったらまた目隠し。
自主練は端末で空き部屋やスタジオを押さえる。
速水がヤバかった折に部屋の外へ出たレオン達の話では、廊下は監獄のようで、部屋が間隔をあけて並んでいる――らしい。
隣の生活音はほぼ聞こえない。耳の良いノアもたまにしか聞こえないと言っていた。
しばし四人は、そのことについて話した。
ここはどの州だろうか等。つまりは雑談だ。
ベスとノアが首を傾げる。
「シカゴより暖かいわよね」
「この州に地下組が全員いるって事は無いよね。幾つも拠点があるのかな?」
「ロスの季候に似てる気もするが、さすがにカリフォルニアって事は無いだろう」
レオンが言った。
「…ミズーリとかか?真ん中あたり…アメリカって広いよな」
速水も首を傾げる。
これはたまに繰り返す話題で、通例通り結論は出なかった。
コンコンコン、とドアが三回ノックされた。
「あ、ご飯だ!」
ノアが立ち上がった。
速水とノア、レオンもそれぞれのスペースに戻って、シャッとカーテンを閉める。
ベスはクイーン用の部屋の扉を閉める。
配膳・回収の間はカーテンを開けてはいけないルールだ。
ただしトイレと風呂はセーフ。
初めは面倒だったが、もう慣れた。
ガラガラとワゴンが引かれてそれが止まり、カチャカチャと配膳される。
いつも三名が来る。
配膳係が去って、ドアが閉まったら適当に出ていい。
速水はカーテンを開けた。
正直、この時に脱走が出来そうだが、その先は警備が厳重だとエリックは言っていた。突破できるか試すのも良いな。――まあ、止めておこう。
今日の夕食はそれなりに凝った物だった。
食事は一人分ずつ、でかいプラスチックのお盆にのせられている。
メインは切り分けられたスペアリブ、サラダ、パスタ。パン。スープ。デザート。
「おお。最近まともだな」
ちなみにウルフレッドがいた時が最高で、彼が抜けて元に戻り、最近はまた少し良くなった。
「栄養に気を付けてる感じよね」「ああ」
ベスがクスリと笑った。病み上がりの速水も苦笑する。
ちなみにベジタリアン、アレルギー、宗教などは申請したら別メニューになるらしい。
「主よ、今日もご加護をありがとうございます。感謝します」「アーメン」
ノアとベスはキリスト教の文言。
レオンはネックレスに手を当てて謎の黙祷。
速水は少し待って、終わるのを見計らい手を合わせてイタダキマス。
「さて食うか」「あー!腹減った」
レオンが言って、楽しい食事の始まりだ。ノアも早速食べ始める。
「デザート、あれ?コレ何?」
ノアは首を傾げた。見た事の無い物だ。
「あ。これ日本の……プリン?」
速水は初め何か分からなかった。あまりに久々すぎて、頭が違う物だと認識した。
プラスチック容器に入ったプリンだ。三個セットで売っているような……。
「へえ?プディング?」
ノアは先にそれを食べてみた。
「違う、プリン。あ、デザートだけど、――まあいいか。気に入ったら俺のもやる」
「ん、サンキュ、けどどうだろ?あ、美味しい!」
「俺は肉はウェルダンが良いんだが……、まあ、前より良い味になったな」
「これって、調理係の腕が上がったのかしら?不思議よね」
ベスも同意しスープを飲む。
「味付けは同じ感じだよな。そう言えばレオンの宗教って食べられないもの無いのか?」
速水はパンをちぎりながら言った。
「特に無い。人生は踊って楽しむ物だってフランクな教えだ」
レオンは笑った。
食べながら、速水は、運営も毎食用意は大変だな、と思った。
運営が何名いるかは分からないが、ほとんど病院のような感じだ。
そうして食べ終えて、速水は手を合わせた。
「ごちそう様。皆、もう良いか?」「ああ」「待って、デザートとパンは後で……」
レオンが答え、速水は少し待って、テーブルを立ちドアに向かった。ベスがプリンとパンを冷蔵庫にしまう。
――扉を三回ノック、これが片付けの合図。
三十秒後に詰めているヤツが入って来て、出て行くまで二、三分。それまでカーテンを開けられない。
速水はノックをしかけたが――。
ガタン!!と椅子が倒れる音がして、振り返った。
「おいノア!?」
レオンの声がした。
ノアが風呂場にバタバタ駆け込み、吐く音がした。
「!?」「おい!」
「ノア?」
扉の側にいた速水は、レオンとベスに続き慌ててノアを見に行った。
「どうした!?」
「ノア!!――まずいわ!エリックを」
ノアは蒼白だった。
速水は、一目見てはっとし、戻りドアを叩き叫んだ。
「エリックを呼べ!!急患だ!!」
■ ■ ■
エリックが駆け込んできて、ガスマスクによって応援が呼ばれた。
「ああノア、しっかり!」
「付き添いは?」
速水は医者に聞いたが、ノアは速攻で運び出された。
そして「NO!」と切迫した表情で言われた。
原因は不明だが、おそらく食事。
急ぎだったからか、医者は今、エリックに渡され仮面を付けたところだ。
――こんな時でもエリックはしっかりパンストをかぶっている。
「君達は何とも無いか。めまいは?」
仮面を付けた医者が言った。
「ああ。大丈夫だ」「今のところは何とも無いわ」
レオンが言った。ベスと、速水も頷いた。
「何かあったら、すぐ教えて下さい」
エリックが言った。
そして医者とエリックは食事の検分を始めた。
三人は脇にどいた。
妊婦のベスは腹を抱えてベッドに座り、「食中毒かしら…ああ、ノア…」と心配そうにしている。「それにしちゃ早くないか」とレオンが言った。「クイーン……」速水はベスを気遣い彼女の上着を渡した。
「……これは?」
医者はすぐにプリンに目を付けた。
「ああ、これは今日のデザートです。ジャパンの……」
エリックが言った。
「なるほど」
単に知らなかったらしい。
「おい。それ、ノアが二つ食べたヤツじゃ無いか?」
「あっ。ハヤミが食べなかった物だわ」
レオンが気が付き、ベスが言った。
食事は皆同じメニューを食べていた。
……速水は何とも無い。ベスもレオンも。そしてレオンもプリンを食べたが何とも無い。
「まさか――?それか?――冷蔵庫にあるよな」
速水は言った。プリンならベスの分がまだある。エリックは冷蔵庫を確認したが、触ることはしなかった。
二十分ほど待つと、スーツに仮面の運営が四名入ってきた。
一人は男性、三人は女性。仮面をしているが、…いつもの見慣れたメンバーだ。
運営はエリックや医者と短く話す。
「――ノアは?」
ベスが真っ先に運営のリーダー格らしい女性に尋ねた。
「胃洗浄をし、容態は落ち着いたそうです。命に別状はありません。しばらくこちらで身柄を預かります。貴女は安静にして下さい」
「……!よかった……!」
ベスがホッとして涙ぐみ、ノアのベッドに座る。
そして神に何度も祈りを捧げた。
速水もほっと息を吐いて、首を傾げた。
「ベス良かったな。けどプリンって?アレルギーじゃないよな。ノアは卵平気だし」
「まさか、やっぱり毒でも入ってたか?」
レオンが言った。
ノアの急激な変化を見て、速水もそれは思ったが、まさか。
「……他に体調に変化のある者は?」
再び、今度は仮面の運営、男が尋ねた。三人はまた首を振った。
そしてまた状況を詳しく聞かれ、冷蔵庫のプリンとパン、そして食器は全てそのまま運営達が持って行った。続いて医者も退出する。
速水は食器を動かして良いのか、と思ったが、運営は手袋をしているし大丈夫なのだろう。
犯人とか、分かるのか……?
「エリック、原因って、分かったら運営からお前に教えて貰えるのか?」
速水は、去る前のエリックに尋ねてみた。
「いえ。おそらくは……ダメでしょう」
エリックは首を横に振った。分かっても教えて貰えない、という事だろう。
そこでエリックが速水に向き直った。
「それよりハヤミ。もしかしたら、問題があったのはノアのデザートでは無く、あなたのデザートだったのかもしれません。あるいは、誰かが何かを……」
――速水はノアに二個目のプリンを渡していた。
ノアは初めに自分のプリンを食べていたが、最後まで平気そうだった。
食中毒にしては急だし、ノアが最後に口にしたのは速水のプリンだし。どう考えてもあれが一番怪しい。
あるいは……誰かが何かを混入した?
まさか……本当の狙いは俺なのか?
速水は眉をひそめた。ふって沸いた事態に、心当たりなんてある訳が無い。
「だよな。もし何か――分かったらでいいから、こっそり、教えてくれないか?」
「はい。もちろん」
エリックは頷いた。
■ ■ ■
ノアは翌日の夕食前に戻って来た。
「ただいま。もーホント、酷い目にあったよ…!」
幸い症状は軽かったらしい。少し疲れた顔をしているが元気そうだ。
「ノア!良かった…!!」
ベスが抱きついて、二人はノアのベッドに座りイチャイチャし始めた。
「ノア、大丈夫だったか…?」
速水はノアの方へ近づき尋ねた。
「うん何とか…―っていうかあれ、ハヤミのプリンのせいじゃない?毒とか?」
ノアはベスの頭を撫でながら、速水を見て少し困ったように言った。苦笑だ。
「そうかもしれない。原因が分かったらエリックに、教えてくれないかって言ってある…もしそうだったら本当にごめん」
速水は謝った。
「いいよ別に。だって俺が貰ったの偶然だし。ハヤミが無事で良かった!」
そう言ってにっこり笑ったノアを見て、速水は衝撃を受けた。
「……っ!!」
ハヤミが無事で良かった!?
――俺のせいで死にかけたのに。無事で良かった!?
ノアは、――ノア……。
ノアはなんて良い奴なんだ。まぶしくてめまいがする……。
「どうした?ハヤミ」
ふらりとテーブルに手をついた速水を見て、レオンがいぶかしげに言った。
ノアとベスは楽しげに語らっている。
「まだ生まれない?良かったー俺それが心配で心配で。ほら、ストレスとかきっかけになるってエリックが言ってただろ?」
「きっとこの子、空気読んだのよ。明日から医療スタッフが来てくれるの。どんな人達かしら?」
「いや…違う」
速水は一人拳を握った。
俺のせいで?悪いのは犯人だ。
もし食中毒じゃないなら。
今回の速水の立場的に、一矢報いるのが当然だ。
「ねえベス。心配した?」「したわ。もうっ心配させないで。ノア、大好きすきすきっ」
ノアとベスはまだまだイチャイチャしている。
……この光景は尊い物だ。
「ノア、絶対、犯人を見つけて復讐してやるから、安心しろ」
速水は微笑んで思ったままを小声で呟いた。至極穏やかに。
「ハヤミお前な」
レオンが呆れたように言った。
「あ、それでレオン。俺の明日の予定は?確かカポエイラだった?」
ノアが聞いた。
レオンが充電してあった端末を取り、指を滑らす。
「ん?ああ。――ノアは休みだな。変更されてる。が、ベスはサンルーム1でフリートレーニングだ。残念だったな。部屋で寝てろよ。で俺とハヤミは――?……ん?なんだコレ」
レオンはおかしな顔をしていた。
「何だ?」
速水は横から端末を覗き込んだ。
「エステ……だと?」
レオンが言った。
「……エステ??何で?」
速水は首を傾げた。確かに書いてある。が一体何故?
レオンの方に、ベスとノアがピッタリと抱き合ったままで来た。
ノアのベスが首を傾げる。
「エステってクイーン用のアレ?重り付きランニングの間違いじゃ無いの?」「珍しいわね」
「紐無しボルダリングか、パラシュート降下訓練の間違いかもしれないな」
速水は言った。
「まあ、そんな所だな」
レオンが答えた。スケジュールはたまに急な変更や割り込みがある。
押さえていた広い練習室が取れない事や純粋な記載違いもある。今回もそれかもしれない。
「あ、そうだハヤミ、俺もう、これからプリンは食べないから」
ノアは速水にそう言った。
今回の件はトラウマになってしまったらしい。
「っ。――分かった。…もし食べたくなったら、俺が最高の材料で作ってやる」
速水は笑った。にこやかに。
ノアから『プリン』を奪った憎き犯人に、どういう復讐をしようか考える。
とりあえずプリンは一生食べられないようにしてやろう。
「……ハヤミ、何か笑顔がコワイよ。どうしたの?」
「なんでもない、ノアは気にしなくて良い……」
「「……ハァ」」
レオンとベスが二人して溜息をついた。