終章 女子高生が求める膜って、なんですか? - What's the Veil that a High-school girl wants?
――開けて日曜日。
疲労困憊の私はベットから起き上がれないままで一日経過。恋愛シミュレーションのスキップボタンを押したみたいに月曜日を迎えた。
人間、寝逃げすればリセットできる。どんなに精神の平安を乱す懸念事項だって、睡眠にはご破算の能力がある。そんな夜を二度も繰り返したんですからね。
男子三日会わざれば刮目して見よ――――女子二晩会わざれば女子力満タン。
「よしっ!」
満を持して霞城中央の正門へと続く坂、ここが私のレッドカーペット。溢れんばかりの女子力オーラで男子の視線を独り占め……
「さーりーこ」
…………できませんでした。
美しさの重力レンズで視界を捻じ曲げてくる――二日ぶりのド迫力に思わず二歩三歩と後退り。グーリーコには収まらぬ蹌踉めきバックステップ。
「!!!!」
天然4Kとは我ながら上手く言ったもんですよ。だって違うんですから、周囲のオブジェクトとは画面密度が、彩度が、フレームレートが。私がリミテッドアニメなら彼女はフルモーション、どの瞬間を切り取っても「美」だけに彩られて。
「!!!!」
膝カックンとか小学生以来です、そんなのされたの。
「うわわわわわわわわわ!」
重心を失って倒れ込めば――受け止めてくれる優しい感触。女子しか持ち得ぬ柔らかな包容力。
そしてフワッと視界の隅に金色の繊維が。ヤンキー系の雑な脱色ともレイヤーさんのウイッグとも違う自毛の輝き。陽の光に透けてしまいそうなゴールデンフェザー。
「キャプチュード」
気がつけば私たち、通学路脇のベンチに二人羽織り状態です。
にしてもこの!
(収まりの良さ!)
私と彼女、女子力というか人としてチャームの量が違いすぎる。美的偏差値のボリュームゾーンでウロウロしてる子と目を疑うようなハイスペック女子。その落差は言わずもがな。共通点を見出す努力も虚しい…………気がするけど不思議なことに、身体のサイズだけはピッタリ来るらしい。アフリカ大陸と南米大陸並みの運命的精度を感じます。
いや、共通点はあるじゃないですか。私たちは同い年の同級生ですから。大枠のサイズ感だけは相似性が高くても妥当です。うんうん。
ディティールの精巧さには言及しないのが優しさというものですが。
(だってこんな……)
振り返れば、翡翠の瞳。焦点を探し藻掻こうにも、捉えどころがない猫の瞳。
「おはよう桜里子」
振り返らなければ、漆黒の黒。白い肌との明度差が極上のフォルムを仕立て上げる美の権化。
そんな二人が平然と現る。通学路で何気なく声をかけてくる。
「お……おはようございます……」
決戦の金曜日と激動の土曜日を駆け抜けた美少女さんたち。多少私の女子力が回復したとこで、並び立つなど夢のまた夢なスペシャルガールフレンド。後ろから前からどうぞ。
「なにそんな腑抜けた顔しちゃって?」
いえいえ、悠弐子さんとB子ちゃんから見れば腑抜けて見えるのかもしれませんけど、万全です。これが山田のフルチャージマックス。比較も論外としても、これで精一杯です。
「そんなんじゃ女子高生の本分、全うできないわよ?」
「た、確かに!」
こんなキラキラ女子に学園内を徘徊されては敵いません。他の女子生徒は全員モブ、その他大勢化させられちゃいます! 男の子からの認識が、へのへのもへじと同程度へ落とされる!
ところがところが。認識以前の問題でした、登校してみれば。
「先生!」
「ちゃんと授業進めて下さい!」
白駒だけが失くなったオセロというか黒石だけ取り去られた碁盤というか、殺風景な教室で彼女と彼女は教師に迫る。
「!!」
対する教師は「そんなこと言われても」な表情で。
そりゃそうですよね、ほぼ男子全員が謎のサボタージュ、一人も登校しない異常事態です。
職員室は蜂の巣を突いたような大騒ぎ、想像に固くありません。浮足立ってしまうのも仕方ない。
「先生!」
しかしこの美少女さんたち我関せず、そんな体たらくかと手厳しい叱咤を教壇へと浴びせる。
まぁ生徒には権利があります。だって学生の本分は勉強ですから。学生誰しも勉学勤しむために登校してるんです。素敵な王子様ゲットするためじゃありませんよ? ええ、ありませんとも。
(にしても……)
この集中力と学習意欲は何なんでしょう?
まだまだ私なんか疲れが抜けきっていないのに、気を抜くと机に突っ伏してしまいそうなのに。
この外見保持力……
ハードな終末を過ごしてなお、美少女のナリをパリッ! と保っています。
超人ですって、超人。これくらいの超人でないと美少女を名乗れないんでしょうか?
だけど。
「すぅ……」
チャイムが放課後を知らせたら、彼女たちの本気は鎮まる。
ここは部室棟最奥の部屋。土曜日までは有岡城の土牢だった部屋は美少女の花園へと衣替え。
殺風景なのは変わりませんが、ヨレヨレの衰弱男子と美少女の鱗粉を撒き散らす女の子たちでは、華やかさが違います。全然です。
そこへ何故か凡人枠の私まで紛れ込んでいるのは、何かの間違いとしか思えません。
あ。
間違いといえば、この「部室」もですね。
教師や生徒会の許可を得た形跡はありません。ないまま占拠です。実効支配で既成事実化です。
ですので、不法占拠と糾弾されれば反論のしようもなく……
正直「これくらいの報奨は与えられて然るべき」な気持ちもなくはないですが。なにせ学園の危機を救ったんですからね贅理部は。
とはいえ普通、「それは如何なものか?」な横槍が飛んできてもおかしくはない。
……不法占拠ですよ? 強引に居座ってるんですよ?
なのに、不気味なほど何もない。
まるで悠弐子さんの主張する女子高生無罪論を尊重してくれているかのよう……いやいや。
それよりも意思を感じます。一連の事件を【無かったことにしよう!】という見えざる意思が。学校組織特有の隠蔽体質、そこに由来する圧力がギュンギュン効いてきている。
それが好都合でもあるんですがね、贅理部にも。大っぴらにできない諸々なこと、ないとはいえません。やっちゃいました色々と。
「…………」
それを考慮しても……やっぱり私的には釈然としませんが。
大人の事情と共犯関係を結ぶには、まだまだ私たち幼すぎます。全てを呑み込んでシャンシャンシャンとはいかないですよ、先生貴方はか弱き大人の代弁者なのか、私達の怒り何処へ向かうんでしょうかって感じです。
「はぁ……」
蟠ること確かにあれど。あれど拘らず――臭いものに蓋してしまえば、
「ふにゃ……」
(こんな環境、滅多にないんだからね……)
「ぷいぃー……」
教室での美少女フォーム、非の打ち所もない模範女生徒からは想像もできないほど、緩んだ寝姿。
こんな無防備を晒せるのも、部室棟の特等席、最奥の静かな環境を手に入れたからです。
学園側の積極的なお目溢しに端を発する、役得の極みです。
「人の気も知らないで……」
黙っていればこんなにも愛らしい眠り姫が二人、私の膝を枕にうたたね中。
とても思えません、週末の終末を招くトリガーを引いてしまった子たちなどとは……
「綺麗……」
彼女と彼女は必要としないのです。自らのアイデンティティを確立する手続きを必要としない。
下世話な言い方をするなら「黙ってれば美人」の日本代表選手です。
なのに空気も読まずに要らんことをやりまくる問題児ツートップ、監督はベンチで頭を抱え、「外れるのは彩波悠弐子、それと金髪」と渋面で報道陣に発表しなくちゃいけなくなる。
(想像するだに胃が痛くなってきます……)
寝てる時が一番です。
存分に彼女と彼女の美しさを堪能できますから。
グラビアとか一方通行だからこそ鑑賞を堪能できる。被写体との間に双方向性があるなら、平常心を保てません。名前を呼ばれるだけで、舞い上がっちゃいますから。平静を装っても、内心は嵐の海。美少女とはクラーケンです。コミュニケーションを採っているように見えて、実際は彼女たちの美しさに絡め取られているだけなのです。
「綺麗……」
太ももに掛かる二人分の重さも心地いい。
寝息と体温と女の子の匂い。肌の触れる距離で戯れる午後。思う存分好きなだけ同級生の寝顔を眺めるタイム。
(む?)
気がつかなかった。私発見しちゃいましたよ?
悠弐子さん、美少女と呼ばれるに何の瑕疵も存在しないんですが……少しだけズレている。
完璧無比の完全調和から、微妙に、僅かだけ逸れている。
(でも、それが正しい……)
あまりに整いすぎた形は非人間的で、作為の興醒めを感じてしまいがち。
破綻からも無機質からも遠い、奇跡のアンシンメトリカルにこそ本物の美が存在する。微粒子程度に紛れたノイズが、美を際立たせる。雑味が有ってこその極上フレーバー、それが官能の基となる。
だから気になる。
ずっと印象に残存して、意識を虜にする。
「…………」
寝てるよね?
「…………」
ちょっとだけ触ってみよう。起きない程度に少しだけサワサワと。女の子同士の友誼として、常識的な範囲のスキンシップ。
「ぅわぁ……」
指から伝わる触覚だけで寒気が走る。予想していたのと全然違うし!
零れ落ちる砂時計みたいなサラサラを想像していたのに……しっとり、それも脂のテラテラとは異なる潤いの触り心地。なんだろう? まるで苔生す森の露とでも?
湿潤な柔らかさが病みつきになりそう……
「…………」
永遠に梳いてたい、この長く艶やかな黒髪。
少しだけ深く指を差し入れてみれば、指先に感じる仄かな体温と、漂う匂い。彼女の匂い。
(ん?)
くんくんくんくん……なんだこれ?
石鹸とシャンプーの間にほんのりと紛れている――――鉄?
これはヘモグロビン、彼女の身体を駆け巡る朱く鮮やかな生の息吹。それがこんな生々しい、魅惑的な匂いの基なんでしょうか?
「…………」
桜色の脳細胞 仮説 : 美少女はミネラルの味がする。
ドラえもんは水と炭素の他に少量のミネラルを加えて人体錬成装置を動かしていた。その巨体を維持するために象は、ミネラルを含む土を食べて生きる。
もしかして――ミネラルを摂取すれば、私も美少女の仲間入りができたりする?
類稀なる美しさを手に入れられる?
いにしえの魔女が処女の生血を啜ったのも、もしかしてミネラル摂取が目的だったのでは?
「……………………」
た、確かめたい……
確かめてみたいですが……
どうやったら確かめられますか?
まさか首筋に噛みついて動脈ごきゅごきゅなんて無理です。そこまで届く牙なんてありませんよ。
なら、もっともっと皮膚が薄い場所……ミネラルを舐め取れそうな粘膜なら?
そこを啄めばもしかしたら?
ごくり……
どうしてでしょう? 甘そうに見える。
人肌なんて塩っぱいことはあっても、甘くなどないはずなのに。砂糖菓子のようなファンシー&キュートガールでも実際は甘くない。
なのに甘く思えるのは…………照りのせい? 濡れた粘膜が林檎飴のコーティングに見えるから。
だめ。
それは逸脱。友達のラインを踏み越えていく禁忌の行為です。
少しだけとか、寝ているうちなら分からないとか、相手が認識してないのならノーカンとか、
そういう言い訳はみっともない、ふしだらな行為です。
友達だからこそ誠実に関係を保たなくてはいけない。
寝込みを襲うとか信頼を裏切る最低の行為です。人の倫に反してます。
でも……
彼女なら肯定する。
真理を究めるためであれば、彼女は衝動も逸脱も肯定するに決っている。
それこそ贅理部、斯くも贅沢なる真理究明部の部是とも言うべき精神だから。
この週末、私は彼女たちから学びました。
いかな犠牲があろうと彼女は真理への接近を優先するし、倫理の破棄も厭わない。
それを美少女語でコンバートすると、「謝れば大概なことは許される」になる。
やっと分かりました悠弐子さん、この桜色の脳細胞でも贅理部の哲学を理解できました。
「…………」
真理は究明されねばならない。究明されるために隠されている。
他の誰でもない私が、究明者である私が為さねばならない。
「…………」
贅理部無罪女子高生無罪、CAST IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY。
(真理へ迫ります!)
ごくり……
迫られるばかりだった彼女へ逆にコチラから迫る。
やがて近づくほど濃密になっていく彼女の匂い。甘く切なく胸を抉る。罪悪感と好奇心と――火遊びの高揚。トリカエシノツカナイコトシタイ、このままあなたを貪って、めちゃくちゃにしたい。
破滅の衝動が私を苛む。
それほどあなたは美しく、私の心を惑わせる。
真理の追求なら、掠めるほどのフェザータッチでいいのに、その先へ、もっと溶け合うような深さへ私を誘い込……
「お、おい大丈夫か!」
……まれる寸前で事なきを得ました!
「担架持って来い!」
セェェェーフ! あっ! あっぶねー!
外からの声が私を常識世界へと引き戻してくれた。
「もう一人! いやもっと来る! 次から次へ!」
グラウンドの方でしょうか? なにやら騒がしいですね?
「どうしてこんなボロボロになるまで……何があった?」
「聴取は後だ! まずは保護を最優先しろ! 可能な限り人目を避けるんだ!」
「保健室収容しきれません! どこ運ぶんですか?」
この体勢では外を眺められないですが、なんとなく状況は察せますね。
「救急車を呼びますか?」
「馬鹿! そんなことできるか!」
「保護者への連絡は?」
「要らん! せっつかれたら新歓合宿で体調崩した言っとけ!」
屋上生徒会の奸計が首尾よく進んだ理由の一つに、男子生徒たちの【失踪】に対する対応(という名の隠蔽)で学校側が手一杯だったことも大きく影響していたみたいです。
「入部試験を受ける」という断片的な情報だけを残し、男の子たちが家へ帰らない事態を、よく【異常なし】と隠し通せたものですよ。学校という名のブラックボックス、強固です。中で猫が死んでいたとしても分かりませんよ、外から観測できません。
そりゃここまで保護者対策に血眼になら、屋上生徒会のサバトなんてそっちのけになります。
屋上生徒会の蜂起、これ以上ないほどの好条件だったんですね。
「まだ来るのか?」
「まだです! 校門ゲート、封鎖できません!」
グラウンド喧騒は騒がしくなる一方、先生方もてんやわんやの様子が音だけでも伝わってきます。
山中を彷徨ってた男子たちが五月雨式に帰ってきたお陰で、まさに野戦病院の趣です。
その元凶が何か、なんて考えません。考えたくもありません。もし考えたら、罪悪感で退学届けを提出したくなりますから。
てかこの美しき素体をキュッとヤっちゃって、迷惑を掛けた人たちの前へ差し出しましょうか?
「…………」
ああ、細い。
こんなにも美しくて細い首、ここに刃を突き立てたのなら、どれだけ美しい血潮で濡れてしまうんでしょうか?
首元に剃刀を突き立てる床屋さんの話、文豪の作品を思い出しちゃいます。
実に危うい『ヒト』というジェンガを突き崩す快楽、生殺与奪権を握ることの愉悦。
トリカエシノツカナイコトシタイ――救いがたい衝動。
「…………」
ま、無理なんですけどね。
私は何もかも、常識という枠内へ収めることを教えられて育ちました。無為の攻撃性にも不埒な殺人衝動にも外せない箍が掛けられてますから。
だからこそ罪と罰を思わざるをえないのです。イケナイコトには、それ相応の報いが必要だと。
「大丈夫よ、桜里子」
ぐっすり夢の中だとばかり思っていたのに、ぱちり大きな瞳を開く悠弐子さん。
「私たちは女子高生、謝れば大概のことは許される」
「……またそれですか?」
彩波悠弐子の女子高生無罪論。
おそらくそれって大幅に拠っています。類稀なる美貌の価値に拠ってます!
確信犯の笑みを浮かべながらでないと提唱できません!
「だからこそ、だからこそ女子高生は立ち向かわねばならないの」
それでも少女は宣うのです。スックと私の膝から立ち上がり、傾く陽の橙を浴びながら。
「――日本は狙われている!」
「狙われた学園」
「指を咥えて見てるわけにはいかないの」
「いかんぞな」
「女子高生は闘わなくてはならない」
「降りかかる火の粉を払いのけるため」
沈む陽に照らされた二人は、火炎の女王、己が身を火だるまにして進む火車炎神の如し。静かな勇猛内に秘め、退きもせぬ逗まりもせぬ決意を顕す。
『死を恐れぬ勇者の従者など、身体がいくつあっても足りないよ?』
頭の中で理性ちゃんが、今にもゼーハア息絶えそうな理性ちゃんは私へ警告する。
だけどだめなの。
彼女の言葉が容姿が振る舞いが、私を抗えなくする。
英雄に選択などない。
信じるがまま心叫ぶまま、己が進む道こそ運命。紅蓮の破滅が待ち受けていたとしても、黒き淀みに腐り落ちてしまおうとも――――勇者に選択は似合わない。
怒涛の進撃こそ勇者の本領。一気呵成の生き様こそ英雄たるべき姿です。
(勇者だ……)
彩波悠弐子とバースデイブラックチャイルドは勇者である。
私がなれるとしたら精々太田牛一。英雄を彩る刺し身のタンポポにすらなれませんが。
ついていくしかないのかもしれない。
私にしか、できないのかもしれない。
彩波悠弐子と贅理部の行く末を見届けることは。
※現在公開可能な、贅理部情報。
というか公開されることなく墓場まで持っていくことになるであろう情報ですが。
贅理部、斯くも贅沢なる真理究明部が正式名称らしい。
ま、「真理」とは本当に真理なのか? という重大な懸念は存在しますが。
彼女(彩波悠弐子)と彼女にとっては真理らしいのです。
全く以って私には理解が及びませんが。
はい。
それから入部テスト。
これは対亡国結社を見越した人材発掘試験だったらしく、つまりは戦士に相応しい肉体と精神の持ち主を選抜する目論見があったらしい。らしい。
そこでピックアップした人材で戦隊ユニットを結成するつもりだったので、五人とか六人とか九人とか定員に揺れが起きたとか、なんとか。
その辺の節操のなさというか適当さ加減が彩波悠弐子流というかなんというか……
なのに『ゆにばぁさりぃ』なんて名前にしちゃったら私たち三人で完結するじゃないですか?
いいんですか? こんなんで?
私、戦力になんかなりませんよ?
山田は非力極まる女子高生、あんな骸骨人間が現れても太刀打ちなどできません。
戦士確保の目論見とか完全に意味を失ってますけど?
分からん。
美少女の考えることは本当に分かりません……
※現在公開可能な、贅理部情報。[EOF]。
後日、職員室前へ貼り出された書面には入学辞退者が十名ほど。
顔も為人も知らないまま、同級生ではなくなってしまった同級生たちの名が連ねられていた。
いや、知らないってことはない。
知ってるけど思い出したくないんです。
何が何だか分からないまま、やらかしてしまった「不祥事」を忘れたいと願ってる。
学校全体が願ってる。
「なかったことにしましょう」という同調圧力で、新設校霞城中央の歴史は始まった。いきなりの黒歴史をPaint it Blackして、水に流してしおうから始まった。
振り返れば教室棟。血気盛んな幟旗が誇示されていた屋上も、兵どもが夢の跡。綺麗さっぱり跡形もなく、殺風景な立ち入り禁止区域が遺るだけです。
「本日も壮観ナリ!」
打って変わってランチの学食棟!
男女比0:100の土曜日から数日、よーやく50:50の恋愛黄金比率が見受けられるようになりました。ようやくです、登り始めたばかりの女坂を実感できます。
(これよ、これが本来あるべき恋愛理想郷……)
否が応でも素敵な出会いとエンカウントしそうな環境じゃないですか。
「うふふ うふふ うふふふふ♪」
なんてこない学食風景を眺めているだけで笑みが浮かんできちゃいます♪
ウキウキビートでツーステップやシャッフルを踏んでしまいたくなります♪
「イャォ!」
ですから!
みせかけの平穏の裏で校内挙げての大Paint it Black大会が敢行されているとしても、
(やっぱり私も仕切り直ししたい!)
ここから始まるグロリアスデイズを夢みたい! 入学前に期待した通りのヤツを!
なので!
ちゃっかり山田も乗っちゃいます。校内に充満する空気に。
空気大事!
日本人ならお茶漬けではなく空気!
空気を読んでこそジャパニーズコミュニティの一員となれるんです!
が。
「桜里子!」
週末の終末事件が校内一致の有名無実化へ突き進んでも――――彼女だけは御破算にできない。
一年A組 出席番号十九番 彩波悠弐子 贅理部所属。
やっぱりこの人はおかしい。
隣に立てば消されてしまうの。他者のアイデンティティは彼女の存在で意味を失う。
比較にならないんですよ、あまりに違いすぎて。
だから決して女子は近寄りません。なけなしの自分の良さすら誤差の範囲と消失するので。
かといって男の子が群がるオタサーの姫状態になっているわけでもない。
彼女を見た男子は震えて逃げ出します。捕食獣を前にした小動物のムーブで逃げ去っちゃいます。
そして頭を抱え、心を巣食ったばかりの新鮮トラウマと対峙せねばならなくなるんです。
残雪残る険しき山、彼らが過ごした青い夜、白い夜に何が遭ったのか。知る由もありませんが……
「悠弐子さん!」
斯くして彼女の周囲には自動的な結界が張られることとなり。
『霞城中央の氷中花』――彩波悠弐子の誕生です。
彼女の背に女の影なく、彼女の傍らに男の影なし。
海を割ったモーゼの奇蹟というか、降着円盤を伴ったブラックホールとでもいうか……活況を呈していた学食も、彼女が動けば結界も動く。
「大変よ、桜里子!」
御存知の通り彼女、凍りついた水中花に逗まっていられるタマじゃない。
この短い週末の間に嫌というほど痛感させられました。
「――日本は狙われている! 狙われている日本は!」
たおやかな撫子というよりも、あらん限りの生命力で咲き誇る真夏のダリアです。
何らかのフィルター越しでないと正視しかねるほど――眩しすぎる君。
「な、なんですか今度は……?」
霞城中央の制圧を狙った悪の手先は全員退学しちゃいましたよ? もう学園は安全なんですよね?
「ドラゴンを狩る!」
コモドドラゴンを? そりゃ海外旅行ですね。なら夏休みまで大人しくしてましょう。
「違うわ桜里子! ドラゴン・オブ・ブリザード!」
「は?」
氷竜? そんなのいませんよ? 変温動物には無理ですよ、そんな生息域。
「ドラゴンを狩らねばいけないのよ! 贅理部に課されたタスクなのこれは!」
あまりの迫力に二歩三歩と蹌踉めいて後退を重ねれば、
「がおー」
金髪のミニドラゴンにキャプチュードされちゃうわけですよ。
「国境の長いトンネルを抜けると!」
腋から私の身体を思い切りクラッチした彼女が囁くのです。
「そこは雪国だった!」
清水トンネルの向こう側と言いたいんですかB子ちゃん?
新潟……のドラゴン…………越後の龍?
「今度は上杉謙信公が敵になるとでも?」
そんなの倒さなくても死んでます、四百年以上前に亡くなってますけど?
それともタイムスリップして殺りにいくんですか?
戦国自衛隊ですか? 戦国の由伸巨人軍ですか?
てかアレだと長尾景虎と組んでますよね? それで天下取り隊な話ですよね?
嫌ですよ、千葉真一の六一式レプリカと戦うなんて御免です!
「軍神上等何するものぞ!」
「日本に仇為す御敵なれば、佐野源左衛門常世の覚悟で馳せ参じねばならんのよ!」
「いざ鎌倉女子!」
「何故なら私たち」
「少子化克服エンジェェェール!」
「わ、分かりました! 行きます行きます行きますからどうかその先は!」
こんな公衆の面前で正体をバラしてどうすんですか!
そんなヒーローはいません! 私闘の仕置人は正体隠さないと色々とマズいです!
「はっ!」
もうね、悠弐子さん自覚して下さい。腹から声が出すぎなんです、B子ちゃん共々!
学食中の目が私たちへ集まってきてるじゃないですか!
意味不明の発言を叫び散らかす同級生へ好奇と畏怖の入り混じった視線が集中してます!
『彩波結界』の数メートルを隔てた向こう側から! 遠巻きに全同級生規模で!
(これは何か言っておかないと、あることないこと拡散されてしまう!)
それがSNS時代の恐ろしいところです。正しい情報を積極的に発信していかないと、虚偽だらけのWikipediaの一丁上がり、根も葉もない噂のデコレーションケーキがオーダーされます。
「行きましょう悠弐子さん! 聖地巡礼ですね上杉謙信の! ザッツコンテンツツーリズム!」
表向きは悠弐子さんへ応える体で、実態は取り巻く同級生へ。
「私たち贅理部は歴史好きな子の集まりです! 史跡を訪ね歩くのが趣味なんですよね!」
訊かれてもいないのに懇切丁寧な事情説明を。こんだけ言っとけば大丈夫ですよね?
(私たちは怪しくありません!)
の念を込めて叫ぶ。
「暇を見つけては神社仏閣城跡巡りが大好きな子たちなんですよね!」
ただでさえ誤解を招きやすいパーソナリティとルックスした彼女と彼女のために。
「楽しみだなー春日山城! 山田初めてですよ北陸新幹線は!」
良かった……UMAの出現に目を剥く視線は徐々に解消、張り詰めていた緊張感も解かれ、シームレスに学食の日常が戻ってきました。
(GJ! GJ私!)
たんすたんたたん たんすたんたたん すたたたたたたたた……
安堵の空気に繋がれていくスネアのショートフィル。
ビッグルームサウンド特有のお約束フレーズがB子ちゃんのiPhoneから流れれば、
ぱんぱぁぁーん!
ドロップのタイミングで発射されるクラッカー。私の右と左から控えめなパーティグッズが。
なんとも慎ましいキャノン砲でしょう。舞台演出にしては寂しいくらいの。
「じゃアレやっちゃう?」
「悠弐子さん!」
止めて下さい! 駄目です絶対に駄目ですよそのディスポーザブルライター芸は!
いくら見事な名人芸でも、ランチタイムの平和を乱す奴は厳禁です!
ホントに危険人物扱いされちゃいますよ?
既に「普通じゃない」のレッテルをベッタベタ貼られかけているのに、これ以上はダメ!
「上杉謙信をぶっ殺せ~」
そんな懸念も知らん顔で不穏なワードを口走る悠弐子さん。
「……あれ?」
だけど誰も特に気にした素振りはないですね?
あ?
これか?
(もしかして……場所の力?)
私たちは学食中央の小さな空きスペース、ミカン箱より低いお立ち台に並ぶ。
パフォーマンス用の舞台にしては小さすぎるし狭すぎる、女子でも三人乗るのがやっとのミニマムステージ。何の目的で設置されたのかよく分からない舞台。
そこで私たち、iPhoneで鳴るプログレッシヴなシンセに合わせて、ノンマイクのアカペラボーカルを執るんです。学食の雑踏にすら掻き消されてしまいそうな、こじんまりライブ。
でもライブはライブですから。
ライブであるならば、発する言葉はフィクション性を帯び、真実味が剥離される。
寓話のマイルドで届くはずです。
長尾景虎は悪い人 そんなの常識
いくよ上杉征伐 上杉征伐 白河の関 越えーてー
直江状で会津は炎上 恐怖の吊り天井
ぼくら少子化克服エンジェール We're ゆにばぁさりぃ
いけいけGOGOじゃーんぷ
(あれ?)
もしかするともしかして、私たち、ステージに立ってるのが最も収まり良いのかも?
普段は恐れ慄いて近寄ろうともしない同級生たちが、ステージの傍らを通り過ぎていく。
いつもなら得体の知れないUMA並の警戒される美少女も、チラ見程度でスルー。
――ステージとは膜なんでしょうか?
現界と劇空間を隔てる膜の役割を為してくれてる?
凄惨も危険も暴力も美も――なにかしらのフィルター越しであれば「向こうの世界のこと」と傍観の位置から眺められる。
そんな『膜』を最も易しく構築できる、それが舞台の魔力ですか?
「やっぱやっとく?」
「駄目です!」
やっとのことで『空気』に馴染めたのに、どんだけ破滅願望者ですか? アナーキーインザ霞城中央ですか?
そんな芸を披露したら水の泡! 全校一致で推し進める「なかったこと」への集合的無意識醸成を完全に妨げますよ。台無しです柄の長いディスポーザブルライター!
(やっぱダメだこりゃ!)
――私が止めないと大変なことになる。私が抑止の盾とならなきゃ、この平和が崩れ去る!
よーぉこそー桜里子 遊びーましょパラダイス
斯くも贅沢なる理性の世界へ Welcome to the Jungle.
ひとりだけでは嫌よ あなただけでも無理よ
制服着ている間しか 得られないもの 多すぎるね
ステージという『膜』を剥いでしまえば二人、糸の切れた凧です。
誰かが手綱を握っていなければ、誰かが首に鈴をつけなければ、ゴール板じゃなくて外ラチを越えて京都駅へ暴走してしまう。
御者が必要です、常識という小径から外れぬよう高校生活を送るには、絶対必要!
でなければ屋上生徒会と同じ末路を辿りかねません。
(とはいえ……)
そんな使命感だけで、やってけるんでしょうか?
分かりません。
分かりませんが、もはや乗りかかった船。
贅理部という難破船の舵取り、この私にしかできません! ……できない気がする。分かりません。
「桜里子」
前途多難五里霧中。ぐるぐるバットの西瓜割り状態ですが。
「ヘイ桜里子」
三人乗ったらロクにステップも踏めないほど狭いステージで、両側から促される。
私も即席ラップの一つも披露せよと?
では僭越ながら。
正義のためなら女房も泣かす それでどうして 文句がないと?
『私はコレで学校辞めました』 それでもいいんですか?
コンプライアンス! コンプライアンス! 女子高生の求めるコンプライアーンス!
注意一秒 怪我一生 赤子泣いても蓋取るな
とにかくダメです 危ないことは
どうせ誰も聴いてませんから、売れないyoutuber状態ですからね。
言いたいことを言っちゃいますよ、この際。
傍に私がついてなければ なにもできない この人ですし
「ですし?」
「おすし?」
覗き込まれる。左右から。
歌詞ですよ? リリックですよ? フィクションですよ? 真に受けないで下さい。
私たちはステージという『膜』に包まれた存在なんですから。現実と地続きのようで、境界の彼方なんです。歌詞を真に受けるなど作法に反することで……
「ついてなければー」
「ればー?」
体重を預けられる、同じ身長の子に、両側から。猫撫で声と体温と軽く触れた頬、女子の匂い。
悪戯にしたって悪質ですよ。
だってこんな甘い温もりに浸ったら…………溶けてしまう。溶けちゃう。美少女の鍋で湯煎されるチョコレートです。いずれカタチを失ってドロドロのスープになる。ちびくろサンボの虎です。私はバター虎、美少女ホットケーキに染み込んで跡形もなく消えてしまう汁です。
「!!!!」
触れ合う産毛の感覚だけでも腰砕けなのに、彼女と彼女は赦してはくれません。
「ついてなければー」
「ればー?」
じゃれるのやめない猫みたい促してくる。
「なんでもやりなはれ! 悪を征伐する遠征でもなんでもやりなはれ!」
もう自棄です。
「あなたが日本一の勇者になるまで、耐えてみせます ブラックな部活でも!」
こうして私は取り返しのつかない宣言をしてしまったのです。促されるまま流されるがまま。




