第四章 女子高生が求める気密性って何ですか? - What's the Sealing that a High-school girl wants? - 1
「いったいどうしたんですか、望都子ちゃん?」
『捕まったの! ジュンジ捕まっちゃった!』
はて?
いかなる咎で?
……姦淫罪ですか? 彼女がいるのに他の女に目移りした罪? それは第一級恋愛罪ですね。恋愛ラボで習得した折檻テクを総動員して罪を知らしめてやらねばなりません。
「落ち着きなさい望都子」
スピーカーモードのボタンを押して語りかける悠弐子さん。
「誰? 誰に寄って彼は捕縛されたの?」
『男の子! 学ランを着た男の子たちが急にジュンジを拘束して!』
「望都子もう少し詳しく」
『分かんない誰だか分かんない!』
「拉致現場はどこ?」
『トイレ!』
「拘束の容疑は?」
『分かんない! 分かんないけど、風紀紊乱がどうのって!』
「B子」
「ちょっと待つぞな」
愛用のPCを開いて、なにやらカチャカチャとキーを打ち始めるB子ちゃん。
「ああ……」
呪文みたいな文字列を打ち込むと、液晶に映像が映し出されました。
「これ霞城中央の教室棟じゃないですか?」
真新しい校舎のトイレです。まだ数えるほどしか使ったことがないトイレを廊下側から見た映像。
なぜこんなものが外部から見られるのでしょうか?
おそらく学校側が設置した監視カメラのネットワークではないか思うんですけど……B子ちゃんがハックしてるんですか?
「ハメられたわね……」
「ぞな……」
難しい顔でトイレの入口を見つめる悠弐子さんとB子ちゃん。
「ハメられた?」
な、何を言ってるんでしょう? また意味不明な美少女語ですか?
「コレおかしいと思わないの桜里子?」
「なにがですか?」
何の変哲もないトイレの入口映像ですけど?
「おかしいじゃないの」
「おかしいぞな」
「……どこがですか?」
取っ掛かりも掴めない間違い探しにチンプンカンプン。本当に答えがあるのかも怪しい、意地悪問題じゃないんですか?
「「ここ」」
ところが。そんな私の勘繰りもアッサリと覆される。
「ん? んん? …………ん?」
あれ?
女子を表す赤のピクトグラム、その対称位置には男子を模した黒の……
「あれ????」
黒じゃないですね? 赤ですよ右と左、両方の入り口に掲げられている、赤が!
女性用のピクトグラムが!
「なんですこれ?」
少なくとも昨日までは普通の状態、正しい対称性が維持されてました。じゃなきゃ、校内に混乱が生じてたはずですよ?
「誰かが付け替えたのね」
「へ?」
なぜそんな馬鹿げた悪戯をするんですか?
「桜里子……これは悪戯じゃないぞな」
悪戯じゃないとしたら――
「悪意の罠とでも言いたいんですか?」
『そうとしか考えられないよ!』
切迫した口調で彼女は訴える。
『弁解の余地すら与えられずに突然連れてかれたんだから! 赤の腕章した子たちに!』
「赤の腕章……B子!」
「ちょい待ちなー……ほい」
B子ちゃんがパチパチコンソールを操ると、校内中の監視カメラ画像から、赤色の映像だけがピックアップされる。
な、なんですかこの検索技術は!
「腕章、これぞな」
B子ちゃんが探し当てたのは屋上の画像。ここはあそこです。新歓オリエンテーションの日、職員室の廊下から見えた教室棟の屋上です。何人かの女の子たちが集ってシュプレヒコールを上げていた、あの屋上ですよね?
その画像には鮮やかな赤の腕章が落ちています。
「あれって女子をエンパワーメントする志の団体じゃなかったんですか?」
「これでも?」
画素のジャギが目立つまで拡大すれば、当然被写体も朧気になってしまいますが……B子ちゃんの走らせたアプリはまるで魔法みたいに文字を浮かび上がらせた。
『皆の力で平和な学園生活を実現しよう!』
『解散総選挙の即時実施を!』
『生徒会長を勝手に決められた。学校死ね!』
『これが民主主義よ!』
『民主主義ってコレよ!』
壁に貼られたポスターが彼女たちの主張の痕跡を詳らかにしてくれましたが……
「んん~?」
一部不穏当な表現が含まれるものの、そこまで変な団体とも断じれないような?
「こっちか」
B子ちゃん画像を更にズーム、コンクリに散乱しているフライヤーを解析すると、
『特別ガイダンスのお知らせ』
「特別ガイダンス…………?」
そんなの入学資料にありましたか? 私は記憶にないんですけど……
『本日の授業ガイダンスに重大な不備が発覚しましたので、明日土曜を特別登校日とします』
『急遽の決定となりましたので、生徒の皆さんはできるだけ他の生徒にも知らせてあげて下さい』
『なお、後日、振替の休日を予定しています』
「『明日』ってことは昨日の放課後配ったんですか? 生徒の帰り際に?」
裏山で男子ほぼ全員参加の贅理部入部テストが敢行される中、裏ではこんな怪文書が……あれ?
でも押されてますね?
文書に朱のスクエア印。下の方に【霞城中央】の印鑑が。
「これ学校側から正式に通知されたお知らせなんですか?」
「ね、騙された」
「へ?」
「偽造印。PCで適当に作った偽物ぞな」
「えぇーっ!」
それって犯罪じゃないですか! 悪戯にしても度が過ぎていますよ!
「そういう奴らってことぞな、彼らは」
「目的のためには手段を選ばない。そんな彼らが本当に善なる救済者なの?」
「…………ん?」
「桜里子?」
「…………ん?」
「桜里子?」
ちょっと待って下さい?
(何か引っかかる……)
何か奥歯に詰まって取れないようなムズ痒さ……えーとえーとえーと……なんだろ?
この二人が言っていることは正しい、正論に聴こえるけど、何か根本的に間違っているような……
考えろ考えるの山田桜里子、彼女たちの言葉は常識のコンテクストには乗せられない、逸脱しているのは行動だけではなく言葉も同様。桜色の脳細胞でコンバートしないことには、ただただ翻弄されちゃうだけです。
「今後は『彼ら』を屋上生徒会と呼称し……」
訝しがる私に構わず、悠弐子さんは話を進めようとしたんだけど……
【彼ら】?
「ちょ、ちょっと待って下さい悠弐子さん!」
「なによ桜里子?」
「今、『彼ら』って言いましたよね?」
「言ったけど?」
「それが何か?」
「私たちにとっての『彼ら』は今頃まだ山の中ですよね? 一部の例外を除いて!」
そこ、そこです。私の違和感は。悠弐子さんの話に潜む明確な矛盾点!
「桜里子……」
「は、はい?」
「あんた意外と頭いいわ」
「見くびっていたぞな!」
「は?」
「そうなのよ桜里子! 今の霞城中央には男がいない!」
「なのに彼氏は【学ランの男子】に拉致されてった、と望都子は証言した」
「イッツ ミステリィィ……」
なにをそんな他人事みたいな。
これ重要ですよ? だって拉致は実際に起こったんですから。望都子ちゃんが、こうしてSOSを発信してきたんですよ? 虚言では片付けられないシリアスインシデントじゃないですか!
『ねぇ、あたしどうしたらいいの桜里子? 土曜だから先生方は誰もいないし! 何なのこれ?』
「どうすればいいって言われても……」
学校のトラブルならそれこそ先生方の出番です。なのに頼れない。そんな場合は……
えーとえーとえーとえーとえーと…………
えーとえーとえと……
えーと……
分かりません!
山田桜里子の桜色の脳細胞ではナイスなソリューションが浮かびません!
『キャーッ!』
そこで突然、耳へ響くエマージェンシー!
「えっ?」
ブツッ!
突然の悲鳴と共に通話は途絶。
「望都子ちゃん!? どうかしたんですか、望都子ちゃん!」
再び通話を試みても案の定、繋がりません!
「望都子ちゃん………」
これは異常事態です。
どう考えても退っ引きならない非常事態です。
(どどどどどうしたらいいんですか? こういう時、私は何をすれば?)
先生方は不在の上、何が起こっているか分からないんじゃ警察にも頼めない。
私は何をしたら? 何をするのが最善なの? 何が出来る?
ベン!
「……はっ!」
ベンベンベンベンベンベラベンベンベンベベン!
イヨッ!
バシャーン!
ベンベンベンベンベンベラベンベンベンベベン!
ブンブン唸るベースハウスのシンセサイザー、そこへアグレッシブに重ねられる弦楽器!
これって琵琶? 三味線? 和楽器特有のエスニックな弦がフィーチャーされたファンファーレ。
「……!」
振り返れば一段高くなった演芸スペース! 最近ではメッキリ使われなくなった昭和の名残が!
そこで! 浮世絵風のデフォルメが施された松の書割を背負った彼女が!
「時は来た!」
蛇柄の和式リュートを抱え叫ぶのです。チープにも程がある演芸場のPAに照らされつつ。
「……悠弐子さん?」
ダメですよ、そんなに足を開いて仁王立ちしたら、インナーが見えちゃいます!
セーラー服じゃなくて浴衣だって忘れてるんじゃないんですか?
いくら朝方のスーパー銭湯だって、ご休憩中の叔父様方もいらっしゃるんですから!
「我々が立ち上がるべき時が来たのよ桜里子!」
ほら、のんびり休憩なさっていた叔父様たちが目を丸くしてますよ?
何事が起こったのかとキョト~ンです。
「Now is the time! いま立たずして何時立つべきか!」
心拍のタイミングを沸き立たせるベースラインに乗せて、彼女はフリースタイル。
「未曾有の危機が迫る! 学園に迫る、今こそ、私たちのターン!」
傍迷惑なパフォーマンスなのに、誰も口を挟めない。絶対無比の無謬性ワールドを背に、放たれるメッセージ爆弾。ナチュラルボーンアジテーターは言葉のファンネル解き放つ!
「ねらわれた学園!」
「アリーナ」には浴衣姿のオールドタイマーがポツンポツンとしかいないのに。
彼女(悠弐子さん)の言葉が広間を劇性に染めていく。グワングワンと鳴る低音と和式楽器のカッティングエッジが形成する畳と障子のダンスフロア。
寝ぼけ眼の叔父様方もput your hands up in the airのライブストリームも、
「ストォープ!」
悠弐子さんの合図で強制停止。同時に広間の灯りが全て落とされる。
「は?」
バシャ!
粗末な照明が一つだけ、私をピンスポットで照らし、
「そもさん!」
舞台から声が届く。数十畳の広間、その隅々まで届く魔女の声が。
「そもさん!」
私の耳へと鋭い指向性を帯びて放たれる。
「せ、説破……」
こう応えるしかないんですよね? 応える自信がなくとも呼応しないと話が先へ進まない。
「今、霞城中央には男子が存在しない」
「ですね?」
「しかし望都子は『彼氏を拉致したのは学ランの男子たちだった』と証言した」
それは間違いない。だって私自身の耳で聴いたんですから。
「学園には男子がいない。なのに男子が男子を攫ってった……」
「私たちの同級生ではない、部外者が侵入したんじゃ?」
「思い出して、桜里子」
会議用ホワイトボードをスクリーン代わりにして、映像がプロジェクションされる。私たちの母校は新設校。できたてホヤホヤ新築ハイスクールです。
「…………あ?」
なのでそれなりのセキュリティ対策も施されています。
開門時間帯は守衛さんが正門に詰めてて、不審者の侵入など不可能です。
「違う制服の子は通れません」
「でも存在した、いるはずのない男子が学内に」
成り立たない論理=ミステリィ。行き届いたセキュリティは密室を生むってことですか?
「密室じゃないぞな」
「てかセキュリティと呼ぶにはザルすぎ」
そ、そうですか?
「守衛さんの不審を買うことなく正門ゲートを通過できた――――可能性は二つ」
ばぁん!
ホワイトボードを平手打ちしてアテンション。
理解不足の学生へ噛んで含めるように美貌の女性講師が二人、闇に浮かぶ。
(うわぁ……)
昨日のライブで感じたインプレッション。
闇の温度に閉じ込められた氷柱花の輝き。余計な背景を黒で塗りつぶせば美しさだけ本物の色として浮かび上がる。温泉浴衣だろうがお構いなしで。
「一つ!」
でもそんな美しさに見惚れている場合じゃなかった。
「女子の格好をしてたけど、本当は男子だった」
愛しの氷柱花は言葉で私へ襲いかかる。
「そ、そんな!」
いくらなんでもそれは不自然ですよ!
男子がセーラー服を着たら違和感ありまくりです! 本物の女子と見紛う似合い方をする子なんて学年に何人もいませんよ、常識的に考えて!
「二つ、女子が男子に『なった』」
「なっ!」
「ゲートを潜る時点では確かに女の子だった子が男子になってしまった」
またうっかり額面通りに受け取ってしまうところでした。彼女の言葉はトポロジー。穴の数だけが合っているだけでユークリッド幾何学の思考とは相を違える次元の言葉です。
雲を掴むような言葉なら、どうにかコンバートしないと誤謬でダンスダンスダンスを強いられる。
「え……ええと? 男装って意味ですか?」
セーラー服で登校した子が、別途用意した学ランに着替えて「男」に成りすましたと言いたい?
「ちっがーう!」
「ちがうんですか!」
こ、これはどう翻訳すればいいんです?
まさか本当に女子が男子に性転換しちゃったとでも?
「桜里子!」
「Wikipediaだって参照論文や書籍がなければ[独自研究?]って、晒されちゃうのよ!」
「根拠が要るんだぞな!」
「……根拠?」
なんだなんだなにが言いたいんだ? この子たち?
根拠ですと?
そんなこと言われても……ミステリーの謎解きかと思えば、今度は編集バトル問題ですか?
「じゃ悠弐子さんには根拠があるんですか? 誰に見せても通用する根拠が?」
「フッ……」
うわっ、これみよがしのニヒリズム。髪を描き上げながら薄く笑うお嬢様しぐさ。同じことを私がやったらプークスクスクスって嗤われること請け合いの。
なのにこの子は!
非日常性を完璧に手懐け、飼い馴らす、まものマスターじゃないですか。
羞恥の臭みも、こともなげに打ち消してしまうパフォーマーの存在感。
ほんの数十センチ、地表から浮いた「別世界」が、方便をリアリズムに仕立て上げる。
彼女は華。舞台でこそ水を得る生足魅惑の人魚です!
「これよ!」
恐怖映画の劇伴みたいな激しいインストゥルメンタルを背に、
「これ、これこそが有無を言わせぬエビデンス!」
悠弐子さん一冊の書を掲げてみせた。
壮大な宇宙絶景を描いた、一般向けの科学情報雑誌…………じゃないですね?
確かに装丁の雰囲気は似通ってますけど。本屋で同じ棚に陳列されてたのなら、かなりの確率で迷います、ちょっと見ただけでは。
だってそれ超有名なタイトルです。東スポやゲンダイと並び称される、情報に信憑性がないことを承知して楽しむエンターテイメント。オカルトの代名詞として燦然と輝く雑誌! 学習研究を旨とする出版社が発行してるのに、どこにアカデミズムを見い出せばいいのか悩まされる本です。特にネット普及以前は、あらゆる子供が洗礼を受けたと言っても過言ではない、大人への通過儀礼です。
つまり!
まともに真に受ける人などいないファンタジー情報誌を!
「それ????」
グウの音も出ませんよ。確かに【 絶句 】です、悠弐子さん!
だってだって、だってそんなのアンサイクロペディアだって参考にしませんって!
「現実を認めなさい桜里子!」
「正常な牡牝比率を維持していた個体群から一方が消え、その性偏差が危険水域に達すると、DNAに秘匿された【 あるスイッチ 】がイネーブルとなる! ――――それが性転換スイッチ!」
「セクシャルトランスレート! リローデッド!」
ちょちょちょっと待って下さい! なに言ってんだこの美少女ども?
「ここ! この記事に書いてあるから!」
「総力特集! 【ボクは女性だった! 脅威の雌雄同体人間が存在した!】」
「書いてあるから」じゃありませんよ!
そんな雑誌のどこに信憑性を感じればいいのか?
私、分かりません! 常識的に考えて正気の沙汰じゃない!
「なに桜里子?」
「疑ってるぞな?」
疑うとかそういう次元の問題じゃないですよ悠弐子さん……
「じゃあ、ホントに【脅威の雌雄同体人間】だったらどうする?」
「いやいやいやいやいや!」
そんなのあるはずがないじゃないですか。天地が引っ繰り返ったってあり得ませんってば。
「どうするどうするどうする? 君ならどーするー?」
「なんでもしますよー。そんなことあり得ませんから、常識的に考えて」
削げた。
そげぶじゃなくて削げた。
真っ白に燃え尽きたボクサー並みに色を失い、山田桜里子、リングサイドから立ち上がれません。
何が削げたって、私の処女性が削げました。
あなたにあげる女の子の一番大切なもの、小さな胸の奥にしまった大切なもの、愛する人に捧げるために守ってきたものが削げました。お母さんごめんなさい桜里子は汚れてしまいました。
「なーに落ち込んじゃってるの桜里子?」
「よいではないか減るもんでもなし」
「減りますよ! ガタ減りです!」
無垢な乙女ポイントがガックリと減りましたよ! 女子力激減です!
巻き戻ること数分前。
「獲れたー」
杜都市郊外のスーパー銭湯を急遽出立した私たち、野を越え山を越え、霞城中央高校へストライクスバック。誰もいない保健室を勝手に占拠すると、私を残して悠弐子さんとB子ちゃんは外へ飛び出していきました。ボロボロの制服じゃ校内を彷徨けませんから、私は。偽装白衣の天使として保健室で留守番していたんですが……しばらくして帰ってきた彼女たちから、とんでもない「お土産」が。
「これは!」
特注の学ランに赤の腕章!
望都子ちゃんが言ってた【拉致実行者】との特徴とピッタリ合致。
「さ、桜里子」
「は?」
足首と手首とを縛り上げた上に、目隠しと猿轡まで。保健室のベットへ寝かされた簀巻の「彼」を前に悠弐子さんが促す。
「……これをどうないせよと?」
煮るなり焼くなり好きにしろ、の笑顔を向けられてもですね、当惑するしかないんですが!
「確認」
「ぞな」
「とか言われてもですね……」
「キノコチェック」
「ぞな」
「…………」
いくらなんでも生々しすぎませんか? その表現は?
女子高生にあるまじき一線を越えてるような気がしないでもないんですが?
「で、DNA検査とかにしませんか?」
「保健室の機材で、どうやって調べるぞな?」
「妊娠検査薬のノリで分かるわけないでしょ?」
「じゃ、じゃあコレ! 悠弐子さんのサングラスで!」
すかさず装着して「彼」を確認してみますが、普通です! 不気味な骸骨なんかじゃない!
「桜里子、それ悪の尖兵には効かんぞな」
「尖兵?」
「古今東西、敵組織を弱体化さには内輪揉めや仲間割れを煽るのが常套手段でしょ?」
つまり「彼」は普通の人間で、「敵」に唆された輩ってことですか?
「そゆことで…………さ、確認しちゃって桜里子」
「この学園に今、男はいない!」
「いないけどいる!」
「その矛盾を解消するには、検証するしかないでしょ!」
「検証こそ科学ぞな!」
胡散臭いオカルトエンターテイメント誌を掲げながら科学とか言われても! 言われても!
「さぁ!」
「ぞな!」
じりじり後退しながら桜色の脳細胞フル回転! なんとか言い訳を探そうとフル回転!
しましたが!
(無理です!)
ここまでのお膳立てを用意されては、もはや後戻りなどできようもない。
しらばっくれるのも限界です!
『牡、牝の見分け方ですか? 性器ですね』
動物公園へ直電した悠弐子さん、飼育員のお兄さんから「具体的方法」とか聞き出してるし!
「こっちは準備OKぞな!」
学ラン男子のズボンからベルトを抜き取ってB子ちゃん!
「しっかとその目に焼き付けなさいよ!」
とか囁いてくるんです悠弐子さんが私を羽交い締めした悠弐子さんが!
「わっ! わっ! わぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっ!」
危なかった……
入学したてで最高に高まってた処女性ゲージ、ガックリと減ってしまうところでした……
「分かりました! 分かりました! います! 脅威の雌雄同体人間は存在します!」
と屈服したお陰で、事なきを得ました……
拉致してきた男の子を拘束して性器の確認とか、黒歴史にもならない……いや、もう絶対墓までもっていかなきゃいけない、うっかり口でも滑らそうものならヒットマンに葬ってもらうしかないような行為をせずにすみましたよ……ギリギリセェェェーフ!
(まぁ、でも……)
あれほど悠弐子さんが自信満々で「証拠」を見せつけようとするんですから、確かに「彼」は男の子なんでしょう多分。
DNA内に秘匿されたトランスセクシャルスイッチか何か知りませんが、そういう一風変わった生殖行動を行う動物も聞いたことありますしね。
「……ん?」
でも聞いたことがない。人間でそういうことは起こり得るのか?
性偏差なんて、そこまで稀有なシチュエーションでもないような……
中学の同級生たち、糸満ちゃんの看護科だって、倉井ちゃんの調理科だって羽田ちゃんの音楽家だって大概偏っちゃってますけど? 擬似女囚監獄と本人たちが自虐するほどには。
噂で耳にするだけですが、工学系の大学なんて男子しかいないんですよね?
野球部のマネージャーは元男子ですか?
相撲部屋の女将さんは元相撲取りですか?
んなわけない!
「いい~ところに気づいたわね!」
「やっぱり見所あるわ、桜里子(この子)は!」
「――――そうよ桜里子!」
「ここ! この本にも書いてあるぞな!」
二人は例のオカルトエンタメ誌を掲げて熱く主張する。
「性偏差環境は条件に過ぎないの」
「男子化を果たすためには押さなくてはいけない――そのメカニズムが実行されるボタンをね」
「そ、そうなんですか!?」
悠弐子さんとB子ちゃん、厳しい表情のまま私の問いに首肯する。
「ボタンを……押した人がいるんですか?」
脅威の雌雄同体人間は【誰か】の差し金で人為的に引き起こされた災厄だと?
「誰が? なんのために?」
「それはね桜里子……」
自己陶酔濃度の高い所作で懐から――重要参考図書第二弾!
とでも言わんばかりに取り出したのは雑誌?
すっかり色も褪せてしまってる、カストリ雑誌じゃないですか?
どっから探してきたんですか、こんなの? その道のマニアなら垂涎の代物じゃないですか?
退色具合と紙質、写植の具合からして、確実に戦後期の本ですね。現在のオカルト誌より更に信憑性に欠ける記事がテンコ盛りの。未熟な科学と魑魅魍魎が混在してた時代のロゼッタストーン。情報確度的に捉えれば、ほぼイミテーションかもしれませんが。
「ここよ!」
付箋されていたページを悠弐子さん誇らしげに開示する。
「亡国結社? 【アヌスミラビリス】?」
挿絵には妖しげな三角覆面の男たちが。不気味な髑髏杖と生贄を掲げた、いかにもな「秘密結社」の最大公約数的なイラストですね? ある意味、パブリックイメージの限界とでも言えそうな。所詮こんなもんです人の想像力なんて、という敗北感の漂う絵に見えなくもない。
なのに絵師の技量が高いので何とも言えない味が醸されてる。こんなもん存在するわけない、と頭で分かってても恐怖の深淵へ訴えかけてくる迫力がある。日本土着の【怖れ】を煽るドメスティックな刺激溢れるアートワークです。
(ほぉ……)
この時代の挿絵にしか出せない独特のイラストレーションですよね。絵師さんのバックボーンが為せる業でしょうか?
「亡国結社【アヌスミラビリス】の陰謀は既に予言されていたの! 終戦直後には!」
ところが彼女ら、古書の芸術性に唸る私をスルーして、
「日本国中が高度経済成長に浮かれる中、地下で密かに勢力を伸長させ」
「やがて栄光の昭和元禄が終焉を迎える頃……」
「バブルに紛れて【計画】は実行に移された!」
と熱弁を振るうのです。一点の曇もない目で。怖いくらいに澄んだ瞳で。
「……計画?」
「日本を暗黒の底なし沼へ引きずり込む!」
「その名もロマンティック・ラブ・イデオロギー計画!」
ああ、キマってる。「この後、すぐ!」のアイキャッチにそのまま使えそうなほどキマってます。あまりにキマりすぎて逆に胡散臭いくらいキマっています、悠弐子さんとB子ちゃん。
吹き込む風に揺れる間仕切りカーテン纏いながら、天女の言伝。
たなびく黒と金に現実の認識まで絡め取られる。
(うわ……)
思わず私も見惚れてしまいそうにな…………っててどうするんですか!
(だめだめ負けないで桜里子!)
そんないい加減なソースで世の中動いてたら世話ないですよ!
(常識的に考えて!)
なのに!
「山田桜里子」
すかさず畳み掛けられる。捻じ曲がった認識を修正する間もなく。
「――いつかのメリークリスマス」
「色褪せた何時かの」
天にまします我らが神よ。
悠弐子さんが目を瞑り天を仰げば……保健室のベッドが天主堂へと変貌する。
まるで彼女は聖少女。迷える子羊を導く、浄化の使徒です。
「無邪気な子供たちが親にプレゼントをねだる」
「そんな微笑ましい日だったぞね」
即興劇のはずなのに立て板に水のリアクション。何者ですかあなたB子ちゃん?
目を離すとすぐ喧嘩を始める間柄のくせに、こういう時だけは完全連携。リハーサル済の台本を穿ってしまいたくなるほど息の合った二人。打てば響くベストパートナー。
どういう仲ですか、本当に?
「それが! いつの間にか!」
「――にか!」
「男女が性なる夜を過ごさなきゃいけない日になったのよ?」
「セックスと嘘とクリスマスケーキ!」
保健室の備品である性教育用テキストを掲げて訴える。
「あるいはバレンタインデー!」
「プラナリアの如く増殖してホワイトデーなるものが生まれたぁ~じゃあ~ないの! ないの!」
「おかしいと思わない?」
「思わないか女の子!」
かなりマイルドにカートゥーン化されてますが、男女のまぐわいイラストのページを押し付けてくるのは止めて下さい!
「つまりは! 邪悪な作為で汚染されたの日本社会が!」
「恋愛を崇め高尚化して、祀り上げた!」
「ゼクシィだの、指輪月給nヶ月システムだの、そんなものは悪意の文化汚染よ!」
「愛とは、そんなにも均質化された概念ではなかったはずぞな!」
「愛さえあれば何でもOK! 恋にこそ史上の価値があるという歪な刷り込み……」
「それ! それこそが!」
「「【アヌスミラビリス】の仕業なのよ!」」
言葉を――――――――挟めない。
そうですねとも、違いますとも言葉を継げない。
二つ音色の織りなすインプロビゼーション、流れるほどに美しく、紡がれた言葉に挟めない。
不協和音は無粋の極み。美の調和を崩す不純物です。
いつまでも共鳴の余韻が残る、耳の奥に残存し続ける。
そして余韻と静寂のミクスチャーは視線で増幅されます。私だけを見つめる二人の眼差し。長く繊細な睫毛と深く濃い瞳、細く通った鼻筋に艶めく口唇。
これは絶対、神様の黄金比。美の女神が造形した一品物です。量産ラインでマスプロダクションされた平凡人類とは別階層の生き物ですよ。
ああもう分かんない。
どうして、どうして私はこんなこの世のものとも思えない美女、それも二人から、こんなに熱く見つめられているんでしょうか?
誰もいない保健室のベッドの上で、押し倒されんばかりに詰め寄られながら。
分かりません。
だってこんな未来など一度も想像してなかった。
高校生になった私は素敵な彼氏とラブアフェアー、嬉し恥ずかし恋人体験の日々だったはず。
なんだ?
どうして私は女の子に迫られてんだ?
出会ったばかりの同級生と、お尋ね者になって杜都市を逃げ回ったり、即席バンドマンとしてステージに立ったり、悪の秘密結社から学園を救う羽目になったり……
どう考えてもおかしいですよ、私の望んだ永遠じゃない!
「桜里子……」「桜里子……」
なのに目を逸らせない。彼女と彼女に意識を盗られ、雁字搦めで動けない。
それが美の魔力。人を封じる魔性の美しさ。
ああしまった、今頃気づくなんて……
こんな距離で見つめられたら凡人には抗う術など残ってない。
ただただ魔女に取り込まれて意のままに動く木偶人形にされてしまうのです。
「桜里子よ銃を採れ」
「えっ?」
「武装せよ女の子」
「武器は人の尊厳ぞな。何もせず侵略者に蹂躙されるなど、人の尊厳を捨てたも同然」
「人が人らしくあるためには、武器が! 鎧と殴り棒が必要なのよ!」
呼吸を止めて一秒貴女真剣な瞳をしたので、そこから何も訊けなくなるの煽動ファシネーション。
陶酔の認識を捻じ曲げ、陰謀の夢想を顕現さす。
美と真実の境界が、消失する。彼女の声が容姿が私をカオスへと引き摺り込む。
「――そのための贅理部よ」
「学下布武、武を以って学園を布く。贅理部とはそのためにある組織ぞな」
「え????」
「あたしたちの身に降る火の粉を、払い除ける、あたしたち自身の手で」
「それが霞城中央高校 贅理部の果たすべき使命ぞな」
「な……」
何言ってるんですか?
また悠弐子さんお得意の撹乱話術ですか?
嘘は言ってないけど話の構成要素をグチャグチャなスケールで混ぜ込みご飯してしまう、論旨すら失うほどに、口から出任せと紙一重の、トリックスピーチ。
「霞城中央高校贅理部は」
「悪の秘密結社が誘導する少子化謀略を誅し!」
「し!」
「果断なる行動を以って正義を為す者なのである!」
「――る!」
浮世離れ、という意味では絶世の美女に相応しい突飛さだったかもしれない。
「……………………少子化????」
でもそれって私たちが考えるべきイシューなんですか?
私たち女子高生は、それ以前の、華麗なる自由恋愛の時期では?
霞一中 恋愛ラボの皆が夢見るようなラブロマンティックエイジなのでは?
そういう問題はもっとお姉さんたちが考えるべきテーマなのでは?
「甘い! 甘すぎるわよ桜里子!」
「甘杉内俊哉!」
「え?」
「生物学的見地に立てば、あたしたち既に妊娠適齢期!」
「産めよ増やせよ地に満ちよ! 県犬養橘三千代!」
「日本を蝕む少子化問題は!」
「贅理部が解決ぞな!」
デカい!
悠弐子さんが口を滑らせてきた大言壮語の中でも取り分けデカいです!
そんなもんできるわけないじゃないですか、と桜色の脳細胞も即断即決です。
だって少子化は日本に於いてのみ特筆されるガラパゴスな問題なんかじゃありません。世界中の先進国が頭を抱えている事象じゃないですか。
更に言えば少子化の原因を説明できるシンプルな理論も存在しませんよ。色々な理由が複合的に影響しあって生じている問題ですから。
「だからそれが亡国結社【アヌスミラビリス】のせいなんぞな」
「ちゃんとあたしたちの話聞いてたの、桜里子?」
「…………」
「なにその顔?」
そんなこと言われましてもですね。
「桜里子も見たんでしょ?」
「あ……」
そうだ。
ライブハウスから命からがら逃げる最中、私は見ました。街頭ビジョンのサイマルニュースに不気味な骸骨が映っていた。不思議なサングラスは【奴ら】の正体を暴露してくれた。
あれは怪人だ、悪の怪人です。根拠はないけれど、私の中の本能が告げている。あんな醜悪クリーチャーが「正しい」わけがない。邪悪の塊と呼ぶに相応しい禍々しさを全身で表してました。
誰が見たって【悪】です!
「で、でも!」
それだけで決めつけていいんですか? 倒すべき悪の秘密結社だと?
「確かめましょ桜里子」
「ぞな」
「桜里子自身の目で検証するのよ!」
「検証こそが科学ぞな!」
ぴんぽんぱんぽん。
「あ?」
『臨時生徒会より生徒の皆さんへお知らせです。全校生徒は講堂へ集合して下さい』
【屋上生徒会】一味によるアナウンスが校内放送されました。てことは、これも偽の公式行事なんでしょうか?
「いいでしょう、検証ですね!」
望むところです、白黒ハッキリ着けてしまいましょう。
この美少女どもの妄言、どこまでが真実か?
白日の下に晒してしまえばスッキリです。
「待って桜里子」
「へ?」
「まずこれ」
私を制止して悠弐子さん、意外なものを差し出してきた。
「……ヘルメットですか?」
保健室から場所を移してここは調理実習室。まだ一度も使われたことがない、真新しい特別教室へとやってきました。
「…………」
で、ヘルメット……手渡されたのは赤いメタリック塗装のジェットスタイルヘルメット。
色やディティールは見覚えがあります、あれです、裏山のキノコチェックゲートで見たやつ。アレと似ていますが違います。裏山で悠弐子さんが被ってたのはフルフェイス。形状が異なる。
簡単に言うと顔面が開放されているんですね。
がぽ。
有無を言わせず被せられると……なんとも閉塞感が。顔面は開いているのに。
「そしたらバイザー落として、ここをオン」
悠弐子さんがうなじ辺りを弄ると……
バシャン!
頬の両側からシャッターパーツが飛び出して、口元を覆っちゃいましたよ?
「い、息苦しい……」
「つまり『気密性が高い』ということよ」
自慢気に悠弐子さん、ご教示下さります。
下さるのは結構ですが……それってヘンじゃないですか?
頭部を保護できる強度があれば、むしろ通気性いい方が快適なのでは?
「息苦しくないよ、ほらほら」
うなじ辺りのツマミを適当に弄ると、
シューって口元へ風が送り込まれている感触。
気密性の高い妙なヘルメットに酸素供給システム……?
水にでも潜るんですか? 贅理部とはダイビング部なのか?
「潜らないわよ?」
「ダイビングには不向きぞなー、ボンベ容量的に」
私のメットへ繋がっているボンベはカセットコンロよりも小さい。スキューバの丸太サイズに比べたら本当に緊急用っぽい。
「じゃあ何のために?」
被るんです? こんなヘルメット?
「だから気密性を得るためでしょ」
「びっくりするほど高気密!」
「気密性????」
だからそれが何のためなんです?
女子高生が求める気密性って何ですか?




