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稽古不足を幕は待たんぞな! - 3

 酒場という聖地へ、酒を求め、肴を求め彷徨……いえ、お酒は呑めませんが。

 呑めないけど美味しいですよね、居酒屋メニュー。冷静に考えると少し割高な気もしますが、やっぱり人間、ちょっと体に悪いくらいの味付けの方が美味しく感じられてしまう。それこそが人類の原罪のような気がしてきます。

「おやじ、おかわり頂戴、梅サワー、焼酎抜きで」

「はいよー」

 逃亡に次ぐ逃亡でカラカラに乾いてしまった喉を潤します。

「ぷひぃぃぃぃ……」

 刺客から遁走を果たした桂小五郎の気分です、まったく。

 狂気の山越えアドベンチャーから始まって、何度強いられたんでしょう、決死の逃走劇を。果ては逆上するパーリーピーポーから命からがら脱出の末に、夜の駅前通り横断大会とか二度と御免です!

 どこで間違えたの? こんな危なっかしい人生選択した覚えないんですけど?

「ぷはぁー!」

 ノンアル炭酸で酔えるわけがないですか、そこはそれ、匂いと雰囲気だけでも良い気分になっちゃいますよね、こういう空間って。

 そうです居酒屋――社畜ライフのささやかな慰めとして紳士淑女が集う店。

 私たちにとっては縁遠い、女子高生が突貫したところで門前払いがオチですが、普通は。

 でも、

 それでも意外と入れてしまう「穴場」って存在したんですね。初めて知りましたよ。

 ここは杜都の都市部から離れた、スーパー銭湯。

 お風呂に留まらず、付随するサービスも取り揃えた癒やしのワンダーランドです。定番のエステやサウナ、岩盤浴はもとより「食」に関しても抜かりなく。情報誌やネットでも盛んにプロモを打って、集客の目玉に据えるほどの充実ぶりで。お風呂を中心にしたテーマパークとでも言いましょうか、それが今時のスーパー銭湯ビジネスらしいです。一度チェックインすれば、リストバンド決済システムで施設内の支払いは全て財布レス。

 外界から隔絶したクローズドなテーマパーク感とでも言いましょうか、だから各店舗へのアプローチも敷居が低いんですね。

 それから大きいのは格好です。

 破れたセーラー服は脱ぎ捨てて、レンタル浴衣へ聖衣クロスチェンジ! @更衣室。

 ここは街の湯 俺たちゃ浴衣がユニフォーム。

 トラディショナルな湯治スタイルへ着替えれば、意外と分かんないです。ターバンっぽく頭を隠せば年齢不詳に見えなくもない。

 ああ、この美少女たちは例外ですが。

 ターバンくらいじゃ隠しようがない美少女フェイス、目立って目立って仕方ない。

 なのでタオルを三角に折って被ってもらいました。

 あからさまに怪しい、ミス秘密結社感が半端じゃないですが。怪しげなサバトで黒魔術を祈祷してそうな風体ですが。

 仕方ないですよ、素顔で出歩いてたら大変なことになりますし。誘蛾灯に吸い寄せられた男性たちが女子風呂まで着いてくるみたいな事件が起こりかねません。

 そんな私の配慮なんか意にも介さず、

「うます! 枝豆うます!」

 止められない止まらない状態で豆を莢から口へシュパパパパ連弾するB子ちゃん。

「スーパーで売ってるのと大差ないはずなのに、どうしてこんなに美味しく感じるのかしら?」

「言われてみれば不思議ですね……」

「場の力ぞな」

 私と悠弐子さんの疑問に、即答するB子ちゃん。

「場の力?」

「お祭りのヤキソバが美味いのも、海の家のラーメンが美味いのも、札幌大通公園のトウモロコシが美味いのもぜーんぶ、場の力がスパイスになってるぞな」

「なるほど」

 山盛りの枝豆を貪り食う悠弐子さんとB子ちゃん、さすがに三角帽子を被ったままでは飲食もできないので、アップにした髪をタオルでグルグル巻きにしてお食事中。なるべく目深に巻いてもらって、カウンターの最奥へ陣取ります。

(にしても……)

 人集まる場所に騒ぎアリ――そこのけそこのけ贅理部が通る。

(……だったはずなのに?)

 歩くトラブル発生機ウォーキングトラブルメイカーは面倒事の吸引器。

(……の、はずでしたよね?)

「煮込みうまー」

 ところが、

「焼き鳥うままー」

 全く以ってその気配がありません。このスーパー銭湯へ入場してからは。

「…………」

 お気に召さない事象が目に飛び込んでくるなり、すかさず特攻していく鉄砲玉でしたよね? ここまでの悠弐子さんとB子ちゃんの行動原則は?

「ポテサラうまー」

「海鮮珍味うままー」

 ところが二人とも、不気味なくらい和やかに居酒屋メニューを摘んでいます……

 行先方々で大暴れしてきたのが夢物語に思えるほど、別人かと思えるほどの穏やかさ……

「…………」

 大衆酒場のコの字カウンターを模した小綺麗な机、私の左に悠弐子さん右にB子ちゃん。

 ファミレスなどではお目にかかれない肴を、美味しそうにパクついてます。ノンアル炭酸のジョッキをぐいぐい煽りながら。

(何故????)

 どうしてこんなに大人しいの?

 週末の夜ともなればスーパー銭湯大盛況。杜都中心部のアーケードとまでは行かないまでも、かなりの人口密度ですよ? トラブルの種なんて引きも切らない気がしますけど?

 堪忍袋の導火線が異常に短い子なら、簡単に暴発してしまいかねない。


 桜色の脳細胞 仮説1 : 疲れちゃったから。

  全身全霊でギャンギャン泣きまくる幼児も、疲れてしまえば鳴りを潜めます。


「ここ、お風呂の種類も結構あるみたい」

「食べ終わったら偵察してみるぞな。全部制覇して贅理部の旗を立てるぞな」

「全部で二十箇所はあるみたいよ?」

「巡回セールスマン問題ならぬ巡回桜里子問題として数学界へ提起ぞな」

 そうでもないっぽい。

 パンフを広げて入浴計画を検討する悠弐子さんとB子ちゃん、まだバイタリティ残ってそう。

(ではないとしたら?)

 うーん……何が違うの? 少女爆弾が暴発するケースとしないケース……

 なんだろう?

 記憶の箱をひっくり返して、思い返してみる。

 少女爆弾が暴発しちゃった箇所……展望フロア、中心アーケード街……それらとの違い……

「……んー……」

 客層?

 コアな大衆酒場ほどじゃないですけど、ここは空気が澱んでいる。疲れきった社畜戦士やイレギュラーな労働裁量に疲弊する人、そういう人種の吹き溜まりっぽい草臥れ感が漂ってます。一言で表現するなら「ジジ臭い場所」。居酒屋にしては小綺麗な店でも、見るからに客層はシブい。シブがきではなくシブオヤジの巣窟。シズル感など微塵もありませんし、ピチピチしてるのは皿のお刺身だけです。

(こ、これは……)

 少女爆弾の暴発現場に比べて、著しく低い。ロマンティック濃度がスッカスカ。

(てことは?)


 桜色の脳細胞 仮説2 : ロマンティック濃度に比例してレジスタンス衝動の活性度も変わる。


(…………なの?)

 この子たちの言葉は難しい。リアリティの尺度をどこに置いたらいいのか、分からない。

 その振れ幅、私の想像を越えて振り切れている気がする。

 私を翻弄するのが楽しいから大言壮語するのか、

 それとも生来の性格からして天邪鬼なのか、

 あるいは浮世離れした美しさと引き換えに大切な何かを神様に取り上げられちゃった子なのか。

 どれだかまだ私には分からないけど、とりあえず彼女らの言葉は話半分、いやもっと何割かを減じた上で常識のコンテクストへとフィットさせなくてはいけない。

(め、めんどくさいな……)

 美少女ってみんなこういう生き物なんですか?

「えへへー」

「呑んでるー桜里子?」

 呑んでますよサワーの焼酎抜きを。甘くてシュワシュワする飲み物を酎ハイジョッキで。

「酔っちゃった」

 とか、もたれかかってくる悠弐子さん。

 ジュースの炭酸割りで酔えるなら特異体質ですって。この言葉は嘘、戸惑う私の反応で遊びたいだけの戯言です。

「くひー」

 B子ちゃんなんか私の膝で寝たふりです。

(もう本当に……)

 おかしなタイミングで暴発さえしなければ、こんなにも可愛い女の子たちなのに。

 借り物の温泉浴衣なのに。何の変哲もない白地に藍染めの和柄浴衣なのに。

 胸元から立ち上ってくる香りに酔ってしまいそう。だらしなく着崩しているわけでもないのに、ほんのりと漂ってくる彼女の香り。これは死にますね、腕を抱かれながらこんな匂い付けされたら、男の子はイチコロです。絶対に勘違いして彼女を独占したくなるはず。百発百中、ラブモーション。

 だって女の私ですら、なんだか変な気分になりそうなんですよ?

(あーもう)

 だめですよB子ちゃん。

 こっち向いて甘えちゃダメです。

 膝枕ならむこう向いて下さい、洒落になりませんから性的な意味で。いくら仲良くても越えてはいけない一線があります、女の子と女の子には。

 そいや。

 押し退けた頭を、綺麗な金髪を梳いてあげると……いやいやと首を振りながらも満足げ。

(うぅ~ん……)

 辺り構わず吠えまくっていた昼間の彼女が嘘みたいです。

 夜の彼女は仔犬の従順。ゴロゴロとお腹を見せて甘えてくる愛玩少女人形です。

「さーりーこー」

「おっと……」

 酔っぱらいのムーブで身を預けてくる悠弐子さん、あぶないあぶない。下手にグラスでも倒されちゃったら興醒めですから、カウンターテーブルの奥へとジョッキを避難させたら、

「あ?」

 外したまま忘れていたサングラス。悠弐子さんから渡された変装アイテム…………だったはずの。

(これ……)

 逃亡中の会話を省みれば、

(悠弐子さんは何か知ってるみたいだった……)

 このサングラスは普通じゃない、何かしら特別な仕組みが実装されたレア物だと。

 悪戯グッズにしては手が込みすぎてて、存在自体が不自然に思える。

「…………」

 これはオーパーツ?

「…………」

 それともやっぱり私の思いすごしで、何らかのペテンに掛けられているだけなのかな?

 あの悠弐子さんの反応も戯言、狼少年の承認欲求なんですか?

「…………」

 う~ん……

(よし!)

 意を決して再びサングラスを装着、エイヤッと瞼を開けてみれば……

(……いない……)

 カウンターを見回してもヘベレケのおじさんたちばかり。バーコードさんとか白髪の人とか、ありふれた社畜戦士が赤ら顔で上機嫌になってるだけです。店員のお兄さんやおばさんも、至って普通。

 一目で肝が縮み上がるような骸骨人間とか、影も形も……

(幻覚だったのかな?)

 私が杜都の繁華街で見たアレは。

 今まで経験したことがないような極限状況のオンパレード、それを脳が処理しきれずに機能停止した末の出鱈目アウトプット。桜色の脳細胞がバグった、放送事故みたいなものでしょうか?

(そう結論づけるのが妥当?)

 だって本当にメチャクチャでした、今日という日は。

 頼んだ覚えもないのに身の危険がわんこ蕎麦状態で配膳されてくる。こんな日は経験したことがないですよ、十五年ほど生きてきた中で一度も。

「あれー? 気に入ったの桜里子そのサングラス?」

「中二病中二病? 夜中のサングラス中二病?」

「ちがいます!」

 ああもう本当に口さがない、この二人ってば!

「分かった桜里子?」

 何が分かったんです?

 心が読める人ですか? 能力者サイコメトラーですか? それこそ中二病っぽいですけど?

「パーティが足りないって言いたいのね!」

「ならばレッツパーリィー!」

 読めてねぇぇ! 全然読めてないし!


「ハァ?」

 って変な声が出る。出そうと思ってもないのに変な声が。

 だってありふれたオブジェですよ?

 スーパー銭湯の定番ギミック、ローマ「風」装飾の変わり風呂。獅子の口からお湯が出たり、パルテノンっぽい円柱が模されていたり。

 あくまで「風」です「風」。床は大理石でも何でもないし、オブジェは樹脂かプラスティック製。気分だけ王侯貴族の、なんちゃって雰囲気風呂ですよ。

 なーのーにー!

 悠弐子さんとB子ちゃんがフレームに収まれば、世界遺産級のテルマエに見えてくる……

 イミテーションの彫像もミケランジェロに思えてくる。

 その原因は、

(身体!)

 惜しげもなく晒している裸身のせいです。

 当然お風呂ですから産まれたままの姿です。タオルなんてご法度ですから、日本の作法では。

 ぽんぽんすーな素体そのままでお風呂に浸かろうか、という図なのに。

 なのに!

(え…………エロくない!)

 私の男性脳エミュレーションをフル稼働させても情欲回路に繋がっていかないんです。ふしぎ!

 でも、どうして?

(……うぅぅぅぅーん?)

 もしかして美術の教科書をエロく感じないのと同じ理屈ですか?

 完成された美にはフェティシズムの紛れ込む余地がないってことですか?

 なら、この子らの肉体は美術の教科書に載るレベルってこと?

「…………」

 遜色ないです。美の巨匠が裸婦像のモデルにしたがるモチーフですよ。頭蓋骨から爪先に至るまで、一片の隙もないパーフェクトバランス。

 首の長さ、胸の膨らみ、ウエストの絞れ具合……あらゆる身体の部位がナチュラル。恣意的な矯正の跡が覗えないんです。肉体形成上、理に適った形状と動作が整っている。ぎこちなさの元となるシンメトリーの破綻も見受けられない。普通はどっか偏ってたりしますよ、人間。生きていく中で、変な癖が身に刻まれたりするものです。

 でもこの子たちには、それが一切見受けられない。

 些細な仕草にすら余計なコンフリクトが紛れず、見惚れるムーブを織り成す。ひどく何気ない仕草にまで漂う、美のビヘイビア。

(何なのこの子?)

 それなりに過ごした時間を重ねれば、さすがに見慣れるはず、と高を括っていたら、これですよ。

 脱いだら脱いだで光る源氏の乙女、十把一絡のkawaiiなど歯牙にもかけない美の超越者。

 悠然と観察者の視覚へ屈服を要求してくる。

「……桜里子?」

「なにをしとるんぞな?」

「い、いいえ私は……」

「お風呂でタオルはご法度ぞなー」

「ちょ、ちょっと待って!」

 タオルを無理矢理剥ぎ取ろうとしないで、B子ちゃん!

 私の裸とか晒せませんって! お二人の前で!

 制服という普遍的ブランドが付与された世界でなら、対等とは言えないまでも「映す価値」は多少ありそうな気はします、私ごときでも。

 だけどだけど!

 セーラー服を脱がしてしまったら最後、凡庸の沼に沈みます! ズブズブズブズブ底の底まで!

 二人の眩さに溶かされて観測不能に!

「我々女の子同士なのに何を恥ずかしがる必要があろうか?」

「ありますよ!」

「よいではないかよいではないか減るもんでもなし!」

「減ります! 減りますよ! 恥のパラメーターがガタ減りしてしまいます!」

 サムライは恥値がゼロになると切腹しちゃうんですよ! B子ちゃん!

「しーなーいーだいじょうぶー」

「しーまーすー!」

 この最後の砦は守り抜きます! 「恥」の最終防衛ライン!

「……あ!」

 とか頑張ったのに結局!

 その身体のどこに、そんなパワーがあるの? くらいの引き込み力でタオルは剥ぎ取られ、

「わ! わわわわわわわわわわわ!」

 おっとっと反動で後退に後退を重ね、

「ひえぇぇぇぇぇぇぇ!」

 気がつけば、鵯越の逆落としを一人で演じることに。


「死ぬかと思った……」

 足を滑らせバランスを崩した私は後頭部からダイヴ トゥ ウォーター(お湯)スライダー。

 係員さん激怒の体勢のまま、文字通り「逆落し」をキメてしまいました。

「桜里子、野間大坊に死す」

「お風呂だけに?」

 軽く溺れかけた私は医務室へと担ぎ込まれ……ることもなく、ここは施術台?

 エステを受ける人が寝転ぶ台っぽいです。医療の匂いよりもアロマの香りがする個室。抑えめの灯りに水音と観葉植物で仕立てられたリラックス空間ですね。初めて入りました、こういうとこ。

「でも、子供がいなけりゃ1192作れないぞな」

「非業の死を遂げるにしても、頼朝は遺しとかないと」

 イヤですよ、風呂で襲われて死ぬとか。そんな死に方は絶対にノーセンキューですって。

「にしても桜里子」

「はい?」

「筋肉が足りないわ」

 とか悠弐子さん、私の身体をマッサージしながら評するのです。

 勝手に借りたエステシャンの制服を着込んで、私の腿とかふくらはぎとか二の腕とか肩をサワサワ検分しながら言うんです。

「筋肉が足りないと後々苦労するわよ?」

「ですか?」

 女子力と筋肉は親和性が薄いものだと私は習いましたけど、恋愛ラボで。

 線の細い、か弱い女子こそ男の子の大好物だと聞きましたが?

「子供産んだら都合数キロの重量物を抱えて日常生活を送ることになるんだからね」

「こんな筋肉じゃ保たないぞな」

 そういう問題ですか?

 基礎代謝が落ちる年齢になったら冷え性で苦しむ、とかそういう話じゃなくて?

 子供を抱くとか、まだ私には縁遠い話にも思えますけど……

「これは帰ったら特訓ね」

「筋肉が必要よ、桜里子には筋肉が」

 筋肉が要るんです? 贅理部員は筋肉が要るんですか? そういう部活なんですか?

「あ、いたた……いたたた」

 痛いけど気持ちいい……関節の可動域を広げるマッサージ、絶妙な痛気持ちよさ。

 息が詰まるところまで負荷をかけて、フッと緩む弛緩の快感。癖になりそう。

「良い感じでしょ桜里子?」

「はひー」

 我流かプロの指南かは分かりませんが、これはお金が取れるレベルでは?

「はぐ!」

 油断したところに急刺激!

 いきなり施術の腕が増えた! 千手観音になったかと思いました、悠弐子さん!

「ゆに公よりこっちの方が気持ちいいぞな」

 気がつけば私の右半身を揉み込んでた悠弐子さんの対面、左半身に手を伸ばしてB子ちゃん、

「や! いやいや!」

 片方だけでも痛いのに両側とか何考えてんですか!

 これじゃ弛緩する間もなく激痛の連打なんですけど!

 お互いを意識するあまり手加減が段々なくなってきてるんですけど!

 いたいいたいいたいいたいいたい!

 アアアアアアアアーッ!


「ぐひー」

 マッサージって人の体を解すものですよね?

 なのになぜ、受ける前よりグッタリしてるですか私は?

 それもこれも対抗心のせいです。悠弐子さんに対して無闇矢鱈に燃え上がったラプンツェルの敵愾心のせいです。

 仲間ですよね? 部活の仲間じゃないんですか? 味方ですよね?

 何故そんなに張り合わなきゃいけないんです?

 だいたいマッサージ勝負ってなんですか?

 どちらが甘美な悲鳴を上げさせるかとかそういう勝負ですか?

 いえいえいえいえ!

 それマッサージ違うし!

 そもそもそんな勝負はお互いの体を使ってやって下さい!

「ぐはー」

 叫び疲れ、笑い疲れて大広間。そろそろ帰宅するにはいい頃合いか、賑わってたお休み処も閑散とし始めています。場所取りの縄張りを主張し合わなくとも、余裕のスペース。手足を思いっ切り伸ばしても誰の邪魔にもなりません。いぐさの香りする畳敷きの大広間、ごろり寝転ぶヒーリングタイム。人をダメにする系のソファも独り占め……

「にょわー」

 のに、どうして私のソファに凭れてくるんです悠弐子さん?

 これ一人様用で、他にも余ってるじゃないですか?

「ぞなー」

 そこへ直立不動式のヘッドバットで倒れてくる子ってなんなんですか?

「もぉ……」

 ご休憩所だってのに、おちおち休憩もしてられないってどういうことですか?

 修学旅行の枕投げは来年の話ですよ?

「あははははは……」

 一人用のソファに三人分の頭を乗っければ自然と絡み合う髪。黄金の収穫色に光る金と、漆黒の艶を讃える黒のコラボレーション。瀕死のベッドに横たわる病人だとしたら、間違いなく天国に連れてかれたんだな、と錯覚する気がします。

「ねぇ桜里子」

「なんですか?」

「この世は何で出来てると思う?」

「この世……ですか?」

 なんだろ?

「愛?」

 月並みですが愛ではないでしょうかね?

 愛がなければ世の中回っていかないような気がする。

「それは違うぞな、桜里子」

「言うなれば最も愛の要らない世界でしょ、高度に発達した現代社会と原始社会は」

「個人主義こそ愛を不要にするシステムぞな」

 そういうもんですか?

「現代的な社会福祉や雇用システムは、情実が介在しないからこそ公平性が保たれるのよ」

「世紀末救世主伝説的な意味で、サバンナにも愛は要らんぞな」

 ううむ…………侮れない。

 枕投げの勢いで騒ぎまくってたと思ったら、一転思考実験を挑んでくる。

 どうなってんですか美少女の脳は?

「さ、桜里子の答は?」

「現代社会でもサバンナでも通用する解ですか?」

 そんなの思いつきませんよ……

「桜里子、世の中は」

「はい」

「世の中は、取り返しがつかないことで回ってるの」

「は?」

 なんですその答?

「悔やんでも悔やみきれぬ失敗と、奇跡的な結果オーライで作られてきたのが歴史なのよ」

「はぁ……」

「基本的に人がやること為すこと全て後悔よ。後の祭りよ」

「時間が不可逆概念である以上、それが唯一無二の真理なの!」

「その程度が軽微か甚大か、そんだけの違いなの!」

 ま、間違ってはいないような気がするけど間違っているような気もする……

 散々弄られた身体に続いて、桜色の脳細胞まで蹂躙してくる気ですか、この二人は?

「桜里子」

「桜里子」

 人をダメにするビーズソファで身動きが取れない私を、新雪に背中からメリ込んだスキーヤー体勢の私へと覆いかぶさってくる二頭の牝ライオンちゃん。

「桜里子、しよう」

「あたしと取り返しのつかないことしよう」

 な、なんて応えればいいんですか?

 そんなこと言われてなんて答えれば?

 だってその目は。

 嫌だと言っても「関係ないね!」と華麗なスルーを決め込むダンディガイの顔ですよ。

 基本的に相手の気持ちを慮るつもりなどない、己の信念を決して曲げない生き方の人の眼です。

 人は多かれ少なかれ独善を旨として生きている。

 自分の正しさが世界の正義と盲信しながら生きている。

 だけど彼女は曇りがない。迷いがない。躊躇が見当たらない。

 彼女は正義、独善という名の「概念」の権化です!

「でも……」

 だけど、

「私に何が……」

 できるというんですか?

 私には何もできない。警備員や警察官や怒り心頭のパーリーピーポーから逃げる身体能力もない、ぶっつけ本番のステージでパフォーマンスを披露する技術も胆力もない、

 そしてなにより――――美しくない。

 不特定多数の興味を一瞬で鷲掴みする美少女フェイスなぞ、望んでも得られぬ高嶺の花です。

 そんな私に何を望むんですか? 何が期待できるというんですか?

「――あたしと一緒にしよう」

「取り返しのつかないこと」

 現実感の喪失した空間で彼女と彼女は言うのです。

 どうせ後戻りできないのならば、とびっきり捻子の外れた傲慢不遜やっちゃおう、って。

 お母さん、詐欺師はいませんでしたよ。浮かれた新入生を狙う悪質商法も怪しげな宗教勧誘も。

 だけど……だけどいました。

 底なし沼へ人を引き込む堕天使は。

 人生観の足元まで刈ってくる美貌のあくましんかんが! それも二匹も!

 「イエス」と「はい」しかないババ抜きで、カードを引けと迫ってくるんです!

 マッサージされすぎて、ヘナヘナな手足じゃ押し退けられない。筋肉以前の問題です。

(獲って――食われる!)

 友達同士のパーソナルスペースも軽々乗り越え、ゼロ距離の肌接触。

 こんな公衆の面前でいくらなんでも!

 閑散とした時間帯とはいえど、チラホラお客さんも残ってるのに!

 変な目で見られちゃいます!

 女子高生同士のじゃれ合いを越えた奇異の目で見られる!

「わっ! 分かりましたー!」

 ……って応えるしかないじゃないですか。

「一緒にしますから、やりますから、まず落ち着いて!」

 君が応えるまで接近を止めない、な勢いで迫られたら、そう応えるしかないじゃないですか!

「むふ」

「むふ」

 我先にと私の唇を奪いに来た(ように見えた)彼女と彼女は墜落。私の胸に墜落して、

「そう言ってくれると思った……」

 とか呟きつつ、胸に頬ずりしてるんですよ。

 なんだ? なんですかこの画?

 全校男子が入部資格を渇望する最高倍率の部活でしたよね?

 それがどうして私は請われているんでしょうか?

 同級生女子全員を置き去りにする別格の美少女ツートップに請われてる……

 分からない。どうしてこうなった?

 脈絡が思い出せません……

 私のどこがみんなと違ったんですか?

 自信のないとこが逆に良かったとか?

 そんなまさかまさか。

「これであたしら百万馬力!」

「天下無双のスーパーユニット、爆誕ぞな!」

 スーパーユニット?

 バンドですか?

 もしかして今日の飛び入りステージに味を占めてスリーピースバンドで本格的にやってこうってつもりですか?

 いや、むしろ出禁です。あんな騒ぎを起こした張本人とか知れ渡ったら、結成前から出入り禁止ですよ、どこのライブハウスでも。

 でも……

「愉しみだね、桜里子」

 あんなにも綺麗な悠弐子さんをまた見られるのなら、それもいいかなって。

 舞台上の悠弐子さんは本当に、嵐の中で輝くローレライです。人の心に荒波を沸き立たす魅惑の人魚です。

「いかすバンド天国」

 そんな人を目に焼き付けられる、肌が触れ合う距離で眺められるなら、どんな対価も惜しくない。

 己の矮小さに押しつぶされそうになっても、この子の傍にいられるなら。

「じゃ名前、考えないといけないね」

「世の真理を表現する、崇高でシンプルな名前がいいわね」

「名は体を表す、躍動性のあるダイナミックな名前がいいぞな」

 ああもう止めて下さい。寝転ぶ私の上でアイベックスがツノを突き合わせるみたい音は。

「喧嘩禁止! 公共の面前ですから!」

 左右の腕で彼女たちの首を抱え込み、ギューッと胸に押し付ける。

「名前ですか……」

 名は規定、もっともプリミティヴな規定の魔術。名前が私たちの関係性を規定する。

(……だとしたら)

「ゆにばぁさりぃ――とかどうでしょうね?」

 私たちの名前から少しづつ取って、結晶化するアナグラム。

「でも、良くないですか? 音韻も柔らかくて、外人さんにも覚えてもらえそうな……」

 …………あれ?

「悠弐子さん? B子ちゃん?」

「すう……」「スヤァ……」

 寝てるし。

 今日一番の穏やかな寝顔で私の胸へ身を預けてます。

 珍しく桜色の脳細胞が名案を転び出してきたというのに。

「ゆにばぁさりぃ……」

 私たちの関係性を規定する魔術。

 差し詰めこれは『この名が活きる限り、離れない三人』とでも?

「……いや待て?」

 これはあれじゃないかい?

 「お父さんとお母さんの名前から一文字づつ取りました」式のネーミングじゃない?

 離婚した時に困るから止めておいた方がいい、って窘められそうな名付け法では?

 そう思うと、

「なんか急に恥ずかしくなってきた……」

 なしなしなしなし、今のなし!

 良かった……二人に聞かれてなくて良かったぁ……

 こんなの黒歴史ですよ。ノリだけで先走った末に、後で恥ずかしくなる系の。

 もっとファッショナブルでスタイリッシュな名にしましょう!

 バンド名ですからね!

 何がいいかな……そう簡単に思い浮かんでたら世話はないですが。

「ま、ゆっくり考えればいいですかね……」

 明日またすぐにライブが執り行われるとか、そんな予定が詰まっているわけでもないですし。

 まだ幾らでも時間は残されてます。私たちの週末は始まったばかりですからね。

 果報は寝て待てと昔の人も言いました。寝ればリセットされちゃうんです、世の中。面倒事に見えても収まるべきところへ収まる。大概はそういう感じで世間は回ってます。

 山田桜里子が規定するならば『世の中は寝逃げでできている』です。

 うむ。

 なので、寝ましょう。

 目が覚めれば待ってます。新しい希望に満ち溢れた明日が、私たちを待ち受けてくれます。


 ――――が。

 私を待っていたのは最悪の目覚めでした。

 山田桜里子の短い人生史上最悪の。

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリ!

「……!」

 掛けた覚えのない目覚ましのけたたましい音!

「はっ!」

 なんか私やらかしちゃいました? 見に覚えのない失態でご迷惑を掛けちゃいましたか?

 慌てて跳ね起きて携帯を確認すれば……

「……通話?」

 目覚ましタイマーのうっかりミスではなく、着信画面が液晶に表示されいて、

望都子モコちゃん?」

 こんな朝早くから何でしょう?

 通話ボタンを押して着信ベルを消したら、

『桜里子!』

 代わりに劈く叫び声!

「ど、どうしたんですか望都子ちゃん?」

『助けて桜里子! 大変なの!』

 誰が聞いても分かる慌てぶりで、望都子ちゃんは緊急事態を訴えてきた。

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