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『羽川こりゅう作品集』

『羽川こりゅう作品』6.「僕が殺すのは僕を殺した僕の僕(未公開)」

作者: 羽川こりゅう

     プロローグ


 世界構造における均衡と不均衡の諸問題について

 In the World structure, various problem between equilibrium and disequilibrium.



 世界は破壊と抑止において均衡していると言える。

 ――ピーター・マクスウェル

 The World’s balance is equilibrium: destroying and deterring

 ―― Peter Maxell



 世の理は、神の些細な手違いで成り立っている。

 ――マイケル・トーマソン

 The world’s reason consists of God’s insignificant slipup.

 ―― Michel Thomason



 世界は、均衡と不均衡の間で揺らぐ収束を欲する。

 ――ナカヤマ・アキト

 The World wants convergence wavering between equilibrium and disequilibrium.

 ―― Nakayama Akito




     1 



 僕が、その“能力”に気付いたのは、秋も十分に深まったあの夜のことだ。


 その日、僕は珍しく眠気を感じて、まだ十二時を過ぎてもいないというのに、布団にくるまって、しんしんと冷える身体を温めていた。

 普段から、夜更かしの過ぎるところがあって、朝日とともに眠りに落ちるというような生活を送っていたから、さすがにそろそろ生活リズムを取り戻さなければと思っていた。

 書きかけの履歴書。

 何をするにも、やはり一般人と同じ時間帯で生活しなければならないことなど、とうの昔から分かっていたことだ。

 特別、何かに秀でているわけでもなく、さりとて普通の生き方をしたいかと聞かれれば、首を振るような体たらくだったから、ずるずると親の金でこの年齢まで来てしまった。まるで、生きる屍のように、漫然と張り合いのない一日を過ごしていたのである。

 とは言っても、焦りがなかったわけではない。

 無機質に流れるニュース番組で取沙汰されるような出来事を知らないはずがなかった。

 そういうわけで、急にあらわれた夜の眠気に任せて、今度こそ一人前の人間になろう。そう決意したのである。

 そうこうして、おそらく僕は眠りに落ちたのだろう。夢を見ていた。

 それは妙に鮮明な夢だった。

 これは目が覚めてから思ったことだが、色は普段のものよりも少しくすんでいたかもしれない。

 僕は、空の上にでもいるかのように、夢の出来事を見下ろしていて、しかし物音や声は、聴覚が研ぎ澄まされたように、間近に聞こえてくる。

 コツコツとアスファルトを靴のかかとで押し付けるような音と、確かに自分の声であるのに、まるで他人の声のように聞こえてくる独り言。

 周囲は、近所の住宅街にポツポツと灯る電灯の青い光だけが見えるような暗さだ。

 どうやら、僕は、夜道をひとり歩いている自分の姿を見ているようなのだ。

 なんとも面白くもない夢だなどと思っていると、どこからか、自動車の、それもかなりの大きさの白いワゴン車が、夜道を歩く僕の後ろから物凄い速度で追いかけて来る。

 僕は思わず、

「危ない!」

 と空の上から叫んだが、当の本人は、僕の声に気付くことも、白いワゴン車の急接近に気付くこともなく、先ほどまでと同じように、ブツブツと独り言を言っている。

 白いワゴン車はぐんぐんと僕に近付いて、もう数メートルというところで、ようやく僕は後ろを振り返り、驚いた表情で危険を回避しようと身体を捻る。が、僕の身体は、けたたましい衝撃音とともに宙に放り出されてしまうのである。

 空の上の僕の視界は、俯瞰の風景から一転、白いワゴン車のナンバープレートが目の前に現れる。

 僕は、そのナンバープレートの番号を控えようとメモ用紙に手を伸ばそうとしたところで、目が覚めた。

 午前三時。

 動悸が激しい。

 なんて夢だ。まさか自分が殺される夢を見るだなんて!

 夢の中で見たナンバープレートの番号は、目が覚めたその時でも、鮮明に思い出すことが出来た。僕は、その番号を書きかけの履歴書に殴り書きした。

 その番号を、数時間後に見ることになるなどとは、この時、思いもしなかったのだ。




     2



 僕がその“能力”に目覚めたのは、ある冬の日のことだった。

 簡単に言えば、タイム・トラベルと言えるだろうか。はたまた、タイム・リープとも、サイコ・ダイブとも言えるかもしれない。

 とにかく、僕は過去に飛べる能力に目覚めたのだ。

 頭の悪そうな話かもしれないが、事実、出来るのだからそう説明せざるを得ない。

 そして僕は、この“能力”を世界のために使おうと決めた。

 僕が、前にいた世界は、戦争や疫病の流行で荒廃し、友達も親も知らない誰かもたくさん死んだ。

 世界の終わりは突然、始まった。

 “世界の支配者”と名乗る者が、次々に人々を捕えては処刑していった。

 僕の住んでいた場所はA -12ブロックと呼ばれていたが、彼らは地域をいくつかのブロックに分けて呼び、その居住地にいる者はトラックにまるで豚のように乗せられて収容所に送られた。

 その事実が広まった頃、A -12ブロックの“粛清”が始まった。

 なんとかその時は逃げおおせたものの、結局、僕は捕まってしまい、機械的に殺されて行く人々の中にいた。

 作業のように頭を銃で撃ちぬいては、別のブロックの人たちに掘らせた穴に無造作に投げられた。

 次は、僕だった。

 後頭部に固くて熱い銃口を押し付けられて、ガチガチに縄で縛られた身体を捻って逃げ出そうとするが、すぐに取り押さえられ、聞いたことのない言語で早口に罵られた。

 僕は、恐怖で歯を鳴らして、涙を流しながら命乞いのようなものを叫んだかもしれない。

 そんな僕を、彼らはなんとも下品な笑い声を立てて、いくつもの銃口で頭を小突かれる。

 いつ訪れるか分からないブラック・アウトに、全身は棒のような細い何かになったように、頭はきーんと激しい頭痛が襲った。

 これまで機械的に人を殺してきた彼らの、何の琴線に触れたのかは分からないが、遠くに消えていきそうになる意識の外で、彼らは処刑の手を止めて談笑している。

 僕は、瞼をぎゅっと固く閉じて、ふと脳裏に、楽しかった日々を思い出していた。

 次、生まれて来る時は、もっとマシな世界を選ぼう。

 そうして、僕は意識を失った。

 その時、死を間近にして、なんとも不思議なことに、夢を見た。

 まるで走馬燈のように、僕の過去の日々が目まぐるしく映っては消える。

 僕は、その俯瞰の風景の中に、友達と楽し気に笑う自分を見つけて、その姿を愛おしく見つめ続けた。

 そのうち、僕の視界は、俯瞰の風景の中の自分と入れ替わったかのように、意識が変革し、やがて匂いが、風が、声が、音が、景色が、感覚が――僕はその世界に定着した。

 今でも、あの冬の日に戻ってしまうのではないか。今、この目で見ている世界は、実は死を目前にした短い夢。短いがゆえに長く引き伸ばされた夢の世界にいるのではないかと思ってしまう。

 いつか、覚めてしまう夢。

 ならば。

 だから。


 僕から、世界からすべてを奪った、あいつを殺そうと決めた。





     3



 僕には、何の能力もない。

 強いて言えば、少しだけ感受性が強くて、正義感のある純真な人間だ。

 自分で純真だなんて言うのはどうかと思うけど、本当のことだから仕方がない。

「人に嘘をつくな」「優しくしろ」「素直で生きろ」「正しいことを追い求めろ」と教えられて育ったけど、それは“大人の求める純真な子ども”、もっと言えば“大人の耳障りの良い子どもになれ”ということだと気付いた頃には、もうどうしようもなくなっていた。

 子どもの頃はそれでも良かった。

 だけど、“大人”という属性が付与された途端、「生意気だ」「それでも社会人か」「お前の正しいなんかどうでもいいんだよ」「社会はお前みたいな屑なんて必要としていないからな」と、手のひら返し。

 大人になれば、「嘘をついても良い」「他人は全部敵」「人を陥れてでも勝て」「正しいことは常に正しいとは限らない」と、いうことらしい。

 純真な人間のまま育った僕にとって、この世界はとても生きにくくて、とても醜い。

 “良き人間”のなり方は教えてくれたけど、“社会で生きる”方法は誰も教えてくれなかった。

 僕は、どうしたらいいんだろう。

 僕は、どうやって生きていけばいい?

 他人が、まるで醜い怪物のようにも思えて、誰も信じられない。信じられないから、僕は嘘をつけないから、もう誰とも話したくない。損ばかり被って、僕がいつでもあいつらの生贄で、醜いあいつらは今日ものうのうと生きている。

 化け物め。

 化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。

 人を恨む気持ちだけは、なんとかこの何年かで覚えた。

 でも、このままじゃ、僕自身がいつか、あいつらのような醜い怪物になってしまう。

 それは嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 神様。

 どうして、世界は僕に優しくしてくれないのですか。

 どうして、僕は、僕なのですか。

 こんな世界なら、最初から化け物で生まれてくればよかった。

 僕に。

 僕にほんの少しの能力があったら。

 この世界をもっと綺麗で、優しい平和な世界にできるのに。

 神様は、本当にこんな世界でいいとお思いですか。

 

 ――違う。

 そうじゃない。そうじゃないんだ。

 神様は見ているんだ。

 この汚れきった世界で、お前はどう戦うのかと。何ができるんだと。

 誰もこの世の穢れに、気にも留めないことに、本当は失望している。

 失望しているからこそ、下等な人間たちを正そうとはしないんだ。

 なぜなら。

 滅びろ――と。

 自ら不浄を祓えぬのなら、その身を以て、不浄とせよ――と。

 なんてことだ。

 僕は、今の今まで、そんな大事なことに思い至らなかったなんて。

 ああ。そうだ、そうなんだ。

 それはきっと僕にしかできないことだ。

 そうなら。

 そういうことなら。

 僕がやってやる。この醜い世界を。優しくて美しい世界に。

 僕が化け物になる。

 その前に――。





     4



 その後、僕は、全く寝付けずにいた。

 あれだけ押し寄せていた眠りの波動は、もうどこかに霧散してしまっていた。

 時間は――午前四時。

 外は相変わらず真っ暗だ。

 僕は、溜息をついて、変われない自分に嫌気を感じた。

 それから、書きかけの履歴書に殴り書きされた、僕を殺したあの白いワゴンのナンバー。

 つくづく、自分が愚かな人間のように思えて、いよいよ自己嫌悪が激しくなった。

 とにかく。

 今週中には、どこかのバイトに応募しようと決めていた。

 新しいものを買いにいかなければいけない。

 僕は、けだるい身体を起こして、簡単に身づくろいをすると、夜明け前の冷たい闇の中をトボトボと歩き出した。

 付近は、しんと寝静まって、時折大通りを走り抜けるトラックとバイクのエンジン音だけが響いていた。

 近くのコンビニまでは、歩いて十五分の距離だが、月が暗雲に隠れて、ポツポツと並ぶ街灯の青い光が足元を照らしているだけで、もの悲しさを感じて、妙に足取りも重い。

 あの時、妙な夢を見なければ、今頃ぐっすりと眠って、一端の人間になれたのに。

 せっかく、間違わずに書けた一枚だったのに。

 僕は、周囲に誰もいないと分かって、ブツブツと独り言を口にした。

 ダメな自分が本当に嫌だ。

 こんなので、よく今日まで生きてきたものだ。

 ブツブツと夜明け前の道を歩く自分をイメージして、まるで不審者か何かだな、とせせら笑ったところで、僕はそのイメージにはっとして立ち止まる。

 これって、もしかして。

 僕は、振り返って、周囲の物音に耳を澄ます。

 あの。

 夢で見た情景にそっくりじゃないか!

 そう思った瞬間、僕の視界に、ヘッドライトを落とした白いワゴン車が、猛スピードでこちらに向かってくるのが映った。

 あの夢は、もしかして――予知夢。

 僕は、この時になってようやく、未来予知というまるでSF小説のような“能力”に目覚めたことを自覚した。



 “能力”とは言っても、僕のこの能力は、いつも正しく発動するわけではない。

 戻りたいと念じたその日に正確に戻れるわけでもなければ、眠れればいつでもその能力が発動する、というわけでもなかった。

 何よりも、今よりも未来に飛べないのが致命的だ。戻ったら、戻りっぱなし。

 なんとも不便な“能力”ではあるが、ないよりは良い。

 前よりも希望が持てる。

 僕は、この“能力”を使って、もう何度も何度も世界を行ったり来たりを繰り返していた。

 そのおかげで、おおよそ、“世界の終わり”の仕組みについて理解し始めていた。

 その男――前の世界では世界の支配者と自称していた――は、突然降ってわいてきたわけではもちろんなく、それなりの経緯があったようだった。

 一度は、支配者側について、殺戮者となったこともあった。

 一度は、研究者として、自身の“能力”について研究したこともあった。

 一度は、以前のように、殺されそうになる場面もあった。

 が、なんとか今日まで生き延びて、“世界の支配者”なる男を特定するまでに至っていた。

 その男は、僕と同じように、何らかの能力を持っていると考えられる。

 そうでなければ、あれだけ的確に全ての事象を操ることはできないだろう。

 あの忌々しい出来事は、決して単発で発生したのではなく、発生する事象全てが的確に相互に影響し合って、雪だるま式に膨れ上がった結果、引き起こされたものだ。

 その性質から考えて、未来を覗ける能力が妥当だと思う。

 実は、その男の正体については、もっと早い段階で分かってはいたのだが、いかんせん僕の“能力”は不確定要素が強く、その男が能力を発現させたその年に戻ろうとしたのだが、戻り過ぎてしまったために、何年もその日を待たねばならなかった。

 そして、今日――能力が発現、つまり“世界の支配者”が初めてこの世界に誕生する日だ。

 もう何十年生きたのか、もう数えてはいない。

 だが、自分の死と向き合って、相当の月日が経っている。

 途中で、もしかするとあの出来事が発生しない世界と遭遇していたら。

 長い年月の中で、僕は、あの男への燃え上がる復讐心が薄れていくのを感じていた。

 しかし、結局のところ、あの出来事は発生し、僕がやらなければこの世界は終わる。

 そう。

 だから、僕は奴を視認しても、きっと暴走しないでいられる。

 冷静でいられるはずだ。



 猛スピードで突っ込んでくる白いワゴン車を、僕はギリギリでかわした。

 あともう少し、夢について思い出すのが遅れていれば、間に合わなかったかもしれない。

 白いワゴン車が通り過ぎる時に見たナンバープレートは、やはりあの夢で見た番号であった。

 どうやら、あの“能力”は本物らしい。

 僕は、全身から力が抜けそうになるのを、慌てて両足で踏ん張って耐える。

 まだだ。

 まだ警戒を緩めてはいけない。

 その場に留まって、状況の把握に努める。

 運命は変えられない。

 時々読む小説によく出て来るフレーズだ。

 なんとも陳腐なものだが、今の僕にとっては、まさに生きる指針と言えなくもない。

 もし、運命が不変のものであったなら、この後、僕は決められた死というイベントを消化しなければならないからだ。

 僕を轢き損ねた白いワゴン車は、もう見えなくなっている。

 すでに周囲は静けさを取り戻していた。

 それでも、僕は動けず、その場に立ち尽くしていた。



 僕は、草陰に隠れて、ナイフを握りしめていた。

 あの男の顔を見た瞬間、これまで忘れかけていた激しい憎悪が胸の中を掻き毟って、僕は冷静さを失いかけていた。

 殺す。

 殺す。

 僕は、辛うじて残った理性をかき集めて、あの男の様子を窺う。

 男は、緊張した顔で立ち尽くしている。何かに警戒しているようだ。

 もう最初の犯行を済ましてしまったのだろうか。

 実を言うと、“世界の支配者”としての最初の行動が、正確にいつどこで行われるのか、分かっていたわけではない。

 今日という日が、奴にとって重要な日であり、儀式めいた祭典をひとりで行っているという情報を得て、そこからいくつかの推測を経て、おそらく最初に行動を起こした日であろうと考えただけで、本当はそこまで自信があるわけではなかった。

 それでも、僕は、この日に賭けて、そしてその賭けに勝ったようだった。

 もちろん、これまでの年月の中で、あの男に出会う日がなかったというのは嘘になる。

 実際、至近距離で殺害できる場面も何度もあった。

 しかし、世界の構造論的な考え方から、世界が一方に傾いた後でなければ、起点を破壊しても、あまり意味がないということだ。

 世界は、不均衡と均衡の状態で揺らぎながら存在している。

 不均衡に傾けば、不均衡下における均衡状態を目指して世界は一方に収束していく。そして、収束後は均衡状態そのものが不均衡、つまり世界は一方に収束し定着することそれ自体が不均衡であると認識し、また均衡への揺らぎが発生する。

 そうしたことから、収束の結果を変えるには、不均衡への傾きと同時に開始される、均衡への収束、その事象を取り替えなければならない、と僕は結論付けた。

 要は、この男を“世界の支配者”として葬らなければ、世界は収束を求めて、第二、第三と新しい“世界の支配者”をこの世に生み出していく危険が強いということだ。

 そうなってしまえば、せっかく特定した“世界の支配者”を、また白紙の状態から探さなくてはいけなくなる。次に生きている保障なんてどこにもない。そんな危険は冒せなかったというのが、本音だ。

 どの時点で、この世界の不均衡が始まったのかは全く皆目つかないが、そういったことはのちの“能力者”たちに任せればいい。

 僕は、僕を殺した不均衡な世界が求める均衡を破壊しなければならないのだ。

 ようやく冷静さを取り戻した僕は、最後に大きく深呼吸して、音もなくその男の背後に忍び寄った。



 ズブリと背中に何かが刺さったような感覚がして、僕は思わず背中に手をやる。

 何か、熱い液体がその手にべっとりとつく。

 血だ。

 急激な痛みが背中を襲って、僕は前のめりに、地面に崩れ落ちる。

 その僕の背中に誰かが跨って、何度も僕をナイフのようなもので刺す。

 何度も。何度も。

 僕は、自分の身に何が起こっているのか分からないまま、うめき声をあげる。

 何。

 どうして。

 振り払おうにも、力の抜けきった腕は、持ち上がることなく、だらんと冷たいアスファルトの上に垂れ下がっている。

 ズブリ。ズブリ。

 刺される度、ピクッピクッと身体中の神経が痙攣する。

 息も吸えないほどの痛みに、僕は徐々に意識が遠ざかるのを感じた。

 それを許さないかのように、背中に跨った誰かは、また刺す。刺す。刺す。

 そうして、僕はうめき声をあげながら、ゴポゴポと喉に大量の血液が行ったり来たりして、よく分からないものを吐き出した。

 刺されて撥ね、刺されて撥ね。

 まるで、僕はゴム人形だ。

 もう痛みは感じなかった。

 ただ焼けつくような熱さに「うーうー」と声にならない無機質な音を、喉から溢れだしてくる血液とともに吐き出して、やがて僕の意識はブラック・アウトした。

 最後に聞いた、吐き捨てるような男の声。

「この化け物め」

 化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。

 ばけものばけものばけものばけもの――



 夜が明ける。

 白々とした眩しい太陽が、僕の夜に慣れた目を刺激する。

 遠くの方で、パトカーのサイレンがけたたましく鳴り響いて、静まり返っていた夜の世界を収束させる。

 あの暴走車が誰かを轢いてしまったのだろうか。それとも、事故でも起こしたか。

 僕は、ようやく安堵のため息をついて、へなへなと冷たいアスファルトの上にへたり込んだ。

 どうやら、運命とやらは不変ではないらしい。

 もう空は明るい。

 僕は、ここから真っ白な道を歩き続ける。

 サイレンの音で目を覚ました人々が、僕を奇怪な目つきで見てくる。

 そうだ。

 履歴書を買って帰って、起きたらどこかにバイトの申込みをしよう。

 僕は、よろよろと立ち上がって、また歩き出した。





     エピローグ



 テレビのニュースは連日、暴走車の男とその殺害者の話で持ち切りだ。

 白いワゴン車で人をひき殺そうとして街を暴走していたが、誰も殺せず、車から降りたところを、刃物を持った男に背中をめった刺しにされて死亡した――とのこと。

 男は、そのニュースを見ながら、「ここの証言は俺がしたんだぜ」と、何の鼻持ちにもならないことを呟いて笑う。

 そして、暴走車を運転していた男を殺害した犯人は、数日後、留置所で原因不明の心不全により死亡したことで、毎日のように事件の再現映像や犯人たちの過去について報道されている。

 男は、簡単な朝食を食べ終わると、テレビを消して、最近始めたアルバイトの勤務先に向かう。足取りは心なしか、軽やかだ。

 最近、また夢を見た。

 男が中心となって人々をまとめ上げる。そんな夢だ。

 あの時の不思議な夢を、男は忘れてはいなかった。

 俺は、きっと大物になる。

 そう思うと、なんとなく前向きになれる気がした。

 ただ、残念なことに、それからぱたりと夢を見なくなった。

 いつ見ても真っ暗な夢。

 どうやら、熟睡しているようだった。

 あれだけ眠れなかった日々が、まるで嘘のようだ。

 男は、生まれて初めて「生きている」と思った


 

 世界は、均衡と不均衡の間を揺らぎながら、収束に向かっている。

 収束への新たな事象を生んで――。



※一度、「小説家になろう」に投稿しましたが、諸事情あってすぐに削除してしまいましたので、一応未公開とさせていただきます。

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