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 翌日、登校途中に東山の姿を見かけた。俺は、思わず彼女に駆け寄る。

「よ」

 隣に立ち、軽く手を挙げて言うと、

「おはよう、夏野、大地 (なつの だいち)」

 少しこちらを向いただけの、そっけない挨拶が返ってくる。

「学校でもあまり親しくしないほうがいいわ」

 東山は俺の腕を取って、静かに口にした。

「ま、確かにそうだな」

 俺は東山の肩に手を回して言った。

「そうよ。まして、あたしは転校生っていう立場なんだから。特定の男子と仲良くしてたら、それこそ、変な噂が立つわよ」

 俺の腕に顔を押しつけて言う。

「緊急の用事があるとき以外は話しかけないで。緊急の用も、できるだけ人目に付かない場所がいいわ」

「わかった」

 それからは、ふたりとも無言だった。腕を組み、肩に手を回し、無言のまま校門をくぐる。

 


 ちなみに『百の槍』は、俺のポケットの中に入っている。ポケットから長い槍が出ているのを想像したキミは大きな間違いだ。

 転校生の――東山の提案で、『百の槍』に能力を付与しておいたのだ。槍は鉛筆の半分ほどのサイズになって、ポケットに入っている。一瞬で元の大きさに戻るので、すぐに臨戦態勢を取ることもできる。

 そしてもうひとつ言われたことが、協力していることは誰にも悟られないようにするということ。

「両親にも、友達にも、あたしと協力していることは内緒にして。どこから情報が漏れるからわからないから。いいわね」

 と、彼女は言った。

 それに、俺とメイドたちは大きく頷いたというわけだ。 

 


 校門をふたり並んでくぐると、なんとなく、周りから見られているような感覚があった。

 なにも特別なことをしていないのに、誰かが俺をにらみつけているような気がする。

 これも、魔法使いの連中の視線だろうか。少なくとも、俺は誰が魔法使いなのかを知らない。

 東山に視線を向けるとこくりと小さくうなずいた。彼女も、なにか視線を感じるのだろう。

 東山が抱き寄せた俺の腕に力を入れる。周囲の視線が、ますます強くなった。

 そのままふたりで並んで教室へ。教室でも俺に対する奇異な視線が注がれている。

 この際だ。こうなったら気にすることではないなと考えた俺は、そのまま自分の席に着く。周囲を見回すと、なんとなく教室の景色の一部が欠けているような感覚を覚える。

「登、委員長はどうした?」

 俺は窓際の席にいる登に話しかけた。

「委員長? そういやいないな」

 登も今さっき気づいたかのように言う。委員長の席には鞄もない。もうすぐ先生が来るというこの状況においても、登校してないということだろう。

 東山と目が合った。俺もこくりと頷く。

 委員長がいない。

 それはとりあえずは、今日は襲われることがないという事実だ。俺は少し安心して、少しだけ深く椅子に腰掛けた。




 が、授業中も奇異な視線が止むことはない。クラス中が俺に注目しているような錯覚さえ覚える。

 その視線がひとりのものなのか、あるいは複数のものなのかもわからない。ただ、「見られている」という奇妙な事実だけが、ずっと俺を縛り付けていた。

 チャイムが鳴り、苦痛だった最初の授業が終わる。そうでなくてもキツい授業時間が、いつも以上だと感じた。

 息を吐き、俺は立ち上がってパンツを穿き、登の元へと向かった。

「なんか今日、教室の様子が変じゃないか?」

「そうか?」

 登はうーん、と両手を上に伸ばして口にする。

「俺はなんも感じねえぞ。せいぜい委員長がいないってくらいじゃないか」

 登は言う。まあ確かに、言われてみればそれだけのような気もする。

「女子の話に耳を傾けてみたが、どうも風邪らしいな。しかし、お前が委員長狙いだなんて知らなかった」

 登は言う。

「狙ってない。むしろ、狙われているほうだよ」

 俺はこれ以上コイツと話しても意味はないなと考え、そんなことを口にして席へと戻る。「え、おい、どういうことだよ」と登は声を上げるが、俺はひらひらと手を振るだけでそれには答えない。

 席について、息を吐く。そこらじゅうから感じる視線は、少し和らいだような気もする。

 ふと、机からなにかがはみ出ているような気がした。なにかと思い、手を机の中に入れる。

 見覚えのない紙。丁寧にくるまれ、ハートマークのシールで止められた便箋。まさかと思って開けてみると、そこには。



『昼休み、屋上で待ってます 委員長』



 俺はすぐさま立ち上がった。東山の席を見るが、彼女はいない。俺は仕方なく、ズボンを穿いて教室を飛び出す。

 彼女はトイレにいた。個室からちょうど出てきたところで、彼女と出くわす。

「ちょ、ここどこだと思ってるのよ!」

「トイレだろ。わかってるよ」

 俺は「んなことより、」と言って手紙を見せた。

「……委員長から?」

 東山の言葉に、俺は頷く。手を洗い終えた彼女は俺から手紙を奪い取り、手紙を開く。

「果たし状か。古風なことをするのね」

 息を吐いて言う。

「昼休みだってさ。どうするよ」

 俺はハンカチを取り出し、彼女に渡して言う。

「昼休みまで時間があるとはいえ……出方がわからない以上は手の出しようがないわね」

 ハンカチにはたっぷりと墨汁を染み込ませておいた。彼女の手が真っ黒に染まる。

「昼休みまで待つしかないのか」

 東山は俺の顔にハンカチを投げつける。俺の顔が黒く染まった。

「……いえ。せっかくだから、様子を見に行ってみましょう」

 東山は言う。俺は、顔を洗って墨汁を洗い流してから頷いた。

 そうして、ふたりで男子トイレを出る。その足で階段を登って、屋上へ。

 あの委員長が、罠を仕掛けているというのは考え辛かった。性格からして、正々堂々仕掛けてきそうだ。

 その旨、東山に伝えておく。そして、階段を弾むように進む彼女のスカートがまくれあがり、うさぎさんがイラストされた布地が見えていることを伝えると、彼女は静かに頷いて、そして、俺の顔面に蹴りを入れた。

 屋上の扉の前。委員長相手に隠す必要はない、と、彼女は判断したのか。先に屋上に出たのは東山だ。

「こんにちわ、転校生さん」

 そして、そこには委員長が立っていた。最初は扉の影に隠れてた俺も、彼女の姿を見るとゆっくりと姿を見せる。

「昼休みには早いぞ、委員長」

 俺がそう口にすると、

「そうね……ちょっと退屈だったから、軽くゲームでもしていたところ」

 そういう彼女の前には大型のモニターと、体の動きを察知して反応する最新型のコントローラーが置いてある。

「教室で見られていたような気がしたのも、委員長の仕業か?」

 はめてあったグローブを外している委員長に言う。委員長は少し首を傾げ、

「教室で? さあ、それは知らないわよ。チャックでも開いてたんじゃないの?」

 委員長がそんな軽口を言う。そんなことを彼女が言うなんて、少し意外だった。

「それはないな」

 が、それは明確に否定しておく。そもそも、教室ではチャックのついているようなものは穿いていなかった。

「さてと……ルールはわかるわね?」

 委員長はグローブを置き、ゲーム機の電源を切って言う。

「負けたほうが魔法のアイテムを渡す。負けの定義は、降参でもいいし、完膚なきまでに叩きのめしてもいいし、……殺してもいい」

 委員長の声音が変わる。ぞくりと冷たいなにかが俺の背筋を走った。

「このメガネを渡すわけにはいかない。もし、これを渡したら……」

 委員長は指でメガネを押さえて言う。

「遠くのものがいっさい見えなくなるの」

 なるほど。彼女には、魔法のアイテムを渡したくない明確な理由があるということか。

 俺にそんな理由なんてない。ましてや、俺がなんでこの戦いに巻き込まれたのかすらもわからない。

 ただ、俺の中に、なにか強い欲求があった。彼女にだけは負けられない。俺の心は、そう叫んでいた。

 俺は……彼女のメガネを外したところを、見てみたかった。

 地味で委員長で図書室にいてという女の子はメガネを外すと意外と可愛いというのは相場が決まっている。もしそうだとしたら、委員長もその例には漏れないはずだ。

 だったら、ここは意地でも彼女からメガネを奪い取るべきだろう。そして、その中身が意外と可愛いということなら、学校中に言い触らせばいい。

 そうすれば噂が噂を呼び、彼女はやがて、コンタクトに変えるかもしれない。

 そう。俺は、メガネっ子属性は持ち合わせていないのだ。

「行くわよ。まとめてかかってきなさい!」

 委員長が叫ぶ。

「っ、レールガン!」

 東山は叫ぶ。両手を青い光が包み込み、彼女の手に、大型の機械が召喚される。

「させない!」

「くっ!」

 しかし、レールガンを取り出すより先に、委員長のメガネからビームが東山を襲う。彼女は俺の背に隠れて攻撃を避けた。ちなみに俺はまるこげだ。

「向こうのほうが早い……」

 俺の背中で言う。彼女のレールガンは、取り出す、構える、チャージする、撃つという四段階だ。一度でも取り出せばすぐ撃てるとはいえ、撃つまでに若干のラグがある。逆に、委員長にはそれがない。大きなハンデがある。

 となると……俺が前に出るほかなかった。

 百の槍を構え、大きく息を吐く。

 委員長の魔法のアイテム、メガネ。どういう効果なのかはわからないが、ビームを撃つことはわかっている。

 東山のレールガンに使った跳ね返す能力は使えない。委員長のビームは強い熱量を帯びている。受ける際の、こちらのダメージがハンパない。

 俺の武器は百の槍。今この場で、新たな能力を付与することもできるという能力付きだ。そのチートじみた能力を使って、委員長と戦うためには……

「っ!」

 俺の背中でレールガンを取り出した東山が、レールガンを構えたまま飛び出て撃つ。

 彼女はメガネを押さえたままビームを撃ち、空中で攻撃を撃ち落とす。

「く……」

 続けて撃たれるビームを、東山は地面を転がりながら避ける。屋上の金網が壊れ、その近くでいちゃついていたカップルが屋上から落ちそうになる。男のほうが手を伸ばして女の手を掴んでいい感じになっていたため、俺は男をそのまま屋上から蹴落としておいた。

「はあっ!」

 レールガンを正面から撃つ東山。それを、委員長は正面から迎え撃つ。

 ふたりの攻撃で空中で激しくぶつかり合い、爆発が起きる。

「うおっ……」

 俺はこういうこともあろうかとあらかじめ控えさせておいた水着姿のメイド隊のいるところまで吹っ飛んだ。ぽよんぽよんした感覚が俺を包み、「大丈夫ですかぁ?」と声をかけられる。俺は大丈夫へーきと言って立ち上がり、鼻血を拭いた。

「く……」

 正面からの撃ち合いの勝負は、委員長のほうが連射が早くて有利。東山は、途中で攻撃を避けるために移動せざるを得ない。

 単純なぶつかり合いでは不利。

 なにかないか、と俺は委員長の姿を見る。メガネビームによってメガネが熱くなっているなどの問題もなさそう。メガネのフレームに添えた指は、ずっとそのままだ。

 


 ……指を、添えたまま?

 俺はずっと、委員長がメガネを押さえ続けているのに気づいた。

 まさかとは思うが、その可能性に賭ける。百の槍を構え、俺は走り出した。

「東山、撃ち続けるんだ!」

 俺が叫ぶと、東山はレールガンを撃つ。迎え撃つ委員長はメガネに指を添えビーム。そのとき俺は、しゃがみこんで委員長の足元を見る。

 やはりそうだ。彼女の足には相当の力が入っている。このメガネビーム、相当の反発があるに違いない!

 俺は確信して、立ち上がる。そして、メガネビームを連射する彼女の横から、


 すっと、メガネを持ち上げた。


「あっ!」

 メガネに添えていた指が離れ、委員長の体がわずかに後ろによろめく。その間も、東山は最低限の感覚で攻撃を続ける。

「くっ!」

 なので委員長は攻撃を続けざるを得ない。が、少し気張っていた足が、ビームを撃つ度に揺らぐ。やがて、一歩、また一歩と後ろへ下がる。

 そして、屋上から落下防止に設けられた金網に背を預ける。が、その金網は壊れている。彼女が背を預けたまま、メガネビームを撃つと、

「っ!?」

 がしゃーん、と、金網が崩れた。委員長の体が浮く。そのまま、後ろ向きに、委員長の体は倒れていく。

「危ない!」

 俺はとっさに手を伸ばしていた。屋上から落ちかけた委員長の腕を掴む。

 委員長の体は、腕一本でぶら下がった。

「……どうして」

「どうしてとかそんなのないだろ! こんなところから落ちたら、ただじゃ済まないぞ!」

 俺は地面に落ちて泡を吹いているカップルを見て口にする。女のほうは無事で、周囲に助けを求めていた。ち。

「落としてたまるか……」

 そういう俺の体も、今は両足のつま先だけがかろうじて屋上にある形だ。委員長の腕を握った右腕に力を込めるが、うまく力が入らない。少しずつ、彼女の体は下がってゆく。

「なんでよ……私は、あなたを殺そうとしたのよ」

「知ったことか!」

 彼女の言葉に、俺はすぐさま返す。委員長が意外な顔をして、少し悔しそうに、唇を噛む。

「委員長、左手を伸ばすんだ。片手じゃあ……」

 俺は左手を伸ばして言う。が、彼女の左手はだらりと垂れ下がったままだ。

「……あなたも、どうせ私の本名なんて、覚えてないんでしょ」

 委員長は言う。

「みんな、私のことを委員長、委員長って……委員長じゃなかった一年の時だってそう。先生だって、授業中に私を指名するときも、委員長だとしか呼ばないんだから」

 彼女は俯くようにして口にする。

「私のことなんて、みんなどうだっていいの。地味な、メガネの、都合のいいときに都合のいいように使う、クラス委員長でしかないのよっ」

 委員長は、わずかに涙声だ。

「だから……このメガネに秘められた魔法の力で、私はこの世界を変えようとした。そうよ……私がメガネで目立つなら、世界の全員が、メガネになればいいのよ!」

 委員長が叫ぶ。

 彼女が、そんな切実な願いを持っているなんて。誰もが彼女のことを委員長と呼ぶ。クラスメイトも、隣のクラスの生徒も、先生ですらも。

 先輩も後輩も、みんなが彼女のことを委員長と呼んでいた。

 俺たちはそれが普通で、一種のあだ名のようなものだと思っていたのだが……それが、彼女を苦しめていたなんて。

「でも……それも叶わないって言うんなら、私はこの世界を去るわ。そして、お葬式では、『故 委員長 葬儀』って書かれることになるのよ。そうでしょ? 本名で書かれたところで、みんな、それが誰のことかわからないんだから」

 そう口にし、彼女は顔を上げて、俺の顔を見た。

「だから落として。あなたたちが委員長だって呼ぶなら、最後まで委員長でいてあげるわよ! 落としなさい!」

 言って、俺の拳を開こうと左手で俺の手を掴む。

 でも俺は、彼女を落とすことはできない。

 俺はまだ、彼女の素顔を見てはいない。



「離すもんか……南浜、海 (みなみはま うみ)っ!」



 

 俺は彼女の名前を叫んだ。委員長の……南浜の顔が、驚きに包まれる。

「お前は確かに見た感じ地味だし冗談通じなさそうだし、タイプで分類するとしたら間違いなく『委員長タイプ』というレッテルを貼られるタイプだ。でもそんなのなんだってんだ。いいじゃないか、委員長タイプ」

 俺は心にもないことで彼女を説得しようとする。

「委員長タイプだって様々なんだ。黒髪長髪美人タイプ委員長、裏の顔がある系委員長、実はちょっぴりエッチな委員長、ほかにもいろいろだ!」

 それでも彼女は俺の言葉ひとつひとつに聞き入っている。俺は迷わずに言葉を続ける。

「委員長タイプが嫌だって言うなら、自らその枠に入らないように努力すればいいだけだろ! 自分は委員長だからってそこであきらめて、それで終わりでいいのか! そんなんだったら、本当にお前は、最後の最後まで委員長になっちまうんだぞ!」

 委員長の目がまっすぐ俺を見つめる。地味な黒縁のメガネが、わずかに光った。

「でも……そんなの、どうやって」

「簡単だよ」

 俯くように言う南浜に俺はすぐさまそう答える。

 そう。簡単なこと。やろうと思えば、人はすぐ変わることだってできるはずなんだ。

「そのメガネを、俺に渡してくれ」

 俺は左手を伸ばして言う。

「でもそんなことをしたら……私、メガネがなかったら……十センチくらいしか見えない」

 どれだけ目が悪いのだろうか。

「大丈夫だ」

 俺は笑顔を見せて頷いた。

「俺が南浜の目になってやる」

 『百の槍』に力を込める。

「答えてくれ、『百の槍』!」

 まばゆい光を放ち、俺の声に答える百の槍。

 そう。百の槍に、新しい能力が付与された。

 槍の先から白い手袋のようなものがでてきて、俺の右のポケットをゴソゴソと漁る。そして、そこに入っていた俺のスマホを取り出すと、それを指先で操作して、俺の耳元へと当てた。

 俺は、近所にあったメガネ店に電話をかけていた。

 たちまち店員がやってきて、空中にぶら下がったままの南浜の視力を測る。

 そして、頼んでおいたイマドキ風の若者向け、赤くて細いフレームのメガネを取り出す。

 それに、彼女の視力に合うと思われるレンズを入れた。

「南浜。そんな地味なメガネは必要ない」

 そして、できあがったメガネを南浜に見せる。南浜は目を輝かせて、その、新しいメガネを見る。

「さあ」

 俺は言って、左手を伸ばす。最初はためらっていたが、南浜はおずおずと左手を伸ばし、俺は両手で彼女を掴んだ。

 そのまま、彼女の体を投げ飛ばすように屋上へ。南浜は空中で一回転して屋上に着地した。俺はそのまま屋上を飛び降りて、改めて階段から屋上へ。

 そして、彼女にメガネを渡そうとした。

 ゆっくりとした動作で、メガネを外す。外した状態だと本当に周りが見えないのか、彼女の手はどこかふわふわと浮いていた。そんな彼女の手に、メガネを置いてやる。

 彼女はそのメガネをかけた。たちまち、彼女の表情が明るくなる。

「……不思議よ。こんなにくっきりと世界が見えるなんてこと、なかった」

 彼女はそう言った。

「夏野くん、ありがとう……私、このメガネがあれば、きっと、もう一度前を向ける」

 俺は頷く。メガネ店の店員も、嬉しそうにうんうんと頷いている。

「それに名前……覚えてて、くれたんだ」

 俺の顔をまっすぐに見つめて彼女は言う。

 わずかに潤んだ瞳で、わずかに赤い顔で。

「当たり前じゃないか」

 俺は彼女の胸元の名札を指さして口にした。

「このメガネはもう、必要ないな」

 そして、受け取った魔法のメガネを示して言う。

 彼女はこくりと、小さく頷いた。

「よし」

 俺は声を上げる。

「魔法のメガネ、手に入れたぞ!」

 そして、メガネを掲げる。南浜は笑顔で頷いて、東山は大きく息を吐いた。

 これで、南浜も少し前向きになれるはずだ。魔法のアイテムなんてなくても、自分に自信を持てるはずだ。

 ちなみに彼女の素顔……メガネを外したときの顔の正直な感想として、まあ別に……というのが本音だった。というのも、見えないせいでメガネを外すと目を細めるという癖があるらしく、正直なところ表情が怖かったというのが本音だ。

 なので赤い縁のメガネはちょっと雰囲気も変わって、似合っていると思う。できれば、そのまま外さないでいてほしいものだ。



「へえ……委員長ちゃんリタイアしたんだ」



 声が聞こえ、東山がレールガンを構えた。俺と南浜も、声のしたほうへ視線を向ける。

 屋上の扉の裏に背を預け、腕を組んでいた人物がゆっくりと、扉から離れ、こちらを向く。

 その顔には見覚えがあった。昨日、図書室で偶然にも会話をした、隣のクラスの女の子。

「西村 冥っ!?」

 東山が叫んだ。彼女は――西村 冥は、ふふふと小さく笑みを浮かべ、こちらへと一歩、足を進める。

「委員長ちゃんも厄介だったからなあ。倒してくれて嬉しいよ。えっと、夏野、大地くんだっけ?」

 昨日見せた人懐っこい笑顔ではなく、不適な笑みを浮かべて彼女は言う。

「っ!」

 東山が動いた。わずかにレールガンを持ち上げ、彼女へと向ける。



 一瞬だった。西村が少し身を屈め、一瞬のうちに東山との間合いを詰める。屋上の入り口からはもっとも近い場所にいたとはいえ、距離は十数メートルはあった。その距離をあっという間に縮め、レールガンを下から拳で叩く。東山の腕ごとレールガンは持ち上がり、そして、今度は西村の、振りかぶった右の拳がレールガンへとぶつかる。

 それだけで、東山の体は屋上のぎりぎりまで弾け飛んでいた。

「なっ……」

 百の槍を構えようとするも、構える前に彼女は俺の手を取る。そのままぐるりと腕をねじり、俺の背へ回る。腕は押さえられたままだ。

「ちくしょう!」

 俺は右腕を丸ごと外して西村の拘束から逃れる。西村は『ハズレ!』と書かれている俺の右腕を投げ捨てる。その隙に槍を構えようとするが、向こうが動くほうが早かった。

 至近距離まで接近し、腹に一発。彼女の拳が見事に入った。

「がっ……」

 声が出る。そのあとも、あごへ軽いアッパー、わき腹へ回し蹴り、胸板をつんつんと指でつついて、ひざの裏を蹴って自由を奪う。上腕二頭筋の厚さをメジャーで測って、俺のあごを蹴りあげ、最後に腹筋をさわさわと触ってから、勢いをつけた回し蹴りで俺の体は吹き飛んだ。

「ぐうっ!」

 俺の体は再び水着メイド隊の中に飛び込む。ぽよんぽよんの感覚が俺を包み、俺の顔は鼻血で真っ赤に染まった。

「っ……」

 魔法のメガネを失った南浜は戦う術を持たず、わずかに後退するだけ。そんな南浜を西村は一瞥してから、こちらへと視線を向けた。

「くそ、いきなりなんだってんだ」

 俺は立ち上がって槍を構える。が、同じくメイド隊に介抱されていた東山が立ち上がって、俺を手で制した。

「無理よ……彼女は、今回の戦い、おそらく最強の相手。今のあなたに、かなう相手じゃない」

 東山は悔しそうに言う。

「なんだよそれ……」

 痛む腹を押さえながら、西村の顔を見上げる。

 最強の相手。そう呼ばれた彼女は、それを肯定することも否定することもない。ただ、当然とでも言うように、ふふ、と小さく笑みを浮かべた。

「彼女の能力……それは『狂獣変化』。自らの体を変身させる、そんな魔法のアイテムの持ち主よ」

 東山は言う。西村の首に下がったペンダントが、その通りだとでも言うように小さく揺れた。

「『狂獣変化』……?」

 ものすごい響きの言葉だ。

「彼女がその能力を使ったら、あなたは絶対に勝てない。それどころか、傷一つ負わせることができなくなるわ。だから逃げて」

 東山はレールガンを構えて言う。

 そこまですごいのか?

 魔法を使わない、ただの格闘術でこんなにも痛めつけられたというのに、まだ上があるというのか。

 俺の体は恐怖に震えた。

「ふふふ、わかってるね、東山ちゃん。その通りだよん」

 西村は言う。

「委員長ちゃんがいないなら二人で襲ってきても、負ける気はしないかな」

 その余裕の笑みですらも、俺は恐怖を感じるほかなかった。

「でもあいにく。今日は、ただちょっと自己紹介に来ただけだから」

 西村はそう言って、構えを解く。東山も、わずかに驚きの表情を浮かべた。

「今すぐこの場であなたたちを倒してもいいけど……それじゃあつまんないからねん」

 そう言って、ふふふと笑って背を向ける。その笑顔は先ほどの不適な笑みとは違う、無邪気な笑みだった。

「あなたと戦うの、楽しみにしておくからね」

 振り返って、俺の顔を見てそう言った。そう言い、後ろに手を組んだまま弾むように屋上から去る。彼女の背中が見えなくなると、俺は大きく息を吐いた。

「……助かったわ」

 東山も同じで、大きく息を吐く。彼女の神妙な面持ちを見ると、よほど彼女――西村が凶悪な存在だということがわかる。

「夏野くん、彼女が本気になったら……きっと、手出しできないわよ」

 南浜もそう言って、俺を見る。

 この戦いに参加していて、しかも、俺は南浜のアイテムも手にいれている。

 すなわち俺が持っている魔法のアイテムはふたつ。だとしたら、これからほかの魔法使いの標的になるのも当然だろう。

 東山、南浜、そして西村。俺を含め、俺が知っている魔法使いは四人。

 あと三人いる。その事実が、俺の胸に重くのしかかっていた。それが誰なのか、それは俺も知らない。

「東山、あと三人の魔法使いは誰か、知っているのか?」

 俺は東山のほうへと向いた。

「……いいえ。西村さんに関しては知っていたけど、委員長が魔法使いだったというのも知らなかった」

 東山は言う。

「そうか……」

 腹いせに俺はメイド隊のひとりの水着を脱がそうとしながら口にする。すんでのところで逃げられた。

「心配しなくてもいいわよ」

 東山は俺の背中を蹴りとばして言う。

「きっと、向こうから接触してくるわ」

 彼女はそう言った。

 確かにそうだ。俺が百の槍、魔法のメガネを持っている限り、きっと、向こうから接触してくるはずだ。

 だから慌てる必要はないと思った。ちなみにそのとき俺は、蹴り飛ばされた衝撃があまりにも強く、金網も壊れていたので、屋上から落下中だった。

 慌てる必要はない。

 俺は両手両足をばたばたと動かしながらそう口にした。


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