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家に家族はいない。親父は仕事の拠点を海外に持っていて、ほとんど帰ってくることはない。お袋も一緒だ。上の姉は年が離れていて、すでに結婚している。
なので今は、ひとりで暮らすには広すぎる家にひとりで住んでいるという状況だ。寂しいときもあるが、なんというか、もう慣れてしまった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」と挨拶するメイドに鞄を預け、ソファーに腰掛けて大きく息を吐く。たちまち他のメイドが俺の肩やら足やらを揉んでくれる。
「なんだったんだろうな、今日は」
足を揉んでいたメイドの手が上がってきて、ふとももを撫でているときにそう口にした。
シャワーでも浴びるかと思い、立ち上がる。「もうちょっとだったのにぃ」というメイドの言葉が耳に届いた。
その後も一緒に入ろうとか背中を流してあげるとか言われたが断り、ひとりで家の脱衣所へ。服を脱ぐと、思っていたよりも自分が汗をかいているのに気づく。
「そりゃそうだよな……」
訳の分からないことが起きたのだ汗だってかく。なぜか脱衣所に控えていたさっきのメイドに脱いだシャツを預け、そのまま風呂場へ。メイドはシャツを抱きしめてぴょんぴょんと飛び跳ね、くんかくんかと匂いをかいでいた。
湯船にはすでに誰かが入っている。悲鳴を上げそうになった彼女の口を押さえ、俺はゆっくりと湯に浸かった。
息を吐いて、思い出す。突然の転校生、そして、その転校生に襲われたこと、クラス委員長、『百の槍』。
なにがなんだかわからないが、委員長や転校生が言ったことをまとめてみると、七人の魔法使いが、魔法のアイテムを使って戦う、という、その単純明快なルールはなんとなく理解できる。
「問題は、なぜ、ってことだよな」
俺はそう呟いた。
「なぜもなにもないわ。あなたにはその力がある、ということよ」
「おわっ!」
いきなり正面から声が聞こえて俺は驚いた。
「ててて転校生!?」
よく見ると目の前にいたのは紛れもなく転校生だ。
「ど、どうやってウチに入ったんだよ!」
「普通にインターホンを鳴らして、よ」
笑いながら言う。こいつ、まさか鍵を開けたりしたのだろうか。
「……俺を、殺しにきたのか?」
少し声音を変えて言う。転校生は少し赤くなった顔で体を隠しながら、
「……だったら、どうする?」
小さく口にした。
一瞬の間。そして、俺たちは同時に動いた。
両手に青い光を伴わせ、例の巨大な銃を取り出す転校生と、棚からシャンプーを引っ張りだして彼女の目元にぷしゅっと飛ばす俺と。銃を取り出す前に彼女は猛烈な目の痛みを訴え、俺はシャワーを伸ばして彼女の目を洗ってやった。
「はっきり言うわ。その槍を手にしている以上、あたしはあなたを倒せる気がしない」
半泣きで言う彼女が目を洗っている間に俺は玄関に置いておいた槍を手に戻ってきた。
「『百の槍』の能力――それは、『百通りの特殊能力を後に付与することのできる能力』よ。レールガンを反射する能力がある以上、あなたに致命傷を与えることはできない」
彼女が口にすることを、俺は知らなかった。しかし、なんとなく、そういうものだとわかっていた。
それが、『百の槍』の力だ。百の能力を、後に付随させることができる。たとえば、先ほど俺が使った能力は、『相手の攻撃を弾き返す能力』だ。ただし、これは転校生の武器、レールガンとやらに向かって使った力なので、ほかの武器に通じるかどうかはわからない。現に、委員長のレーザーは弾き返すという仮定の中で、熱量を受けてしまうという欠点が明るみになった。あのまま受け続ければ、俺の体は見事なバーベキューになっていただろう。あくまで『弾き返す』、つまりは『受けて、返す』ということだ。
「百種類の能力が使えるとか、チートじゃないか」
脱衣所で体を拭きながら言う。転校生の体を拭いてやろうと手を伸ばすと悲鳴を上げられた。
「確かにそうだけど、欠点もある。『百の槍』はあくまで、物理的な干渉しかできないわ。魔法使い同士の戦いにおいては、非常に大きな欠点ね」
「物理的な干渉……?」
言いながら、俺は三角形の小さな布を拾い上げる。転校生が真っ赤な顔で俺の手からその布を取り上げた。
「簡単に言うと、『槍の届く位置にしか攻撃できない』ということ」
「ああ、そういうことか」
俺はもうひとつ置いてあった見慣れない形の下着を手にしようとするが、驚きの早さで転校生はそれを奪い取り、俺に背を向けてそれなりに大きさのある胸元にかぶせた。
「で、これはなんの戦いなんだ」
服を着て居間に戻り、ソファーに座って俺は尋ねる。
転校生はそれには答えず、近くに置いてあった雑誌を手にとって、
「あなた、ご両親はいないの」
関係ないことを聞かれる。
「海外で仕事してるんだよ。ついこの間も、でっかいダイヤを見つけたってはしゃいでた」
息を吐いて言う。転校生は「そう」と口にして、開かれた雑誌をそのままテーブルの上に置く。そこには『世紀の大泥棒、特大ダイヤを奪って逃走!』と記事が載っていた。
「寂しくないの、こんな広い家で」
転校生は言う。確かに俺の住んでいるこの家は、周りの家と比べても広い。まあ、両親がそれこそ、普通ではあまり考えられない仕事をしているらしく、正直俺は恵まれているほうなのだろう。
それでも、両親が家にいないことに代わりはない。顔が見たくなることもあるが、そんなに会う機会はない。
「寂しくなんてないよ」
俺は両サイドに座るメイドの肩に手を回しながら答える。
周りから見れば強がりに見えるだろうか。それでも、それが俺の答えだ。もともと両親のうちどちらかは家を空けることが多く、両親が揃ってウチにいることなんてほとんどなかったから。
「……この、戦いは」
じっと俺を見つめていた転校生が口を開く。
「七人の魔法使いが、魔法の力を持ったアイテムを奪い合う戦いよ」
それは先ほどの俺の質問の答えなのだ。俺はメイドの肩から手を離し、身を乗り出すようにして彼女の話を聞く。
「そして、その勝者はマジシャン・オブ・マジシャンの称号を得て、願いごとをひとつだけ叶えられるの」
委員長と遭遇したときの言葉を繰り返す。
「それは、どういうことなんだ、願いっていうのは」
気になったので聞くが、
「それは、わからないわ」
彼女はそのように言う。
「そういうことができる、って聞いただけで、実際に、どの程度の願いごとなら叶うのかとか、そういうのはあたしにはわからない」
そうなのか、と口を動かす。
「魔法使いとか称号とか、願いごととか……そんなこと言われても、なんのことだかって感じなんだよな。つかなんであの学校でなんだよ」
続けて口にした言葉に、転校生は息を吐いた。
「そもそもあの学校は、普通の学校とは違うわ。公には隠されているけど、あの学校は、魔法使いの養成学校なの。その学校に隠されている魔法のアイテムのうち、七つに特別な力が秘められて、魔法使い同士の戦いが行われるのよ」
「ま、魔法使いの養成学校……?」
彼女はこくりと頷く。こくりと頷いて、彼女はテレビの前のゲーム機のコントローラーを握った。
「待て、待ってくれ」
画面の中の、転校生が運転する車を追いかけながら俺は言う。
「あの学校は、ただの普通の進学校だぞ?」
そう言って俺は赤い甲羅を飛ばす。
飛ばした赤い甲羅が彼女の車を直撃し、その衝撃で彼女の車はコースを外れた。
「ま、普通の生徒はそういう認識よね」
彼女はぐぎぎと悔しそうな表情で口にする。彼女がコースに戻る横を、俺はドヤ顔で通り抜けた。
「でも、これが事実よ。あの学校は、魔法使いの養成学校。そして、なぜかあなたはその事実を知らずに、この戦いに巻き込まれた」
怒り狂った彼女が緑色の甲羅をいくつも飛ばす。が、俺はそのコースを見極め、それらを全て避けて見せた。
「降りる?」
あかんべーをしている俺に向かって彼女は言う。
「先に言っておくけど、その槍をあたしに渡してくれれば、他の魔法使いから襲われることはなくなる。言っておくけど、魔法使い同士の戦いは、下手したら本当に殺し合いになるわよ」
そうやって油断していると、コンピューターのキャラが落としていったバナナの皮を踏んでしまった。俺の車がくるくるとスピンする。くそう、ゴリラめ。
「………………」
いきなりそんなことを言われても、さっぱり状況を理解できない。
とりあえずは、ニヤニヤしながら俺の横を通り抜けた彼女の車を追いかける。
「その話をしに、ここに来たわけじゃないだろう?」
なので、ちょっと揺さぶってみることにする。彼女の視線が、わずかにこちらに向いた。
「俺から平和的に槍を奪う必要は、あんたにはないはずだ。俺が風呂に入ってたり、寝てたりするところを襲えばいい」
「………………」
彼女は微妙な表情をしている。どうしたものかと後ろを向くと、メイドのひとりがウチのセキュリティシステムの映像を見せてくれた。どうやら彼女は、侵入しようとして失敗したらしい。
「そ、その通りよ。察しがいいわね」
慌てた様子で彼女が言う。
「あたしは、あなたを襲いに来たわけじゃない。挨拶にしに来たわけでも、まして、遊びに来たわけでもないわ」
カーブに合わせ、コントローラーと一緒に体を傾けながら彼女は言った。
「協力できないか、と思ってね」
最後に俺の車を無敵状態で跳ね飛ばしながら、彼女はそう口にした。
「……協力?」
そのおかげで最下位だ。俺はがっくりとうなだれる。
「ええ。協力よ。正直、不本意だけど」
両手をあげて喜んでいる彼女が言う。
「あなたの槍には、あたしのレールガンを防ぐ能力もある。つまり、あたしからすればあなたを倒すのは正直、骨なの。でも、あなたはなにも知らない。だから、よ。どう、少しのあいだ、協力して、一緒に戦わない?」
にししし、と笑いながら彼女は言う。
なるほどそういうことか。
七人の魔法使いうんぬんに関して、俺はなにも知らない。それをフォローしてくれる代わりに、協力しろ、と。そういうことか。
はっきり言えば、ありがたい申し出だった。俺は本当になにも知らない。殺し合いになるかもしれない戦いで、知識がないというのは致命的だ。彼女はこの戦いに詳しそうだし、仲間になっておいて損はないと思う。
――が、俺が考えることはそこじゃない。
この戦い自体に、俺が本当に参戦していいのかどうかだ。
なぜ、俺が、魔法使いでもない俺が、この戦いに参戦しているのか。どうして、巻き込まれたのか。
その答えは、もちろん彼女に聞いたところでわからないだろう。なら、誰に聞けばいいのか。
試しに後ろでレースを見ていたメイドのひとりに聞いたが、「わかんないですよぅ。それよりも、今日は一緒に寝ましょうねっ」との声が返ってきた。俺は親指を立てる。
「なるほどね。迷っているわけ」
メイドたちが「今日は誰が一緒に寝るか」でケンカを始めた後ろで、転校生が言う。
「あなたが知りたいのはなに、理由?」
俺の心を見透かしたように口にする。俺は小さく頷いた。
「あたしとしても、どうして魔法使いでもない、それどころか、存在すら知らなかったあなたが選ばれたのかわからないわ。実を言うと、興味深い。それが、あなたの元に訪れた理由よ」
セキュリティシステムを掲げたメイドの前に立って彼女は言う。
「多分、あなたはこの戦いに巻き込まれた理由がある。それがいつ明らかになるかはわからないわ。でも……参加してみる、っていうのも手じゃない?」
ふふ、と笑いながら口にする。
その甘美なはずの誘惑は、非常に危険なものだ。殺し合いに巻き込まれ、どうなるかもわからない。それを、こんな簡単に、彼女は誘ってくる。
断るべきか。乗るべきか。
答えは出ない。今日はどのメイドが俺のベッドに入ってくるかも、結論が出ない。
それでも――彼女の笑みの理由も、もっともだ。
楽しそうだから。
そんな不純な理由が、俺の心の中に確かにあった。
俺のすぐ近くにある、『百の槍』が、わずかに光を放った。
俺がそういう選択をすることを、まるでわかっていたみたいに。
だから、俺は。
頷いた。