過剰な過小評価のゆえ
年齢を聞いたところ、案の定俺より一つ下で親近感がわく。
別段年齢が離れている人は苦手だ、なんてことはなくて、むしろ上下関係がハッキリしている分年齢は離れていた方が気は楽である。
今は数分ほど沈黙が続いている。
女は何を考えているのだろうか。何を思って、何を願っているのだろうか。
それは、神様になら分かるのだろうか。
なら、俺の将来の夢は神様だ。
かろうじて雨は止んだが、まだ空は十割十分十厘雲に覆われている。その上、何処もかしこも人間の腹の内みたくドス黒い。
この分では、いつまた雨に降られることになるのやら分かったもんじゃない。
折角風呂に入ったばかりだというのに、それは勘弁してほしい。
塗装の剥げたコンクリートの地面が、憂鬱そうに俺と女の靴を受け止める。
「もうすぐです、私の家」
俺の顔なんて一切見ずにそう言う女は、きっともう既に瞳の奥に、我が家を映しているのだろう。
両親の死体が有る我が家。
俺だったら二度と帰らない、帰れない。
出会い知り合ってからまだ数時間。
なのに、俺はこの女から何十年分もの経験を見せつけられている気がする。
まだ俺の方が一年間長く生きているというのに、情けない話だ。
「あれか」
見えてきたのは、農家だった。
狭い畑も見えるが、荒れ果てていて作物なんて育ちそうにもない。
木でできた家屋は、俺の家に引けを取らないほどにボロボロだ。
家の前に立つ。
隣の女の様子を見ようと思った。
が、女の背負ったあらゆるものの大きさを想像すると、首は愚か、眼球すらそちら側に向こうとしない。
悲しみ、それは勿論感じ取れる。
しかしそれだけじゃない、全く別の種類の何か、大きな負の感情……。
いや分からない。分かったとしたら明日から俺は神様だ。
「浄化屋さん」
そう呼びかけられると、否が応でも向こうとしなかった全神経が、いとも簡単に、いや反射的に向いた。
……向かされた、が一番正しいか。
しかしそこにいるのは、恐るるに足らない品行方正な少女だ。
無言という返事を返す。
「父と母はもう死んでいます。これは娘としてのわがままです。どうか、父と母の姿は見ず、この場から浄化をお願いできませんか」
何故だ、とは言い返さない。理由は分かり切っているからだ。
いや、両親が死んでいない俺は、死んでいる奴の気持ちは分かっちゃいけないか。
でも、想像はつく。
「構わんさ」
いつも、死体との距離なんか意識したこともない。
恐らく、対象を意識すれば浄化はできるはずだ。
辺りが刹那、稲光に染まる。
十秒ほどすると、遠方から雷声が聞こえてきた。
「雨、降りそうですね」
「悪いが、さっさと済まさせてもらう。また濡れるのは勘弁だ」
そう言うと、女は笑う。
この女は強いと改めて思った。
右手に掴んでいた杖、それを左手に持ち変える。
特に意味はないが、普段から浄化するときは左手で、が習慣になっていた。
杖の先の輪が光を放ち始めて、死体を吸い込む。
輪を通ると死体は光の球になって空に舞う。
通常ならこれで終了なはずだ。
だが、今は杖の輪は一瞬光って消えた。つまり浄化できなかったのだ。
「ん……?」
もう一度、今度は少し力んだ。
すると杖は今ほどよりは長く強く光ったが、やはり途中で消えてしまう。
「やっぱり……姿を見ないとできませんか?」
少し考える。
けど、答えは簡単だった。
「光るってことはできるってことだ。できないのならそもそも光らない、と思う」
本音は、やるしかない、だ。
今度は杖を両手で杖を握り潰すように握り、腹筋に、背筋に力を入れて、脚にも足にも、つまりは全身にあるだけの力を注いだ。
すると今度は、数秒、じわじわと光る。
そして、瞬間、ストッパーが外れたかのようにギュンッと死体が輪に吸い込まれ、大きな三つの光の球になった。
光の球が空に消えると、どっと体が怠くなる。
疲れて……いや、今起こったことのおかしさに言葉が出ないその上指さえ動かない。
脳が解釈を焦っているから、他に回す余力がないのだろう。
「ありがとうございました」
女は礼を言う。
しかし返さない。
「おかしい……何が……?」
返してもらう気のない独り言だ。だが、女はそんな独り言にも反応してくれる。
「何かあったんですか?」
恐る恐る聞いてくる。が、返さない。
普段の浄化の様子を知らないこの女に普段の浄化との違いを説明しても、それを理解するのは無理難題もいいところだ。
大きい光の球が三つ……。
普段は一つの死体を浄化すると、小さい光の球が無数に空に舞うはずだ。
今まで大きい光の球だったことはない。
それに、『三つ』とはなんだ。今、浄化したのは『二人』だったはずだ。
いや、全部姿を見ていないからもしや、と推論は立てられるが、したくない。
普段と違う条件を捜せ……。
姿を見ていないこと。
それだけ?
それだけだ。
ふっ、と、嫌な考えが脳裏をよぎる。
やはりそうなのかと、滅入る。
「なあ」
「……はい」
女は、妙に落ち着いている。
「玄関……覗いてもいいか」
返事は帰ってこなかった。
了解と受け止めて、玄関の戸を開ける。
真実の扉は、思いの外すんなり開いた。
そこには、女ものの『チャチ』な靴が一足、男ものの『チャチ』な靴が一足、男ものの『高そう』な靴が一足あった。
この状況から考えられる事柄のパターンは多くはない。
「今から言うこと、当たってたら素直に認めてくれ、それで怒ったりはしない」
俺の問いかけに、女は泣きそうな顔で頷く。
女を泣かせた俺は、男失格だろうか。
今から人の家の事情についての推理を、自慢気に重苦しく披露しようとしている俺は、人間失格だろうか。
今俺は、人を容易に殺せることを理解できたら、神様になれるだろうか。
「お前の家は貧乏だと言ったな。多分税金は払えていなかったんだろう?そして、この良い靴は税金を取り立てに来た役人かその類の人物、まあそんなところだろ。
そしてその役人はお前ら家族に何をしたか俺には想像も出来ないが、住み込みで嫌がらせをしていた。違うか?
ついにお前の両親はそんな生活から、娘だけでも逃がした。そして今日、今に至ると。
だから、両親も役人も、『実は生きてた』んだろ」
推論の展開終了。
完全な憶測だから全くの見当違いかもしれないが、何故か間違う気がしない。
一言、それは違うと言ってくれれば俺も気が楽なのに、そう言ってくれる気がしない。
「大体合ってます」
決まりだ。俺のこの能力は、『生きている人間でも、無理矢理あの世へ連れて行ける』能力だ。
浄化なんかじゃ全くない。
悪魔の能力だ。
神様になんて、なれない。
「でも、少し違います」
一息おく。
「私は、逃がされたわけじゃありません。自分の意思で逃げました」
性根が腐ってる俺は、辛辣な言葉を投げつける。
「それで、可哀想な両親をいっそ殺してあげよう、と」
「両親は、度重なる嫌がらせに、気が狂いました。あれでは放っておいても、私が介抱しても、数日もたずに死にます。だったら、そうするのが正解……ですよね?」
乳臭い餓鬼の悪戯がバレたときよろしく懇願するような表情で同意を求める。
俺に聞くな、とでも言ってやりたい。
けれども、そんなに俺の口は良い子じゃいられない。
「じゃあなんだ……俺はこの歳で他人に利用され人殺しにさせられちまったのか?」
その顔は崩れない。
「そんなことなら殺し屋にでも頼めよぉ!! なんで俺なんだよぉ! ふっざけんな……こんなことってありか? なあ、アンタならどうだと思う! 自らの手で人を殺す気分はぁ!」
他人を殺す、よりも、親を目の前で殺される方がよっぽど悲しく苦しく重いなんてことは分かっているはずなのに、滑り出した唇は止まらない。
しかし何を言っても女は無言を貫き通す。
気が狂いそうだ。
願い念じれば、生きている人間を無理やりあの世へ連れて行く能力。そんなことができてしまう自分に気持ち悪さを感じる。
ふいに稲光。次いで雷声が間髪入れずに鳴る。
俺と女の真上で落ちた規模の大きい雷は、俺の口を止めるには余りがでそうなほどに強大だ。
おまけみたいな雨も降り始める。
おかげで頭は冷えた。結局濡れてしまったが、先よりマシだ。
「悪い、取り乱した」
「いえ……」
土の地面は雨粒を吸って思い思いのまま泥と化していく。安全地帯は俺と女の靴の下敷きになっている土だけ。
その図はまるで、嫌なことが回避されても結局別の嫌なことが降りかかってくるこの世の理不尽さにそっくりだ。
「とりあえず私の家に入りましょう」
鶴の一声だ。