依頼
「じゃあ、さっきの話、もう少し詳しく話してくれ」
どう見ても独りで飯を食べる人用に作られたちゃぶ台を挟んで、客人を座らせた。
片肘をついて偉そうにする俺と、姿勢正しく正座する女を客観的に見比べると、育ちの差なんてものが感じられる。きっと、その死んだ両親ってのは大層立派な人物だったのだろう。
振り返れば俺の親は、人情は溢れていたがろくでもなかった。
「はい」
まるで声にした言葉が形になっって発射されているみたいな、そんな錯覚さえしてしまうほどハキハキとした話し方。
ボソボソとした、いつも湿っている俺の話し方とは大違いだ。
「とは言っても、先ほど言ったこと以上に詳しいことなんてないんですけどね」
女は少し瞳を下げた。きっとあまり良い思い出ではないんだろう。そりゃそうか、死んだのは血のつながった両親だ。
俺は両親が死んでいないから気付かなかったが、両親が死んだのならもっと暗い顔をしていてもおかしくない。
女の愛想は、少なくとも俺の比じゃないくらいには良い。
単に精神がとても強いのか、あるいは悲しい気持ちも風化してしまうほどに死から時間が経ったのか。
後者だったら気が滅入る。もしそうだったら、確実に夫婦の死体は腐敗がかなり進んでいるはずだ。
元は人間でも、完全に腐ってしまった死体は、もはや人間と呼んではいけない気がしてしまう。
「随分突っ込んだ質問をする、から、答えたくなかったら黙っててくれ」
女は、下げた瞳を俺に向け、そして首を少し傾げる。一度まばたきをしてしまえば、どれだけ傾げたのかも分からなくなりそうな程に、少しだけ。
だが、まばたきはしない。こんな質問、まばたきしながらなんて失礼だろうから。
「両親は、いつ死んだ」
女の瞳がまた下がる。案の定、帰ってきたのは沈黙だ。
もう大丈夫だ。と言おうと口を開くと、驚くことに女の声にそれを制される。
「三日前です。うちは貧乏だから、栄養失調で……」
「両親ともに、か?」
「あっ、いや……」
そんなに言いづらいことなら黙っていればよかったのに。とは言わない。こんな俺を頼ってくれた人の言葉は、何があってもさえぎらない。
だから。
「ゆっくりでいい」
なんて言ってしまう俺を褒めた後にぶん殴りたくなってしまう。
「ありがとうございます」
そして女は一息ついて
「まずは父親が死んだんです」
と、子供に聞かせる昔話みたいに落ち着いた声音で語り始める。
合いの手は挟まない。語り終えるまで黙り込む決意をする。
「私、すごい悲しみました。でも、泣きません。だって母が泣かないんですもん、我慢なんかしちゃって。だから私も我慢しました。偉いでしょう?」
ふふ、と笑いながら問いかけてきた女に、極力穏やかな顔を返す。
「でも、その夜」
女の顔が一変する。
「母の……お母さんの泣き声が聞こえたんです。お風呂場から。あと……『ごめんね』なんて言葉も。きっと、お父さんに向けての言葉なんだって思いました。そんなの聞いちゃったら、私だって、泣きそうになって……だからその場から走るように離れたんです」
途中から、父、母じゃなくて、お父さん、お母さんに変わっていた。多分、両親のことを思い出しているうちに、慣れ親しんだ呼び方を思い出してしまったんだろう。
「でも、それがいけませんでした。お母さん、湯船のなかで舌を噛み切って自殺していたんです」
大方、途中からは予想がついていた。
「私も……悪いのかもしれません。だって、あの時お母さんのもとに駆けていれば、止められたかもしれないのに。そう後悔しているときに気付いたんです。もしかして、あの『ごめんね』は私にも向けていた言葉だったんじゃないか……って」
次の言葉を待つ。
「はいっ、これで私の悲しい過去のお話はこれでおしまいです。オチが変なところでごめんなさい」
そう、女は照れ笑う。
「そんな話にオチなんて要らない。話してくれてありがとう」
一年前の俺なら、もう少し愛想よく礼を言えたかもしれない。だが、今の俺には限界だ。
ちゃぶ台に乗せていた肘を浮かせ、代わりに手のひらを乗せる。それを支えに、どっこいしょ、なんて古臭い掛け声で立ち上がると、女はクスリと笑う。
この言葉をなめないでいただきたい。案外力が入りやすくなるんだ。
「さて、行こうか」
風呂場の前の桶に入れっぱなしの『正装』なるコートを取りに向かう。
「あ、あの。いくら……ですか?」
「何がだ」
「報酬といいますか……料金といいますか……」
金勘定の話は好きじゃない。ましてや得意なんかじゃあない。
「要らんよ。今までだって依頼金は受け取ったことなんてないからな」
あんな話を聞いたら払えなんて言えない。それに、ここで無償で受ければ神様からも好印象だろう。
でも、依頼金をもらったことがないなんて言い方で、さも今までも数々の依頼を受けてきたかのように言って見栄を張ったから、プラマイゼロかもしれない。
「見返りも求めず、人のために働けるなんて、かっこいいです」
こっ恥ずかしくて、その言葉には返事ができなかった。
コートを手に取る。今のところ、寒そうだからとこのコートを女に貸してやる予定はない。
「俺は寒がりなんだ」
そう小さくつぶやくと、女がこちらをちらりと見る。何食わぬ顔をすると、女は気のせいなんだと思い込んでくれたようだ。
「じゃあ、忘れ物はないか」
すると女は笑顔でこちらを向く。
「お名前、教えてくれませんか?」
少し呆気にとられる。確かに聞くべきだとは思うが、それは忘れ物ではない。
少し、意地悪をしたくなった。
「浄化屋、とでも呼んでくれ」
女は不服そうだ。
「人に聞いたからには、自分も名乗るべきだ。なまえは?」
数秒黙り込む。ただし、その数秒は全然苦痛な沈黙ではなかった。むしろ心地よかったかもしれない。
「お客様、とでも呼んでください」
「嫌だ」
即答する。
「じゃあお客さんでいいですよう」
頬を膨らませて、あざとく俺から目を背ける。
どうやらそれ以上の妥協点はないらしい。
「分かったよ。お・きゃ・く・さ・ま」
「なんかその言い方嫌です」
かくして、俺は初めて依頼という形で仕事をすることになった。
恐らく傷心中の女を巧みな話術で和ませた、という点に関しては神様にも褒めてもらいたい。
もう味わうことはないと思っていた人のぬくもりを感じられたのは、この仕事を始めてから一番嬉しかった出来事になると思う。
もしかしたら俺は、この女に惹かれたのかもしれない。