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髪の濡れた少年、心の濡れた少女。

全く。髪の水分を飛ばすのを忘れていた。


脳天から、冷えた風が身体を一直線に通り抜けていくような感覚を覚える。


ああ、神様。どうか今までの善行に免じて俺の髪を乾かしてはくれまいか。


なんて願いが叶うことなんてないことを、俺は知っている。


神様はいつも。いつも必ず、思っても願ってもないことは叶えるくせ、肝心の願っていることは叶えてはくれない。


全く、とんだ捻くれ者だ。


だったら、そんな神様を信じている俺だって捻くれ者だろう。いや、信じたから捻くれさせられたんだ。今日いまこの瞬間に、そう思い込むことを決意した。


いやあ、責任転嫁をするのは実に肩が軽くなって良い。


その軽くなった肩を支点に、右手がドアの取っ手を掴むと、視界に映るこのドアのみすぼらしさに改めて気付かされる。


ドア、というよりは家だ。


家庭用電子機器が一般家庭に普及し始めるよりもずっと前に建てられたこの家は、何処もかしこも正拳突き一つで穴が空きそうで不安になる。


取っ手を取った右手をスライドさせる。ようやくの御対面、そこにいたのは女、ということは分かったが、思いのほか若く、そのことに驚いて他に目が行かなくなる。


「どっ、どうも。お取り込み中すいませんでした……」


「……」


数秒、間が空いた。


別段、一目惚れしたなんて話ではない。


この数ヶ月、声を出すと耳から、というよりは脳に直接届いているような自分の声しか聞いていなかったので、久しい他人の肉声が妙に全身に染みたのだ。


「あの……っ……?」


その声がまだ胃袋の中を駆け巡っている俺は、固まっていた。もちろん女は困惑している。悪いが、まだ体の緊張が解けない。


瞬間、少しの冷たさが素足に感じられる。雨粒が、地を跳ねてきたものだ。


おかげでようやく体が自由になった。


「ああ、悪い。寒いからとりあえず中に入ってくれ」


「いやっ、そんな……悪いです」


俺は嘘はつかないのが性分だ。


「そんなつもりじゃない。ただ、俺が寒いから」


女は不思議そうな顔をしてから、クスっと笑った。全く悪意の感じられない笑いに、少しだけ気を許してもいい気がした。


そもそも、ただの客人と気を許すほどに関係が続くとも思えないが。


「あの、玄関でいいです……」


無理強いする必要も皆無だったので、ぶっきらぼうな返事を返した。


しばらくの沈黙が続いたから、次に継がせる言葉を懸命に脳で紡ぐ。


15歳までの学校での学習が基となる脳内辞典を捲る。見た目は広辞苑ほどに立派なくせして、中身は白紙のオンパレードだ。


上っ面だけの見栄っ張り。今の俺に、その言葉だけは言い返せない。


「なんの用で?」


かなり沈黙して、かなり脳を働かせたはずだったのに、出た言葉がこれだ。


いいや、むしろこれで良い。何事においても、自分の行動や言動に不安になるのは俺の悪い癖だ。


「ええっとですね……」


女が両の手のひらを胸の前で合わせる。それによって嫌でも胸に目がいく。


サイズは特に言うべくことはなく、成人女性並、普通だろう。と、一瞬は思った。


だが、目の前の女はきっと俺より年下、あっても同い年。15.6歳の女の平均からすれば、きっと大きい方なのだろう。


ただし興奮はしない。


素っ裸な女の死体なんて今まで幾度となく見てきた。大方、強姦の末、証拠隠滅のために殺したのだろう。


もう、胸は見たくもない。もはや、性欲は朽ち果てた。


女が息を吸う。


「あなたが、故人の浄化を生業にしている人だとお聞きしました。どうか、私の家族の、浄化を依頼はできないでしょうか」


少しだけ驚いて、女の胸に預けていた視線が女の顔へ跳ねた。


依頼、なんてものが舞い込んでくるのは初めてだからだ。


これまでは適当に森や廃墟やスラム街を彷徨っては、死体を浄化する自主的な活動だった。


だからこの仕事はそういうものだと思っていたし、そもそも世間に認知されているとも思っていなかった。


学校のみんなには実家の遠い寺に出家する、という設定を貫けと両親に言われていたから驚くのはなおさらである。


だからどうすればいいのやら、さっぱりだ。


「駄目……ですよね。やっぱり……」


やっぱり、と言ったのなら、少なくとも拒否される可能性もあると思っていたということか。


一体何処で俺のことを知ったのだろうか。


「とりあえず」


「は、はい」


女に背を向け、家の中へ歩み始める。


「髪、乾かしてからにしてくれ」


そうして、この家に越してきてから初めて、同年代の異性を家に上がらせることに成功してしまった、成り行きで。


だが、理由が理由なので心臓の鼓動が速くなることも、耳が赤くなることもなくて、人生そんなものだと声には出さず嘆いた。


笑えや、神様よ。


きっとこの調子じゃあ、この先ろくに恋愛すらも出来やしない。


浄化を生業にする一族の血は、俺が止めることになるんだ。


珠玉の皮肉を神様に送ると、神様は天罰じゃ、と言わんばかりに俺にしゃっくりをさせる。

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