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ユアンがキョトンとして首を傾げている。依頼人と思しき中年男性は叫んだままの形で固まっている。ディーザと使用人親子の三人は、呆然としてユアンを見つめ、アデルは額に青筋を浮かべた。
「ユアン…」
「あ、アデル、誤解だよ…!」
不穏な雰囲気に気付いたユアンが申し開きをする前に、アデルはユアンの頭を力いっぱいはたいた。
スパーン
なかなかいい音がした。久方ぶりの会心の一撃だった。その他の四人がぎょっとした顔で二人を見る。
「誤解ってなんだよ!ユアンが王子って呼ばれる時は、絶対何かやらかしたあとでしょうが!キリキリ白状しなさい、ここでなにやらかしたの!?」
「知らないって、痛いよ、アデル…!」
ユアンは涙目でアデルに叩かれた頭を押さえる。
ユアンの頭の中身は、優秀ではあるものの、世間一般の常識と比較するまでもなくおかしい。ズレている。神様に愛されまくった美貌とか、支配者っぽいオーラとかがあるというのもあるが、庶民の感覚を一切持っていない。
金銭感覚もぶっ飛んでいる。多分、並みの貴族も敵わないほどに。そんな彼の情報を知っている海学舎や、過去依頼をこなした場所、もしくは海学舎に入る前、幼いユアンが何かしら関わったところでは、彼のあだ名が王子になってしまうのである。そして、アデルはこの場所に依頼で来た事がなかった。
「ほんっとうにすいません!うちの相方が昔何か粗相をしてしまったんですよね?しっかり手綱は握っておきますので、子供のやったこととして、大目に見てください!」
アデルは頭を下げた。ついでに、ユアンの頭も掴んで下げさせる。身長が同じくらいだからできる荒業である。ユアンは背が高いので、一番上の学年であることもあり、海学舎でこれができるのはアデルのみである。
いきなりそんな力技での謝罪をされて、ディーザたちは困惑していた。特に、ディーザの父親は目を白黒させている。彼は、ユアンをどこぞの王子だと思ったようだから、王子様がそんな不敬極まりない扱いを受けているのが理解できなかったのだろう。
「あ、え?…人違い……?」
やがて彼から呟かれたのは、何とも自信のなさそうな、そんな言葉だった。
アデルが呟きを聞き取り、顔を上げる。怪訝そうな顔をしていた。
「人違い…?」
「ほら、言ったじゃないか。知らないって」
それに誇らしげにユアンが顔を上げる。未だにアデルの手が頭に乗っかったままであるが、自分でどけようという気は起きないらしい。そのままにしている。
むっとして、アデルはそのまま乗せられていた手に力を込めた。
「アデル、人違いだったのだから押さえないで。身長が縮んでしまうよ」
「自分の胸に手を当てて考えて見てよ、ユアン。今まで知らないって言ったところでは、全部何かやらかしていたじゃない」
北の港街では、商店街全品買い占め騒動とか。中央の水の街では、噴水をオレンジジュースや、イチゴジュース、挙句の果てに青汁まで使ってカラフルにしてみたりとか。他にも大陸のあちこちで幼いユアンがやらかしたことは数えきれないほど知ってしまった。遠方の街に出かけると、大抵ユアンのしでかした常識に喧嘩売っている所業を聞く破目になる。そのたびに、アデルが最初にすることは、ユアンの過去の自覚なき迷惑行為への謝罪であった。
「…そうだけど、私はここに初めてきたんだよ?」
「自覚はできるようになったんだね、ユアン…」
アデルは、そんな殊勝なことを言い出したユアンに、成長を感じて涙が出そうになった。
そんな、どこぞの不良息子とお母さんみたいになっている二人に、ためらいがちに声が掛けられた。
「ユアンさんは、王子さまなんですか?」
声の主は、混乱した状況の元凶、ディーザだった。ためらいがちではあるものの、その声には好奇心がいっぱいに詰まっている。目も輝かせている。夢見がちなのはわかったが、常識的に考えてあり得ないだろうとユアンは苦笑した。
「違うよ。私はアデルの相棒で、海学舎の一学生でしかない」
何故知っているはずの彼女が率先して聞いてくるのか。自分中心的な思考もここまで来ると何だか腹を立てているだけバカみたいに思えてきてしまった。
「…え?海学舎?」
中年男性がぎょっとした顔でユアンをガン見した。
「はい。…はい?」
返事をしつつ、その声に何か引っかかるものを感じたアデルは、無意識に聞き返していた。なんだろう、この嫌な予感は?
「ええと、ご依頼されましたよね?」
「……いや、わたしは知りませんが…」
「……」
アデルとユアンは同時にディーザを見た。彼女は素早く青年の背中に隠れたが、その青年によって、父親の前に引き出された。
「酷いっ!私を裏切るの!?」
「…お嬢様、往生際が悪すぎます」
ディーザはジタバタと暴れていたが、猪男にも揺らがなかった青年のほうはどこ吹く風である。
「ディーザ、正直に言いなさい。依頼したのかい?」
「…そうよ。だって、レレーヌの『さかな』だけじゃ、どうにもできないじゃない…!」
「お嬢様、母は…」
「うるさい!あんたは、黙ってあたしの言うこと聞いてなさいよ…!」
ディーザは相当な内弁慶のようだった。呆れた二人は顔を見合わせる。なんとなく、今回の顛末が読めてしまった。
「あの、今回の依頼は、そちらのディーザ嬢がされたのですか?」
「う……」
困惑しきった表情で問うユアンに、さすがにばつが悪くなったらしいディーザが怯む。ユアンの顔の効果をわかっているので、アデルは後ろに控えて待つ。ときどき、カバンの中に手を入れて、眠るぱっくんを撫でながら。
「ユアン、やっぱり帰る?」
「……そうだね。わたしたちの出る幕じゃない気がする」
「いや、いつものあれな気がするんだよ…。だってなんか場違いな気しないでしょ?」
「………うん。しないね。ということは、いつものあれだろうね」
「帰ろうよ」
「帰ろうか」
二人は揃ってディーザを振り返った。
「ディーザさん?依頼は誰の名前で出したんですか?」
「……お父様、です」
「お前……」
ディーザ父は絶句した。