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1-8

 さて、どうしたものかとアデルが頭を悩ませていると、屋敷のほうから再び慌てたように人が走ってきた。思わず身構えてしまったのは仕方ないことと言えるだろう。


「お嬢様!?一体何事ですか?」

「あ、ちょうどよかった!」


 ディーザがホッとしたように走ってきた人物を手招きした。それに従って駆け寄ってきたのは、執事が着るような三つ揃えの青年だった。アデルたちよりも少し年上だろうか。落ち着いた様子で、ディーザに怪我がないかを確認している。

 青年がいきなり攻撃してこないことと、ユアンの発言に起因する不穏な流れが途切れたので、とりあえずアデルは構えを解いた。


「ねえ、アデル。スライムどうしよう?」

「あ、そうだね~。でも、いま還しちゃうと、ランドさんがまた襲ってきそうだしなぁ…」

「馬も怯えて、余計大惨事になるよね?」


 そうなのだ。馬だけなら、スライムから解放できる。というか、居心地の悪そうな馬たちを見ていると、一刻も早く解放してあげたいのは山々なのだ。ただ、ランドという猪の存在が、それを許さないだけで。

 馬は、でかい図体をしている割に、非常に臆病なのである。怒り狂う猪男の傍に自由になった馬がいれば、絶対に逃げ出すであろうことは明白であり、したがって周囲に吃驚して暴走した馬による被害を出さないためにも、かわいそうだが拘束されていてもらうしかない。


「とりあえず、あの人になんとかしてもらおう」

「そうだね。ちょうどあちらも私たちに気付いたようだし」


 アデルとユアンが視線を向けると、そこにはディーザからひとしきり説明を受けたらしい青年が、困惑したように二人を見つめていた。どう対処したらよいのか分かっていなさそうなその様子を見て、ディーザが肝心な部分を全く説明していないのだろうと察しはついた。


「あの…」

「貴様ら!わしを忘れるな!ええい、くそ、動けん…!」


 説明するためにアデルは口を開いたのだが、かぶせるようにランドが怒鳴り声をあげる。実際、彼のことを半ば忘れかけていたディーザは驚いたように彼を振り向き、気付かないふりをしていたらしい青年が、深く溜息をついた。

 アデルはユアンと顔を見合わせ、とりあえず自分たちの説明よりも、目先の事態の解決を優先しよう、と方針を固めた。

 青年はランドに向き直り、頭痛をこらえるかのように片手で顔を覆った。微かに見える彼の耳は、赤いようにも見える。まぁ、同じ屋敷に仕える使用人が往来のど真ん中で大声でわめいているなど、身内の恥のようなものだからだろう。


「…父さん、なにをしているんですか…」

「見てわからんのか!さっさとわしを助けんか!」


 会話を聞いていた海学舎陣は顔が引き攣っていくのを止められなかった。顔も身体も猪そっくりのランドと、細身で綺麗な顔立ちの青年は親子だったようだ。身内にも程があった。

 なんと言葉をかけるべきか、二人が悩んでいると、青年が振り返り、申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません。父が、何か失礼をしたのでしょう。本人がこの状態ですので、代わりに謝罪をさせてください」

「え…いや、あの、それはいいんですけど」


 予想外の対応に、アデルは驚いた。明らかに、彼の父を現状害しているのは自分たちなのだ。まさか謝られるとは思わなかった。反対に、ユアンは冷静だった。


「あ、でしたら、父君を押さえていてください。いつまでもそのままというわけにもいきませんし」

「はい。わかりました」


 青年はユアンに言われた通り、父親を羽交い絞めにする。賢いのか、単に踏まれるのが嫌だったからか、スライムは彼の進む先から退いて行く。


「お、おまえは、親をなんだとおもっとるんだ!放せ、この親不孝者―!!」

「はいはい、俺は親不孝者ですよ。大人しくしてくださいねー」


 猪そっくりランドは、身体のパーツ自体は太いが、長さが無い。対するその息子は、背も高い上に、相当な重量を誇る父親を持ち上げでも平然としている。筋力も相当なものなのだろう。暴れる猪を相手に、揺るぎもしない。安心してスライムを神海に還してあげられそうだった。


「アデル、馬をお願いしていいかな?」

「もちろんいいよ。じゃ、行ってくる」


 アデルは馬が暴れ出さない様、彼らの手綱を取りに向かう。スライムは、ここでもアデルの邪魔をしなかった。

 ランドにビビりまくっていた馬たちだったが、アデルが近づいて宥めると、落ち着きを取り戻した。むしろ懐いてきた。二頭の馬にはむはむと服の肩のあたりを咀嚼されながら、アデルは何とも言えない表情でユアンを見た。アデルのよくわからない魅力は、ぱっくんを除く『さかな』及び人間を除く地上の動物には効果抜群のようだ。


「ユアンー。早くしてー…。俺が喰われる前に……」

「ふふっ。アデルは本当に生き物に好かれるね」

「いや、服が本気で使い物にならなくなってるからー!」


 ユアンは微笑ましそうにのんびりしているが、アデルの服は馬の唾液で、微妙に冷たくかつ生温かい湿り気を帯びていた。馬たちの親愛は嬉しいが、この状況は嬉しくない。


「あ、本当だ…。ごめんね。スライムさん、ありがとう。助かったよ、またよろしくね」


 足元に広がる微妙に青く透き通ったスライムは、微かに紫色に色を変え、空気に溶けるように消えていった。青年とランドの顔が少し青ざめた。アデルやユアンは、スライム的に好意を表すつもりで色を変えたのだと分かるが、そうと知らなければ気持ち悪いのだろう。まして、周囲を囲まれているのならばなおさらである。

 スライムが体の色で感情を表すらしいというのは、意外と知られていないのだ。少なくとも、アデルたちは自分たちや同期生、アイリーとホリィ以外の共人に呼び出されたもので、スライムが色を変えるところを見た事が無い。


「…い、今のは、一体…?」


 離れた場所では、ディーザが腰を抜かしてへたり込んでいた。


「どうしたの?大丈夫?」


 ユアンはそんなディーザに気付いて声をかけたが、手を貸すそぶりもなくスタスタとアデルに近寄ってくる。その様子にアデルは苦笑して馬の一頭をユアンに預ける。


「さて、どうする?因みに俺はもう疲れた。切実に帰りたい」

「わたしとしても、思いは同じだよ。どこかで夕飯食べて帰ろう」


 すでに、ここについてからのごたごたで、二人のやる気は消え去っていた。やっと無抵抗になったランドを未だに抱えている青年に、馬を任せて出直そう(とりあえず、帰るのは後回しにするだけの理性は残っていた)と決めて、代表してユアンが青年に声をかけようとしたときだった。

 再び、屋敷から人が出てきたのは。


「うわぁ。また、ごたごたのフラグが立ったよ…」

「さっきから、このパターンの後にはひと騒動だものね…」


 屋敷から人が出てくるのを確認した途端、アデルとユアンは諦めた。これは、あれだ。天丼という飽きられるパターンに自分たちは陥ったのだ。


「ランド?どこに…?って、ディーザ!?どこに行っていたのだ!」

「あ、お父様…」


 今度はディーザの父親が登場したらしい。

 アデルもユアンも、次に何が起きるのか、軽く身構えた。なにしろ、アデルは前髪で顔が右半分隠れてしまっている。ぱっと見、ものすごく怪しいのだ。


「あ、旦那様…」

「だ、旦那様!?」


 ランドは慌ててバランスを崩し、息子は巻き込まれないようにパッと手を離した。父は尻もちをついた。

 父が痛みをこらえている間に、青年はさっと距離を取り、アデルたちの元へやってきた。


「申し訳ありませんでした。馬を見て頂き、ありがとうございます」


 青年の謝罪は本物だった。微妙に目を逸らしているところを見ると、父親を落としたのは、確信犯なのかもしれない。


「あ、いえ。助かりました」


 アデルは慌てて馬を引き渡し、純粋に冷たさとじとっとした重さのみを伝えてくる海学舎の制服にげんなりした。


「アデル、制服だけでも脱いでおきなよ…」


 同情のあふれる目でアデルを見ながら、ユアンが青年に馬を引き渡す。こちらは、頬ずりこそされていたものの、よだれの被害は一切なかった。馬たちの親愛の差であるとは分かっていても、理不尽を感じずに入られない。

 アデルも、正直気持ち悪かったので、制服の上着はその場で脱ぐ。シャツにもよだれはしみていたが、重さがなくなっただけ、ましであった。


「そちらの服も、うちの馬が…。こちらで洗濯してお返ししますので」

「あ、いえ。大丈夫です。自分たちでできますから」

「しかし…」


 青年はとても気にしているようだった。父親のみならず、馬までもが二人に迷惑をかけた事が申し訳ないのだろう。親父に苦労しているのだろうな、と、ユアンに苦労しているアデルはどこかシンパシーを感じた。


「本当に大丈夫ですから。ね、ユアン」

「そうだね」


 ユアンは頷いて、軽く屈みこんで地面に手を当てる。青年が驚いて若干距離を取る。スライムが相当怖かったらしい。アデルは申し訳なくなった。


「深き海面より我が元へ来たれ、ホブゴブリン」


 例のごとく地面が青く波打ち、小さな人型の生き物が現れた。それも複数。手のひらサイズではあるが、顔ははっきり言って不細工だった。しかしながら、彼らは器用で、よく家事を手伝ってくれるため、主婦業もこなす共人たちに大人気の、お役立ちな『さかな』である。


「来てくれてありがとー。ねえ、これ、頼める?」


 アデルはすぐさま彼らの傍にしゃがみこみ、計六匹現れたホブゴブリンたちは、あっという間にアデルを取り囲み、三匹がアデルの手にしていた制服を受け取り、残りは小さな火をおこしてアデルのシャツを乾かした。お母さんのようなかいがいしさであった。


「……ありがとう…」


 流石に、アデルにもこれは予想外かつ恥ずかしかった。ユアンは後ろを向いて静かに片を震わせ、青年に至っては、いたたまれなかったのか、視線を逸らして何とも気まずそうな顔をしている。

 どこまでも純粋に親切なホブゴブリン達は、シャツが乾くと、やり遂げた!みたいないい顔をして、制服と共に神海に還って行った。


「……」


青年の気づかうような視線が、心に突き刺さる。


「あー。ちょっといいかな?」


 どうやら、こちらを窺っていたらしい依頼人と思われる人が、やり取りの切れ目を見つけて声をかけてきた。アデルは慌てて顔をあげたが、ユアンはまだ笑いの発作が止まらないらしく、後ろを向いて震え続けている。どうやら、声を出していないだけで腹を抱えているようだ。

 礼節を欠いているのは承知の上で、役に立たない相棒を無視することにした。


「……はい」

「ええと、うちの娘と使用人が、何やら迷惑をかけたみたいだね…」

「旦那様、馬たちもです」


 人の良さそうな、恰幅のいい中年男性は、青年からもたらされた追加情報に情けない顔をした。アデルも、何とも言えない気分になる。背後でユアンが体を折り曲げたのが分かった。とうとう腹筋が痛くなってきたようだ。そんなに笑いたいなら、いっそ大声で笑ってくれた方がいいのに。我慢するのは体に悪い。


「旦那様!なにを言っておられるのですか、そ奴らはお嬢様を攫った不埒者ですぞ!」

「…攫った?」


 不穏な言葉に、思わずアデルがディーザを見ると、気まずそうな顔をして父親の背に隠れた。何を言ったんだ、このお嬢様は…!

 あまりに予想外の事態に、ユアンの笑いの発作もピタリと止まった。疲れたようにディーザ達を振り返り、アデルの横に立つ。


「…アデル……」

「…言いたいことは分かるけど、とりあえず落ち着こうね?」


 ユアンは、他人をからかうことが好きなために、他人に騙されることを極度に嫌う。勝手に悪役にされるなど、普通の人でもいい気はしないのだが、ユアンの場合は徹底的に対処する。手段は、彼的には厳選しているらしいが、一般的には[手段を選ばない]と評されるやり方である。ユアンにこの手の攻撃を仕掛けられて、立ち直った人物などアデルは知らない。

 ユアンの迫力に何か怯えたのか、ディーザたちは何も言わない。特に、彼女の父親などは、呆然とユアンを見つめていた。アデルは、どうやってこの場を乗り切るべきか、必死に頭を働かせた。

 しかし、その場の空気は、実に人知の及ばない場所のゴミ箱くらいの、考えもつかない意外な角度から突き崩されることになった。


「お……」


 ディーザの父が、真っ青になってユアンを指さす。お行儀が悪いですよ、とか、こいつは危険じゃないですよ(嘘)などと言って見るべきかと、一瞬アデルは悩んだ。

 当のユアンは不機嫌そうにしながらも、指さされたわけが分かっていないのか、首を傾げる。美形の不機嫌な時の一挙一動は、実にたちが悪い。威圧感とか、変なオーラが半端ないのだ。


「お…おう…」


 アデルは青い顔でおうおう言っている依頼人(多分)が心配になってきた。ユアンに驚いて心臓発作とか起こしていないだろうか。過去にそういう老婦人がいて大変な目にあったので、とりあえず応急処置は身につけたのだが、あまり披露したくもない。

 とりあえず、ユアンをなだめようと、アデルは声をかけた。


「ちょっと、ユアン…」

「王子殿下―!?」


 中年男性とは思えぬ、猪男にも引けを取らない大声に、不機嫌だったユアンも目を丸くし、ディーザや使用人たちも唖然としてユアンを見つめる。アデルの顔が盛大に引き攣った。

 こうして、この日一番の爆弾が投下されたのだった。



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