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海学舎が実技で扱う内容のほとんどは、元々ギルドや神殿に依頼されていたものである。海学舎は設立してまだ六年目であり、実技が始まったのも三年前からだ。実績が無いにも等しい。
そんなところに当然依頼が来るはずもなく、依頼主の同意を得られたものを、実技用にいくつか回してもらっているのだ。仲介費が生じるが、演習扱いになるので共人の技術料が発生せず、ぐっと安くなるので回ってくる量は多い。
そんで偶にいるのが、海学舎の学生たちの実力を見極めようとする依頼人である。はっきり言って、ものすごく学生たちから嫌われている。学生たちからしてみれば、嫌ならこっちに頼むなよと言いたくなるのだ。
そういう依頼人は、本題に入る前にいろいろ仕掛けてくる。例えば道の途中に刺客を配置してみたり、普通に行ったら絶対に間に合わない期間で待ち合わせ場所にたどり着かねばならなくしたり、である。
大抵のそういう依頼人は、基本的に何の予備知識も与えずに実技開始となる。アデルたちには依頼人の情報は与えられなかったし、ディーザの様子もおかしかった。
余裕があるにしろ、早く着いておけるならそれに越したことはないし、あまりにも不自然で下手くそな馬の操り方。まぁ、これは素で駄目だったことが判明したわけだが、それも含めて二人は今回の依頼人もその類ではないかと警戒していたのだった。
しかし、現実は、彼らの予想からは遥かに遠かった。
「ねぇディーザ、ここでいいの?」
「はい。すいません、結局アデルさんに御者を任せてしまって…」
ディーザはひたすらに恐縮していた。結局、ユアンもディーザも個人の技術こそ向上はしたものの、短時間で劇的にプロになれるはずもなく、このままでは日が暮れてしまうとアデルがかッ飛ばしたのである。そのおかげで、現在まだ夕暮れ時。夜になるまでに間に合った。
「ディーザが道を知っててくれたからたどり着けたのだから、気にすることないよ」
ほんわかとユアンが言ったが、第一にディーザが道を知らないと話にならないし、現時点でディーザよりも役に立っていないユアンの言うべきことではない。
一番役に立っているのは、まぎれもなく馬車を走らせてくれているがんばりやの馬たちだ。アデルは叫びたかった。「馬に謝れ」と。
そんなこんなで比較的まったりとしながら目的地に到着。普通に歩いても二日で着く距離の、近場では一番大きな街だった。ディーザがどういう計算をして3日と言ったのか、できればじっくり聞きたい気分である。
「ところでさ、ディーザ。目的の家って、どれ?」
アデルたちが今馬車を走らせているのは、その街の中でも上流階級の人々が暮らす一角である。アデルとユアンとしては、さっきから嫌な予感がして仕方が無い。なぜならば、先程からすれ違う人がみんな御者台に座るディーザを見てぎょっとしているからである。街中で悪目立ちするユアンは、屋根の中に早々にご退場願っている。
「あ、それはあの家です」
ディーザが指差した屋敷を見た瞬間、アデルとユアンの顔が思いっきり引き攣った。この街で一番大きな家である。つまり、この一帯の領主の家ということになる。
アデルが「帰っていい?」と真顔でユアンを振り返った時、目指す屋敷から辺りを揺るがす叫び声が聞こえてきた。
「お嬢様―!!!」
「あ、ランドさん」
ディーザはホッとしたように猪も真っ青なスピードで走ってくる壮年の男性をそう呼んだ。
「アデル、ランドさん…って」
その人物は、確か寝込んでいるというこの屋敷の本来の御者の名前ではなかったか。
「う~ん、ずいぶん元気そうだねぇ…」
そして、やはりというか何というか。
「ディーザって、お嬢様だったんだねー」
「あ…えっと……」
アデルに指摘されて、ようやくそのことに思い至ったディーザを見て、ただでさえややこしそうな事態が、始まる前から面倒なことになったであろうことを確信した。
「お嬢様、その男はなんですかー!?」
「わ、ランドさん落ち着いて!」
「お、おのれー、お嬢様をたぶらかす不埒ものめー!」
そう言って、壮年の猪男ランドはいきなりアデルに飛びかかってきた。お約束と言えばお約束過ぎる展開に、アデルはこの後の面倒極まりないだろう流れを思って泣きたくなった。
「ユアンー。後は頼んでいい?」
「準備できてるよ」
ユアンのその声を聞くと同時に、アデルはディーザを抱えて御者台から飛び降りた。
「えっ?ええ?」
「ごめん、危ないから」
進行方向から標的が消えても、急には止まれないのが猪である。猪男もそれは同じだったようで、人の姿のない御者台に、「うおおおおぉぉぉおっ!?」と、雄たけびを上げながら特攻してくる。
馬が怯えて逃げ出そうとする。ユアンが馬車の中から手だけを出し、御者台に触れる。
「深き海面より我が元へ来たれ」
ユアンの触れている場所から、青い光が現れ、ゆらゆらと揺らめく。一瞬でその揺らめきと光は御者台と馬を包み込み、次の瞬間、ランドはゼリー状の何かにグプリと飲み込まれた。
「!?」
「な…っ」
パニックをおこして、ジタバタとあがくランドと、その姿を離れた所から見て唖然とするディーザ。
「間に合ったよ、アデル」
「ありがとう、ユアン。助かったよ~」
一方で、ゆったりと馬車から出てきたユアンと、ディーザを降ろしたアデルはほのぼのと会話を続ける。
「あ?え?うえぇっ!?あ、あれ、なんですかぁっ!?」
「なにって、スライムだけど」
「あ、そろそろ小さくしないと、窒息しちゃうんじゃない?」
一人大慌てのディーザと、平常運転の海学舎コンビ。アデルの指摘を受けて、ユアンはスライムを回収に向かう。アデルはその間に馬車の中のクッションを回収に向かう。見られて困るものではないが、様々な誤解の要因になるので嬉しいものでもない。
「深き海面より我が元へ来たれ、ぱっくん」
完全に馬車の中に入り、人目が無いことを確認したうえで、アデルは不思議な毛玉を喚びだした。手のひらサイズで、青い光に同化してしまいそうな色合いをしている。手足もあるのだが、あまりにも小さいので毛玉に埋もれて発見するのは困難だ。そして何より不思議なのだが、移動手段はすらっと異様に長く、先端がハタキのように爆発している一メートル程の尻尾である。翡翠のようなつぶらな瞳がチャームポイント(ユアン談)の『さかな』である。
手足の存在価値が無いなどとは言ってはいけない。これもぱっくん的には大切なものらしい。何に使うのかは一切わからないが。
どういう種類か気になってユアンと二人で調べまくったが、該当種が全然わからなかった。新種なのかもしれないが、色々面倒なので秘密にしているのだった。
「ぱっくん、これ、いつもみたいにパックンいっちゃって」
可愛らしい見た目に反し、ぱっくんは硬派であった。他の『さかな』はまず例外なくアデルに甘えるが、一切そんな素振りを見せず、黙々とユアンのクッション類をぱくぱくと平らげていく。これが、ぱっくんがぱっくんたる由縁である。
よくわからない『さかな』であるが、なぜか体内にいろいろな物を収納できるのだ。それも、おそらく無尽蔵に。
「…いつ見ても凄いなあ……」
全てのクッションが、ぱっくんの本体よりもでかい。何倍もでかい。それを顔色一つ変えずに、どんな裏技を使っているのか、一瞬で丸呑みするのである。アデルたちだから辛うじて飲み込んでいると判断できるのだが、一般人ならばぱっくんの前にあった物体がパッと消えたように見えるだろう。因みに、どのような価値基準がぱっくんにあるのかは不明だが、明らかにぱっくんが一口で飲み込めそうな小物は、飲み込むのに時間をかけており、そこでようやく飲み込んでいる様子を観察できるのだ。因みに、呑み込んだ後でもコンパクトな体のサイズは全く変わらない。ぱっくんはどこまでも奥が深い。
アデルとしては、ユアンの趣味による弊害が減らせるので、ぱっくんには感謝してもしきれない。ほんの五分程度で、溢れかえっていたユアンのファンシーな私物はぱっくんの不思議な胃袋(?)の中に消え去った。
「相変わらず、仕事が早いねぇ」
アデルの心からの称賛に、ぱっくんはあさっての方向を向いたまま、長い尻尾を揺らして応えた。硬派なぱっくんはそれで返事に代えたのだが、どういう構造になっているのか、尻尾の先の爆発している部分だけが物凄い勢いでぶんぶん振られている。ぱっくんは趣深い。
「あっちも終わったかな?ぱっくん、行こう」
ユアンの分の荷物と、自分の荷物を取ったアデルの言葉に、ぱっくんは一瞬動きを止め、微妙にそっぽを向いたままアデルのカバンの中に潜り込んだ。
―べ、別に、帰れって言われなくて嬉しいんじゃないんだからね。傍にいたいなんて思ってもないんだから!―
というところだろうか。ぱっくんの思考回路は複雑怪奇である。
ぱっくんがしっかりとカバンの中に隠れた事を確認し、アデルは馬車から下りた。
アデルが飛び降りた馬車の前では、丁度、ユアンとディーザがもめているところだった。
「…何故もめる?」
アデルの抱いた疑問には、いかなぱっくんといえど応えられなかった。カバンの底で、毛糸玉のように無駄に長い尻尾を体に巻きつけ、すでに寝ていたためである。起きていても答えなかったのだろうが。
「えっとー。どしたん?」
軽く引きながら、仕方なしに会話に加わることにしたアデル。ユアンじゃどんな誤解を招くかわからないという不安も大きい。
「これ!どこが普通のスライムなんですか!なんかの上位種なんじゃないですか!?」
「えーと?ごく一般的なスライムだよ?」
「どこの世界にあんな巨大化するスライムがいるって言うんですか!」
人一人ならともかく、プラス馬車まで包み込んだとなると相当に大きい。高さ三メートル、横幅二十メートルほどの、ラスボス級のスライムであった。
アデルは、彼女の言いたいこともわからないではなかったのだが、ユアンには微妙に通じなかったようだ。
「どこの世界って、君も今見たじゃないですか、この世界で」
普段はもちろん神海にいますけど。ユアンは当たり前のことを諭すようにそう付け加える。
むしろ、何を言ってるんだろう?ユアンはそんな顔で軽く首を傾げた。
そうなのだ。ユアンに、比喩の類は一切通じない。本人が厭味や皮肉のつもりが無くとも、素でそうとれる反応を返してしまうのだ。ディーザの顔が大いに引き攣った。アデルは大きく溜息をついた。放っておいたらこじれるのは間違いない。
「もー。ユアンってばー、ちょっと落ち着いてディーザの気持ち考えようよ。普通、おっきなスライムがいきなり出てきたら吃驚しちゃうじゃないかー」
「ああ、そうなのだね…。ごめんね、ディーザさん、配慮が足りなかったね」
ユアンはディーザに素直に謝った。こういう所は彼の美徳である。いろいろずれてはいるが、アデルがこの六年にわたる相棒生活の中で身につけた、世間一般の認識とユアンの常識(他人にとっては非常識)を、一番近い状態で理解させるには、これしかないのだ。
このズレを矯正しようと思うのならば、ユアンが生まれた時間にタイムトリップでもして一から育てなおすしか方法はない。
「そういうことじゃないんですけど…!」
「ディーザ、ほんとごめん、そういうことにしといて!」
これ以上の落とし所はいかに努力しても見つけられないアデルは、勢いで全てをごまかす方向に持っていくことにした。今でもこれ以上いらないくらいには疲れているのだ。更なる厄介事はごめんである。
「お、おい!貴様ら、わしに何をしたぁ!?」
そのタイミングで、すっかり忘れ去られていたランドがアデルたちに怒鳴ってきた。アデルはこれ幸いと、彼のことに話を持っていくことにした。
「あ、すいません。でもほら、また殴りかかってこられても困りますし」
「スライムに足元を固定してもらっているだけなので、身体に悪影響とかありませんから大丈夫ですよ」
アデルが困った顔でそう言えば、ユアンはのほほんと緩んだ顔で付け加える。ランドの足元には、高さを二十センチほどまでに減らしたスライムが広がっており、彼の足をしっかりと固定している。流石に猪男といえども、足を固定されては移動できないようだ。
「え?スライムって、そんなことできるんですか!?」
「できてるじゃないですか?」
同じ流れを何度経験すれば、「同じ失敗を繰り返さない」という生き方が身につくのだろう?
正直ユアンには黙っていてほしい。再び引き攣り始めたディーザの顔を見て、アデルは切実にそう思った。