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ユアンは、自分のことを超絶普通の人間だという。が、それを信じている人間など、少なくとも海学舎には一人もいない。あれは、とんでもないお坊ちゃんだ……と、一度でも話をしてみればわかってしまう。
しかし、基本的に飲み込みがいい上、アデルが必死になって色々フォローするので、大抵の人には何でもできるオールマイティ君だと思われがちである。実際、アデル以外の人間には、ダメダメ君だとばれていない。しかし、そんなユアンの伝説も、今日限りだと思われた。………ホリィには。
世の中には不思議な人間がいるものである。ユアンは、間違いなく不思議な人間に分類される……と、常日頃思っていた事だが、さらに確信を深めようとは思いもしなかった。
「王子先輩、大丈夫ですか?」
「一体、何があったんですか?イディーアンが暴走したって聞きましたけど」
「あのイディーアンを猛スピードで走らせるなんて、やっぱり王子先輩はただものじゃありませんね!」
後輩たちに囲まれるユアンを、ホリィはポカーンとして眺めた。何故だ。ありえんだろう。しかも、なんか結局称賛されてる!?おかしいだろ?
「ええと、打ち身程度…だから、私は大丈夫。ちょっと、私が下手すぎて、イディーアンを走らせ過ぎてしまったんだ……。情けないね。」
「そんなこと、ありません!すごいですよ、あのイディーアンを動かすなんて!」
誰もイディーアンを操ることなんてできないのに!と、後輩たちは勝手に感動しているが……。
それは単に、イディーアンが、アデルの言う事しかきかないからだよ。
と、答えていいものかどうか。イディーアンに無理をさせるのを嫌うアデルのために、ユアンはずっと、アデルはイディーアンを自在に動かせる、ということを内緒にしている。
イディーアンは、召喚者の言うこともまともに聞かない頑固者だというのが、学舎の中での一般的な理解だった。上位の『さかな』に何かと無理難題をさせたがる学舎の人間の性質を知っているため、敢えてアデルがそうさせているのだが……。
ここでばらしたら、イディーアンは大変な目に遭うのではないだろうか。それは困る。
「ええと、ありがとう。でも…アデルとアイリーが……」
そして悲しそうな表情で俯いて、ユアンは、話をそらして逃げることにしたのだった。
呆気にとられるホリィの目の前で、とりまきの女の子たちは、キャーキャー言って、我こそがユアンを慰めようと必死だ。王子やさしー!とか言ってるのが聞こえてきたが、他人に怪我をさせたのなら、気にかけるのは当然のことではないだろうか?それすらも、美徳に思えてしまうのか?だとしたら、女は怖い。ホリィは身震いした。ほんと、冗談ではない。
病室の手前で戦慄を覚えて固まっていたホリィに、ユアンが気付いた。さりげなくギャラリーをかわして、傍に寄ってくる。ホリィとしては堪ったもんじゃない。
(お願いします。来ないでください!ああぁ、睨まれてるー!)
だが、もちろん背後のおどろおどろしさに欠片も気付いていないユアンが、そんなホリィの心の叫びに気付けるはずもなかった。
「ホリィ、今からアイリー嬢のお見舞い?」
「ええ。これでもパートナーですから。ユアン先輩はいいんですか?アデル先輩のお見舞いに行かなくても」
ホリィとしては、これ以上ない嫌味を言ってやったつもりだった。他人のパートナーにまで重傷負わせておいて、女の子たちに囲まれてきゃいきゃいやってるのは、正直人としてどうかと思う。ユアンのパートナーであるアデルも、ユアンのせいで怪我をしているのだから。
「うん。アイリー嬢程酷くはないし。私がいたほうが、かえって怪我の治りが遅くなりそうだから」
「……」
それもそうかもしれない。と、妙に納得してしまった。
ホリィは、ユアンが相当なダメダメ君だとまだ気付いてはいないが、そこそこ駄目な人である事はわかっている。なにしろ王子とあだ名されるほどズレている人だ。もし、そんな人が枕元にいたら、気が休まらないだろう。アデルが何だかとても気の毒だった。
「大体ね、今、アデル病室にはいないんだ。学長に呼び出されちゃってね。」
「え?アデル先輩も怪我してるのに……」
「そうなんだけどね。アイリー嬢よりも遥かに軽傷だったし。それは気にすることないよ…。本当に、ごめんね」
ユアンは本当に悲しそうに頭を下げた。ホリィは正直、かなりどん引きした。女子連中の視線が怖い!マジやめてくれ!!
(まだ許したくない。許すような言葉なんて言いたくない…けど!)
かと言って、ここで許さないなんて言ったら、後ろの嫉妬に狂える乙女たちに八つ裂きにされかねない。よく見れば、取り巻きの中には二期生の先輩も混じっているようだ。
八つ裂きが比喩では無くなる可能性も否定できない。むしろ、高確率で物理的に細切れにされそうだった。
恐ろしいことに、彼女たちは共人である。『さかな』を使えばそれも可能なのだ。
「えっと、俺に謝られても…困ります。痛い思いしたのは、アイリーなんで」
結局、ホリィには、そう言ってその場を凌ぐしかなかった。それでも後ろの女生徒たちは納得できないようで凄まじい形相で睨んでくる。かといって、ホリィもこれ以上譲歩できない。今は、まだ。けれど…
…はたして今日は無事に寮まで帰れるだろうか?
ホリィは本気で明日を迎えられる自信が無くなった。これ以上ユアンと関わっていたくない。生存率が、会話時間に比例してガンガン削られていく音が聞こえるようだった。
「…そうだね。だけど、君まで怪我をさせずに済んで、本当によかった…」
しかし、海学舎の誇る王子は、どこまでも天然王子だった。
「ひぃっ…」
ユアンに意識を戻したホリィは、反射的に悲鳴をあげそうになった。あろうことか、ふわっと、極上の笑みを浮かべやがったのだ!ユアンを恋愛対象外の権化と認めているホリィでさえ、一瞬……ほんの一瞬だけ見惚れてしまったほどの、綺麗な顔で。譬えようもない幸福感に包まれたが、すぐにそれは恐怖へと変わった。
乙女たちの嫉妬が殺意に変わった瞬間だった。
(この人、本気で謝罪する気があるのか!?)
ユアンが何かするたびに、 ホリィの命が危うくなっていく。これは、悪質な嫌がらせの一種としか思えなかった。チラリと、ユアンの後ろの女子軍団に視線を送る。
流石に、彼の本性を知っているのだろう一期生はいないが、二期生の先輩から同期生、最近入学したばかりの六期生まで、ありとあらゆる女子が総勢十五人、一様にホリィを睨んでいた。
マジ怖い。なんで俺がこんな目に!?ほんと泣きたい。
盛大に顔を引き攣らせたホリィにできる自衛手段は、最早一つしか残されていなかった。
「…先輩、俺、アデル先輩に会いたいんですけど」
「アデルに?そうだね、そろそろアデルの用事も終わっただろうし、まだアイリー嬢は眠っていて会えないらしいから、私もアデルの所へ戻るよ。一緒にいこうか」
そう言って、ユアンは自然に手を差し出してくる。後ろの女性陣が金切り声をあげている。そんな不快な音をBGMに、ホリィは据わった目でその手を見た。その手の理由は、多分知っている通りだと思うが、一応言っておこうと思った。
「…先輩、俺、女扱いされるのも、子ども扱いされるのも嫌いなんですけど、この手はなんですか?」
「ん?アデルがいないから、学長室まで辿り着ける気がしないんだ」
要は、連れて行けということか!やっぱりな!ここに来て六年も経つのに、アデルがいないと未だに校舎内で迷子になるという噂は本物だったのか…。どこの子どもだ?
そして女子たちよ、なんでこんな情けないのが可愛いに変換されるんだ!?これプラス要素じゃねえだろ、どう見ても!守ってあげたいとか、見ろこの図体!うちの学校でもアデル先輩とも並んで体格がいいんだからな、この人!
ホリィはいっそ叫んでやりたがったが、言えるわけがなかった。そこまで勇者にはなれない。
「はい…」
ぐったりしながら、ホリィは観念してユアンの手を取った。ユアンは機嫌が良さそうに笑っている。背後からまた甲高い悲鳴が聞こえてきたが、もう無視することにした。ホリィにはどうしようもない。
ユアンの周りにいる人間には、ユアンの行動が美化しかされないおかしな眼鏡か変換装置でもついているのだろうか。
それにしても、ユアンは本当に不思議な人だ。その頭の構造は、最早人間ではないと思う。実はこの人『さかな』なんじゃないだろうか。
ホリィは新たな疑惑を胸に、ユアンの手を引いて歩きだしたのだった。