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海に面した街、ルーイン。ここはロザリアなどの市街地からは森で隔てられており、静かで和やかな街に成長した。
そして、比較的森に近い丘の上に、その孤児院はあった。
パステルカラーで彩られた大きな建物から、子供達の笑い声が聞こえてくる。
孤児院は、隣にある教会が運営している。フィオーレ中から孤児が集まり、今はその数100を超えていた。
王族も孤児院の存在に感謝しており、多額の寄付を受け取っている。ギリギリの状態、なんてことはないのだ。
「さあ、スズ! 結論を出して!」
ばん、と机を叩いて、艶やかな黒髪を巻いている少女――ミユキは叫んだ。
スズことスズネはそんなミユキを気にすることもなく、ただ目を瞑っている。
やがてその両目が見開き、椅子から立ち上がって叫んだ。
「勝者は……女子組ッ!!」
歓声が食堂を包む。ガッツポーズを決める少女の隣で、落胆する少年の姿があった。
「これで勝数は同じになったね、テレサ?」
「あー、くそっ……あと一勝で押し付けられたのに……」
少女・リオンと少年・テレサは、孤児院の食事係である。
この孤児院では、毎日リオンをリーダーとする女子組とテレサをリーダーとする男子組による料理対決がある。先に5勝した方が、次の1週間買い出し当番を相手に押し付けることができるのだ。4-4となった場合は先に6勝した方、5-5となった場合は7勝した方、という風なルールも採用している。
しかし、両方とも料理の腕前は目を見張るものがある。なかなか勝負は決まらず、結局いつもその日の当番が買い出しに出掛けていた。
「さぁてと、今日の当番は……女子組だね」
スズネが当番表を確認する。ちなみに、彼女は掃除係である。
リオンは財布とメモ張を取りだし、冷蔵庫に残っているものを書き出している。ミユキ達他の女子組も、準備の為厨房を出ていった。
「はー、やっぱり肉料理はリオンには敵わねえな」
ため息をつきながら、料理係男子組の一人であるレオは呟いた。
今まで何戦もやってきたが、肉料理対決で女子組が負けたことはない。いつも勝ちたい、勝ちたいと思っているのだが、どういうわけか勝てないのである。
しかし、リオンの作る肉料理は素晴らしいものであることは、この孤児院にいる全員が知っている。とろけるような舌触り、絶妙な焼き加減――あれは誰にも真似できない。
厨房を出たテレサは自室へ戻った。彼はまだ17歳、学生である。学校へ通うことができるのは、孤児院の援助もあるが、一番大きいのは国からの援助だろう。現国王ネモフィラ=フィオーレは、そういった政策で国民に信頼されている。
テレサは歴史の教科書を開く。フィオーレ王国第三代国王、バルサミアの絵が載せられている。200年程のフィオーレの歴史の中で、暴政で暗殺された唯一の王だ。
30分程ノートと教科書をにらんでいたテレサだったが、シャーペンを放り出して大きくのびをした。
「……あー、頭いてえ」
テレサは歴史が苦手だった。歴史が得意なのはミユキである。
この孤児院で、テレサと同じ17歳なのは四人。ミユキ、スズネ、リオン、レオだ。
聞こうにも、ミユキは今買い出しに出ているだろう。帰っているとしても、料理当番は買い出し当番と兼任させられるため、厨房に入っているかもしれない。
テレビでも見るか――そう思いテレビを点けた、まさにその瞬間だった。
大地を揺るがすような、轟音が響いた。
同時に鳴り響く警鐘。けたたましいサイレンが、緊急事態であることを告げる。
テレビはバラエティを流していたが、深刻な顔つきをしたアナウンサーが映し出された。アナウンサーはヘルメットを被っており、背後の放送局の社員達も慌ただしく動いている。
アナウンサーは叫ぶようにして何かを伝えている。しかし、ノイズが入ってよく聞こえない。辛うじて分かったのは、“ソルティーナ連合国軍”と“ユーラ村”だけだ。
地図張を開いて確認する。ユーラ村は、北に広がるネピの森付近にある小さな村らしい。国産の薔薇の80%以上がここで作られている、と小さく記されている。
テレサは部屋を飛び出した。そして広間へと向かうと、困惑した表情の子供達が集まっていた。
北にあるユーラ村から攻めてきているのであれば、南にあるルーインに来るまではかなり時間があるだろう。その間に、物資や避難場所の確保をしておかなければならない。
教会の神父が何やら指示を出している。落ち着け、大丈夫だ、という声が聞こえてくる。
しかし、テレサ達ならまだしも、この孤児院にはまだ3歳や5歳といった幼い子供もいる。パニックになり泣き叫ぶ子供達を必死で宥めようとするが、あまり効果はなかった。
一人が泣き始めれば、それはまるで伝染病のように広がっていく。
「テレサ!」
そう叫びながら駆け寄ってきたのは、リオンとスズネだった。
「お前ら、帰ってきてたのか! 他の奴等は?」
「向こうにいる。……どうなるんだろうね」
いつも堂々としている印象のあるリオンだが、流石に動揺を隠しきれてはいないようだ。
フィオーレは平和を尊重する国。軍が無いわけではないが、軍事大国であるソルティーナにかなうとはとても思えない。
「……何、あれ」
スズネがかすれた声で呟く。彼女の視線は、孤児院の大きな窓の向こう――海へと向けられている。
「……冗談きっついぜ……」
冷や汗が額を伝う。他の子供達もそれに気づいたようで、いっそう泣き声が大きくなった。
海から這い上がってくるのは、黒の軍勢。
サファイアのように輝く海の上に浮かぶ、巨大な軍事船。
船に描かれているのは、赤く煌々と揺らめく様子を描いた炎。
ソルティーナが攻めてきたのは、ユーラ村だけではなかった。




