5
地獄を見ているようだった。
地震かと思うような大きな音と揺れの後、ホールに駆け込んでくる黒い制服のソルティーナ軍。
迎え撃つフィオーレ宮廷軍の白い制服。黒と白は入り混じり、混乱を生んだ。
人々は逃げ惑うが、冷静に判断が出来ない為、効率よく避難することが出来ない。故に、背後からソルティーナ兵に殺されていく。
ミルは人の波に揉まれ、あの裏口に向かうことが出来なかった。宮廷軍に加勢するにしても、この人口密度では誰かを巻き込んでしまう。
子供が泣いている。大人も泣いている。
いつしかミルは、ある絵の前に流されていた。ホールの隅に掛けられている、とても大きな絵だ。
大輪の薔薇が咲き誇る薔薇庭園を、美しい女性が歩いている。空は青く、太陽が優しく照らしている。――そんな風景を切り取った絵。
「……あれ」
絵の額縁に違和感と壁の間に、僅かながら隙間がある。そっと動かしてみると、そこに引き戸が現れた。
気づかれないように体を滑り込ませ、戸を閉じる。戸からは下に降りていく階段があり、ところどころにランプが置いてあることから、ここは隠し通路か何かなのだろう。
右手で壁を伝いながら降りていく。ひんやりとした空気がミルの頬を撫でた。
「誰だ!?」
突然、声が響いた。
足音がこちらへと向かってくる。身を隠そうにも、隠せる場所なんてない。
相手が、角から現れた。
「……ミル……!?」
「え……ステラ!?」
黒い髪。緑色っぽい白の瞳。
何より見慣れた顔と聞き慣れたその声は、ステラのものだった。
「良かった……無事で。本当に良かった……」
思わず座り込む。彼は慌てて駆け寄り、ミルを支える。
「どうしてここに……」
「……。……ねえ、ステラ。抱き締めてもいい?」
ステラは思い出す。
以前、死者のリストを見せてもらったことがある。その中に、ミルの家族の名があったことを。
孤独だったのだろう、寂しかったのだろう。ステラは頷くと、ミルの背中に腕を回し、しっかりと抱き締めた。
――無事で、良かった。
地下室へ向かう階段を降りていく。ステラはその先で、王族の護衛をしているらしい。
「一人なの?」
「いや、もう二人いる。正確には、ラレンヌ様を脱出させる為に俺がいるんだ。だから、俺はラレンヌ様専属と言っていいだろう」
階段の方から聞こえた足音が、ソルティーナ兵のものかと疑った彼は、あとの二人に王達を任せて確認に向かった――そういうことだ。
階段を降りきると、小さな部屋に辿り着いた。この先に王達は隠れていたらしい。
「ミル、ちょっと待ってろ」
ミルが頷くと、ステラは扉に耳を当てる。
「……?」
ステラが険しい表情になったのを見、ミルは中で何かが起こっているのだと悟る。
扉をそっと開き、ステラは中の様子を窺った。ラレンヌが立っている。
「ラレンヌさ――ッ!?」
ゆっくりと、ラレンヌが振り返る。
涙で濡れた頬。
白いレースがあしらわれた水色のドレスは、赤く彩られている。
右手には、血が滴るナイフ。
そして、周りに倒れているのは、彼女の両親と護衛の二人、そしてソルティーナの制服を着た二人の兵。
「ねえ、ステラ。何が起こっ――」
「見るな!」
中を覗こうとしたミルの目を塞ぐ。その状態で、唯一生きているラレンヌに話を聞こうとするが、彼女は泣き崩れてしまった。からん、と音をたててナイフが落ちる。
「ラレンヌ様! いったい何が……」
ステラは彼女に歩み寄ると、足でナイフを蹴飛ばす。
ラレンヌは途切れ途切れながらも、ステラが去った後のことを話した。
「……そこの、隠し通路から、兵士達が。護衛達が戦い、一人を、殺しました。ですが、もう一人は、駄目でした。私、怖くなって、もう何が何かわからなくて。お父様も、お母様も、私に『殺してくれ』と言いました。ソルティーナに、殺されるくらいなら、娘の手に、かけられた、方が、マシ、だと……」
確か、ラレンヌはミルと同い年だったはずだ。まだ成人にも満たない少女達に降りかかった孤独と葛藤。それらは、全てこの戦いのせいなのだ。
ミルは声しか聞こえないが、ステラが自分の耳を塞いだ理由がよくわかった。彼は、自分にスプラッタな場を見せまいとしてくれたのだ。
しかし、いくら王と王妃が望んだとはいえ、ラレンヌが行ったのは親殺し。通常なら死罪に値する程の、重い罪である。
こんな事実を、公表するわけにはいかない。追い詰められた末の自害、とするのが賢明か。
「とにかく、ラレンヌ様。ここから出ましょう。いつ見つかってもおかしくありません」
「ええ……」
ラレンヌは涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。――そのときだった。
勢いよく扉が開き、ソルティーナ兵がなだれこむ。
「王女は生きて捕らえろ! 他の者は殺せ!」
その言葉を皮切りに、ソルティーナ兵が一気に向かってくる。ステラはラレンヌを守ろうとするが、彼女は囁いた。
「……私は捕まってもかまいません。彼女を、助けてあげてください」
「ですが――」
反論の言葉は、ラレンヌの微笑みにかき消された。全てを悟っているような、優しい笑み。
兵が近づいてくる。




