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城には不穏な空気が立ち込めている。今までこういうことは少なく、平和だったのだから仕方ないだろう。
あちこちから子供の泣き声が聞こえる。それを宥める大人の声も、どこか心細い。
ミルも同じだった。ステラは傭兵団の団員と連絡をとる為この場におらず、独りだった。
「……お母さん……お父さん……」
家にいる両親のことを思い出す。
ミルの家はロザリアにある。いずれは城に攻めこむかもしれないとなると、ロザリアは間違いなく火の海となるだろう。
――大丈夫。フィオーレには、傭兵団もある。
ミルは指を絡ませ、目を閉じる。そして、祈り続けていた。
夜が訪れ、皆が眠り始めても祈り続けた。が、流石に力尽きたのか、彼女はこてんと倒れて眠った。
髪を撫でられる感触。耳元で何かを囁かれた気がしたが、もうミルは意識を深いところまで鎮めていた。
目が覚めたのは、眩しい日差しではなくけたたましいサイレンだった。
ざわめく人々。ミルも起き上がり、様子を見ようと立ち上がる。
「……ん」
その瞬間、紙が落ちた。
それを拾い上げ、書いてある文を読む。ステラからだった。
『ユーラ村が占拠された。今はカンパヌラで戦闘中らしい。
俺も参加する。こちらには最強の傭兵、キールがいるんだ。大丈夫だろ。』
「……キールさん」
彼の噂は聞いたことがある。たった一人で敵陣に飛び込み、その軍隊を壊滅させたとか。最強の名を与えられても尚、ストイックに修行を続けているとか。
そんな彼が味方となれば、安心できるというもの。しかし、油断は大敵である。
ミルは人々の間を縫ってバルコニーへ出た。城から見て北東、カンパヌラの方で煙が上がっている。ロザリアでもいくつか煙が上がっているようで、ソルティーナの勢力が想像以上のスピードで攻めこんできていることがわかった。
時間が経つのが遅い。一分が、一時間二時間にも感じられる。
城へと巻き込まれた民衆の遺体が運ばれていく。親族の顔を見つけた者は泣き崩れ、見つけなかった者は不安と期待を滲ませる。
ミルも駆け寄り、運ばれる遺体を見つめた。中には赤ん坊もいて、皮膚が焼けただれている者もいた。
そんな中――
「……うそ」
見慣れた顔が、運ばれていく。一人は顔面に大きな傷をつけられ、もう一人は血まみれだったが、ミルにはわかった。
「うそだ……お母さん! お父さん!!」
何度もそう叫びながら、ミルは膝をつく。
更にその後、弟と妹も運ばれてきた。それを見つけた瞬間、彼女はついに泣き崩れた。
家族の死。残されたのは、自分だけ。
もう自分には、ステラしかいない。
ミルはいっそう祈る。彼以外に頼れる人は、もうこの世にはいないのだから。
* * *
戦が始まってから、三日目の朝。ステラ達傭兵団の安否は知らされておらず、ミルの不安は募るばかりだった。
――ここにいても、気が滅入るだけだ。ミルはそう考え、ワンピースの上にローブを羽織ると、そっと城を抜け出した。
今は戦中だということも忘れる程空は青く、風も心地よい。至るところで咲いている花が揺れている。
ミルはなびく髪を押さえつつ、ジラソルト遺跡群へと向かっていた。ロザリアからは遠くなく、その近くには小高い丘があるのだ。
ロザリアには人影などひとつもなかった。皆城へ避難したのだろう。
いつもは人が溢れる程賑わっているチュリア商店街。そこをたった一人で歩くというのは、いささか違和感すら感じる。
丘を登り、カンパヌラの方向を見つめる。炎と煙があがり、交戦中であることは一目瞭然だ。
「……あれ」
ふと、丘の頂上に違和感を感じた。そこだけ不自然に飛び出ている。
近づいてみると、それは銀色の光沢を放つ銃であることが分かった。何故ここに置いてあるのだろう――そう思っていると、近くに折り畳まれた小さな紙があることに気づいた。
『もしこの丘に訪れる貴方が
この銃を使う覚悟があるのなら
この銃は貴方の力となりますように』
綺麗な字だ。しかし文字が少し歪んでおり、そして細い。
そして紙の端には、血と思われる赤い染みがあった。
焦っていたのか、それとも――。ミルはこれを書いた者の名を探すが、それはちょうど染みで見えなくなっていた。ただ、辛うじて『傭』という字が読めたので、傭兵であることは間違いないだろう。
ミルは紙をまた折り畳むと、銃と一緒にローブの内ポケットにしまった。
西の方角から黒い雲が近づいてきている。雨が降る前に城に戻った方がいいだろう。
ミルは踵を返して歩き出す。最後にカンパヌラの方を見やると、祈るように目を閉じ、そして走り出した。




