大事なもの? 愚問だなブラザー
気が付いたら暴力を振るってしまっている。そんな生活になったのはいつからだろう。
自分の娘なのに、その仕草が、態度が、存在が疎ましい。
知らない男と出ていった元妻に似てくるその顔が気に入らないのか、仕事で上手くいかないそのストレスをぶつけているのか、もはや原因すらわからなくなってしまっていた。
久しぶりの休日、部屋で酒を飲んでいると、どこかうれしそうな顔をして香奈が帰ってきた。だが、俺の姿を見ると途端に顔をこわばらせ無表情になる。
それはそうだろう、普段から暴力を振るっている俺を見てそういう態度になるのもわかる、だがそれすら俺は気に入らない。わかっている。わかっているけどどうしても、どうしても我慢できないのだ。
思わず怒鳴り声をかけてしまう、びくりと震えるその体を捕まえ、手を振りあげる、その時チャイムがなった。
こんな時間にいったい誰がと思う、玄関に向かって声を荒げ、用件を聞くが帰ってくるのは再度のチャイム。
仕方がないので玄関に向かい、ドアを開ける、そこには4、5歳くらいだろうか、幼稚園服を着込んだ子供が一人立っていた。
「祇園精舎の鐘の声」
急にしゃべり出すその子供、どいつもこいつも、と思い怒鳴りつけようとその顔を見るとその目は、その子供の目は、まるで夜叉のごとく深淵に潜む炎を、たぎる炎をこれでもかと溢れさせている。
恐ろしかった、たかが幼稚園児にこの俺が恐れたのだ、あわてて扉を閉める。バタンという音と共に扉が閉まるが扉の反対側で声がまだ聞こえる。
「諸行無常の響きあり」
ずりずりと後ずさる、腰は抜けて立つことが出来ない、なんだ、この恐怖は何だというのだ。
「沙羅双樹の花の色」
ばかな、たかが幼稚園児に、幼稚園児ごときに。
「盛者必衰の理をあらわす」
ザン、と鉄製の扉が切りさかれる。
まさか、まさか木刀で、木刀で切ったというのかその扉を!
「てめぇの罪を数えな、貴様の乳首は何色だぁぁぁぁぁ!」
振りおろされる木刀、打ちのめされる俺。乳首、そうか、乳首の色。
昔俺は乳首の色は桜色だと思っていた、だが、現実はそんなに甘くはなかった。桜色の乳首なんてどこにもなかった。だから俺は絶望した、この世界に絶望してしまった。
だが、だがどうだ、それを探していた俺の乳首はどうだった、桜色だったか、桜色でもない俺が、桜色を探していたというのか、愚かだ、俺は愚かだ、そんな原点にも気づかないほど追いつめられていたなんて。
力の入らない体を必死に持ち上げその幼稚園児を見る、剣を構えこちらを見下ろしている。とどめを刺さないのだろうか、そう思ってみていると構えが変わる。
な、なんだと、まさかこの構えバルタ○星人だとっ……!
俺はこのとき初めて前に立っている幼稚園児、いや男、いや、漢を理解した。
これは、この漢は逆らっちゃいけない、闘ってはいけない、そう、けして勝てないアヴァロン。
その構えのままその漢はしゃべりだす。
「お前には足りない物がある、それはぁぁぁっ! 情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ、そしてなによりもぉぉぉぉぉぉおおぉぉおお!」
振りかぶられる木刀、そして吹き飛ばされる俺、体の痛みより心の痛みが辛い、俺は、俺はなにを見ていたんだ。
崩れ落ちていく俺の耳に聞こえる最後のセリフ、俺の心に響く最後のセリフ、そうだ、そうだったのか、それこそが真実だったのか。
「――――――――――妹が足りないっ!」
チン、と鞘が無くとも納刀の音が部屋に響く、そうか、俺は、俺はぁぁぁぁっ。
涙が止めどなく溢れていく、謝ろう、娘に。いや、妹に。
「ふっ、どうやら戻ってきたようだな。目の色が変わってるぜ」
ああ、すまない、本当にすまない、俺は、俺は……。
「俺より先に謝る相手がいるんじゃねぇのかい?」
そうだな、償えるかはわからない、でもこれから一生かけて償うよ。
「償う? ちげぇな、尽くすのさ、無償の愛それこそが本当の真実、トゥルースさ」
そうか、そうだな、無償の愛、忘れていたよ。
そうだ、きみの、いや、あなた様の名前を教えていただけないだろうか。
「様なんて不要だぜ、俺たちはもう魂の友、ソウルブラザーじゃねぇか」
そんな、こんな俺をブラザーと呼んでくれるのか友よっ!
「過去は重要なファクターの一つ、だがそれだけが全てじゃねぇ、あんたがこれから何をするか、それこそが本当に大事な事さ」
目の前が見えない、俺は、俺は止めどなく流れる涙で前が見えなくなっていた。
俺は、俺は、俺はっ……!
「俺の名前は月光 グレイツ 輝。いや、ジャスティス 輝、そう呼んでくれ」
ジャスティス、心に響く、魂に響く、体が、心が、魂が洗われていく、香奈、すまない、俺は、俺は……。
「もう大丈夫なようだな……。勝ち鬨をあげろ野郎ども! 俺たちの勝利だ!」
木刀を掲げ、叫ぶジャスティス、どこからともなく声が聞こえてくる。アパートの外を見ると幼稚園児が集まり声を張り上げ、叫んでいる。
「「「ジャスティス! ジャスティス! ジャスティス!」」」
気づいたら俺も一緒に叫んでいた、そうだ俺のジャスティス、俺の愛、俺の思い、いつこの罪が消えるかはわからない。だが、だが、俺は一生かけて尽くそう、それが、それこそが俺のジャスティスだから。
「あれ、知らない子が……」
「俺たちのブラザーさ」
「いや、輝君。勝手に園児を増やしちゃ……。いや、ごめんなさい何でもありません。はぁ……、えーとお名前はなんていうのかな?」
「さおとめ ジャスティス かな! 5さい!」
「え、ええと……、ご両親は?」
「んと、んと、おかーさんはいないの、でもおとーさんはおにーちゃんになったの!」
「えーと、うん。輝君どういうこと?」
「フッ、つまりはジャスティスさっ!」
「わかるかぼけぇぇぇ!」