第93話 月曜の朝──新しい生活へ向けた一歩
月曜の朝。
休日の余韻を残したまま、ほんの少し柔らかい光が部屋に差し込んでいた。
美月はキッチンでコーヒーをいれながら、
昨日の航平の言葉を思い返す。
(……本当に、同棲するんだ)
胸の奥がじんわり熱くなる。
そこへ、航平が寝室からゆっくり姿を見せた。
「おはよう、美月」
「……おはようございます」
ぎこちなくない。
昨日までの延長みたいなのに、
それでも“恋人の家の朝”という新しい温度があった。
「昨日、不動産屋の名刺……豊さんからもらったよね?」
「うん……」
航平は美月の顔を見て、優しく微笑む。
「美月の休みに合わせるよ。
水曜と土曜、どっちがいい?」
「……航平さんの休みの日がいいです。
いっぱいゆっくり見たいし……」
「ああ、嬉しい。じゃあ、今週の水曜にしようか」
あまりにも自然に“二人で住む家”の話が進んでいく。
(……あぁ、本当に始まるんだ)
胸がふわっと震えて、美月は思わず手元を見つめた。
一方、同じ時間の「Bar Toyo」。
豊は早めに店に入り、黙々と仕込みをしていた。
冷蔵庫を閉めた瞬間、
(……とうとう、か)
その感情が胸に静かに波紋のように広がる。
邪魔するつもりはない。
背中を押すつもりでもない。
ただ——
“父親としての不思議な寂しさ”だけが、ひっそり顔を出していた。
開店前。
美月が店に入ってくる。
「おはよう、お父さん!」
その顔は、昨日とは違う。
何かを決めた女の顔。
「おう」
豊は仕込みの手を止め、娘の表情を見た。
「……昨日の続きだけどさ」
「うん?」
「水曜日に……航平さんと、不動産屋さんに行こうと思う」
その言葉を言った瞬間、
美月の声がほんの少しだけ震える。
嬉しさと不安と、
希望との全部が混ざった震え。
豊はゆっくり頷いた。
「行ってこい。
時間は……2人で決めればいい」
「……うん」
「家はな、住む人間がつくるもんだ。
“正解”なんか最初からないぞ」
その言葉に、美月の肩の力がすっと抜けた。
「……ありがとう、お父さん」
豊はその横顔をそっと見て、
自分の胸の奥でわずかな痛みを確かめる。
(……玲子。
美月はまた一歩、大人になったよ)
心の中で、亡き妻にだけそっと語りかけた。
開店準備が整う頃、
美月はエプロンを結びながら呟いた。
(……水曜日が楽しみだな)
人生の新しい扉が、
静かに開きはじめていた。




