第77話 日曜日:母に会いに行く朝
日曜日の朝、窓の外は薄い雲が流れ、まだ眠たげな空だった。
(……今日は、お母さんに会いに行くんだ)
昨夜、閉店後に豊へ言った。
「明日、お母さんのお墓参りに行こうと思うの」
それだけで、豊は一瞬だけ目を細めて、ゆっくりうなずいた。
「……そうだな。一緒に行こう」
その返事が、静かに胸に沁みた。
電車の揺れに身を任せながら、美月は向かいに座る豊をこっそり見つめた。
黒のコートに紺のジャケット。
いつもより少しきちんとした格好。
「お父さん、お墓参りの時って……なんかいつもオシャレだよね」
そう言うと、豊は肩をすくめて笑った。
「好きな人に会いに行くのに、みっともない格好はできないだろ」
照れ隠しでも強がりでもなく、
本当に当たり前のように言うその声に、美月の胸がぎゅっと熱くなる。
(お父さんって……ほんとに、お母さんのこと……)
羨ましくて、誇らしくて。
そんな気持ちが一度に押し寄せた。
「……お父さん、かっこいいよ」
「おう、知ってる」
冗談めかして言うのに、どこか嬉しそうだった。
霊園に着くと、冷たい空気が頬を刺した。
冬の匂いと、静かな朝の匂い。
並んで歩いていると、美月がふと足を止める。
(……あれ?)
墓前に、人影がひとつ立っていた。
黒いコート。
少し俯いた横顔。
そして、その背中。
(……航平さん?)
目を疑った。
豊が先に声をかけた。
「おーい、航平」
その声に、航平がゆっくり振り返り、小さく一礼した。
「おはようございます、豊さん……美月」
美月は完全に固まった。
「どっ、どうして……?」
声が震える。
豊はポケットに手を入れたまま、なんでもない声で言った。
「昨日な。航平にメールしたんだよ。
美月の母さんの墓参りに行くって」
「……えっ……」
「来いなんて言ってねぇぞ。
ただ“行く”って言っただけだ」
その言い方が、どう考えても“来てほしい”に聞こえる。
美月は思わず苦笑した。
航平は照れくさそうに目を伏せた。
「お母さんに……どうしても挨拶したくて」
その一言に、美月の胸がじんわりあたたかくなる。
三人で墓前に立つと、空気が静まった。
美月は手を合わせ、深く目を閉じる。
(お母さん……)
言葉にはしない願いが胸の中でほどけていく。
目を開けると、視界の隅に航平の横顔が入った。
真剣で、静かで、あたたかい表情。
(……お母さん、聞こえてるよね)
思わず胸がふるえた。
今日ここに、航平が来てくれたことが嬉しくて、
そして、どこか安心した。
隣では、豊がそっと手を合わせたまま、空に向けて微笑んでいた。
(お母さん。
私……幸せになれるかもしれないよ)
冬の冷たい空気の中で、
美月の胸だけが、ふわりと熱かった。




