第75話 土曜日・喫茶店にて──ブルーのピアスケース
個展のざわめきがようやく静まり、
ギャラリーを出た豊と友梨は、並んで歩き始めた。
土曜の夕暮れ、少し冷たい風。
二人が入ったのは、昔から変わらない喫茶店だった。
席に着くと、友梨がふぅ、と息をつく。
「……疲れたけど、よかったね。健司の絵」
「あぁ。あいつ、ずいぶん変わったな」
豊がコーヒーを一口飲む。
店内の柔らかい照明が、二人を包んでいた。
少し沈黙が落ち、
豊はゆっくりとバッグから 小さな箱 を取り出した。
「……友梨。これ、渡しておく」
「え?」
友梨が箱を見る。
落ち着いたブルーのケース。どこか懐かしい色。
「玲子の……?」
尋ねる声が震えた。
「そうだ」
豊は静かに頷いた。
「玲子はな……ピアスの穴を開けたことがない。
なのに、このピアスだけは丁寧にラッピングされてた」
友梨はそっとケースを開けた。
中には、
友梨の誕生石のピアス が静かに光っていた。
淡いブルーが、光を受けて揺れる。
「……これ、私に?」
友梨の声がかすれる。
「多分な。
俺、最近までこのピアスのことは忘れてたんだ」
豊は少し笑った。
「玲子が亡くなってから……
荷物もほとんど触れなかった。
ひとりで美月を育てて、店も続けて……
余裕なんかなかったんだよ」
その言葉には、
あの頃の苦しさと、必死さが滲んでいた。
友梨はケースからピアスを取り出そうとする──
指先が、小さな紙片に触れた。
「……え?」
底に 小さなメッセージカード が置かれていた。
震える指で取り上げる。
そこには、
数年ぶりに見る玲子の丸い優しい字で、こう書かれていた。
『お姉ちゃん、ありがとう。
いつまでも仲良し姉妹だよ。』
友梨の涙が、ぽたりと落ちた。
声にならない息が漏れる。
玲子の笑顔が、ふいに現れてしまうようで。
「……玲子らしいな」
豊が静かに笑った。
「不器用で、優しくて……
最後まで誰かを想ってる」
友梨は目元を拭いながら、かすかに笑う。
「ほんと……あの子らしい……」
ブルーの誕生石が、
姉妹の時間を繋ぐように優しく光っていた。
喫茶店の窓越しに、夕暮れがゆっくりと落ちていく。
豊も友梨も、
同じ一人の人を想いながら、静かに時間を過ごした。




