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妄想恋愛ばかりしていたら、金曜日に本物がきた。  作者: つなかん


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第6話 Saturday:胸の奥、触れられたみたいだった

土曜日の朝。

 雨上がりの東京の空は、どこか柔らかくて、

 少しぼんやりとした光が部屋に広がっていた。


 目を覚ました瞬間、

 胸の奥が熱いままだった。


 昨日、航平さんが言った言葉が頭から離れない。


「次は、ゆっくり話したいな」


 耳元で言われたわけじゃないのに、

 息がかかりそうなくらい近く感じた。

 思い出すだけで、胸に小さな火がつく。


「……なんなの、これ」


 自分に問いかけるように呟く。


 今までは、

 妄想の恋に胸が高鳴るだけで、

 現実の誰かにこんな反応をしたことなんて一度もなかった。


 なのに。


 なのに、昨日は——

 カウンター越しに目が合った時、

 体の奥がきゅっと縮むみたいに苦しかった。


(顔、見られただけで苦しいなんて……どうしちゃったんだろう)


 髪を整えてみても、

 鏡の中の自分がいつもと違うように感じる。


 頬が熱くて、目がどこか落ち着かない。


「……恋なんて、そんな簡単にするわけないじゃん」


 否定した声が、やけに弱かった。


 土曜日は店の定休日。

 外はちょっと蒸し暑くて、

 部屋の中には観葉植物の葉が静かに揺れている。


 ぼんやり舞い散る埃の粒を眺めながら、

 気づいたらスマホを手に取っていた。


 指先は自然と写真フォルダを開く。


 店の外観。

 父と三人で写した昔の写真。

 航平さんが撮ってくれた小さい頃の私。


 その中に、

 最近いつ撮ったかも忘れた、何でもない風景の写真がある。


 夕方の淡い空。

 街灯の光。

 濡れたアスファルト。


(……昨日の帰り道みたい)


 それに気づいた瞬間、

 喉がきゅっと締めつけられる。


 昨日、航平さんが帰ったあと。

 店の扉が閉まった瞬間の静けさ。

 あの胸の痛み。


(寂しかったんだ……)


 自分で気づいて、

 はっと息を呑んだ。


(え……私、航平さんが帰ったから寂しかったの……?)


 パニックになりそうな胸を押さえながら、

 スマホをそっと置いた。


 深呼吸をひとつ。


 でも落ち着くどころか、

 心臓はますます速くなる。


(どうしよう……これはさすがに、妄想じゃごまかせない)


 昼過ぎ。

 買い物に出ようとした時、スマホが震えた。


 画面には“父”の名前。


《今日は休みだし、ゆっくりしろよ》


 いつもの父からのメッセージ。


 でもその下に、

 なぜかもう一件通知がある。


《橘 航平》


(え……)


 心臓が跳ねる。

 震える指で開くと、短い文章が表示された。


《昨日はありがとう。美月がいると落ち着く》


 たったそれだけ。

 なのに。


 息が止まる。


 喉が熱くなる。


(こんなの……反則でしょ……)


 胸の奥をやさしく撫でられたみたいに、

 体中がふわっと熱を帯びた。


 文字を見た瞬間、

 胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛い。


 嬉しいのに、苦しい。

 苦しいのに、読み返してしまう。


「……やだ……何これ……」


 涙がにじむほどの胸の高鳴りに、

 自分の反応が怖くなる。


 今までの妄想恋愛とは、

 まったく違う。


 これは——

 現実の誰かに触れられた時の、

 体の奥から湧き上がる感情。


(どうしよう……)


 スマホを胸に押し当てる。

 ドクドクと脈打つ音が、

 まるで誰かの名前を呼んでいるみたいだった。


 そう。

 呼んでいる。


 ——航平さんを。


 夕方になっても、

 胸の熱は消えなかった。


 洗濯物を畳んでも、

 料理を作っても、

 テレビをつけても。


 頭の中にはずっと、

 低く落ち着いた声が響いている。


『美月。ゆっくりでいいよ』


 気遣いの言葉だったはずなのに、

 なぜかあの声だけは、甘すぎた。


(……もしかして)


 思わず胸に手を当てる。


(私……航平さんのこと、好き……なの?)


 自分で言葉にしてしまった瞬間、

 涙がこぼれそうになった。


 その涙は悲しみじゃなくて——

 どうしようもないほどの“嬉しさ”だった。


 胸の奥で静かに灯った光は、

 もう消えなかった。


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