第64話 Thursday Morning:目が覚めても、まだ抱きしめられている
木曜日の朝。
目が覚める前から、
胸の奥がふわりと熱かった。
まるで夢の中の続きを
そのまま抱きしめているような感覚。
(……あれ……?)
いつもの布団の重さじゃない。
肩にかかるのは、
あたたかい腕。
後ろからそっと包み込むように回された腕。
潮の香りではなく、
カフェの香りでもなく、
“航平さんそのもの”の匂い。
ゆっくり目を開くと、
同じ枕に彼の呼吸が落ちていた。
寝息は静かで、
耳の後ろにふわっと触れるたびに
全身がかすかに震える。
(……本当に……一緒に夜を過ごしたんだ)
現実だと思った瞬間、
胸の奥がじんわり熱くなる。
昨夜、
玄関で抱きしめられた腕も、
照明もつけないまま交わした深いキスも、
離れたくないと伝えてくれた声も。
全部、思い出すだけで顔が熱くなる。
その余韻がまだ、
身体にも、心にも、
溶けきらずに残っていた。
背中に感じていた腕が
ゆっくり動いた。
寝返りではない。
意識のある、ゆっくりした“抱き寄せ”。
「……起きてる?」
低くて、まだ眠たげな声。
耳のすぐ後ろで囁かれて、
思わず肩が震える。
「……はい……」
声が小さくなったのは
恥ずかしさのせい。
すると、
彼がくすっと笑った気配がする。
腕の力が少しだけ強くなって、
背中に彼の胸が当たる。
「……ほんとに、ここに居るんだなって……安心した」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
(昨日……黒田さんとすれ違って……
あの時の航平さん、ちょっと不安そうだった……)
その余韻が
今も残っているのかもしれない。
だからその言葉が、
余計に愛しくて、切なくて。
「……昨日も……今日も……
航平さんのそばにいますよ?」
振り返らなくても分かる。
航平が一瞬息を止めた。
「……美月」
名前を呼ばれた瞬間、
抱きしめる腕がゆっくりと前で絡む。
指先が、
まるで確かめるように触れ合う。
「……幸せすぎて、怖い」
その声は本気で、
冗談なんてひとかけらもなかった。
(……同じだよ)
言おうとした瞬間、
彼の唇が首筋のすぐ下、
触れそうで触れない距離に寄った。
「動かないで……もう少し、このまま」
「……はい」
返事をすると、
後ろから彼の額がそっと美月の髪に触れた。
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、
優しい影を部屋に落としていく。
(……ずっと、このままがいい)
そう思ったのは、
たぶん、美月も航平も同じだった。
時計の音なんて聞こえない。
カーテンの隙間の光も、
鳥の声も、
朝を告げるすべてが遠く思える。
「……今日は仕事か」
「……はい……」
「行かせたくないんだけど」
「だ、ダメですよ……」
そう言うと、航平がまた笑う。
子供みたいな、でも愛しい笑顔。
「……夜、迎えに行くから」
「はい……待ってます」
その約束だけで、
また胸があたたかくなる。
恋人になって初めて迎える朝。
こんなにも優しく、
穏やかで、
心が震えるものだなんて知らなかった。
(……金曜日の夜より、
日曜日より、もっと好きになってる)
木曜日の朝は、
静かで、甘くて、
夢みたいにあたたかい時間だった。




