第61話 Wednesday Night:ほどける鼓動
雨はようやく弱まり、路面に映った街灯の光が揺れていた。
傘を閉じた航平と美月は、ゆっくり並んで歩き始めた。
さっきまで店の前に漂っていた、あの妙な緊張感。
“黒田”という存在。
大人の余裕と影をまとった男と対面したことで、航平の胸にはまだざらつきが残っていた。
美月は歩きながら、彼の横顔をそっと見つめる。
(……航平さん、さっきから何も言わない)
沈黙が怖かった。
けれど同時に、困っている航平を支えたい気持ちが胸で膨らんでいた。
その時——
「……今夜、一緒にいたい。」
小さく、でも確かな声で航平が言った。
言った瞬間、自分でも抑えきれなかったように息を呑み、僅かに肩が震えていた。
その“切羽詰まった声色”に、美月の心臓が一気に跳ねる。
(……どうしよう)
ドキドキと緊張が混ざる。
でも、拒否したいわけじゃない。
ただ——さっきの航平の不安な目を思い出し、胸がぎゅっと締めつけられた。
(勢い……? 流されてる……?)
そんな言葉が一瞬よぎる。
でも、すぐにそれは消えていった。
(違う。
私は……この人の全部を受け止めたい)
美月は深呼吸して、そっと微笑んだ。
「……来ても大丈夫、だけど。」
航平がこちらを向く。
暗がりでも分かるほど、その目が驚きで揺れた。
「……え?」
「歯ブラシとか……何もないから……」
胸の奥の緊張をごまかすように、続けた。
「……帰りにコンビニ寄ろ?」
一瞬。
張りつめていた航平の糸が、ぷつんと切れたように見えた。
「……うん。」
くしゃっと笑ったその顔は、少年のように無防備で愛しくて——
美月は胸が熱くなる。
手を繋ぎたそうにしている航平の指先が、そっと自分の手を探してきた。
雨上がりの冷たい空気の中で、ふたりの手の温度だけがじんわりと混ざっていく。
(……こんな航平さん、初めて見る)
守ってもらうばかりじゃなく、
自分も支えになれる夜が来るなんて思っていなかった。
足元の水たまりが小さく波打つ。
その光景の中で、ふたりの距離はもう、戻れないほど近づいていた。




