第56話 Tuesday Night:嫉妬も恋の味
火曜日の夜の「Bar Toyo」は、山崎さんの恋バナでいつになく温かく賑わっていた。
山崎さんの声は弾み、豊は相槌をうつたびに穏やかに笑う。
大人の恋愛話なのに、どこか青春のような空気がカウンターに漂っている。
(……なんか、いいな)
そんなふうに思っていた美月だったが──
カウンターの端で静かにグラスを傾ける“あの人”が視界に入ると、胸の温度が一気に変わった。
(……航平さん)
ただそこに居るだけで、心臓が忙しくなる。
すると、豊が山崎の話を聞きながら
まるで何気ないふうを装って、小声で言った。
「美月、航平に軽いつまみ出してきてくれ」
「……うん」
表情には出さなかったが、
(気づかれてる……)
と胸が少し熱くなる。
小皿にナッツを盛り、航平の席へ向かった。
「お待たせしました。これ──」
皿を差し出そうとした瞬間、
航平の指が、すっと美月の手首を掴んだ。
温かい掌。
引き止めるように優しく、でも確かに。
「……ここにいて」
「っ……」
息が止まる。
顔が熱くなるのが自分でも分かる。
隠せない。
航平はその赤さを見て、
静かに微笑んだ。
「……かわいい」
「……っ、そんな……」
言葉が喉で溶けてしまう。
仕事中なのに、心臓が落ち着かない。
そんな時、明るい声が響いた。
「おっと、ごめん豊さん! 彼女からメール来たんで、今日はこれで帰りますわ!」
山崎さんが上機嫌で席を立った。
目尻が下がり、恋する男の顔になっている。
「山崎さん、なんか……かわいいですね」
美月が思わず笑うと──
隣の航平の気配が変わった。
(……あ、嫉妬してる)
ほんのわずかに眉が寄る。
グラスの縁を指でなぞく癖が出る。
その小さな変化が愛しくて、美月はそっと航平を見た。
「……ねぇ、航平さん」
「ん?」
「嫉妬してくれるの……嬉しい。
もっと好きになっちゃう」
その一言で──
さっきまで曇っていた航平の目が、一気に晴れた。
まるで子どものように、でも誰よりも大人の余裕が混ざった笑顔。
「……ほんと、反則だよ。美月」
胸が甘く震える。
閉店後。
豊、航平、美月の3人で駅へ向かって歩く。
夜風は少し湿っていて、空には薄い雲がかかっていた。
「明日、雨だな」
豊が空を見上げてつぶやく。
「ですね……傘持ってきた方がいいかも」
美月が答えると、航平が隣で小さく笑った。
「じゃあ……明日も迎えに来る理由ができた」
「え……」
不意打ちの低い声に、胸が跳ねた。
豊は前を歩きながら、何も言わずに微笑んでいる。
(全部……見透かされてる気がする)
駅の前で三人は自然に足を止めた。
「じゃあ俺はこっちだ。……お疲れ」
「お疲れさま、豊さん」
「お疲れさまです」
豊が手を軽く上げて去っていく。
残された二人は──
街灯に照らされながら、ゆっくり見つめ合った。
「……送るよ」
「うん」
ほんの短い返事なのに、二人の距離はまた少し近づいた。
火曜日の夜は静かに、でも確かに恋を深めていく。




