第54話 Tuesday Morning:安心したくて、強くなりたくて
火曜日の朝。
冬の光がまだ弱く差し込む時間帯。
豊は、いつものように古びたコートを羽織り、
航平のカフェ「À mon rythme」の扉を押した。
カラン、と静かなベルの音。
「おはようございます、豊さん」
カウンターの向こう、航平が柔らかく微笑んでいた。
店内にはまだ誰もおらず、焙煎したてのコーヒーの香りだけが漂っている。
「おう。朝から悪いな、邪魔したか?」
「いえ。ちょうど一杯、淹れたところです」
航平は迷わずもう一つのカップに香り高いコーヒーを注ぎ、
豊の前へそっと置く。
「……で、毎日迎えに行くつもりか?」
豊はカップを持ち上げる前に、わざと軽い調子で聞いた。
その瞬間、航平は——
少しだけ照れたように、しかし即答した。
「……はい。毎日会いたいです」
「はは。素直だな、お前」
「でも——」
航平は苦笑し、肩を少しすくめた。
「仕事もありますし……全部を美月に合わせるのは違うとも思うんです。
自分の時間も、美月の時間も、大切にしないと」
大人らしく言っているくせに、
声の奥には “それでも会いたい” が滲んでいた。
豊はその表情を見て思わず吹き出した。
「拗ねた顔してるぞ、航平」
「……してませんよ」
「してるって」
豊は苦笑しながら、
まるで息子をあやすように——
いや、弟のように、航平の頭を軽くポンポンと叩いた。
航平は驚いたように目を丸くしたが、
次の瞬間、ふっと力を抜くように息を吐いた。
少し、安心したような表情だった。
「……豊さん」
「ん?」
航平は、少しだけ言いにくそうに続けた。
「正直……安心していいのか、分からなくて」
「何がだ?」
「火曜日の男も……水曜日の男も……
会ったことはないですけど、噂は聞きました。
“美月ちゃんにちょっかい出すやつがいる” って」
豊はカップを置いた。
その視線には、からかいも怒りもない。
ただ、深い理解だけがあった。
「……お前も気にしてるんだな」
「……はい。
もちろん美月を信じてます。
でも……自分が “安心したい” 気持ちもあって」
航平はカウンターに指先を置き、
静かに言葉を落とす。
「だから今日も……明日も……店に行こうと思います。
ちゃんと、美月の横に立ちたいから」
その言葉は、恋人になったことを自覚した男の声だった。
豊は黙って聞いていたが——
やがて、
まるで誇らしそうに、優しく微笑んだ。
「……そうか」
その一言には、言葉以上の意味が含まれていた。
父として、
店主として、
そして、昔から見てきた大切な若者として。
「自信持て、航平。
美月はもう……お前の方、見てるよ」
その声は、
ゆっくりコーヒーを飲みながらも、どこか温かく静かだった。
航平は、胸の奥にじんわり広がる安心感を感じながら、
深く頷いた。
「……ありがとうございます、豊さん。
今日も店に行きます」
「おう、好きに来い。
どうせ美月も……待ってるだろうしな」
からかうように笑い、
豊はコーヒーの最後の一口を飲んだ。
(……そうだ。俺はもう、逃げなくていい)
航平の胸には、
昨日とは違う“覚悟”が、ゆっくり形を成していた。




