第43話 Sunday:湘南へ向かう電車の鼓動
電車の窓に、午後の柔らかな光が揺れていた。
日曜日の午後、湘南行きの快速。
車内には休日らしい空気が流れている。
けれど、二人の周りだけ少し違う時間が流れていた。
橘航平は、窓の外を眺めながらも、
隣にいる美月の気配から一瞬たりとも注意を逸らせずにいた。
(……連れてきてよかったのかな)
そんな不安めいた思いが胸をかすめる。
ここは、彼の“地元”へ向かう電車。
家族や昔の知人がいた町。
彼の記憶が詰まった場所。
でもその隣で、美月は小さく息を弾ませていた。
「もうすぐ……海、見えるかな」
その声は、子どもみたいに嬉しそうだった。
航平がその表情を見たら、
きっと胸が締めつけられていたに違いない。
電車が大きくカーブした。
車窓の向こうに、遠く青い水平線がふっと姿を現す。
美月の身体がふわっと前に乗り出した。
「わぁ……!! 見えた……!」
抑えきれない声。
その無邪気さが、車内の空気まで明るくする。
航平は、美月の横顔を見つめた。
その目に映る“初めての海”の光。
それを見て、思わず胸の奥に微かな痛みが走った。
(……可愛いな)
けれど、その言葉は口には出さない。
今日言うべきことは、他にある。
電車が海沿いに出ると、窓は一気に青へ染まった。
美月は頬を桜色に染めたまま、
胸に手を当てるようにして言った。
「なんだか……ドキドキする」
(俺もだよ)
航平は、言葉にしない心の声を飲み込む。
駅に近づくアナウンスが流れると、
美月は少し緊張したように、けれど嬉しそうに息を呑んだ。
「降りるの……ここ?」
「ああ、そう。……俺の地元なんだ」
「えっ……そうなの!?」
美月が驚いて顔を向けた。
瞳の奥に一気に“特別”という色が宿る。
「うん。昔……ずっと住んでた」
「……なんか、嬉しい」
その言葉は小さな声だったが、
車輪の音の上でも航平の耳に確かに届いた。
彼は一瞬だけ視線を落とし、
照れたように、ただ小さく笑った。
改札を抜けた時、
潮の香りの混じった風がふわりと二人を包んだ。
「わぁ……空気が違う……!」
美月は、風の方へ歩き出す。
その軽い足取りに、航平は自然とついていく。
海が近い。
夕方に向かい始めた陽射しが、街の壁に長い影を落としていた。
(……今日、言うべきだ)
航平は胸の奥でそっと決意を固めた。
彼女の無邪気な笑顔が、
海へのときめきで輝く姿が、
どうしようもなく胸に刺さっていた。
(言わなきゃ……後悔する)
その想いは、湘南の風と一緒に静かに熱を帯びていく。
「航平さん、海……こっち?」
「うん。すぐそこだよ」
美月が嬉しそうに先を歩く。
その後ろ姿を見つめながら、
航平の胸の鼓動は、波のように高く揺れ続けていた。
まだ告白の言葉は言えない。
でも、その瞬間は確実に近づいている。
二人は、ゆっくりと夕暮れの海へ向かって歩き出した。




