第36話 Friday:──誰が来た?
胸の奥にある鼓動が、
航平さんの言葉でさらに強くなっていた。
(……もう、逃げられない)
そんな空気だった。
二人の距離がゆっくり縮まり、
お互いの息がかすかに触れそうで。
今にも、“次の言葉”が落ちてきそうで。
その時だった。
──カラン。
店のドアベルが静かに鳴いた。
「……え?」
美月は反射的に扉の方を見る。
誰も来ないはずの時間。
もう閉店間際で、灯りも少し落としてあって、
常連でさえ入ってこない時間帯。
(今……誰?)
空気が一瞬で張り詰める。
航平もわずかに身体を固くした。
豊も、手にしていたグラスを静かに置く。
扉が、ゆっくりと開いていく。
店内の薄い照明が、
来訪者の影を床に落とした。
ヒールの音でもない。
常連の足音でもない。
けれどどこか聞き覚えがある──そんな気配。
(……まさか)
美月の胸がざわつき、
息が浅くなる。
扉が開ききる直前、
豊がぽつりと呟いた。
「……誰だ?」
まるで、空気の裂け目に落ちるような声だった。
来訪者の影が、
カウンターの照明に照らされる。
その瞬間、美月の胸が跳ねた。
(──嘘……)
どうして、このタイミングで?
航平の横顔がわずかに強張り、
視線が扉の先へと吸い込まれていく。
足音が、ゆっくりと店内へ踏み込んだ。
豊がもう一度、小さく呟く。
「……お前かよ」
その声に、
美月は息を飲んだ。
──誰が来たのか。
次の瞬間、照明が相手の顔を照らす。
(……っ)
言葉にならないまま、
美月は息を止めた。
その人物は静かに微笑んで、
ただ一言だけ、店に向かって言った。
「久しぶりだね、豊さん」
そして──
美月の方へ、ゆっくりと視線を向けた。
物語は大きく動き始めた。




