第34話 Friday:触れない距離のまま、心だけ重なる
カウンターの奥で揺れる柔らかい照明。
店内は静かで、他の客は誰もいない。
なのに——
心臓の音だけがやけに大きく響いていた。
航平さんは、
いつもの席に座らず、
美月の目の前に立ったまま。
まるで“逃がさない”とでも言うように。
「……美月」
名前を呼ぶ声だけで、
胸が熱くなる。
「はい……」
震えるのを、止められない。
航平さんは少しだけ視線を落とし、
言葉を選ぶように静かに息を吸った。
「今日……来る前からずっと考えてたんだ」
「……なにを、ですか……?」
「君に、何を言えばいいのか」
その声音が、
胸の奥を掴んだまま離さない。
怖い。
でも聞きたい。
聞くのが怖い。
(……どうしよう)
指先が冷たいのに、顔だけ熱い。
「昨日、返信くれて嬉しかったよ」
「……あ……」
「返信だけじゃなくて……
言葉の向こうにある“気持ち”が、ちゃんと伝わった」
その言い回しが、あまりに優しくて——
息が苦しくなる。
「美月ってさ」
航平さんは、
少しだけ笑うように目を細めた。
「……分かりやすいよね」
「えっ……」
「嘘つけないタイプでしょ」
「そんな……」
「嬉しい時は嬉しい顔するし、
不安な時はすぐ目が揺れるし、
大事にしたいものがある時は、
ちゃんとそれが“顔に出る”」
指摘されるほど、胸が熱くなる。
(そんな風に……見てるんだ……)
そう思うだけで、心臓が跳ねた。
「だからね」
航平さんは、
一歩近づいた。
触れない距離。
でも声が触れてくるくらい近い。
「……金曜日が近づくほど、
君が俺を見てくれる時間が増えたの……分かってたよ」
「っ……!」
胸が軋んだ。
「今日も……
俺が来るか気にしてたでしょ?」
図星だった。
返事できないほど。
視線を落とした瞬間、
航平さんがその気配に気づいて、
少しだけ息を吸った。
「……ごめん。
追い詰めたいわけじゃないよ」
「……大丈夫……です」
本当は全然大丈夫じゃない。
でも、逃げるという選択肢はなかった。
胸の奥にあるこの熱は、
もう隠しきれなかった。
「ねぇ、美月」
声が低い。
でも優しい。
でも逃げられない。
「なんでそんな顔してるの?」
「……ど、んな……」
「……俺の言葉、待ってる顔」
その一言で息が詰まった。
「違う……違……」
「違わないよ」
遮られた瞬間——
胸の奥の壁が全部崩れた気がした。
「焦らせたいわけじゃない。
ただ……ちゃんと向き合いたいんだ」
航平さんの声は、
優しさと覚悟が混ざっていた。
「君がどう思ってるのか……
俺のことをどんな目で見てるのか……
ずっと、知りたかった」
息が浅くなる。
(……言われる……)
(言われちゃう……)
(でも——聞きたい……)
胸が痛いほど高鳴る。
その瞬間。
航平さんは、
美月の目をまっすぐ捉えて、
ゆっくりと言った。
「美月。
聞いてもいい?」
空気が張り詰める。
「……君の、その顔の意味」
カクン、と心臓が揺れた。
逃げられない。
もう逃げる場所なんてない。
その続きが落ちる前の、一瞬の静寂。
恋が決定的に動く直前の、息詰まる距離。




