第27話 Thursday:心の中の誰よりも、会いたいのは一人だけ
木曜日の朝。
目を開けた瞬間から、胸の奥がざわざわしていた。
(……昨日の黒田さん)
仕事に向かう準備をしながら、
ふと黒田さんの言葉がよぎる。
『恋してる子の顔って、ほんと綺麗だ』
『誰かのものになる前に、捕まえておきなよ』
あの時の声は、
軽いようで、でもどこか優しくて——
少し寂しささえあった。
(なんで……あんなふうに言ったんだろう)
深い意味なんて、分からない。
知ろうとも思わない。
でも、言われた瞬間、
頭に浮かんだのはただ一人。
(……航平さん)
胸の奥がきゅっと熱くなる。
バーに着くと、
お父さんが先に仕込みをしていた。
「おはよ」
「おはよう」
軽く挨拶すると、豊がちらっと美月を見て言った。
「……昨日の黒田、お前の顔見て安心して帰ったな」
「え?」
手が止まる。
「お前さ、最近ほんといい顔してる。
“誰かのこと考えてる”って顔だ」
「っ……!」
(お父さんにまで言われるなんて……)
頬が熱くなる。
「……まぁ、金曜日だな」
「ちょ、やめて!!」
思わず声が裏返った。
豊は大きくも小さくもない、
絶妙な笑い方をした。
「楽しみにしてるのは悪いことじゃない」
(……楽しみにしてるんだ……私)
その言葉が胸に刺さって、
視線を落としたくなる。
夜。
「Bar Toyo」には木曜らしい静かな空気が漂っていた。
グラスを磨きながら、
どうしてもスマホが気になる。
(……今日は来ない)
分かってる。
木曜日は、航平さんは店の準備で忙しい。
写真が来るのも、きっと仕事終わり。
でも——
来るか来ないかで心が揺れるなんて、
つい最近までの自分からは考えられなかった。
(こんな気持ち……初めて)
窓の外を見ながら、
胸の奥をそっと押さえた。
(明日……来るよね?)
聞きたいのに聞けない。
言えないのに、気づいてほしい。
恋って不便だ。
閉店後、帰り支度をしていると、
豊が小声で言った。
「……美月。明日、焦るなよ」
「えっ……?」
「焦るとろくなことない。
金曜日は“話す日”なんだろ?」
「……っ」
胸がドクンと跳ねる。
「大丈夫だ。
あいつはお前を雑に扱うタイプじゃない」
豊の言葉が、
胸の奥でじんわり広がる。
(……大丈夫、かな)
自信なんてない。
でも、楽しみで仕方がない。
そんな自分が少しだけ恥ずかしくて、
でも嫌じゃなくて。
帰り道の夜風が冷たい。
歩きながら、
ポケットの中で小さくお守りを握る。
(……金曜日、会いたい)
その想いが、
昨日よりも、ずっとずっと強くなっていた。




