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妄想恋愛ばかりしていたら、金曜日に本物がきた。  作者: つなかん


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第26話 Thursday Morning:指輪に込めた境界線

 朝の商店街はまだ静かだった。

 パン屋がちょうど開店準備をしていて、

 コーヒーの香りが風に混じる。


 豊は散歩がてら通りを歩き、

 信号待ちでふと視線を向けた。


 黒いコートに身を包み、

 コンビニの袋を提げて歩く男——


「黒田」


 声をかけると、黒田が一瞬驚いた顔をして、

 すぐに柔らかく笑った。


「豊さん。こんな朝から珍しいね」


「そっちこそ。今日は出勤早いのか?」


「まぁね。ちょっとね」


 互いに軽く頭を下げる。

 朝の空気は冷たいが、会話は自然だった。


「……昨日は、悪かったな」


「ん?」


「余計なこと言っただろ。

 指輪のことをどうこうって」


 黒田は一度目を伏せ、

 小さく笑った。


「いや……あれは“余計”じゃなかったよ」


「そうか?」


「うん。むしろ、効いた」


 その言い方に豊が眉を上げる。


「少し歩かない?

 コーヒー奢るから」


「お、珍しいな。黒田が奢るなんて」


「……たまにはいいでしょ」


 二人は並んで歩き、

 通りの角にある小さなカフェに入った。


 コーヒーを受け取って席に座ると、

 黒田はグラスの水をひと口飲んでから、

 左手の薬指をゆっくりなぞった。


 昨夜と同じ仕草。


「……これ、ね」


「あぁ」


「“結婚指輪”じゃないんだよ。

 法律上は妻がいるけど、

 俺たちはもう……形だけの関係でね」


 豊は黙って耳を傾ける。


「恋愛も自由。

 お金も別。

 家も別。

 名字だけが、かろうじて一緒って感じ」


「……まぁ、そんな夫婦もいるわな」


「だろう?

 だから、この指輪は“夫の証”っていうより……」


 言葉を探しながら、

 黒田は指輪を軽く触れる。


「……“戒め”だよ」


 豊が目を細めた。


「戒め?」


「俺はね、

 惚れっぽいんだよ、豊さん」


「知ってる」


「……だよね」


 黒田が苦笑する。


「ちょっと優しくされたら、

 ちょっと笑ってくれたら……

 ずるずる惹かれてしまう。

 それが昔からなんだ」


「お前らしい」


「だから、この指輪は“境界線”なんだよ」


 黒田は自分の左手を静かに見つめた。


「恋をしても踏み込みすぎない。

 誰かを本気で壊さない。

 自分も壊れない。

 ……そういう線」


 豊はコーヒーをひと口飲み、

 カップを置いた。


「でもよ」


「ん?」


「お前はそれを“ルール”として守ってるかもしれねぇが……

 本当に守れてるのか?」


 黒田は一瞬だけ息を止める。


 豊は続けた。


「指輪に頼って距離を取ってるつもりでも、

 心のほうが先に近づく時あるだろ」


「……」


「人は、戒めじゃ止まらねぇんだよ」


 黒田は目をそらし、

 小さく笑った。


「……だから昨日、俺に言ったの?」


『黒田、お前はさ……

 一度くらい、その指輪“外してみたら”どうだ?』


 豊は肩をすくめた。


「外せって言ったわけじゃねぇ。

 “意味を見つめ直せ”って言っただけだ」


 黒田は長く息を吐く。


「豊さんには……全部バレてるな」


「当たり前だ。

 お前、うちのカウンターで何年飲んでると思ってんだ」


 黒田は笑いながら、

 しかし目の奥は少し揺れていた。


「……美月ちゃん、綺麗だよな」


 豊は静かに頷いた。


「あぁ、綺麗だよ。

 ……けどな、あいつはもう“お前のほう”見てねぇ」


「分かってる」


 黒田はハッキリと言った。

 未練ではなく、覚悟の声だった。


「俺は恋を取りに行くつもりはないよ。

 ただ……幸せになってほしい」


 その言葉に、豊は目を細めた。


「そうか」


「あぁ」


 黒田は指輪をもう一度なぞり、

 ゆっくりと手を下ろした。


「……この指輪の意味、

 もう少し考えてみるよ」


「それがいい」


 コーヒーの湯気がふわりと立ち上り、

 二人の間にしばらく静かな時間が流れた。


 店を出る時、黒田は小さく笑った。


「豊さん」


「なんだ」


「……あいつ、本当に幸せにしてやれよ」


「俺じゃねぇよ」


「知ってるよ」


 黒田の視線は遠くの方を見ていた。


「“あの子の金曜日”を迎える男に、言ってんだ」


 豊はふっと笑い、

 軽くポケットに手を入れる。


「……余計なお世話だ」


「そうだな」


 黒田は肩をすくめ、

 朝の光の中へ歩いていった。


 その背中には昨夜より少しだけ、

 指輪の重みが軽くなっているように見えた。


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