航平サイド Thursday:会えない時間に、会いたさは増していく
木曜日の夜。
「À mon rythme」の照明は、閉店してもなお淡く灯っていた。
17時に店を閉めても、
木曜はここからが長い。
豆の焙煎、ブレンドの調整、
本棚の入れ替え、レジ締め、発注作業。
(……やることは多いのに、全然集中できないな)
焙煎機の一定のリズムが店内に響く中、
どうしても胸の中がざわつく。
(昨日……美月、黒田さんと話しただろうな)
黒田。
あの男の名前を初めて聞いたのは数か月前だ。
『黒田には気をつけとけよ。
悪い奴じゃねぇが、ああ見えて人たらしだ。
美月みたいな素直なのは、絶対に勘違いさせられる』
豊がそう笑いながら言った時、
(そんな大人がいるものか)
と思った。
でも最近——
その言葉が胸に引っかかって離れない。
(……美月、ああいう余裕のある大人に弱くないといいけど)
考えただけで、胸の奥がじわっと熱くなる。
(俺……本気で嫉妬してる?)
自分でも驚くほど素直な感情が胸を占めていた。
20時過ぎ、ようやく作業が一段落する。
スマホを取り出すが、
画面を見つめただけで、すぐに置いた。
(まだだ。美月は仕事中だ)
写真を送るタイミングを気にしている自分に
苦笑してしまう。
(どうしてこんなに……気にしてるんだろうな)
でも分かっている。
美月に写真を送るのは、
“ただの報告”じゃない。
(会いたい……って、伝えてるんだよな、俺)
自覚してしまうと、
心臓がほんの少し痛いほど脈打つ。
21時半。
閉店準備を終え、
店内に少しだけ残ったコーヒーの香りの中で、
航平は写真フォルダを開いた。
(そろそろ……店を閉める頃だよな)
美月がカウンターで片付けをして、
お疲れさまでしたって顔でスマホを開く姿を想像してしまう。
写真を数枚選び——
最後に、迷いながら“入口”の写真を選んだ。
柔らかい光が扉の隙間からこぼれている、
ごく自然な一枚。
(……分かってくれるかな)
この写真にこめた意味。
“ここに来てほしい” とか、
“会いたい” とか、
そんな気持ち全部。
(いや……分かってほしいんだ)
自分で思って、
自分で苦しくなる。
送信ボタンを、
そっと押した。
22時03分。
美月が、ちょうど一息つく頃。
送ったあと、
航平は店の照明を落としながら思う。
(金曜日……ちゃんと話そう)
怖い。
でもそれ以上に、嬉しい。
(もう……ごまかせない)
胸の中の“想い”が、
隠しきれないくらい大きく膨らんでいる。
扉を閉める直前、
小さく息を吐いて呟いた。
「……会いたいな」
その言葉が、
静かな店内に溶けていった。




