第9話 Tuesday:心が動くと、同じ人でも違って見える
火曜日の夜。
カウンターの照明が静かに店内を照らしている。
昨日、航平さんが来た。
あの眼差し。
写真の意味。
胸の中の熱。
すべてが、まだ心臓の奥に残っていた。
(……山崎さん、今日来るかもしれないな)
ふと思っただけで、胸が揺れた。
ドキドキ——
はしない。
以前は、
“今日も来るかな?”
“優しくしてくれたらどうしよう”
そんな妄想ばかりしていたのに。
(私、変わったんだ……)
月曜日の男、山崎。
優しくて、落ち着いていて、
妄想の相手としては完璧だった。
でも今は——
胸の奥がまったく動かない。
扉が静かに開く。
「こんばんは、美月さん」
穏やかな声。
整ったシャツ姿。
相変わらず匂いも、仕草も柔らかい。
なのに。
(……心が、動かない)
「こんばんは、山崎さん」
笑顔は作れた。
でも前みたいに頬が熱くなることも、
鼓動が早くなることもない。
山崎さんが少し首をかしげる。
「……なんだか、今日はいつもと違いますね?」
「え、そうですか?」
「はい。
落ち着いてるというか……
いつもより、大人っぽい表情をされています」
(……航平さんのせいだ)
その理由が胸に刺さって、
視線をそらしてしまう。
「なにか……変わったことでも?」
「い、いえ……」
否定すると、
山崎さんは少し微笑む。
「隠すのが上手じゃないんですね、美月さんって」
優しい声。
責める気なんて全くない。
ただ、気遣いの目。
(優しいな……でも……)
動くのは、心じゃなくて、
昔の“感謝”みたいなものだけだった。
奥で片付けをしていた父・豊が戻る。
「よぉ山崎。今日は珍しいな」
「仕事が早く終わったので寄らせてもらいました。
……豊さん」
「ん?」
山崎は、声を少しだけ落とす。
「美月さん……最近、どこか違いませんか?」
父が目を丸くする。
(えっ……聞くの……?)
「違う……か?」
「ええ。なんというか……
誰かのことを考えている顔というか」
美月は思わず顔を伏せた。
父は少し口角を上げる。
「……まあ、そうだな」
「やっぱり。
誰か……いるんですか?」
「本人の前で言うのもアレだが……
“航平”って男がいる」
その名前が出た瞬間、
心臓が跳ねた。
山崎さんが、ほんの一瞬だけ目を見開く。
「……航平」
「週末にうちに来る常連だ。
アイツが月曜に来てな……まあ色々あってだ」
(お父さん……っ)
山崎は気づいたように息を吐いた。
「なるほど……
美月さんが変わった理由、分かりました」
彼は優しい目をしていた。
責めもしない。
嫉妬もしない。
ただ、理解した目。
「……いい人なんでしょうね」
その声が綺麗で、
美月は胸がぎゅっと締めつけられた。
山崎さんが帰ったあと。
スマホが震えた。
心臓が跳ねる。
開くと——
今日も写真。
《路地の灯り》
《夜の歩道橋》
《雨に濡れたベンチ》
そして最後の一枚。
《À mon rythme の入口》
昨日より、もっと近い距離。
息が止まる。
胸が熱くなる。
そして——
写真の下に、たった一行。
《次は金曜日に》
(……来てくれるんだ)
ただそれだけで涙が出そうになった。
山崎の優しさも、
自分の変化も、
全部気づかれてしまった今日。
それでも——
綺麗な光の中で映る“入口の写真”だけが、
美月の胸を熱く満たした。




