第1話 Monday:妄想はいつでも自由
バーテンダーの美月(30)は、惚れっぽくて妄想癖もち。
月曜から木曜までは、毎晩お客さんを勝手に“恋の相手役”にしては、
ひとりで胸をときめかせている——干物系女子。
そんな彼女の前に、本物の恋が現れるのは金曜日。
毎週決まってやって来るのは、
父の親友で、図書カフェ「À mon rythme」を営む
橘航平(40)。
美月にとって航平は、ずっと“優しいお兄さん”であり、
恋愛対象の外にいる人だった。
しかし――
妄想の中だけで恋をしていたはずの美月の心は、
金曜日にだけ、静かに揺れ始める。
気ままで穏やかな彼。
妹扱いされる私。
ゆっくりと、でも確実に近づく距離。
妄想恋愛しかしてこなかった私が、
金曜日に本物の恋に落ちていく物語。
大人で優しくて、少しだけ切ない、
スローペースな恋愛ストーリー。
月曜日の朝は、世界がゆっくり動いているように見える。
……いや、本当は私・美月の体がまだ完全に起きていないだけだ。
枕を抱いたまま天井をぼんやり眺め、ため息をひとつ。
薄いカーテン越しに差し込む光が肌をなでて、柔らかくまぶしい。
「……月曜日かぁ」
昼間はほぼ“干物”。
夜にバーの仕事があるとはいえ、昼過ぎまでだらだらしてしまう生活が続いている。
ベッドから起き上がり、洗面所へ向かう。
鏡には思い切り寝癖のついた私が映っていて、思わず苦笑した。
「……ひどいな、これ」
母に似ているという“美人扱い”も、この髪では説得力がない。
顔を洗い、髪を整え、コーヒーを淹れる。
カップの温かさを両手で包むと、ようやく体が目覚めていくようだった。
月曜日はお客さんが少ない。
だからこそ――私の“妄想恋愛”が一番冴える日でもある。
夜八時。
父と二人で「Bar Toyo」のシャッターを上げる。
東京の外れにある、小さな隠れ家みたいなバー。
「今日もゆっくり頑張ろうか」
「うん」
カウンターに立つと、柔らかな照明が私を包む。
昼のだらしなさが少しだけ薄れていく気がして、胸の奥がすっと軽くなる。
そろそろ“月曜の王子様”が来る頃だ。
九時前。
扉が静かに開き、スーツ姿の白石さんが入ってきた。
白シャツの襟元が少しゆるんでいて、
仕事の疲れと大人の落ち着きをまとっている。
(あ……来た……♡)
胸の奥がふわっと浮いた。
彼は美形というわけではないけれど、
横顔のライン、低い声、動作のひとつひとつが私の妄想を刺激する。
「こんばんは、美月さん」
「こんばんは。いつものウィスキーソーダでよろしいですか?」
「はい。お願いします」
氷を落とす音が響く。
そのすぐ近くで白石さんがネクタイをゆるめる。
その動作だけで、ときめきが喉までせり上がる。
(もし今……手がふいに触れたりしたら……
そっと指を絡められたりしたら……)
そんな大人っぽい妄想を、脳が勝手に映像化していく。
「美月、氷ちょっと多いよ」
「えっ!? あ、はい!」
父の声で一気に現実へ引き戻される。
父は呆れたように笑った。
「また妄想に入り込んでただろ?」
「ち、違うよ!」
「顔に全部出てる」
ぐぬぬ……反論できない。
完全に図星だった。
そんなやりとりをしていると、白石さんがグラスを置いた。
「今日、仕事で嫌なことがあってね。
でも……ここに来たら少し楽になるんだ。美月さんがいるからかな」
「……え?」
心臓が強く跳ねた。
視線が合った瞬間、息が止まる。
その一瞬の温度に、胸の奥がじんわり熱くなる。
(やば……
これは今日の妄想が最高に仕上がるやつ……)
慌てて視線をそらすと、白石さんが少し笑った気がした。
***
閉店後。
片付けをしながら父が言う。
「美月、本当に恋したらどんな顔になるんだろうな」
「な、何それ……」
「月曜はいつもいい顔してるよ。
……妄想でも、楽しそうで何よりだな」
「もう、お父さん……」
父は微笑みながらグラスを磨いていた。
その背中はあたたかくて、どこか悔しい。
「あ、そういえば金曜日に航平が来るって連絡あったよ」
「航平さん? お父さんの友達の?」
「そう。店にもよく来てくれてたし、お前も小さい頃から世話になってただろ」
「……懐かしいな」
私にとって橘航平は“優しい大人のお兄さん”みたいな存在。
恋愛対象に入るなんて、思ったこともない。
……この時は、まだ。
「金曜日、楽しみにしてろよ」
「うん……」
月曜日の私はまだ知らなかった。
妄想だけしていた私に、
本物の恋が金曜日にやってくることを。
この夜は、静かに終わっていった。




