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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

コーザとニシーシ 逃亡する2人

 クソっ……。

 これじゃあ、今さらこのクソガキを突っぱねたところで、2人揃って回収人に見つかるだけじゃねえか。


 仕方なく、俺はクソガキのほうへと手を伸ばし、その腕を自分のほうへと引っ張る。


「痛っ」


 馬鹿野郎! 声を上げるんじゃねえ。

 慌てて、俺は倉庫の壁にガキの頭を押しつけるようにして、無理やり口を手で覆った。走っていたガキの呼吸は整っておらず、鼻息が手にかかって妙にこそばゆい。


 祈るように息を殺す。

 ドグドグと脈打つ心臓の音は、俺のものなのか。はたまた、密着しているガキのものなのか。


「おい、向こうにそれらしき人を見かけたぞ!」

「何!?」


 怒号を上げながら黒服の回収人たちが去っていく。

 ほっと胸を撫でおろす。

 用心深く周囲を確認してから、俺は回収人とは別のほうへと足早に歩く。本当は全力疾走をしたいところだが、それで怪しまれても面倒だ。


 その後ろから、迫る足音が1つ。


「……おい、ガキ! どこまでついて来る気だ」

「ガキじゃありません。ニシーシです」


 ふざけやがって。

 ここが人通りの多い王都じゃなきゃ、このガキをぶん殴っているところだ。

 俺は努めて平静を装って、クソガキに聞きなおす。


「それで、ニシーシはいつまで俺を追って来るつもりでいる?」

「だって、ほかにあてがないんですもの」


 会話が通じないのか、こいつは。

 クソがっ。

 乱暴に後頭部をかきむしってみても、このクソガキに由来するいら立ちは収まりそうにない。実際、いつまでも、引っつき回られても迷惑だ。下手に突っぱねて周りの注目を浴びることも避けたい。とすると、選択肢はおのずと1つしかなくなる。


 何が悲しくて、ガキのおもりをしなくちゃならんのだ。


「本当にどこでもいいんだな?」

「はい」


 親にも頼れないなら、自力でどうにかするしかない。第一、ニシーシに親がいるのかどうかも怪しい。回収人に追われているくらいだ、ろくなもんじゃない。俺と大して状況は変わらんだろう。


「とにかく、地方に逃げるしかない。地方が安全だっていうわけじゃないがな。それでも王都よりはマシだろう」


「そうでしょうね」


 一々、癇に障るガキだな。


「可能性があるとすれば、三番ゲートだけだろうな」


 都内への人の出入りは、すべて呪術銀行の監視下に置かれている。それでも、三番ゲートが一番マシだ。


「人の往来が激しくて、トラブルの発生率が最も高いからですね」

「そういうこった。揉め事に乗じて、俺たちはおさらばさせてもらう」


 ニシーシの同意に頷いて、俺たちは目的のゲートまでこそこそと移動した。

 関所を見渡せる範囲に身を潜ませながら、必死に祈る。

 あとは運を天に任せるしかない。

 日中に、何も起こらなければ夜中に行動を起こすのでもいい。いつまでも待機しているわけにはいかない。


 そう思った矢先、関所の隣で爆発が起こる。

 ゲートへと駆け出すニシーシ。

 その思いきりのよさには舌を巻くが、俺としては策謀の気配を感じずにはいられなかった。

 タイミングがよすぎる。


「何しているんですか、コーザさん!?」


 急かされた俺は、頭を振って余計な考えを追い払う。

 どうせ失うものはないんだ。

 変に後先を心配したって、しょうがない。


「いや、なんでもない……。ん? 待て、コーザって俺の名前か? なんでお前が、俺の名前を知っているんだ」


 ゲートを抜けながら、ニシーシに向かって喋る。なんともなしに途中で後ろを振り向けば、慌てる黒服の1人と、心なしか目線が合ったような気がした。


「えっ? だって、あたしの前に呪術銀行で、取り引きをしていたじゃないですか」

「……」


 俺が記憶まで担保にしていたのを見ていたってことか。おいおい、記憶をなくした人間を頼るかね、普通?


 頭が痛くなって来た。

 だが、どうせ乗りかかった船だ。それに、さっきはこいつの思い切りのよさに、助けられたことは否めない。


「おい、ニシーシ。じゃあ、その金どこに行ったかとか、知らないか?」

「すみません、そこまではちょっと」

「だよな」


 予想していた返答だったので、何も思うことはない。

 都外へと向かう馬車を適当に見繕うと、その中に無断で俺は忍びこんだ。

 ニシーシが非難がましい視線を俺に送っていたが、それを無視して、同じことをするように促す。

 ガタゴト。

 揺れる車輪の音。

 本来は荷馬車だ。無賃の乗客を想定してはいない。ケツが痛くなるのは免れないだろう。俺は覚悟の上だったが、ニシーシは先ほどから落ち着かない様子で、ちらちらと荷台の床を見おろしている。


 仕方なく、俺は着ていた服を脱いで、無造作に放り投げた。


「それでも敷いてろ。ちっとはマシになる」

「……。ありがとうございます」


 こんなんで体に支障が出るとは、どこの箱入りだと現金な発想が浮かんだが、呪術銀行に追われているので、それはない。元から繊細なだけなんだろう。また、面倒なのと一緒になったものだ。


 それからは無言。

 日が落ちて来たあたりで、適当に馬車に見切りをつけ、そっと外へと這い出す。何かの拍子に荷物を検められる前に、という判断からの行動だった。


 街道から離れ、ちょうどいい岩陰を見つけたところで、俺たちは野営の準備に入った。本来は、日没の前にしなきゃいけないことだが、背に腹は替えられない。まだ王都付近なので、猛獣に遭遇する危険は低いだろう。岩陰があるので、火も使える。これなら、明かりが漏れない。発覚の心配をせずに済む。


 荷台からくすねて来た食料を、ニシーシにも渡す。さすがに、気力・体力ともに低下しているようで、俺の悪事を咎めるような台詞は出て来なかった。


「ここから行くなら、イトロミカールでしょうか?」


 ニシーシがおもむろに問いかけて来る。非常にマイナーな地名だ。正直、こいつの口からイトロミカールの地名が出て来なければ、俺もそこに向かうつもりだった。


「詳しいな……。裏を返せば、お前でもイトロミカールは知っているってことか。そこはやめておこう」

「えっ、どうして」

「王都から出るとき、回収人に見られた。すまん、これは俺のミスだ。お前ほど、踏ん切りがつかなくて、却って余計な失敗をしちまった。……リクラーバンにしよう。そこなら、さすがに回収人も気が回らないだろう」


「分かりました。コーザさんが、そう言うのであれば」


 俺への信頼度が、いやに高いな。……まあ、記憶をなくしていりゃ、二心もクソもないからか。ある意味、今の俺は、この世界で最も人畜無害な存在かもしれない。


「明日も早いんだ、もう寝ろ」

「はい……」


 横になるニシーシだったが、5分もしないうちに再度、俺に話しかけていた。


「不安じゃないんですか、自分の記憶がなくて」

「……なんだ、藪から棒に」

「いえ、ただ……なんとなく平気そうに見えたので」


 考える時間が欲しくて、俺は答える代わりに焚火に新しい薪をくべた。


「不安じゃないが、いずれ取り返そうとは思っている」

「でも、あなたは記憶を自分から捨てたがったんですよ。思い出したくもない記憶であっても、取り戻したいんですか?」


 ニシーシの真剣なまなざしが俺を射抜く。


「そう言われると、言葉に詰まるが……あくまでも俺の感情は、自分を取り戻したいとか、そういう喪失感や飢餓感から来るものじゃない。一発、ぶん殴ってやらなきゃ気が済まないから、そうするだけだ」


「……」


 頭の上で疑問符を浮かべたニシーシが、補足の言葉を求めるように俺を見つめる。


「俺にしてみりゃ、過去の俺ってやつは他人なんだよ。記憶がないんだからな。だけど、世の中的には、同一人物だろう?」


「ええ、そうですね」

「だからこそ、前の俺がそうまでして決別したがったものを手に入れて、ざまあ見ろって高笑いしたいんだ。そういう気持ちだよ」


「意外と子供なんですね」


 くすくすと、おかしそうにニシーシが笑う。

 クソっ、話すんじゃなかった。


「……」

「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」

「まあ、お前にしてみりゃ金の無駄だろうよ、それは否定しない。だが、そういう意味じゃ、ニシーシ。お前のほうが不思議だぜ。どうして回収人なんかに追われているんだ」


「あたしは盗んだんです」

「はっ! 天下の呪術銀行から窃盗かよ、半端ねえな」


 行動力があるとは思っていたが、そこまでできるとは正直、意外だった。手際のよさが尋常じゃない。追われているのも納得の理由だ。


「……何を盗ったのかとか、聞かないんですか?」

「そんなの、なんでも構わねえよ。こうなった以上は、一蓮托生だ。今さらだろうが」

「そうですね……」


 安心したのか、ようやくニシーシは目を閉じていた。

 俺ももう少ししたら床に就こう。







 翌朝。

 ニシーシが目を覚ますより早く起きだして、俺は辺りの警戒に努めた。心配はいらないと思うが、念のためだ。


 ほどなくして、旅の道連れも覚醒する。


「ごめんなさい、たっぷり眠ってしまいました」

「いや、いい。途中で『疲れた』とか泣き言を言われるほうが迷惑だ」

「……。それなら、あたしを置いていけばいいのに」

「何か言ったか?」

「いいえ、別に」


 確かに、こいつの言うとおりだ。俺は今、なんでニシーシと最後までつきあおうと思ったんだ? ……分からない。欠落した記憶の中に、こいつとの縁でもあるんだろうか。


「おい、ニシーシ」

「……?」


 不思議そうに見返して来るニシーシに、俺は首を横に振っていた。

 それを知ってどうするというんだ。どうせ俺に確かめるすべはないのに。

 黙々と山のほうへと向かって歩く。

 残っている常識を頼りに目的地へと進んでみるが、さすがに失われた部分が多すぎる。まもなく俺は、分かれ道の手前で足が止まっていた。


 さあて、どっちがリクラーバンに続いている道だ?

 悩む俺の横から、ニシーシが声をかけて来る。


「左じゃないですか? 北だと、シペロゼーナのほうに向かっちゃうんじゃ」

「……確かに」

「どうかしたんですか?」


 凝視する俺の視線に気がつき、ニシーシが訝しむ。


「いや、ひょっとするとお前がいなきゃ、俺は回収人から逃げられなかったのかもなと、そう思っただけだ」


「まだ、気が早いですよ」

「うるせえ」


 生意気に口答えするニシーシを小突きながら、俺たちは西へとそれる。道中、腹のすかした俺たちは、目的地までの道程で最後に目にするだろう、茶屋の前で立ち止まっていた。


「美味しそうですね。……見てください、コーザさん。これなら価格も安いみたいですよ」


 促されて視線を向ければ、そこには料理の案内がある。曰く、ロシアンルーレット系のもので、激辛の外れを引けば、新しくした皿から追加で2つ、小型の粉物を選んでよいとする、娯楽要素の強いメニューだった。外れの数は8個中に1つだ。


 ……致し方なしか。


「分かった。お前がそれでいいなら、店屋に入るぞ」


 言いながら、俺は王都を出るときにたまたま拾った貨幣を、ニシーシに見せる。盗んだわけじゃない。手を伸ばした先に、偶然他人の財布があっただけだ。


 俺の金がどこに由来するものなのか、察したのだろう。嫌そうな表情を浮かべたニシーシが、代わりに自分の胸元を軽く叩く。


「お金なら、あたしが持っています」


 ……盗品を売って稼いだ金じゃ、俺とほとんど変わらなくねえか。

 言い返すのも億劫だったので、俺は何も話さない。ニシーシに遅れて、店内に入ろうとした俺は、そこで案内の裏側に書かれた小さな文字を見つけていた。


『コーザ、私を信じてここでお腹を膨らませておきなさい』


 ぞくりとした。

 全身の皮膚が一瞬にして粟立つ。

 他人の空似と看過していい名前じゃない。

 ……馬鹿な。

 回収人はこんなところまでやって来ないはず。いったい何者だ。

 焦って、周囲を見渡したい衝動に駆られたが、俺の反応を試しているのかもしれない。……落ち着け。ニシーシはどうだ?


 無事を確かめるために視線を向ければ、席を確保したニシーシが、急かすように手を振っている。

 嫌な脂汗が止まらない。

 強大な透明人間の手のひらの上で、いいように踊らされている感覚が拭えなかった。


「コーザさん?」

「ああ。今、行く」


 吐き気がする。

 敵が回収人よりも用意周到ならば、もはや、じたばたしても無駄じゃないのか。諦めにも似た達観を無理やり抱いた俺は、ニシーシに悟られないよう、目星をつけていたメニューを気さくに注文していた。


 すぐにその料理が運ばれて来る。

 実物はそれなりに大きい。通常タイプの中身は、鱗ごと砕いた魚と香辛料が少々、季節によっては旬の野菜が入ることもあるらしい。


「2つ選んでください」

「どうしましょうか、コーザさん」


 不正がないように、先に中を割って見せろという。あいにくと、今の俺は未来を捨てちまっている。言い換えるなら、それは運が極端に悪いってことだ。特別な何かをしなくたって、俺が引いたものが外れになる。


「……これだ」


 悩んでいるニシーシを無視して、俺は店員に中身を差し出す。


「おお、すごい。では、次の皿をお持ちしますね」


 選ばれなかった小麦団子を引き取りながら、店員が奥へと戻っていく。ニシーシはつまらなさそうに唇を尖らせていたが、激辛料理を確定で食う俺の身にも、なってもらいたいものだ。もっとも、運の悪さに、こんな使い道があったとは、少々予定外だが。


「熱っ」


 以前の記憶がないので、確証はないが、たぶんこれが初めての実食だろう。

 外側の生地はパリパリと食感がよく、内側はとろりと溶けるように舌の上に広がる。粉にしっかりと味がついているため、生地そのものが旨い。軽やかな香ばしさと、ほんのりと甘い塩気を帯びた旨味。これが通常タイプなら言うことなしだったのだろうが、そのあとに口の中に生じる感覚は、辛さというよりも痛みに近かった。


 ……こっちは具もねえのか。ケチくせえな。

 そこから、さらに2回、俺が激辛の外れを引いてから、俺たちは店屋をあとにした。……胃の調子が明らかに悪くなったが、破格の値段で腹を満たせたと思えば悪くない。


 やがて、俺たちの前には山道が現れていた。

 ルートは2つ。

 どちらにも落石注意の看板があり、左側には、それに加えて山賊注意の看板もある。

 ……山賊注意ね。

 はっきり言って、拍子抜けだ。

 こんなものをわざわざ立てかけておくはずがない。右側が災難への近道だろう。文字を残していたやつのほうが、遥かに気がかりだ。


「5分したら、左の道に入れ。すぐに追いつく」


 そう言って、俺はニシーシを置き去りにして、東のルートへと進んでいく。


「ちょっと、コーザさん! 山賊が出るって書いてあるんですよ!?」


 後ろでニシーシが騒いでいたが、俺は振り返ることをしなかった。

 運の悪さというやつは、えてして結果が生じなければ意味をなさない。言い換えれば、俺が不幸な目に遭って初めて、ニシーシのほうに正常な運が回って来る。こうして俺のほうが先に出発すれば、落石は100パーセント右の道で起きるはずだ。


 果たして、それは起きる。

 落ちて来ると分かっていれば、回避すること自体はそれほど難しくない。重要なのは耳を澄ませておくことと、体を動かしはじめるタイミングだ。あまりにも早いと、落石のコースが閉塞した運命によって、底意地悪く変更されかねない。


 かすかな土砂の音を聞いた俺は、いつでも飛び跳ねられるようにしていたので、大きな問題がなかった。俺を軽く圧殺できるほどの巨大な岩が、眼前へと落下し、道を通れなくしてしまう。その奥から現れた山賊は、現状を理解すると、各々が思いおもいのやり方で不満を露わにしていた。


 ついでなので、適当にやつらをおちょくっておく。

 踵を返し、ニシーシのもとへと急ごうとした俺の前から、当人がこちらに走り寄っていた。


「おい、なんで追って来た……。まあいい、戻るぞ」

「助けてください、コーザさん」


 いまひとつ状況が分からず、ニシーシの後ろに視線を向ければ、意外にも、そっちにも武器を手にした山賊たちが控えていた。


「ははーん。どっちも不正解だってことね」

「そういうことだ! 自分がみすみす誤った道を選んだ。これを知ったときの絶望する表情は、何物にも代えがたいぜ。俺たちはこれを見たいんだ!」


「……いい趣味してんね」

「コーザさん」


 不安げにニシーシが服の袖を掴んで来る。このままだと戦いにくいので、その手をゆっくりとほどきながら、俺はなるべく安心させるように、明るい声音で口を開いた。


「心配するな。回収人じゃないなら、ただのザコだ」


 先制攻撃。

 いくらザコでも連携をされたら、それなりに苦戦する。相手が陣形を整える前に、自分から先手を打っていく。


 複数人を相手にする際の鉄則は、決して囲まれないことだ。人間、全方位への注意は払えない。達人の中には、平気でそういうことをして来る化け物もいるが、こいつらは人外だ。気にしなくていい。比較対象にすること自体が間違っている。


 このときのポイントは見極めること。一撃で命を絶つべき相手と、そうでない相手を瞬時に見抜いて実践する。ここにコツはない。場数を重ねるしかない。


 ……ということは、過去の俺が何をしていたのか、薄々、分かって来ちまったな。

 戦闘中に余計な考えを抱くのは禁物だが、この程度の山賊ならば大丈夫だろうと、俺は苦笑を浮かべる。


 左から迫る賊の腹に拳を入れ、相手が身をかがめた瞬間に顔の骨を折る。

 戦意を喪失した賊を盾とし、右より飛来したナイフから己の身を守る。

 すぐさま、体に刺さったナイフを引き抜いて、投擲。ナイフ使いの目玉をくり抜いて、こちらは絶命させる。


 息も絶えだえの肉の壁越しに、ほかの賊へと接近。

 よほど冷徹な性分でもなけれりゃ、まだ生きている仲間を切るという選択は、瞬時にできない。早い話が、素人さんでは無理だということだ。


 相手が躊躇した隙に、頚椎を破壊。前の敵へと肉薄し、同様のことをくり返していく。

 ざっと5分だろうか。

 この場を掃除するのに、大した時間はかからなかった。


「……」


 散らかった現場。

 掃除したのに散らかるというのも変な話だが、肉と血で汚染された山道を見るにつき、ニシーシが沈痛な面持ちで視線を落としている。


「あんまりじろじろ見てやるなよ」

「そんなつもりじゃ……」


 分かっている。

 今のは居心地の悪さから来るものだ。

 最後のほうの2人は、完全に戦う意思をなくしていた。俺たちが横を通り抜けたとしても、襲って来ることはおろか、あとを追うことさえしなかっただろう。そういう意味では、無用な殺生だった。


 ニシーシに褒めてもらいたかったわけでもなければ、感謝されたかったわけでもない。俺だって、リクラーバンへの道を知らなかったし、それについてニシーシに謝辞を述べた覚えはない。まだ新鮮な記憶だ、間違いないだろう。


 第一、自分の身を守るために相手を殺すことと、それでも死を悼むことは、なんら矛盾する感情じゃない。


 俺は単に、白紙となったはずの自分の人格ってやつが、どうしようもなかったことに嫌気が差しただけだ。


「……気は済んだか?」

「はい。……ありがとうございます。コーザさんがいなければ、あたしはここで殺されていたんですね」

「……」


 自分がろくでもない人間だったことを、思い知らされた直後では、ニシーシの感謝も素直に受け取れそうにない。


 返事の代わりに、俺はリクラーバンまでの道程を急いだ。







 それから、2日経っただろうか。

 俺たちはついに、片田舎であるリクラーバンへとたどり着いていた。世にも珍しい、呪術銀行との縁を切っているコミュニティーだ。呪術を使えないがゆえの不便さはついて回るが、ここならば当面の間、回収人と出くわす心配がない。


 安堵する俺たちの前に、見慣れぬ老人が1人。

 見慣れないのは誰であろうと一緒だが、顔の話じゃない。畑と山がメインの痩せた集落に場違いなほど、上質な一張羅。田舎で見かけていいような素材じゃなかった。


 まさか、こいつが例のメッセンジャーか?


「ふむ、やはり君に任せて正解だったようだな、コーザ」

「何者だ?」


 怪しさ満点。

 これ以上にないほどの警戒態勢を取る俺を、あざ笑うかのようにして、無邪気な笑顔を浮かべたニシーシが、そいつへと近づいていく。


「儂が説明するよりも、直接、自分の記憶を覗いたほうが早かろうよ」


 老人より渡される小瓶。

 疑問は尽きないが、こいつとニシーシが顔見知りであることは、2人の様子からして間違いない。ならば、今さら策謀の恐れはないだろう。促されるままに、俺は小瓶の中の液体を飲み干していた。


 その瞬間、()の中に記憶が流れこんで来る。

 私はトランスポーター――つまり、この世界に本来は存在しちゃいけない危ないものだったり、当局にとって不都合なものだったりと、様々な理由で社会から禁止されているものを、依頼人に代わって運ぶことを生業としている。今回の物品はほかでもない、人だ。


「ニシーシ、あなたってばいったい何者?」


 私の質問に答えたのは、本人ではなく老人だった。どうにもニシーシの後見人を自覚しているらしい。


「エポックメーカーとでも言えばいいのかね。新時代の人類だ。液状化した他人の記憶を、体内に摂取することなく、覗きみることができる。おまけに人格汚染の心配もない。依頼するときにも伝えたはずだが……まだ、完全に記憶は戻っていないのか。さすがに、まっさらな状態にするのは危険だな」


 取り出した記憶を確認するには、実際に飲んでみるほかない。だが、このときすでに十分な記憶を有している者が、一定以上の外部記憶を取り入れると、人格に壊滅的な影響が出る。だからこそ、呪術銀行では取り出した記憶の用途を、呪いの材料に限定している。エネルギーとしての活用法しか、模索されていないのだ。


「なるほど……すべての合点がいったわ」


 頷く私に、ニシーシが疑問の言葉を発する。


「これって騒ぐほどのものなんですか? 結局、あたしたちは回収人から、ほとんど襲われなかったじゃないですか。そんなに強力なものなら、もっと道中でも遭遇してよさそうなのに」


「逆よ。大々的に追ってしまったら、あなたにそれだけの価値があることを、宣伝するようなものでしょう? そうしたら、ニシーシの言葉に信憑性が出てしまう。顧客が呪術銀行に、なんの躊躇もなく記憶を売れるのは、そこにプライバシーへの侵害がないという、絶対の安心があってこそ。あなたみたいな人が1人でもいることが知れ渡ったら、もう記憶の売却は行われないわ。たとえあなたを始末してもね」


 まだ納得がいかないのか、ニシーシの表情は不満げだった。


「でも、だからってコーザさんまで記憶を捨てなくても……。リクラーバンまでの道のりだって、危うく迷うところじゃなかったですか」


「それについては儂から答えよう。コーザは自分の記憶を液状化して、ニシーシに脱出計画を見せることで、このプランにおけるニシーシの重要性を高めたのだ。なにせ、脱出計画はニシーシのほうが詳しくなったのだからな。コーザは、自分自身がニシーシから離れられない状況に、わざと追いやることで、我々の信頼を得たのだよ」


「そういうこと。前借りで回収人に追われる境遇になったのも、そのためよ。……ところで、このぶんの代金はいただけるんでしょうね?」


 じろりとニシーシの保護者を睨みつければ、老人はなんでもないふうに肩を竦めてみせる。


「呪術銀行にはすでに、儂と分からぬように金を支払ってある。君が回収人に追われることは、もうないだろう」


「そいつはありがたいわね。……今の私でも、回収人とは正面から戦いたくないから」


 言って、私はリクラーバンをあとにする。呪術銀行との因縁がないなら、こんな辺鄙なところに長居をするような趣味はない。


「待ってください、コーザさん」


 私のもとへと駆け寄るニシーシ。

 口を開くように促せば、おずおずとニシーシが感謝の言葉を声に出す。


「気にしないで、ビジネスよ。それに、あなた自身はまだ追われている身なの。しばらくは向こうも手出しできないでしょうけど、気をつけなさい。それと……中々の名演技だったわ。将来はきっと俳優ね」


 私がニシーシにお金の移動先を尋ねた際、本当は知っていたのに、この子は上手に隠した。あのとき真実を私に伝えてしまえば、間違いなく私はニシーシと共に逃亡していない。不自然すぎるからだ。


「そのときは、また助けてくれますか?」


 そう言って、ニシーシは私から渡された貨幣を返して来る。


「今回の報酬に比べたら、こんなの全然大した金額じゃないんだから、こっそりあなたが小遣いとして持っていてもよかったのに」


 ほほ笑んで、私はまだ身長の伸びきっていないニシーシの頭を撫でた。


「……コーザさん?」


 ニシーシは私がこれまでにして来たことを、すべて把握しているのだ。それでも私への態度を変えないというのなら、こちらとしても相応の覚悟で臨むべきだろう。


「ええ、もちろん。でも、その前に今度はもう少し、人間らしいものを一緒に食べにいきましょうか」


 私は奇妙な出会いに、これまでにない感慨を抱きながら、次なる任務へと向けて歩きだしていた。   〈了〉

 コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。

 次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ

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