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3. 人妖

 突然、毛むくじゃらの胴体が真っ二つに切り裂かれた。上半身が地面に転がり落ちる。小さく痙攣しながら、断面からポンプのように血を噴き出していたが、やがて動かなくなった。

「……は?」

 凉は顔を上げた。

 霞む視界の中で、素早く移動する黒い影が見えた。ピントが定まってくると、たちまち周囲を取り囲んでいた化け物たちが、毛むくじゃら同様肉塊にされている光景が露わになった。

 凉は黒い影を視線で追おうとしたが、不可能だった。追いつく頃には残像すらも消え、化け物の死骸しか残っていなかった。

 一帯に広がっていた黒茶色のキャンバスは、無数の残骸と赤い染みに塗された。

 動く化け物がいなくなると、黒い影は凉の十数メートル先、視界の中心に降り立った。

 ダークグレーのパーカーを纏った、小柄な――多分、ヒトだった。フードを深く被っているせいで顔は見えないが、全体のシルエットと、血で染まった大きな刀を握る手がヒトだった。

 風が吹いた。血生臭さとは違う、異様な刺激臭が凉の鼻腔を突く。

 同時に、パーカーを着た人物のフードが取れた。

 女性だった。ややあどけなさが残る高校生ぐらいの顔つきだが、雰囲気的にはもう少し上の年齢に見えた。艶のあるセミロングの黒髪が風に靡く。その間から生える二本の角を見た瞬間、安堵を得ていた凉の心臓は再びバクバクと鳴り始めた。

 女性は、凉と目が合うとにっこりと笑い掛けた。口から八重歯の先端が顔を覗かせる。凉の胸内に沸き起こっていた不安は、眠りにつくように静まっていった。

 女性は、ジャージのズボンに装着された不似合いな鞘に刀を収めながら、凉のほうに歩いてきた。

「生存者がいてよかった」

 日光が、女性の眩しい笑顔を照らした。

 ようやく、凉は全身の硬直から解かれた。四肢の感覚が戻ったのがわかり、すぐに立ち上がろうとしたが、腰が抜けてその場に尻餅をついた。すかさず女性が右手を差し出した。

「大丈夫? 立てる?」

 葵より骨格がしっかりした手だった。凉は躊躇うように見つめたが、まもなく手を取った。気遣うように、腕が引き上げられる。

 女性の手が離れると、凉はズボンについた泥を叩き落とした。

「ありがとうございます」

途端に、凉の目から涙が溢れ出した。堪えようと目元にぐっと力を入れるも、止まらない。それどころか、次々と大粒の涙が目元から零れ、頬を伝って落ちていく。

「すいません」

凉はポケットからティッシュを引っ張り出し、涙と鼻水を拭いた。

 落ち着いたところで、凉は改めて礼を言った。

「本ッ当にありがとうございます。助かりました。命の恩人です」

「そんな、大袈裟な……」

「いえいえいえいえ、ぜひ名前を」

凉がしつこく迫ると、女性は遠慮がちに口を開いた。

水野(みずの)はなです」

フードが目深く被られる。

「水野はなさんですね。一生忘れません」

「本当に、大したことじゃ……」

「だって、あんな危険な化け物から守ってくれたじゃないですか」

凉の脳裏に、化け物が次々と薙ぎ倒されていく光景が蘇った。人間離れした速度で一帯を駆け回る黒い影。もはや鍛錬で習得できる域を超えた身体能力だった。それ以前に、おびただしい数のおぞましい化け物を相手に、一歩も引かないどころか、自ら飛び込んでいく気概など常人は持ち合わせていない。

「手慣れてましたね」

「一応、仕事だからね」

はなは、ごまかすようにはにかみ、凉の後方を見た。

「驚かせちゃったよね、ごめんね。それに、凉くんと一緒にいた人たちも――」

 はなの視線の先には、かつて新幹線だった残骸が散らばっていた。

 凉は、はなの誤解に気づき、慌てて訂正した。

「あ。僕、一人で来ました」

「あ、そうなんだ」

はなは目を丸くした。すぐに元の穏やかな笑みに戻ったが、決して安心しきった表情ではなかった。

「一人になりたいときもあるよね。ごめんね。せっかく気休めで来たのに、こんなことに巻き込んでしまって」

 視界の隅で、塊が一つ、小さく動いた。

 はなも気づいたらしい。迷わず右手が鞘に触れる。

「人妖ですよね」

凉が呟くような声で訊ねる。

 鞘に触れたはなの手が、ぴくりと反応した。

「知ってるんだね」

「ということは、封印石が取られた」

冷静さを取り戻した凉は、頭の中で整理した内容を独り言のように吐き出した。無論、それははなへの質問だった。

 はなもそれに気づいていたが、険しい顔を浮かべながら、動く肉塊を睨んだままだった。

 回答を悟った凉は、はなの前に飛び出した。

「ここに来たのは、気休めのためじゃありません。大事な人を探すためです。多分、そいつが封印石を取っちゃったんだと思います。こんなことになるなんて知らずに。悪いのは僕です、責任は僕が取ります、だから――」

 突然、刀が突き出された。凉が悲鳴を上げる。

 鮮血が噴き出した。凉の脇腹が、たちまち赤く染まる。しかし、それは凉自身の血ではなく、知らぬ間に背後に迫っていた人妖のものだった。肉体から刀が引き抜かれ、化け物が崩れ落ちる。はなは刀を鞘に収めた。

「大事な人って、どんな人? 性別は? 年齢は?」

はなのただならぬ雰囲気に気圧され、凉は唾を飲んだ。不安と恐怖に駆られながら、恐る恐る口を開く。

「僕と同い年の女の子です。一人で来てると思います」

すると、途端にはなの表情は和らいだ。

「だったら、石を奪ったのはその子じゃないと思うよ」

 凉は胸を撫で下ろした。だが、すぐに別の疑問が浮かんだ。

「じゃあ、葵はどこに?」

「一人でいるなら、早めに探してあげないとね。ここにいると、人妖に襲われるかもしれないから、安全なところに移動しようか」

はながフードを押さえながら言った。先程見えたはずの頭の角は、とうに消えていた。

 凉は、目先ははなに従うことにした。先刻の対応を見るに、彼女といれば危険な目に遭ってもどうにかなりそうだと思ったからだ。

 畦道(あぜみち)と荒廃した町を歩くこと数分、道路の真ん中にぽつんと停車する大型キャンピングカーが見えた。ちょうど脇を通ることになりそうだったので、凉は興味半分に中を覗いてみることにした。ところが、その必要はなくなった。というのも、その車こそが目的地だったのである。

 はなは無遠慮に車のドアを開いた。

帝都(ていと)くんただいまー、ってまだ戻ってないか。あ、適当に寛いでいいよ」

はなに促されると、凉は靴を脱ぎ、脇の下足入れに置いた。

「失礼します」

 車の中は、ビジネスホテルの個室のような内装だった。右隅に置かれたテーブルと小型冷蔵庫。床に転がる寝袋が一つ。奥に見えるドアは、トイレと簡易シャワールームだろうか。左側には開放されたクローゼットがあり、その手前のベッドの上でラジオがニュースを伝えていた。ベッドの下の隙間には、救急箱や医療器具のケース、薬品用の保冷ボックスなど、明らかに一般人が使わないものが並んでいた。

 凉は寝袋を踏まないようにしながら、テーブルの座席に腰を下ろした。

『現在、有毒ガスが発生している可能性のある地域を読み上げます』

ラジオから緊迫した声が聞こえてくる。凉は、テーブルの上で無意識に頬杖を突いた。

 突然、車のドアが開いた。中高生ぐらいのボサボサ髪の少年が入ってくる。

華陽(かよう)、戻ってたのか。早いな」

少年はそう言い、テーブルのほうを見た。

「どうも。お邪魔してます」

目が合ったので、凉は軽く会釈した。

 少年は驚いたように目を見開き、その場に固まった。

 シャワー室のドアが開いた。

「帝都くん、お帰り!」

服の返り血を洗っていたはなが、身を乗り出す。

「ただいま。かよ……はな、この子は?」

「迷子。助けてきた」

「ふぅん。そうなのか」

帝都と呼ばれた少年は、浮かない顔で何度か頷いた。

「カヨウ?」

凉が訊ねると、帝都は冷汗を浮かべながら目を泳がせた。凉が訝しげに睨み続けていると、

「カヨウが本名なんだけど、外でははな呼びでお願いしてるんだ」

シャワー室から堂々とした声が返ってきた。決して疑問が解決されたわけではなかったが、それ以上の詮索は諦めることにした。

 シャワーの音が止み、キャミソール姿のはなが、濡れたパーカーを持って出てきた。凉と帝都が大袈裟に目を逸らす。

 はなは、クローゼットのハンガーにパーカーを駆け、新たなパーカーを手に取った。やはり、フードがついていた。

「凉くんの服も汚れちゃったよね」

 凉は自身の服を見下ろした。そこで初めて、白衣のまま病院を飛び出したことに気づいた。すかさず大丈夫だと断ろうとしたが、先に着替えが飛んできた。グレーの男物のジャージだった。サイズも一回り以上大きいので、帝都のものだろう。

「お借りします」

凉は白衣を脱ぎ、ジャージを重ねた。袖を二回捲ったところで手が出てきた。

「お二人は兄弟?」

着替えながら、凉が質問した。今度は帝都が即答した。

「いや。ただの仲間だ」

「仕事仲間ですか」凉は、はなに助けられたときの会話を思い出した。「人妖を倒す」

帝都はギョッとした。人妖を知っていることに驚いたのだろう。

「人妖のことは、AHT細胞の研究をやるときに聞きました」

凉が慌てて補足すると、

「ああ、なるほど。何か見覚えあると思ったら、AHT細胞の子か」

帝都は、ポケットからスマホを取り出した。

「えっと、『ユウナギ リョウ』の漢字は確か――」

検索欄に文字を打ち込み、右側の虫眼鏡アイコンを押す。一件もヒットしないのを確認し、安堵の息を吐いた。

「人妖ではないみたいだな」

「え? 人妖だったら、殺されるんですか?」

凉が顔を真っ青にしながら訊ねると、はなが口を開いた。

「そういうわけではないよ。暴走しないよう、血盟(けつめい)師団(しだん)の監視がつくってだけ」

「暴走――血盟士団」

初めて聞く単語だった。凉が眉を顰めながら反芻すると、はなが説明を加えた。

「単に人間から怪物に変わることは『妖化(ようか)』って呼ばれているの。その中で、特に体内の双血球が少なくなって、理性を失った怪物に変わった状態を『暴走』って呼ぶんだ」

「ってことは、理性を保ったまま化け物になることもできるってことですか?」

「そう。妖化すると、単純に人間のときよりパワーが出るようになるから、暴走人妖を倒すのも楽になるんだよね。それで、暴走人妖を倒すために人妖で組織されたのが、血盟士団」

 はなの説明を受けながら、凉は先程のことを思い出した。一帯の化け物を淘汰した直後のはなの姿。頭の二本角は見間違いではなく、妖化していたために生えたものだったのだ。だから、人間離れした速さで大量の怪物たちを一掃することができたというわけだ。

「かっこいい名前だな」

凉が恍惚としながら呟く。帝都があからさまに顔を顰めた。

「血盟っつうのは、血を啜り合っての結束ないし契約を指す。ただのお仲間同士じゃない。いざってときは、その身、ひいては命を捧げることすら要求される」

「はぁ」

まるで、遠い世界の話でも聞いているように感じ、凉の口から腑抜けた声が零れた。

「血盟士団に入るのって、希望制なんですか?」

「半分そうだな。人妖かどうかは、生まれたときに国から把握される。人妖だった場合、成人すると勧誘されることがあるらしい。ほんの一部の、信頼に足る奴だけみたいだけどな」

 新たな疑問が浮かび、凉は口を開こうとした。しかし、質問タイムは終了と言わんばかりに、帝都が話題を切り替えた。

「それで、はな。こいつをどうするんだ? 避難所に連れてくか?」

「人探しをしてるんだって」はなは凉のほうを振り向いた。「お友達の名前、フルネームで教えてくれる?」

「草刈葵です。『草』はよく使われる植物の草の字で、『刈』は芝刈機の刈、『葵』は花の名前のアオイです。草かんむりに、出発の発みたいな」

 凉の説明を聞きながら、帝都がスマホに名前を打ち込む。検索結果が出ると、「うーん」と唸りながらこう報告した。

「どの避難所にもいないみたいだ。どこに向かっていたんだ? 大体の場所がわかれば、探すのも楽になると思うけど」

帝都がスマホをポケットに仕舞い込む。

「それがね、蔵王の封印石を取りに行ったみたいなの」

「封印石? 何で?」

帝都が顔を強張らせながら呟く。

「僕と前田先生の話が聞かれてたみたいです。それで、封印石のことを知ってしまった」

「なるほど。そいつはわかんねぇな。さすがに蔵王には着いてないだろ」

帝都は言葉通り、頭を抱えた。

「あの」

凉が眉を顰め、軽く手を挙げた。はなと帝都が同時に振り向く。

「さっきはなさんも言ってたけど、何で葵が封印石を取ってないってわかるんですか?」

状況からして、葵が封印石を取ったと考えるのが自然だ。そもそも、封印石の詳細を知る者が限られている中、葵が封印石を取りに向かったタイミングで、ちょうど別の人物も封印石を取りに来るというのは考えにくい。

 はなが深刻そうな顔を浮かべ、口を開きかけたが、

「見張りがやられたからだよ」

先に帝都が答えた。さらに続く。

「五年前の事件以降、封印石周辺は血盟士団の厳重な警備が敷かれるようになった。今度石がなくなったら終わりだからな。それが、何者かに全滅させられたんだ。もしその葵って子が、屈強な大の男どもを相手にぶっ殺せるっていうなら話は変わるが、違うだろ?」

 凉はこくりと頷いた。

「確かに、臨床試験でバケモノ張りの快復は見せたけど、さすがに大量殺人までは――」

「臨床試験の被験者だったんだね」

はながぽつりと零した。凉は無言のまま、悔しそうに俯いた。

 帝都は決まり悪そうに目を逸らし、口で息を吐いた。

「団に相談してみる。余裕があれば探してくれるだろう。見つかり次第、連絡を寄越すよう伝えとく……って、どうした?」

帝都が怪訝な表情を浮かべる。その視線の先には、俯いたまま頭を押さえて震える凉の姿があった。

「痛い。頭、割れそう」

凉が喉から絞り出したような声で答えた。

 途端に、はなと帝都の表情が険しくなった。

「まさか」

帝都が愕然とする。

 はなは凉の隣に駆け寄り、必死に「大丈夫だから」と訴え続けた。しかし、凉の頭痛が収まることはなかった。むしろ、だんだん酷くなっていった。

 ズキズキという痛みの波に合わせ、凉の意識が薄れていく。はなの声も、次第に遠ざかっていった。


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