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16. 着火

 目の前に突きつけられた刃先が、小刻みに震えていた。凉は刃から浜町に視線を移し、落ち着いた口調でこう告げた。

「ひとまず、目先の危険を潰すために、子供たちを避難所から遠ざけましょう。それまで、間違ってスイッチが押されないようにする」

「AHT細胞を取り除くことはできないんですか?」

「普通に生活していて、暴走再生が起きる可能性はかなり低いです。ないと言ってもいい。他の正常な細胞も死滅させてしまうリスクを考えると、放置するほうが賢明です」

 開発初期のAHT細胞は、活性条件が極めて限定的だ。それも、実験などでわざわざ用意してやらなければ揃わないほど、特殊な環境だ。日常で偶然揃ってしまうことは、まずあり得ない。励化線のない状態の『沈黙の細胞』に等しいわけだ。

 そのようなことを、凉はAHT細胞の研究者であるから理解しているが、一般人には少なからず不安が残るだろう。殊に、当事者の親なら尚更だ。

「本当に、子供たちは救えますか?」

 浜町の目が、今にも涙が滴りそうなほどに潤み出す。凉は、目元にぐっと力を入れ、相手の顔をしっかりと見据えた。

「例えあなたが敵であっても、子供たちに罪はありません。救いたい気持ちは一緒です」

 刀が下ろされた。刃先の向くほうに、水滴が一粒、零れ落ちる。

「ありがとう。本当にありがとう」

 全身の妖化が解けた。浜町は涙を拭いながら、何度も同じ言葉を繰り返した。

 敵意の眼差しで睨んでいた凉の目が、ばつの悪そうに通路へと逸れた。

 浜町の涙が落ち着いたところで、凉が話を切り出した。

「浜町さんは、団に子供たちのことを連絡してください」

「わかりました」

浜町は涙を拭いながら頷き、こう続けた。

「スイッチはどうしようか? 奪い取るか、破壊するか……破壊はやめたほうがいいか……どちらにせよ、近づく必要はありそうだけど」

 凉は、先程の大鬼の様子を思い出した。接近戦で止めるとなれば、化元体消費を控えた状態の左沢では歯が立たない。帝都でも厳しいだろう。浜町は、不意打ちなら先程のように優位に立てそうだが、安定性には欠ける。メインに据え置けるのは一人しかいない。

「はなさんに手伝ってもらいましょう。それと、MDOの効果が切れる条件って知ってますか? あれならいっそ、暴走状態から戻したほうが対応しやすいかなと思うんですけど」

「ごめん、わかんないな」

浜町が頭を掻き、申し訳なさそうに言った。

「そうですか。やっぱり、作った人に訊くしかないか」

凉は独り言のように呟くと、改めて浜町を見た。

「はなさんと帝都さんの救出をお願いします。僕は左沢さんにMDOのことを訊いてくる」

「了解しました」

 浜町と別れ、凉は再び会議室に戻った。開いたままのドアからこっそり忍び込み、中の様子を窺う。

 大鬼の姿はすでになかった。廊下からの侵入に警戒しながら、左沢が吹き飛ばされたところに駆け寄った。

 左沢は、壁やテーブルなどの残骸に埋まったままだった。ただし、意識はあるようだ。

「大丈夫ですか?」

凉が手を差し出すと、左沢はしっかりと掴んだ。

「夕凪さん、無事でしたか。心配でした」

「それはこっちの台詞ですよ」凉が腕を引き上げる。「一つ訊きたいんですが、MDOによる暴走から元に戻る条件ってありますか?」

「ぱっと思いつくので二つほど。一つ目は強制的に寝かしつける。気絶させるのと同義です。二つ目は疑似化元体の消耗。放置だと半日は掛かります」

凉は頭を抱えた。大鬼と対面しないでも対処できるとはいえ、半日も待ってはいられない。

「やっぱ、ぶん殴るしかないか」

凉は渋い表情を作り、諦めたように呟く。そこに、

「特定の環境に追い込んで、意識を奪うという方法もあります」

左沢がそう提言した。凉の渋面が、きょとんとした表情に変わる。

「意識を奪う?」

「はい。麻酔ガスや窒息剤は揃いそうですので、あとは密室があればいいのですが」

 二人は会議室を出ると、施設入口正面の壁に設置された構内図を確認しに向かった。地上階五階と地下一階の、全部で六フロアだった。現在いる一階には、大小会議室と動物飼育室しか記されていなかったが、おそらく通路のどこかと外の巨大コンテナが繋がっているはずだった。

 二階以上は、研究室がメインになっていた。各研究室とも、「薬品製造化学」「高分子化学」「病態生理学」といった大まかな研究分野が記載されている。

「三階にありそうですね」

左沢の言葉に、凉が視線を上げる。「神経薬理学」と「毒性学」の文字が目に入った。

「麻酔はそこから集めましょう」

凉は頷いた。

「それで、柊さんを追い込む場所はここがいいと思います」

小さな人差し指が、地下一階の「特殊実験室」を指した。

 左沢は頷いた。

「さっそく麻酔を取りに行きましょうか」

「その前に、化元体ですね」

凉の言葉に、左沢は面目なさそうに頭を下げた。

 二人は階段を通り過ぎ、廊下を進んだ。途中、構内図になかった裏口扉との接続路を発見し、曲がる。中は、窓のない旅客機搭乗橋そのものだった。数メートルの短い薄暗闇は、進むにつれて、独特の臭いが漂ってきた。

 奥に辿り着くと、重いドアを二人掛かりで左右それぞれにスライドさせた。中から冷気が放たれるとともに、大量の化元体が視界に現れた。多くはパック詰めにされた状態でブロック塀のように整然と積まれており、隅の一部だけが荒らされたように崩れていた。寒さ以上に、臭いが強烈だった。左沢も、錠剤を飲むときと似たような表情を浮かべている。

「適当に持ってって、早く帰りましょう」

凉は鼻を摘まみながらそう言い、一歩下がった。

 そのとき、離れたところから物音がした。

 凉が、音が聞こえたほうを向く。ちょうど、化元体の山が崩れていた箇所だった。大鬼がパックをぶち破り、中の液体を口に流していた。あっという間に飲み干し、空のパックを投げ捨てると、次に手をつけるパックを探すために周囲を見回した。

 血走った眼が、凉たちを捉えた。大鬼の口元に、にやりと笑みが浮かんだ。

 凉は左沢の腕を引き、すぐさま来た道を引き返した。開いたままのドアを放置し、接続路を駆け抜ける。背後からは、大鬼の叫び声と壁の破壊される音が聞こえてきた。

 本館の廊下に入ってすぐ、凉は左に曲がった。

 まもなく、階段が見えた。反射的に上る。二階分上ったところで、凉は目についた道をひたすら走った。まっすぐ伸びる廊下を駆け、角を曲がり、再び通路を直進する。

 端まで来ると、今度は突き当たりだった。「サーバー室」と書かれた部屋のドアノブをガチャガチャと回したが、施錠されていて開かない。

 凉は背後を振り向いた。大鬼は着実に迫っていた。

「ごめんなさい」

凉が泣きそうになりながら、腕を掴む力をわずかに強めた。

「君が謝る理由がわかりません。離していただけますか?」

左沢は落ち着いていた。少し苛立っている様子だったが、少なくとも凉に対してではないように見えた。

 凉が手を離すと、左沢は小さく笑い掛けた。

「ありがとうございます。夕凪さんは窓から逃げてください。できますか?」

 三階。平均的な高さは約十三メートルと言われている。怪我をしても、化元体の力で元通りになるとはいえ、痛いものは痛いし、打ち所が悪ければ回復など関係なくなる。

 凉は唾を飲み、窓を見た。

 突然、通路の窓ガラスが大きな音を立てて割れた。破片の雨とともに、フードを被った小柄な影が大鬼に降り掛かった。二人の人妖は、そのまま反対側の壁を突き破り、部屋の中へと消えた。

 その様を、凉が唖然としながら見ていると、

「凉!」

外から帝都の声がした。まもなく、割れた窓ガラスから彼を抱えた狐面が入り込む。着地するや否や、妖化を解いた浜町が、左沢を背負った。

「大丈夫か?」

帝都の声に、凉は曖昧に頷いた。

「僕は大丈夫です。それより、左沢さんの化元体が……」

 帝都は思い出したようにポケットをまさぐり、はなから預かっていたであろう錠剤を左沢に飲ませた。それから少し悩んだ末に、残りの錠剤を全部押しつけた。

 握られたシートには、一錠しか残っていなかった。

「どうすればいい?」

 凉は、質問に答える代わりに走り出した。はなたちの突っ込んでいった部屋を通り過ぎ、廊下に並ぶ表札を順番に確認していく。「神経薬理学」の札を発見したところで、足を速めた。帝都も迷わず後に続く。

 中に入ると、奥に薬品棚を見つけた。すぐさま駆け寄り、薬品を一通り眺める。隣の窓なし戸の中も確認しようと手を伸ばしたが、鍵が掛かって開かなかった。凉が煩わしそうに顔を顰めると、隣で見ていた帝都が妖化し、棚の戸を次々と尻尾で破壊していった。

「ありがとうございます」

壊れた戸の断片を床に置き、順番に瓶のラベルを調べていく。

 戸棚の破壊作業を終えた帝都が、妖化を解いて凉の隣に並んだ。陳列された薬品を真顔で眺め、小瓶を一つ手に取る。そのラベルには、「ニトログリセリン」と表記されていた。

 別の場所に視線を這わせていた凉が、ふと帝都の手元を見た途端、小さく悲鳴を上げた。

「変に触らないでください、危ないから!」

凉が焦った表情で早口に告げるが、指摘を受けた当人は不思議そうに首を傾げていた。

「爆薬なのは知ってるけど、そんなにやばいのか?」

「ちょっとの刺激で爆発する、かも」

凉は戸棚に視線を戻した。

「何でそんなものがここに……」

「血管を拡張させる働きがあるので、狭心症の薬に使われたりします。とにかく、不用意に触るのはやめてください」

「ふぅん」

帝都は意外そうにラベルを見つめ、再び凉を見た。

「ところで、鬼を止める具体的な策をまだ聞いてなかったな。どうするつもりだ?」

 凉はガラス戸棚から容器を一つ手に取り、口を開いた。

「地下の監禁部屋に誘導して、毒ガスで一時的に意識を奪います」

「密室に誘導か」

帝都が厳しい顔を浮かべる。

「ごめんなさい」

凉が申し訳なさそうに俯いた。

「俺に謝る道理はない。それに、華陽なら承諾する」

帝都はすぐにフォローを入れたが、どこか快く思っていない様子だった。

 最中、入口のほうから大きな物音が聞こえた。見ると、はなが廊下から突き飛ばされ、周囲の器具や椅子を巻き込み、床に投げ出されていた。

「華陽!」

帝都が駆け寄る。

 はなは、腕を震わせながら上体を起こし、ふらつきながら立ち上がった。頭からは血が流れ、衣服はところどころ破けていた。裂け目から覗く肌には、痛々しい火傷の跡が覗いていた。

「大丈夫か?」

帝都は、はなの身体の傷を見ると、心配そうに廊下も見た。

「大丈夫。薬傷だから火事もない。それより、浜町さんたちを」

「え?」

帝都が声を上げる。

 ようやく、薬品を回収した凉が二人のところに合流した。はなの頭の傷口から床に血が滴り、凉の顔にたちまち不安の色が宿った。

 そのとき、廊下から唸り声が聞こえた。凉が慌てて振り向くと、背中を向けて遠ざかっていく大鬼の姿が見えた。

「まずい」

帝都が先に走り出した。わけもわからず、凉も後を追う。

 廊下には、破損した壁の残骸やガラス破片が散らばっていた。凉が足元に気をつけながら進む前で、帝都は手頃な残骸を拾い、大鬼に投げつけた。しかし、大鬼の注意を引きつけることはできなかった。

 凉は、先程のはなの言葉を思い出した。そして、暴走人妖の習性――ヒトを優先的に狙うことを思い出す。

 大鬼の身体に隠れて見えないが、その先では左沢を担いだ浜町が、必死に逃げているはずだ。当然、彼らが向かう先は想像がつく。

 凉はとっさにこう叫んだ。

「浜町さん! 化元体倉庫は逃げ場がありません!」

返事はなかった。伝わったかどうか不安に思いながら、凉は帝都に続いて階段を降りる。一階に着いたとき、大鬼がそのまま外に向かっていったので、凉は少しだけほっとした。

 先を走る帝都が、一足早く外に出た。その矢先、

「浜町さん、危ない!」

駐車場のほうに向かって叫んだ。

 時間差で追いついた凉が、帝都の視線の方向を見た。

 発砲スチロールの山に埋もれ、抜け出せなくなっている浜町と左沢の姿が、備蓄所内から漏れた明かりと月光に照らされていた。少し離れたところで、大鬼が足元に散乱したコンテナなどの残骸を踏み潰し、浜町たちのほうに向かっていく。

 浜町は、必死に脱出しようと藻掻いていたが、藻掻くほど身体は沈んでいった。

 帝都が助けに向かおうと、走り出す。しかし、大鬼が距離を詰めていくペースを考えると、間に合いそうにない。

 いよいよ大鬼が、目前に捉えた。薬品や血がこびりついた棍棒が、空高く振るわれる。

 必然的に、上にいた左沢が対応を迫られた。両腕を部分妖化させ、刀を抜く。

 金属同士の接触音が鳴り響き、棍棒は刀に止められた。直後、発砲スチロールの山が大きく崩壊した。左沢の握っていた刀が傾き、堰き止められていた棍棒が二人の身体を捉えようとする。

 大鬼の脇腹に、妖化した帝都が突進した。二体は勢いのまま、近くのガラクタの山に突っ込んだ。

 その間に、浜町と左沢が発砲スチロールの山から脱出した。大鬼が来ないことを確認し、凉が駆け寄った。

「大丈夫でしたか?」

「あぁ、夕凪くん。さっきはありがとう。助かったよ」

浜町が、掌についたスチロールのカスを叩き落とす。

「いえ、無事で何よりです。子供たちのことは伝えましたか?」

「はい、連絡しました。さっそく対応してくれるそうです」

「よかった」

凉が胸を撫で下ろした。浜町も釣られて笑みを浮かべる。

「今のうちに、化元体を回収しに行きましょう。帝都くんが止めてくれていますし」

浜町がそう言った矢先、三人の傍に妖化した帝都が投げ出された。離れた場所から咆哮と鼻息が聞こえてくる。

「化元体をお願いします」

真っ先に、左沢が口を開いた。さらに続ける。

「できれば多めに取ってきてください。私以外にも必要な人がいると思いますので」

 凉の脳裏に、神経薬理学研究室で見たはなの姿が浮かんだ。

「わかりました」

凉は頷いた。さっそく踵を返そうとすると、左沢がこう付け加えた。

「化元体が多すぎて、中からは確認できませんでしたが、搬出の便宜上、外にも扉はあると思います」

 凉と浜町が化元体倉庫を見る。本館に戻って中から運び出すより、外から取り出したほうが明らかに早そうだった。視線を戻すと、左沢は右腕と両脚のみ妖化させていた。両手で刀を握り、大鬼へ近づいていく。

 凉は浜町のほうに向き直った。

「浜町さん。行きましょう!」

浜町が大きく頷いた。

 二人は化元体倉庫に急いだ。一帯に転がる、大小様々な資材と廃材に気をつけながら、凉は薬瓶をしっかり抱えた。

 途中、大鬼の様子が気になり、背後を振り向く。大鬼は左沢に押され、凉たちと入れ替わるように本館入口方向へと移動していた。その目は、面前の敵と、凉・浜町を交互に捉えていた。凉は慌てて目を逸らし、化元体倉庫に意識を集中させた。

 その直後、重いものが地面に落下したような衝撃が、足元から伝わってきた。凉は思わず足を止めた。すると、今度は地面が微かに揺れたような気がした。凉は戸惑いながらも、化元体倉庫に向かって再び走り出そうとした。

「夕凪さん!」

左沢の叫び声が聞こえた。凉が振り向く。前を走っていた浜町も、反応した。

 視界の奥に、植え込みから大木を引き抜き、両腕で掲げる大鬼の姿があった。

 腕から大木が離れた。放物線を描きながら、こちらに近づいてくるのがわかる。

 凉は急いで後退しようとした。しかし、残骸に足を引っ掛け、その場で尻餅をつく。弾みで持っていた薬瓶が投げ出された。

 大木は、倒れた凉の頭上を掠め、奥に落下した。ずっしりとした衝撃が尻に伝わる。

 凉は起き上がり、思い出したように瓶の飛んでいった方角を見た。落ちていた緩衝材によって無傷で着地し、化元体倉庫の近くに転がっていた。

 凉は立ち上がり、化元体倉庫に向かった。

 その頃、敷地外から聞き慣れた轟音が近づいてきた。トラックの走行音だった。化元体輸送を終えて戻ってきたのだ。

 駐車場にいた全員が、駐車場に入ってきたトラックのほうを向いた。

 直後、大鬼が左沢を蹴り飛ばし、大きく跳躍した。ドスンという衝撃とともに、トラックの前に着地する。トラックのフロントガラスを覗き込み、絶好の武器だと言わんばかりに舌なめずりすると、車体のキャビンを両手でがっしりと掴み、徐々に持ち上げていった。荷台が高々と掲げられる。

 大鬼の視線から、凉は自分のいるほうに投げられると直感した。しかし、身体が動かない。

「凉、逃げろ!」

同じことを察したのだろう、帝都が叫ぶ。凉は、返事の声すら出すことができなかった。

 十トンの鉄塊が、大鬼の手から離れた。

 化元体倉庫の手前で、足が竦んでしまい、動けずにいる凉。そこに、妖化した浜町が文字通り飛んできた。一瞬にして凉を抱え、その場を離れる。

 凉の目に映る薬瓶が、だんだんと遠ざかる。

 トラックが化元体倉庫に衝突した。

 突如、爆発が発生した。火の手が瞬く間に倉庫を包み、さらに勢いを増して本館に延焼する。

 浜町は、大鬼のいる備蓄所入口とは逆方向に着地し、凉を下ろした。

「凉、浜町さん!」

帝都が駆け寄る。衣服が全体的に血の色で染まっていたが、出血自体は止まっていた。

「火を消しましょう」

「わかりました」

浜町が頷く。しかし、

「ダメだ」

凉が首を横に振った。

「何でだよ?」

帝都が訊ねる。

「毒ガスが――」

炎を見つめる虚ろな目には、絶望の色が宿っていた。帝都は凉の顔を覗き込み、落ち着かせるようにこう言った。

「俺たちは人妖だ、毒ガス程度じゃすぐには死なない」

「毒がやばいんじゃない。従来の消火法だと、かえって火を強めることになる」

これには、帝都も返す言葉がなかった。小さく舌打ちし、悔しそうに顔を歪める。浜町も、その場で足踏みすることしかできなかった。

「どうすりゃいい」

帝都の口から、独り言のような声が零れた。その視線の先には、戦闘を続ける左沢と大鬼の姿があった。

 同じ様子を見ていた凉が、拳を強く握り締める。そして、帝都たちのほうを勢いよく振り向いた。

「だったら、左沢さんのフォローをしてくださいよ」

「凉?」

帝都が、理解できないと言わんばかりに目を丸くした。その反応が、余計に凉を苛立たせた。

「あんたら、戦えるでしょ? 一人で大鬼相手に戦わせる気ですか? 暴走するかもしれないのに」

「凉」

帝都の手が、凉の肩を捕らえる。しかし、力強く振り払われた。

「今更見捨てるつもりかよ?」

「落ち着け」

「落ち着けるか! 見殺しなんかできない。あんただって、暴走されたら厄介って――」

「化元体が燃えてんだ、助けたところで暴走は防げない!」

帝都が、凉の声調子を上回る怒声で告げた。

 轟々と火を噴く化元体倉庫が、漠然と視界に映る。凉は、視線を留めたままその場に崩れ落ちた。

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