15. 回想-連休終わりと脅迫
大型連休最終日の午前のことだった。上の階では、連休中の宿題が終わっていない子供の手伝いを皆で行うと聞いていたが、その割りにはドカドカと騒がしい足音が絶えなかった。そんな様子すらも、浜町にとっては微笑ましい日常だった。一階で一人、コーヒーを飲みながらサスペンスドラマを見ていた。
ちょうどCMに切り替わったとき、玄関のチャイムが鳴った。
「はい?」
浜町は不思議に思いながら、玄関に向かった。来客の予定もなければ、荷物が届くような心当たりもない。営業や何らかの勧誘も、ここ数年はまったく見なくなっていた。
新しく近所に引っ越してきた人が、挨拶に来たのだろうか? そう思いながら恐る恐るドアを開けると、スーツ姿の真面目そうな男性が立っていた。
「初めまして、突然で申し訳ありません。私、以前花押先生に共同研究でお世話になった柊と申します」
男性はそう名乗り、一礼した。
「花押さんの、ですか」
浜町が呟く。複雑な心境が思わず顔に出るも、相手は、少しぎこちない笑顔を浮かべたままだった。
「ご用件は?」
「実は、花押先生から預かっていたものがありまして。返すタイミングが掴めなくて困ってたんですけど、最近娘さんがご存命と耳に挟みまして」
柊が話す間、浜町は落ち着きなく周囲を見回していた。一戸建ての多い住宅街とはいえ、大通りが目の前にあるので、決して人通りも少なくない。
柊が声量を落とす様子もなければ、話が終わりそうな気配もなかった。浜町は、申し訳なさそうに話を遮った。
「あのー、もしよければ、どうぞ上がってください」
「あぁ、申し訳ない。失礼します」
柊は、悪びれた様子もなく玄関に上がった。重そうなビジネスバッグを持ったまま、手入れの行き届いた革靴を振り払うように脱いだ。
「先日、たまたま当時同じプロジェクトにいた仲間に会いまして。それで、花押先生のことを思い出したんです」
「美玲さんのことを知ったのも、そのときですか」
少し間があって、柊は作り笑いを浮かべた。
「はい、そうです。娘さん、美玲さんっていうんですね。元気でいらっしゃいますか?」
居間に入ると、柊は浜町が促す前に、空いている席に腰を下ろした。浜町は、居間を出てすぐの階段を何段か上ると、
「美玲さん、ちょっといい?」
子供を一人呼び出した。
程なくして、困惑した様子の美玲がやってきた。浜町は一緒に居間に入った。
柊は、来たときから変わらない不器用な笑顔で会釈した。
「初めまして、美玲ちゃん。君のお父さんの知り合いです」
美玲は、やはり困惑しながら浜町のほうを見た。柊の言う「お父さん」が誰を指すのかわからないといった表情だ。しかし、浜町の顔を見て悟ったらしい。柊のほうを振り向き、顔を強張らせながら軽く頭を下げた。
柊は、何か思い出したようにバッグの中を漁り始めた。
「これ。家内が作ったものなんですが、もしよかったら皆さんで分けてください」
大量の丸パンが入ったポリ袋が、美玲に渡される。
「うわぁ……すいません」浜町が申し訳なさそうに言う。
「いいんですよ、全然。いつも作りすぎて余りますから」
美玲は先程より深く頭を下げ、様子を窺うように浜町を見た。浜町が小さく頷くと、美玲は二階に戻っていった。
浜町はリモコンでテレビの電源を消し、自分の席に腰を下ろした。
途端に、部屋が静まり返った。先程までうるさかった二階の物音も落ち着く。
「花押先生は、すごく明るい人でした。俺たち若手にもフランクで、それでいて物知りで」
柊がビジネスバッグを閉じながら語る。浜町は、冷めかけのコーヒーに手を伸ばした。
バッグが床に置かれた。柊は視線を下に向けたまま、もったいぶるようにこう続けた。
「未だにわかんないんですよ。何でそんな人が、ウイルステロを起こしたのか」
コーヒーカップに触れる直前で、浜町の手が止まった。
五年前のバイオテロ、もとい大規模人妖暴走事件。それを最初に企画したのは、美玲の実父だった。血盟士団員故に人妖回りの情報に触れる機会があり、その回復力に着目した彼は、万能細胞を作ると謳って研究者たちを掻き集め、励化線を発生させるために蔵王の封印石を破壊した。そうして開発が進められたのが、現在治験中のAHT細胞だ。
しかし、花押の真の目的はAHT細胞の開発ではなかったということが、他の主犯格の証言から明らかになっている。実際、彼は意見の食い違いが原因で、騒動の最中に殺害されていた。
「わ、私にもわかりません」
浜町はそう言うと、ごまかすようにコーヒーを啜った。取手を掴む指は、ガタガタと震えていた。カップがカチャンと音を立て、テーブルに置かれると、浜町は軽く咳払いをしてこう続けた。
「本当に、何でなんでしょうね? 美玲さんも知らないみたいですし」
無論、血盟士団に知らない者はいないし、浜町だって例外ではない。しかし、血盟士団として知り得た情報を外部に話すことはご法度だ。万一、人妖回りのことが外部に知られれば、興味本位で封印石を取りに来る人が後を絶たないだろうし、中には、花押たちのように、何らかの目的を持って利用しようと計画する者も出てくるだろう。それに、最先端の医療技術として期待されているAHT細胞が、バイオテロをルーツにして開発されたというのは、世間に大きな衝撃を与えることに違いない。よりにもよって、現在、世界初の臨床試験が実施されている最中だ。例の少年を始めとする研究者や被験者、多くの関係者に迷惑を掛けることになるのは確実だ。
浜町は、黒々としたコーヒーに目を落としながら、早く帰ってくれないだろうかと心の中で祈っていた。
その矢先のことだった。
「植物状態だった人妖の娘を治すために、励化線を解いた」
前に座る男が、急に荒い口調でそう言った。
カップのコーヒーに映っていた浜町の冴えない顔が、たちまち生色を失った。その表情のまま、ゆっくりと顔を上げる。そこには、拙い笑みを浮かべていた人物とは別人としか思えないような男の顔があった。温情が灯っていた瞳からは、いっさいの人らしさが消え、憎悪と侮蔑に駆られた人間の目をしていた。
「本当アホ臭い。死んだも同然な娘一人のために、国全体を巻き込むのも、そんな茶番にまんまと釣られたうちのクソ教授も」
浜町の思考は、少しの間、完全に停止していた。
「い、一体どこでそれを?」
ようやく理解が追いつき、口を開く。柊は高圧的な視線で見下ろした。
「落合の遺したデータだ。それでもあの野郎、説明を省きまくりやがるから、わからないことだらけだった」
「美玲さんがここにいることも?」
「さすがに調べた。そいつだけじゃなく、他のガキも大量に引き取ってると聞いたときは、舞い上がっちまったよ。こりゃあ何か知ってるなって」
「じ、じゃあ、花押さんとお知り合いというのは――」
「ホラ話に決まってんだろ。共同研究も預かりものも、全部デタラメだ。ごまかすのは得意でな。さて、本題だ」
柊が勢いよく立ち上がった。椅子を蹴り、ずかずかと浜町に詰め寄る。
「五年前に完成したというAHT細胞はどこだ?」
浜町が質問を咀嚼するのに、しばらく時間を要した。
「そんなもの、なかったと思いますが?」
あまりにも心当たりがなさすぎて確信が持てず、惚けているような声が零れた。
「嘘つけ!」
柊が胸倉を掴み上げる。
浜町は声を裏返らせ、必死に弁明した。
「完成したAHTの話なんて、聞いたことありません。本当です」
「だったら、なんちゃら団っつうゲームに出てきそうな連中のお偉いさんが隠してるに決まってる」
「それはあり得ません。必ず共有されます」
「どうやって?」
大量の冷汗を浮かべながら、目を逸らした。絶対に口を開くまいと、唇に力を入れる。
程なくして、浜町の身体が放された。椅子にぶつかり、そのまま床に崩れ落ちる。
柊は呆れた息を吐くと、天井を睨んでこう言った。
「クソ教授のデータにあった、確かMDOだったか? 何種類かある中の一つに、非人妖を励化線なしで化けさせる奴があったよな?」
浜町は五年前の記憶を引っ張り出した。事件の黒幕が判明した直後、血盟士団は急いで染谷と合流し、封印石を用意して事態を収束させようとした。それでも終わらなかったのは、励化線が止まっているにも関わらず、敵側が妖化して襲ってきたからだ。やってきたのは左沢と落合の二名だったが、落合は人妖ではなかったはずだった。
「はい。それがどうかしましたか?」
浜町の返事を聞くや否や、柊は不気味な微笑を浮かべた。
「さっきガキに渡した食い物に、それが入っていると言ったら?」
浜町の顔から、たちまち血の気が引いていった。
丸パンの詰まった袋。それを分けて食べる子供たち。やがて、化け物の姿に変わり、互いに恐怖し合う。脳内で、架空の映像が移り変わる。
家の中ならまだいい。問題なのは、今日が連休最終日であるということだ。もし、学校など他所で妖化されたら。
子供たちが、猟銃を持った大人に囲まれる様子が浮かんだ。
浜町は椅子の座面に手を突き、慌てて立ち上がった。すぐにも二階に向かおうとしたが、
「刺激しないほうがいいぞ? 暴走する」
すかさず柊が忠告した。
「じゃあ、どうすれば!」
浜町は泣きそうな顔で縋りつく。
柊は片側の口角を上げ、目を細めた。
「団の持っているデータをすべて寄越せ。そしたら何とかしてやる」
浜町は、柊の指示に従った。五年前の事件の詳細、励化線や封印石についてとその場所、血盟士団が実験室から押収したデータや成果物の情報など、団員専用ページの内容をすべて引き出した。しかし、柊の求めていた情報はなかったようだ。
「血盟士団に最後まで捕まらなかったのはクソ教授と左沢って奴で、クソは血盟士団側に殺され、左沢は埋められた。これは間違いないのか?」
印刷物で散らかった、二人居座るには狭い書斎で、柊が空きの多い本棚に寄り掛かりながら訊ねた。彼の右手には、「二〇一四 大規模人妖暴走事件 報告書」があった。
「はい」
報告書がパタンと閉じられた。
「その場所に案内しろ」
浜町は口をあんぐりと開き、瞬きを繰り返した。
「蔵王にですか?」
「左沢が埋められたところだ。完成したAHT細胞のデータが残っているとしたら、そこしかない」
「無理ですよ。団員が相当数見張っています」
「ガキがどうなってもいいのか?」
柊の脅迫に、浜町は唾を飲んだ。子供たちを、このまま放置することはできない。とはいえ、柊の無茶振りに応えるのが厳しいのも、また事実だ。
「団員には警察官や自衛官なんてざらにいますし、柔道の元国体選手もいます」
「物理で殴るとか、そんな頭の悪いことはしねぇよ」
柊はぴしゃりと言い放ち、ビジネスバッグの中から茶色い薬瓶を一つ取り出した。
「人の命の救い方を学んでる奴には、殺しなんか簡単だ」
五年前の事件の後、一度だけ蔵王に来たことがある。樹氷を見るためだ。声を掛けたときは、気乗りしない子が過半数だったが、いざゴンドラに乗ると、全員目を輝かせながら、外の景色に夢中になっていた。
「見ろよ! あれ、ゴジラじゃん」
「あれってどれだよ」
「あれだよ、あれ」
「ゴジラみたいなのいっぱいいてわかんねーよ」
特等席は占有されてしまい、樹氷を堪能することはできなかったものの、楽しそうな子供たちの姿が見られたので満足だった。
同じ蔵王の地を再び踏む。しかし、視界に見えるのは、喜ぶ子供たちの姿でも、スノーモンスターでもない。
血盟士団の警備拠点。その屋内でそこら中に倒れる、人の死体だった。廊下の床や壁、破れた障子にも、べっとりと血が塗されている。
浜町は、休憩室の水場に放置された忌々しい薬瓶を回収した。
生きた心地がしなかった。正気を保つために、何度も心の中で「子供たちを生かすため」だと言い聞かせる。そうでもしないと、比喩ではなく本当に暴走人妖化してしまいそうな気がした。
外から爆発音が聞こえた。建物の壁がわずかに振動する。柊が、生き埋め地点の入口を開けたのだろう。すでに屋内に生存者がいないことは確認済だったが、柊と合流する気にはなれなかった。生き埋めにされた二名のうち、一名が子供だったからだ。
しばらくして、柊の悲鳴が聞こえてきたときに、自分の判断は正しかったと確信した。
しかし、まもなく罵倒するような声が聞こえた。どうも、死体に驚いた声には思えない。さらに、柊以外の声も聞こえてきた。
誰かに見つかったかもしれない。浜町は忍び足で染谷邸から脱出し、外の様子を窺った。ちょうど、生き埋め地点のほうから柊が走ってくるのが見えた。他に人の姿はなかった。
「そっちに行った、追え! 奴が持ってる!」
浜町に気づいた柊が、そう叫びながら指をさす。その方向を見ると、上空に飛び立つ天狗の姿が見えた。こちらに背中を向け、森林の中へと消えた。
すぐに、切迫した問題に気づいた。
「妖化してる?」
即ち、封印石が消えた。
浜町は顔面蒼白になりながら、屋敷のほうに戻った。
血盟士団は、いざというときのために人工化元体を備蓄している。警備拠点の裏にひっそりと構える倉庫の中――正確には、その地下室だ。
屋敷と比べて整備の行き届いていない倉庫まで走り、錆びついたドアを開いた。中から土埃が舞い上がった。浜町は口元を腕で覆いながら中へ進み、備品には目もくれず、奥の階段を駆け下りた。
地獄の補給を終え、地上に戻った。屋敷の前で、柊が険しい目つきを浮かべて上空を睨んでいた。
浜町は、口元に付着した赤い液体を拭いながら、半ば駆け足で柊の隣に並んだ。
「遅い、逃げられた。何してたんだ?」
「化元体飲んでました。すいません」
柊は一瞬怒り狂ったように目を剥いたが、溜息だけに留めた。
「暴走はしないってことか」
柊が、浜町のほうに向き直る。
「封印石を取ったのは、小学生ぐらいの女のガキだった」
「女の子?」
浜町は目を丸くしながら、周囲を見回した。こんな山中に、小学生の少女が一人でのこのこやってくるのは違和感しかない。それに、どこで封印石のことを知ったのだろう。可能性として、柊が目撃したのは三橋華陽だったというのはありそうだが、それにしても小学生には見えないし、彼女が封印石を取るのも謎だ。
「見間違いではなく?」
「確かに女のガキだった」
「……生きてましたか?」
「霊なんていねぇよ。メガネゾンビに攫われた」
「っていうことは、封印石もまさか天狗に?」
柊は面倒そうに即答を続けようとしたが、浜町の絶望した表情を見てか、渋い顔を浮かべた。少しは危機感を覚えたらしい。
「これから俺たちはどうなる?」
「い、生きていればですが、一般の皆さんは、人妖と非人妖に分かれて避難所で暮らすことになります」
「血盟士団は別か?」
「避難所にも配備はされますが、私は本部に行くことになると思います。団長の指示で」
「メガネゾンビから石を奪い返すためにか。まぁ、とっとと済ませてくれよ。隙を見てこっちも――」
「馬鹿なこと言わないでくださいよ!」
浜町が強い口調で遮る。柊は面食らいながらも、嘲笑交じりに答えた。
「五年前と違って、敵はゾンビ一人だろ?」
「戦力が減ったのは、何も敵だけじゃないんですよ!」
血盟士団は、左沢と対等に戦える戦力として、三橋華陽を保有していた。だが、あくまで「対等」であり、「圧倒」できるほどの戦力差があったわけではない。他にも、封印石の再生成が不可能になったことによる再発時のリスクなど、様々な事情を鑑みて、血盟士団は左沢を止めるために、華陽という手札を切り捨てることにした。
現在、何故か復活した敵側の最強格を、こちらは最後の砦を失った状態で倒さなければならない。
左沢と華陽の戦闘力については、「二〇一四 大規模人妖暴走事件 報告書」にも簡単な記述はあったが、それだけでは実感は湧かなかったようだ。浜町の尋常でない焦りようを見て、ようやく柊の顔にも同様の色が浮かんだ。それでも、浜町とは違い、弱音を吐くようなことはしなかった。強がるように舌打ちし、腕を組む。
「チートみてぇに強い人妖が、石まで持ってる状況か。完全に手詰まりだな」
不安が拭い切れていないながらも、どこか他人事のような声だった。
「それで、あの……」
浜町が決まり悪そうに切り出す。
「子供たちのMDOは?」
途端に、柊が顔を顰めた。
「あ?」
顔を突き出しながら、睨みつける。しかし、浜町も怯まなかった。
「ここまで手伝ったじゃないですか! 早く治してくださいよ!」
先程までのおどおどした様子とは打って変わり、一歩も引かずに堂々と睨み返す。
柊は目を逸らし、面倒だと言わんばかりに肩を竦めた。そして視線を戻した。
「あんたの子供は、あんたと一緒か?」
「避難所です。本部に一番近いところになるとは思いますが」
「ふぅん」
柊はしばらく考え込むと、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。しかし、すぐに普段の無骨な表情に戻った。
「MDOに効く薬は用意する。場所がわかったら教えてくれ」
浜町はほっと胸を撫で下ろし、大きな息を吐いた。
「わかりました」
心の中を巣食っていた不安が一つ減り、自然と目線が上がる。不気味な警備拠点と厳かな森林が視界から消え、澄んだ青空に変わった。可愛らしい小鳥のさえずりも聞こえてくる。
隣の柊も、同じく空を仰いでいたが、神妙な顔つきを浮かべていた。浜町の視線を感じたのか、ちらりと視線だけで一瞥し、表情一つ変えずに口を開いた。
「ところで、事件の報告書の内容に嘘はないよな?」
「へ?」
予想外の質問に、浜町はきょとんとした。
「ないですよ?」
約千年前に励化線が封じられて以降、血盟士団が初めて動いた事件だ。あらゆる記録が今後の貴重な資料になる。そんなものに嘘があっては困るわけだ。そもそも、部外秘の資料に嘘を載せる必要がない。血盟士団員の浜町からすれば、至極当然のことではあるが、柊は納得していない様子だった。浜町が訳を訊こうとすると、先に柊が口を開いた。
「埋められたの、確か二人だったよな? メガネゾンビの場所、死体っぽいのがなかったぞ?」
避難所生活が始まると、予告通り、柊はMDOの治療にやってきた。浜町も運搬を手伝わされるほどの大荷物で、何をするつもりなのかと不安になったが、蓋を開けてみると点滴だった。投与は子供たちの就寝中に行われた。
「こいつらはずっとこの部屋にいるのか?」
点滴完了後、柊は器具を片づけながら、会議に呼び出された浜町に訊ねた。
「基本的にはそうです」
浜町が答える。予想通りの回答だったのか、柊は小さく頷くだけだった。
「それなら、荷物はここに置いてくから、勝手に触らないようにだけ伝えておいてくれ」
柊は子供たちの部屋から退室したものの、同じ避難所に留まった。浜町が会議から戻ってくるたびに、避難所の入口で待ち伏せし、無人の理科準備室を貸し切っては会議の内容を聞き出していた。
翌日、左沢から通話による呼び掛けがあったこと、さらに今晩中に左沢を奇襲し封印石と人質を取り返す予定であることを正直に告げると、柊は無理難題を突きつけた。
「奇襲を止めろ」
「はい?」
呆れるあまり、裏返った声が漏れる。
「無理ですよ。それに、あなたに従う義理はもうありません」
すでに、子供たちの体内のMDOは除去されている。しかし目の前の男は、余裕そうに笑っていた。
「騙していたことがある」
柊が、教材の入ったガラス棚に寄り掛かり、腕を組んだ。
得も言われぬ胸騒ぎを覚えた。額に脂汗が浮かび、背筋を冷たいものが走る。浜町は唾を飲み、昨夜の点滴を思い返した。
「昨日投与したのは、MDOの治療薬じゃないと?」
「片方はそれだ」
「片方?」
心拍数が上昇する。浜町の額から、大粒の脂汗が零れ落ちた。
柊は愉快気に笑みを浮かべ、左右の腕を組み替えた。
「もう片方は、パンにMDOを仕組んだって話だ。あれはまったくのデタラメで、本当は何も入れちゃいない」
「それじゃあ、昨日点滴したのは?」
柊は鼻で笑った。
シャツの胸ポケットから、ライターのようなものが取り出された。
「落合のデータにあった初期のAHT細胞だ。こいつを押すと、ガキの部屋の荷物から特定の放射線――電磁波が発生して、ガキどもの体内を破壊する。ちょうど、治験で起きたのと同じ現象だな」