1.予期せぬ転生
実験室の空気が、いつもと違った。
青山諒は、試験管の中の淡い青色の液体を見つめながら、その違和感の正体を探っていた。化学研究員として3年目。些細な異変も見逃さない習慣が、今の彼の違和感を掻き立てていた。
「青山くん、データはどう?」
「山岡先輩、はい。反応は予想通りの経過で…」
言葉の途中で、諒は気づいた。違和感の正体に。試験管の中の液体が、わずかに振動している。地震?いや、違う。
「先輩!この反応、不安定です!」
警告を発した瞬間、試験管の中の液体が激しく沸騰を始めた。諒は反射的に防護シールドに手を伸ばしたが、間に合わない。
強烈な光が実験室を包み込み、次の瞬間、激しい爆発音が耳を貫いた。
意識が闇に沈む直前、諒の頭の中には、完成できなかった研究のことが去来していた。
* * *
「おい、新入り。まだ目を覚まさないのか?」
諒の意識が戻った時、最初に聞こえたのはその声だった。
目を開けると、見慣れない天井が広がっていた。木造の梁が規則正しく並び、その間から漏れる光が、どこか魔法のような雰囲気を醸し出している。
「やっと目が覚めたか。いきなり研究室の真ん中に現れて驚いたぞ」
声の主は、深緑色のローブを着た中年の男性だった。その服装は、まるでファンタジー作品から飛び出してきたような出で立ち。
「ここは…?」
諒は上半身を起こしながら周囲を見回した。そこは広々とした研究室のような空間だった。しかし、実験台の上には見慣れない装置や、グラス瓶の中で怪しく光る液体が並んでいる。壁には謎の文字で書かれた図表が貼られ、天井からは色とりどりの結晶が吊るされていた。
明らかに、自分がいた実験室とは違う場所。そして、これが現実だとすれば—。
「エルミナ魔法研究所の第三研究室だ。私は室長のマーカス・グレイストーン」
中年の男性—マーカスは、諒の困惑した表情を見て、さらに続けた。
「君は転生者だな?そう珍しいことでもない。この研究所にも何人かいる。ただし、君の場合は少し特殊かもしれんな」
「特殊、ですか?」
「ああ。君のスキルを見てみろ」
マーカスが指さした方向に、半透明の画面のようなものが浮かび上がっていた。
【名前】青山諒
【年齢】24歳
【職業】見習い賢者
【スキル】分析
「分析…ただそれだけ?」
通常、転生者には複数のスキルが与えられると聞いていた。しかも、その多くは戦闘に関係する強力なものだという。しかし、自分には「分析」というスキルただ一つ。その効果すら、今の時点では皆目見当がつかない。
「そうだ。魔力を扱うための基本的なスキルすら持っていない。私が今まで見た中で、最も弱い転生者かもしれんな」
マーカスの言葉は、残酷なまでに的確だった。これでは、魔法研究所で働くことすら難しいかもしれない。
しかし—。
「試させてください」
「ほう?」
「この分析というスキル。どんな能力なのか、確かめさせてください」
諒は、研究者としての本能が呼び覚まされるのを感じていた。未知の能力。それを解明することこそ、研究者の醍醐味ではないか。
マーカスは、諒の目の奥に宿った決意を見て取ったように、わずかに笑みを浮かべた。
「面白い。では、これを見てみろ」
そう言って、マーカスは机の上に置かれた小瓶を手に取った。中には、淡く光る赤い液体が入っている。
「これは基本的な回復薬だ。この構造を、君のスキルで見てみろ」
諒が小瓶を手に取ると、突如として視界が変化した。液体の中の分子が、まるで顕微鏡で見るように鮮明に見えてきた。そして、それぞれの分子の構造、相互作用、エネルギーの流れまでもが、データとして脳に直接流れ込んでくる。
これは—。
「化学構造が見える…!しかも、魔力の流れまで…」
興奮を抑えきれない諒の反応に、マーカスは満足げに頷いた。
「それが分析スキルの本質だ。物質の構造を分子レベルで理解できる。魔法の研究には、実は最も重要な能力かもしれん」
諒の目が輝きを増した。これは確かに戦闘には向かないスキルかもしれない。しかし、前世での化学の知識と組み合わせれば—。
「マーカス先生、この研究室で働かせてください」
「既にその予定だ。今日から君は私の助手として、魔法薬の研究を手伝ってもらう」
マーカスが諒に白衣を投げ渡す。いや、これは魔法使いのローブか。
かくして、最弱の転生者による魔法研究が始まった。これが後に、魔法世界に革命を起こす研究の第一歩となることを、この時の諒は知る由もなかった。