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なにがあっても

 復興省庁舎の眼前で起きたチタニア・アーツ戦は前代未聞で、マスコミはしばらく大騒ぎだった。榎本晋作は尊い犠牲者で、テレビやネットニュースで語られる彼は正義の警察官そのものだったし、生中継された警察葬では勲章を授与されて警視正になっていた。


 あなたが二階級特進するハメになるとはね、と鈴花は思った。


 そして、それだけだった。人々の関心はすぐに別のニュースに移ったし、復興東京は以前となにも変わらず、世界で一番景気がいい街で、あらゆる犯罪が溢れていた。


「ん……?」

 仕事がオフだというのに珍しくアラームが鳴る前に目が覚めて、鈴花はベッドで身じろぎした。よくわからないが抱き枕を抱いているようだ。


 そんなもの、あっただろうか?


 目を何度かしぱしぱさせ、自分が抱きついているものがなんなのか理解する。


 籐子だった。


 鈴花は彼女の背中から腹部に両腕を回して、がっしりと抱きついていた。


 きめ細かくてすべすべな真っ白い肌。癖のない白金の髪。下着にTシャツという姿の神村籐子が、なぜか抱き枕になっている。


「は? え?」


 意味がわからず、鈴花は間の抜けた声をもらした。


「あ、起きた」

「どういうこと?」

「鈴花がさー、ちっとも離してくれなくて困ったよ」

「そういうことではなくて」


 鈴花はまだ抱きついたままだったことに気づいて、小動物みたいな機敏な動きで籐子の身体から離れた。ベッドの端っこで正座して、寝癖のついた髪を触る。


「どうして籐子がわたしのベッドにいるのよ」

「夜中に配信でジャパニーズホラー特集やってて」


 のそのそと身体を起こした籐子は、「んー」と背中を伸ばした。


「それ見たら想像の一〇〇倍くらい怖くてさー。一人で寝れなくなったから、鈴花と一緒に寝ようと思って。ベッドに忍び込んだら、がっちりホールドされちゃった」

「はあ、もう、はあ。子どもではないのだから、ホラー映画くらいで」

「むちゃくちゃ怖いんだからな! それにあたしも抱き枕にされるとは思わなかった」

「それは……だったら起こせばいいでしょう」

「寝顔が可愛いから起こせなくて」

「そういうのはいらないから」

「えー、本心なのに」


 籐子が不満そうに唇を尖らせる。


 火傷の痕はすっかり治っていて、尖った耳が半分になった以外は、彼女は美しいエルフ――と言えるのかはわからないが――のままだった。


 榎本を始末したが、籐子はまだ〈ビスカム・デパート〉に復帰していない。ノエル・エーデルワイスは早期の復帰を望んでいるが、彼女の個人的な思惑と組織の思惑とは別だった。一度緩んだ箍を締め直すことは骨が折れるし、榎本の呪いのように組織の力は弱まっている。


 勝手な行動を取った鈴花もお咎めなしというわけにもいかず、二人は晴れて組織から干されていた。長期休暇みたいなものだよ、と籐子は気楽に笑っていた。


「まだこの耳のこと気にしてる?」


 短くなったエルフの耳をひこひこと動かして、籐子が言った。


 鈴花は曖昧に笑った。


 気にしていないと言えばウソになるが、気にしたところで元には戻らない。


 だが、彼女の半分になってしまった耳を見る度に、鈴花は自分がやってきたことが決してチャラにはならないのだと自覚する。


 わたしはそれを一生、いや、たとえ無間地獄に堕ちたとしても償う。


「あたしは割と気に入ってるんだけどなー」

「そういうところ、本当に籐子らしいと思う」

「でしょー? でも、そんなに気にしてるなら、慰めてくれていいんだぜー」


 籐子が猫みたいな表情になって飛びかかってくる。


「ちょっ……と!」

「一晩中抱き枕にされて、ムラムラがとまらないんだよー」


 鈴花は力任せに押し倒され、


「あたしが鈴花をエロく染めることになるなんて思ってなかったよ」


 耳元で囁かれる籐子の声に変な気持ちになりそうだった。


「男なんかより何倍も気持ちいいことしようね」


 金色の瞳に見つめられて、吸い込まれてしまいそうになる。


 彼女が白金の髪をかき上げると、同じシャンプーを使っているはずなのにいい匂いがした。


 かたちのいい唇からもれる吐息。


「うっへへ」


 ひまわりみたいに明るい、とびきりの笑顔。


 本当にどうしようもない。


 わかっている。


 わたしは彼女に参っている。


 鈴花が目を閉じようとした瞬間、派手なクラクションが外で鳴った。


「!」


 我に返って、巧みに身体の位置を入れ替えて脱出する。


「もう、ベタベタしないで。今日から部屋に鍵をかけて寝るから」

「ぐぬぬ。フラグ立ててるはずなのに全然デレない」

「デレるわけないでしょう。わたしはギャルゲーのヒロインではないのだし」


 その間もクラクションは断続的に鳴っており、


「うるっさいな!」


 ベッドから飛び降りた籐子が窓を開けるなり階下に言い放った。


「うるさいとはお言葉だねえ。組織から追い出されたところを助けてやった恩を忘れたのかい」


 外からカトレア・ロウの声が返ってくる。


 鈴花は小首を傾げて、籐子に肩を並べて窓から顔を出した。


 二階の部屋のちょうど真下――神村カレーの店舗の前に使い込まれたジムニー・シエラが停車しており、運転席から降り立ったカトレアがぷんすか怒っていた。


「あれはお金払ったんだから当たり前じゃんかよー!」

「それだけで助けるわけがないねえ。アタシとカミムラとの尊い友情さ」

「なにが尊い友情だよ。打算と友情の間違いでしょ」

「言い得て妙なことを言うじゃないか」


 カトレアはこちらの顔に気づいて、ひらひらと手を振ってきた。


「やあやあ、イチノセ。無事でなによりだ。君の依頼を完璧に果たせなかったことはすまなかった。カミムラが直接見たいと言い出したうえに、勝手に飛び出してしまったんだ。アタシの缶チューハイをアホみたいな強肩でエノモトに投げ込んでね。返金しようか?」

「別にいいですよ。結果オーライというやつです」


 鈴花の考えを籐子に伝えたなら、彼女が黙って見ているわけがない。それをわかっていてカトレアはそうしたに違いなかったし、そこには確かに友情というものはあるのだろう。


「そもそもさー、カトレアはなにしにきたんだよ」

「ご挨拶だねえ。カミムラに依頼されていたものを持ってきたんだよ。ついでにカレーを食べて、店が潰れないように貢献しようと思ってねえ」


 そう言ったカトレアは運転席側のドアを開けて上半身を突っ込み、手のひらサイズの四角い箱を持って再び顔を出す。


「ほら、ご所望のブツだよ」


 二階の窓に向けて放り投げられた箱を、籐子は見事にキャッチした。


「おー、これかあ!」


 自分の手に納まった箱をしげしげと眺め、彼女はこちらをちらりと見た。


「なに?」

「鈴花にプレゼントをあげよう」


 籐子が箱から中身を取り出す。


 腕時計だった。ずっと左手首にあったものと同じ、カール・F・ブヘラの腕時計。


「榎本とやり合ったときに壊れちゃったじゃん? ずっと大切にしてたみたいだし、現場から回収してどうにかして修理してもらったんだ」

「……そう」


 鈴花は少し躊躇い、そっと腕時計を手にした。


 新東京タワーの展望台で、榎本から手渡されたときのことを思い出す。


 彼は言った。


 その時計を見る度に思い出せ。


 お前は警官や。


「あれ? あんまり嬉しくない感じ?」


 籐子が不安げな顔で、こちらを覗き込んでくる。


「少し驚いただけ。ありがとう」

「そっかー。うんうん、よかったよー。大事にしてね」


 籐子が屈託なく笑う。


 復興東京で名の知れた殺し屋が、こんなことで一喜一憂するなんてことがおかしくて、鈴花は口元を緩めた。


 時計を左手首に着けて、胸中で独りごちる。


 この時計を見る度に思い出せ。

 彼女の笑顔を思い出せ。

 わたしが何者なのかを思い出せ。

 わたしは警察官でもマフィアでもない。


 わたしは一ノ瀬鈴花で、わたしには、わたしの正義がある。


「カトレアのやついいクルマ乗ってんなー」


 再び窓から上半身を乗り出した籐子が、明るい声でそう言った。


「おーい、いい加減に店を開けてチキンカレーをつくってほしいねえ」

「暇だからカトレアのクルマでこれからキャンプいこうぜー。今日はお店は休みだ!」

「はあ? ちょっとなに言ってるかわからないねえ」

「じゃあクルマだけ貸してよ。チェロキーは廃車だし、組織から干されてるから新しいクルマこないんだよねー」

「そんなことは知らないし、もう一回言うが、ちょっとなに言ってるかわからないねえ。イチノセからもなにか言っておくれよ」


 矛先を向けられた鈴花は、眉間に皺を寄せると小さく嘆息した。


「はあ、もう。キャンプにいくなら金枝工業のオフィスに寄って道具を借りたほうがいいと思うけれど。わたしたち、一応はキャンプギア開発チームという肩書きだし」

「いいねー! 鈴花、天才かよ」

「ウソだろう。イチノセは常識人だからアタシの味方だと思っていたのに……」


 愕然としているカトレアに、鈴花は淡々と言った。


「ごめんなさい。わたしは籐子の味方をすることにしたので。なにがあっても」

「やあったねー! マジかよ。鈴花、好きぃ〜」

「はいはい」


 抱きついてくる籐子を引き離しながら、自分の言葉に笑ってしまう。


 口にしてしまえば、本当に簡単なことだった。


 一ノ瀬鈴花はなにがあっても神村籐子の味方だ。


 たとえ世界中が敵になったとしても、わたしだけは。


 それが一ノ瀬鈴花の正義だ。


 わたしは、わたしの正義に生きて死ぬ。


「おいー、塩対応がすぎる!」

「はいはい」


 鈴花は無意識に腕時計に触れた。


 お前は警官や、という声はもう聞こえなかった。

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