6.超美人なエルフになんて言い草だよ
籐子は榎本に向かって無造作に一歩を踏み出した。
視界を遮るようにして、常に白無垢の狐がいる。奇妙なチタニア・アーツだ。鈴花のおかげでおおよそは掴めたが、いつくか確かめてみるか、と籐子は思った。
右手を何度か握っては開き――どんっ、という音は彼女が左足で石畳を蹴った音だった。
右手側に大きく跳ねて白無垢の狐から距離を取り、着地と同時に今度は右足で石畳を蹴った。ほとんど直角に向きを変え、姿勢を低くして猛獣のように榎本に襲いかかる。
だが、瞬時に白無垢の狐が立ちはだかった。
籐子は半身になるとそのまま左肩から激突し、右足を小さく踏み込むなり腰を落として右の掌底を真上に振り抜いた。
どごん、という打撃音。
白無垢の狐の身体がくの字に曲がり、遥か上空にかち上げられる。
攻撃が効いたという手応えはまったくなかった。
「ふむ」
籐子は常に視界に捉えていた榎本に鋭い眼光をやった。
身体には別の白無垢の狐を憑依させて、右手にマチェーテ。
その右手が一閃する。
赤黒い刀身のマチェーテが弧を描く。
骨でとまるかな、と籐子は思った。
両足を踏ん張り、マチェーテを左腕一本で受ける。
鋭い痛み。肉が焼ける臭い。
予想どおり、骨に喰い込んでマチェーテはとまった。
榎本がぎょっとした顔をしていた。
籐子はマチェーテごと左腕を横に払った。
素早く半身になり、榎本の左膝に右足を踏み下ろす。
続け様に右拳を横っ腹に叩き込み、強烈な前蹴りを胸部に叩きつけた。
「なるほどー。そういう感じね」
左腕に喰い込んだマチェーテは消滅していた。榎本の手を離れたせいだろう。
傷は〈天慶〉のリジェネ効果で治っていく。火傷している分、少し遅い。
「神村、やっぱりお前はバケモンやな」
「超美人なエルフになんて言い草だよ。あ、いまはもうエルフじゃないや」
左腕をぶらぶらしながら、籐子はわずかに顔をしかめた。
「けっこう厄介なチタニア・アーツじゃんかよー、榎本」
「お褒めにあずかり光栄やね」
榎本が新しい煙草を咥えて火を点けた。
その様子を観察しながら、籐子は左腕の傷の治り具合を確かめた。
「攻撃と防御を切り替えて運用する、半自律思考タイプの創作精霊かなー。自分の周囲を哨戒させて、一定の範囲に入った敵を攻撃するか、もしくは防御する。攻撃力は〈天慶〉で強化されたあたしの左腕をぶった斬れるほどじゃないから、そこそこだ。どっちかって言うと、物理攻撃をほとんど受けつけない防御力がやばい。憑依させて緩衝材みたいにできるのも便利だ」
「大したもんやな、神村。筋肉ゴリラのくせにセンスあるやんか」
「余裕ぶっこいてんなよー」
籐子は榎本、そして周囲を浮遊する白無垢の狐へと視線を流した。
「チタニア・アーツ戦は相性と対策や。お前の〈天慶〉はえげつないけどな、殴る蹴るをどれだけ強化しようと、僕のチタニア・アーツはどうにもできん」
「まー、そうだろうね。でも、あたしは殺すと言ったら殺す」
「言うやないか」
榎本が煙草を吐き捨てた。
右手を振るうと、再びマチェーテが現れる。
「榎本、あんたのチタニア・アーツ、本来は四重構造だろ。マチェーテでの近接攻撃、狐火での支援攻撃、哨戒防御、自分に憑依させての攻防強化。そうやって防衛線を構築するみたいな運用をするチタニア・アーツだ」
籐子は上唇を軽く舐めた。
「出し惜しみしてると死ぬぜー」
ぞっとするほどに酷薄な金色の瞳が、榎本を捉える。
その顔は獲物を仕留める冷徹な猟犬ではなく、鼻の頭に皺を寄せて犬歯を剥き出しにする怒り狂った犬のそれだった。
「あたしは! 鈴花をあんなにされて! 怒ってるんだ!」
ぐっと腰を落とすなり、籐子は石畳を蹴って爆発的に加速した。
膝下を刈り取るくらいの低い姿勢で、一気に榎本に詰め寄る。
哨戒していた白無垢の狐が、二人の間に瞬時に割って入った。
籐子はスピードを緩めることなく、相手の両足を抱え込むようにして左肩からぶち当たった。
そのままの勢いで押し倒しそうになるところを強引に踏みとどまり、白無垢の狐の両足を左脇に抱えてハンマー投げの要領で投げ捨てる。
軽々と数十メートルを飛び、白無垢の狐は復興省庁舎の三階辺りに激突した。
哨戒しているこいつに対処していると、榎本がその隙を狙う。
白無垢の狐を二体しか出さないなら、これが榎本のパターンだ。
籐子は榎本の動きを視界に捉えており、背後に忍び寄っていることはわかっていた。
抉り込むようにして突き出されるマチェーテを、半身になってぎりぎりで回避する。
脇腹を掠めた焼ける刀身が、籐子の真っ白い肌を焦がした。
痛みを無視し、榎本を正面に捉える。
「しっ!」
鋭い息を吐き、籐子は、右、左、と叩き込んだ。
どごん、どごん、という鈍い打撃音が連続する。
そして、それだけでは終わらなかった。
同時に空気を凍らせる爆発が起きた。
まるで二人の周囲だけ氷点下にでもなかったかのように、急激に気温が下がった。
石畳には霜がおり、口から吐く息が白い。
「なんっ……じゃこら!」
榎本が身体を大きく仰け反らせ、くぐもった声をもらす。
拳を撃ち込まれた榎本の腹部は急激に凍りはじめていた。緩衝材として憑依させている白無垢の狐は明らかにダメージを受けており、それが榎本にも伝わっている。
「あたしのチタニア・アーツは意外と奥が深いんだ」
籐子は榎本の右足を強かに踏みつけた。
握った右拳は蒼白い光をまとっており、榎本の鳩尾に一撃を叩き込む。
耳を打つ打撃音。冷気の爆発。
榎本の身体がくの字に曲がり、だが踏みつけられた右足は杭でも打ち込まれたかのように微動だにしなかった。彼我の間合いが離れない。
続け様にもう一発。
その威力に耐えかねて、踏みつけていた榎本の右足が籐子の足元から離れた。
数メートルを滑り、榎本が膝を折った。
「げぇっ……うげ……!」
胃のなかのものをぶち撒ける。
「タフだなー。こいつをぶち込まれると、普通はバキバキに凍るんだけど」
籐子は呆れたようにして言った。
「榎本、あんたのその狐は火属性の創作精霊でしょ? いくらぶん殴っても効かないわけだよ。やるなら冷撃系の魔法攻撃じゃなきゃね。チタニア・アーツ戦は相性と対策。確かにそのとおりだ」
チタニア・アーツの使い手は手の内を見せびらかさない。〈天慶〉が単に身体能力を爆発的に強化するだけのものだと、誰が保証したというのだ。
「ゲームとかやらないのかよー? 〈ワルハラ・キリングフィールド〉ってゲームにも出てくるでしょ。支援職なのに自分に魔法属性を付与して相手をぶん殴れるエルフがさー。バフにも色々あるんだよ」
「マギウスエンチャントか……お前の〈天慶〉、ええ加減にせえよ、ホンマに」
榎本は口元を拭うと、皮肉げに笑った。
復興省庁舎までぶん投げた白無垢の狐がようやく戻ってきて、彼の周囲を哨戒し始める。
こんな状況だというのに、榎本は煙草を咥えて火を点けた。
一気に短くして、吐き捨てる。
「神村、お前の言うとおり僕のチタニア・アーツは四重構造や。出し惜しみしとるわけやなくてな、僕の魔王因子活性では同時に四体はキツいんよ。はっきり言うて」
籐子は目を凝らした。
榎本の輪郭が滲み、ずるりと白無垢の狐が現れた。
一体、そして二体。
防御用に哨戒している一体と、憑依させている一体を合わせてこれで四体。
「二回戦といこうや、神村」
四体の白無垢の狐は、榎本を最奥にして瞬時に陣形を展開した。
マチェーテを構えた一体が突撃してくるのと同時に、その後ろでは別の一体が無数の狐火を空中に出現させていた。
籐子はちらりと背後を見た。狐火が鈴花に当たらないようにしなければ。
「こいよー、榎本」
ぐっと腰を落とし、そう言った瞬間、無数の狐火が放たれた。
向かってくる側から叩き落とす。
冷撃を付与された籐子の拳と狐火が衝突する度に、爆発と衝撃が空気を揺らした。
連続する無数の爆発は、巨大な爆竹が破裂しているかのようだった。
爆音で鼓膜がおかしくなり、明滅する光が視界を白くする。
生じた熱波が籐子の白金の髪と白い肌を焦がし、それでも彼女は押し寄せる狐火を迎撃し続けた。
「っ!」
逃した一発が、籐子の右肩に直撃した。
爆発。
衝撃で半歩後退する。
大丈夫。右腕は吹き飛んでいない。〈天慶〉で強化された身体を、一発でどうにかできる威力はない。すぐにリジェネ効果が発動する。
「くっそ痛いな! もーっ!」
籐子は飛びかかってくる白無垢の狐に向かって叫んだ。
振り下ろされるマチェーテを軽くいなし、そのまま左拳を白無垢の狐の右肘に突き上げた。
関節が逆方向に折れ曲がり、白無垢の狐の右腕が使い物にならなくなる。
そのまま右拳を横振りに側頭部にぶち込んだ。
凄まじい打撃音。
冷気の爆発。
首があらぬ方向に曲がり、白無垢の狐が消滅した。
籐子はそのまま狐火を放ってきた二列目の狐に襲いかかった。
ほとんど肉食の獣じみた勢いで近づくと、軽く跳んで後ろ回し蹴りを放つ。
その一撃を喰らった白無垢の狐は派手に吹っ飛んで、三列目で哨戒しているもう一体がそれに反応して榎本との間に割って入ったため激突した。
籐子は激突した一体を渾身の力で踏みつけた。
ずがん、という音。
白無垢の狐の背骨が折れ曲がり、冷気の爆発が起きると同時に石畳が大きく陥没した。
続け様に残りの一体の首を右手で鷲掴みにすると、力任せに引きずりながら放り投げる。
「榎本!」
「これがゲームならチートで運営に通報やぞ、神村」
瞬く間に距離を詰め、籐子は渾身の一撃を榎本に叩き込んだ。
大きく踏み込み、強く握った右拳を、粗野に笑う男の顔面に向けて振り抜く。
肉と骨を打つ音。
冷気の爆発。
「っ!?」
だが、榎本は微動だにしなかった。
顔面を捉えた籐子の拳は、薄皮一枚届いていない。
「化かし合いは、僕の勝ちか?」
榎本の輪郭が何重にもブレている。
緩衝材として憑依している白無垢の狐は――一体どころではない。
チタニア・アーツの使い手は手の内を見せびらかさない
ずるりと姿を現した白無垢の狐が、真一文字に閉じていた口をがばりと開いた。
「マジかよー」
籐子はうめいた。頭のなかで警報が鳴っている。
白無垢の狐は大きく開いた顎から、猛烈な炎を吐いた。
火炎放射器のように広がり、籐子の肌を容赦なく焦がす。
生きたまま火葬にされる感覚にぞっとしながら、籐子は身体を左手側に投げ出した。
一回転して膝立ちになり、焼き爛れた右半身に舌打ちする。
「火傷は治りが遅いよなあ」
籐子の顔面を、榎本が力任せに蹴りつけた。
防ぎようもなく、石畳を転がる。
「手間かけさせよって、このダボが」
榎本が右手を軽く振ると、マチェーテが現れた。
「リジェネで回復できんように、きっちりと首をぶった斬ったるからな、神村」




