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4.わたしは、そうする

 神村籐子が〈ビスカム・デパート〉東京支店から追放されたという「ここだけの話」は、その筋の関係者にはすぐに広まった。ここだけの話なんてものは、いつだってそんなものだ。


 鈴花は相変わらず組織の人間で、彼女に大っぴらに協力することはできなかった。


「ちっ」


 停車したチェロキーの運転席でまんじりともせず、鈴花は強い日差しに肌を焼かれる感覚に舌打ちした。


 何日も降り続いていた雨はようやく上がり、復興東京を覆っていた鉛色の分厚い雲は見る影もない。一転して夏を思わせる真っ青な空から、容赦のない太陽が照りつけていた。


 鈴花は運転席から、復興省の無機質な庁舎とその前に広がる市民広場を眺めていた。


 庁舎の二〇階は警察局のフロアだが、足を踏み入れたことはない。警察官訓練学校のグラウンドで教官の罵声を浴びた日々は、もう何十年も前のことのようだった。


 一ノ瀬鈴花は確かに警察官で、その事実は覆すことなどできない。


 だから、一人でやるのだ。


 神村籐子のために榎本を殺すことは、同時に鈴花にとってはウソを吐き続けていることを告白するために必要な踏ん切りのようなものだった。


 二人のケジメをどうつけるかは、籐子が決めればいい。


 彼女が死ねと言うのなら、わたしは喜んで死ぬ。

 彼女が生きろと言うのなら、わたしは――


「榎本……」


 庁舎前の広場に乗りつけたタクシーから、押収したブランドもので身を固めたフォクシーが降車するのが見えた。以前に榎本の行動確認をした際に、行動パターンはおおよそ把握している。一週間のうち、必ず庁舎に顔を出すタイミングが何度かある。


 榎本はシガレットケースから取り出した煙草を咥えた。


 鈴花はすかさず、チェロキーのキーを回した。


 エンジンが軽快な唸り声を上げる。


 クラッチを踏み込み、シフトレバーを一速に入れた。


 アクセルを踏み込むと、チェロキーが尻を蹴飛ばされたように加速した。


 車止めのポールをぶっ飛ばし、猛烈な勢いでチェロキーは広場に突っ込んだ。


 榎本がぎょっとした顔をしているのがわかった。


 そのまま轢き飛ばす。


 どごしゃ、といういやな音を立ててチェロキーのフロントがひしゃげた。


 榎本の身体がボンネットに乗り上げ、そのままフロントガラスを直撃する。


 フロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが走り、一瞬で前が見えなくなった。


 榎本はそのまま後方に吹っ飛んでいく。


 鈴花はハンドルを切って、クラッチを蹴飛ばした。


 巧みにサイドブレーキを引き、チェロキーが一八〇度ターンする。


 タイヤが広場の石畳を擦る耳障りな音が聞こえる。


 ダッシュボードから取り出した自動拳銃の銃把で真っ白になったフロントガラスを叩き割り、鈴花はどこかに吹っ飛んだ榎本を探した。


 市民の憩いの場は、突然の出来事でパニックだった。


 子どもを連れた母親、散歩中の老夫婦、仕事をさぼっている営業マン、誰も彼もが暴走車が人を轢き飛ばしたことに驚き、逃げ惑っていた。


 榎本は広場の真ん中に転がっていた。


 これくらいであの男が死ぬわけがない。


 案の定、榎本はゆっくりと立ち上がった。


 鈴花はもう一度チェロキーを発進させた。


 猛烈なスピードで榎本に突っ込む。


「ひどいことするやないか、一ノ瀬」


 近くに落ちていた色つきの眼鏡を拾い、榎本がそう言った気がした。

 フォクシー特有の縦長の虹彩。

 金色に輝く瞳。


「!」


 チェロキーが榎本に衝突する寸前、凄まじい衝撃に車内が揺れた。

 地雷でも爆発したのかと思うほどに、フロント部分がかち上げられて宙に浮く。


「ちっ」


 鈴花はなにが起きているのかわからずに舌打ちした。


 いや――これは榎本のチタニア・アーツだ。


 チェロキーが派手に宙を舞っていた。


 まるで無重力であるかのような奇妙な感覚。


 車体が一回転し、さらに回る。


 屋根から広場に激突し、金属がひしゃげる甲高い悲鳴が上がった。


 鈴花はドアを力任せに蹴破り、外に転がり出た。


 立ち上がるなり本能的に自動拳銃を突き出す。


 すぐそこには榎本の姿があり、彼は同じように自動拳銃を突き出していた。


 お互いの腕が交差し、銃口がぴたりと額を捉える。


「一ノ瀬、僕を殺してなんになる」


 榎本はいつもの粗野な笑みを浮かべていた。


「さあ」


 この男になにかを伝える義務も義理もなかったし、なんの意味もない。だが、榎本はなにもかも見透かしているかもしれないな、と鈴花は思った。


「愛想ないなあ」

「よく言われます」


 言葉はそれで終わりだった。


 同時に引き金を絞る。


 銃声。


 お互いがわずかに射線から身体を外し、弾丸が頬を掠めていく。


 榎本は距離を取ることなく、さらに撃った。


 寸でのところで榎本の右腕を打ち払い銃口がぶれる。


 鈴花も退かずに撃ち返した。


 足払いをかけられたせいで狙いが外れ、榎本の色つきの眼鏡を吹き飛ばす。


 お互いを殴り合う打撃音と銃声がほとんど同時に連続した。


 重い拳を打ち込み、鋭い蹴りを放つ。


 あるいは、突き出された拳を防ぎ、蹴りを捌く。


 至近距離から何度も引き金を絞る。


 肉と骨がぶつかる鈍い音。


 鼓膜を震わせる銃声。


 瞼を焼く銃火。


 二人同時に弾倉が空になり、スライドが開き切る。


 鈴花は自動拳銃を投げ捨てた。


 榎本が銃把をこちらの側頭部目がけて振り下ろしてくる。


 その一撃を左手で受け流し、鈴花はそのまま榎本の右手首を鷲掴みにした。


 力任せに引っ張る。


 反射的に引っ張り返されるのを利用して、今度は一歩を踏み込んで押し出した。


 榎本の体勢が崩れ、鈴花はすかさず腰の後ろから新しい自動拳銃を引き抜いた。


 ほとんどゼロ距離で発砲。


 一発。二発。三発。


 腹と胸に撃ち込む。


 続けて強烈な前蹴りを喰らわせると、榎本は軽々と吹っ飛んで広場の石畳を転がった。


 そのまま大の字で動かなくなる。


 だが、血溜まりは広がらなかった。


「さすがは四〇期の優等生。見事やなあ」


 予感していたことではあったが、榎本はまったく平然としていた。

 ゆっくりと起き上がる。金色に輝くフォクシーの瞳。チタニア・アーツを使っていることだけはわかる。得体が知れない。


「けど、こんなもんで僕は殺せん」


 撃ち込んだはずの弾丸は彼の手のなかにあり、ぱらぱらと足元にばら撒かれた。


「もう一回言うぞ、僕を殺してなんになる。お前は警官や、一ノ瀬。それを証明できるんは、世界中で僕だけなんやぞ?」


 鈴花は無意識に左腕の腕時計に触れた。身体に染みついた習慣だった。


「言うたやろ。その時計を見る度に思い出せ」

「そうですね」


 お前は警官や、という言葉は。

 わたしは警官です、という言葉は。


 彼女のすべてだった。


 それが自分の生き残った意味だと信じていた。


 神村籐子の笑顔に目眩を覚えるまでは。


 鈴花は手首から時計を外すと、そのまま足元に落とした。


 力任せに踏み砕く。


「ずっと似合っていないと思っていました」


 榎本は少しばかり意外そうな顔を見せ、シガレットケースから煙草を取り出すと一服した。


「潜入で――完全にそっち側までいくやつは珍しい。なんせウソから出たまことや。いくら潜入先の犯罪者に寄り添ったところで、自分が警官であった事実は消せんのや」


 紫煙とともに、彼は言った。


「警官でもマフィアでもない。なら、お前は一体、何者や?」

「わたしは――」


 自分が何者なのか。

 そんなことは決まっている。


 警察官の正義。

 マフィアの正義。


 無数の正義しかない世の中で、彼女が信じられるものはひとつしかない。


「わたしは一ノ瀬鈴花」


 そっと視線を上げ、榎本を睨み据える。


「わたしには、わたしの正義がある」


 濁った碧眼が、金色に輝く。


「わたしは、そうする」

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