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5.コーラをください

 馴染みのないショットバーは、長いカウンター席があるだけの小さな店だった。


 エルフのバーテンがこちらに視線を向け、恭しく礼をしてくる。


 薄暗い照明の下では、ノエル・エーデルワイスが名前も知らないカクテルを口にしていた。


「こっちだ、スズカ」


 軽く肩をすくめると、ノエルは自分の隣に座るように視線で促した。


「おまたせしてしまいましたか。申しわけありません」

「気にするな。お前と二人きりなんて、トーコが嫉妬してしまうかな」


 隣に座った鈴花に、ノエルは微苦笑を浮かべた。


「私だってお前を気に入っているさ。信頼に値する仕事をしてくれていると思っている」


 その言葉が本心かどうかはわからない。


 そのまま受け取れば、潜入捜査官として鈴花がやってきた仕事は完璧だったと言える。〈ビスカム・デパート〉の戦争担当社員として、誰かを殺したり、殺されかけたりした。何度も逮捕され、その度に彼女は組織の信頼を得た。


「わたしは所詮チンピラです。できることをしているにすぎません」

「謙虚さは美徳だな。すぐに手柄をアピールしてくる連中に見習ってほしいくらいだ」


 バーテンが注文を聞いてくるが、鈴花は酒を嗜まないためさっぱりだった。壁一面にあるボトルのどれを見ても、値段がどれくらいになるのか想像もできない。


 だから、彼女は仕方なく言った。


「コーラをください」


 バーテンはいやな顔ひとつせず、クラフトコーラを用意してくれた。

 口をつけると、普段飲んでいるコーラとはまったく違うスパイシーな味わいだった。


「犬はなかなか尻尾を出さないようだな」


 カクテルを飲み干したノエルが、そっと言った。


「……はい」


 鈴花は内心ぎょっとして、それでも顔には出さなかった。

 軽く拳を握り、呼吸が乱れないように細心の注意を払う。


「いい犬だ。エノモトにはもったいないくらいだよ。いまのままでは埒が開かないだろう」

「時間の猶予がないのですか?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。いつだって時間はないものさ」

「籐子が、大きな取引があると言っていました」


 鈴花は左手首の時計を無意識にさわりながら、少しだけ踏み込んだ。


 こんなことは、ただの兵隊が聞くことではない。兵隊はいつだって、命令に従うだけでいい。いつ取引があるのか、相手が誰なのか、そんなことは必要以上に知らなくていい。


 ノエルはちらりとこちらに視線をやると、新しいカクテルを注文して煙草を静かに咥えた。

 香港の安い煙草。

 唇がいやに艶っぽい。


「まったく、トーコめ。おしゃべりなやつだ」


 煙草に火を点けながら苦笑する様子は、まるで娘に手を焼く母親のようにも見えた。


 鈴花は二人の関係を深く知っているわけではなかったが、神村籐子の家族が巻き込まれて死亡した抗争の当事者は〈ビスカム・デパート〉だ。直接的ではないにしろ、籐子の家族を殺したのはノエルということになる。そして家族を失ったエルフの女の子を拾って、暖かい家と食べ物を与え、教育を施し、立派な殺し屋に育てたのも。


 籐子はこの事実を知っているに違いなかったが、ノエルを慕っていることもウソではなさそうだった。腹の底ではどう思っているのかはわからないが、少なくとも彼女は過去のあれこれを棺桶に仕舞い込んで思い悩むことをやめている。大した不幸自慢にもならないと彼女は言うが、そうでも思わなければこの街ではやっていけない。


「いいだろう、スズカ。少しばかりつまらない話を聞かせよう」


 ノエルは紫煙を吐き出した。バーの天井に、ゆっくりと煙草の煙が昇っていく。


「ニューヨークの本店が、メキシコの麻薬カルテルとのティンク・パウダーの取引に失敗してな。妨害したのはペンタゴンの息のかかったNSAの非正規戦特殊部隊で、大統領が選挙に向けてご執心の麻薬撲滅作戦に従事している連中だ。だが、麻薬カルテルはカンパニーが裏で支援していてな。メキシコの安定化のために、親米の麻薬カルテルをつくることが目的だ」

「カンパニー……CIAですか」


 そう言ったものの、鈴花は映画のあらすじを聞いているような気分だった。


「ああ、本店はカンパニーとねんごろで、メキシコ利権に一枚噛んでいる。だが、ペンタゴンにも親しい友人はいる。押収されたティンク・パウダーの大半は輸送中に消えて、オークランドを出港したサンパギータ貿易のコンテナ船の積荷になって復興東京に向かっているというわけだ」

「ペンタゴンの友人からそれを買い取り、カンパニーの友人に売るということですか」

「我々のような悪役は、アンクル・サムの免罪符だ。複雑怪奇なルートを経て、押収された麻薬の大半はロンダリングされて予定どおり麻薬カルテルの手に渡る。その過程で取扱量の一割は日本支店が引き取る。手数料がわりにな」


 鈴花は売買利益だけではなく、現物も仕入れる用意周到さに舌を巻いた。


 そして、ニューヨーク本店からの物流ルートの一端を垣間見た気がした。本店が米国の政府機関と関係性を構築しているのであれば、少なくとも米国関連の施設を経由して復興東京に持ち込まれているルートがあるはずだ。米軍基地か、あるいは大使館か領事館かもしれない。


「つまるところ」


 ノエルは灰皿に灰を落とすと、小さく頭を振った


「この取引は背景が込み入っていて、失敗するとニューヨークの本店とアンクル・サムの兵隊がやかましいのさ。まったく、面倒なことにな」


 確かに極力リスクを避ける必要がある案件だ。組織に潜入している犬を探すことも含めて、ノエル・エーデルワイスが情報漏洩にいつもより神経を尖らせていることも理解できる。


 彼女がバーテンに視線を送ると、鈴花の前に一通の封筒が差し出された。

 古風な封蝋が施されており、まるで趣をこらしたパーティの招待状だ。


「これは?」

「取引の場所と時間の情報だ。スズカ、お前はメッセンジャーだ。指定する場所で、カンパニーの代理人に手紙を渡せ」


 鈴花はわずかに目を見開いた。中途半端に長い耳がぴくりと動く。


 いますぐにでも榎本に報告すべき情報だった。この取引を台無しにすることは、〈ビスカム・デパート〉と米国政府機関との関係性に影響を与え、大きな損失をもたらすはずだ。


 だが、こんなうまい話があるか?


「情報を最も守るには――結局のところ信頼できる人間に現物を持たせるしかないんだよ、スズカ。だが、保険はかけてある。手紙は複数。本命は一通」


 鈴花はカウンターに置かれた封筒を手に取った。自分以外にもノエルに呼び出されて封筒を渡された者が何名かいる。そして、自分が本命かどうかはわからない。


「実際問題、情報が漏れても構いはしない」


 ノエルは短くなった煙草を灰皿に押しつけた。


「エノモトが現れた取引場所の情報を持っていた者がやつの犬だ。あるいは、その周辺に犬がいる。そこまでわかれば狩り立てるのは容易なことさ」

「……はい」


 これで簡単には榎本に情報を渡せなくなった。封筒の中身がダミーだったとしたら、榎本は空振りして、一ノ瀬鈴花が彼の犬だと白日のもとに晒される。


 鈴花は手にした封筒をじっと見つめた。おそらく中身は本命ではないはずだ。自分はノエル・エーデルワイスに、そこまでは信頼されていない。 


「ふふ。そんなに思い詰めるな、スズカ。メッセンジャーに選んだ時点で、私は十分にお前を信頼しているさ」

「……ありがとうございます、支配人」


 その声に応えるように、ノエルは言った。


「もし犬が見つかったなら、組織と私のために、始末してくれるな?」

「もちろんです」

「たのもしいな」


 バーテンが差し出してきた新しいカクテルに視線をやり、ノエルが小さく囁く。

 だというのに、その声はいやにはっきりと聞こえた。


「トーコが相手でもやってくれるか?」


 ぎょっとして、鈴花は思わずノエルを見た。


 そこには、ハリウッド女優を思わせるいつもの彼女はいなかった。


 宝石のように美しいエルフの碧眼には、凍えるような光と、ちろちろと燃える暗い炎が同居していた。心底からは何者も決して信用していない――死人の目だ。どれだけの人間を裏切り、あるいは裏切られれば、こんな光を瞳の奥に宿すのだろう。


 鈴花はすぐに言葉を返せなかった。


 神村籐子を自分が始末するなどという可能性を、いままで考えたことはなかった。


 それを想像したとき、ぞっとする自分がいた。


 彼女に銃を向けたとき、自分はどんな顔をしているのだろうか。


 彼女は、どんな顔をするのだろうか。


「もしもの話さ。だから、そんなに怖い顔をするな。おっかないし、美人が台無しだ」


 はっとして、鈴花は自分の頬に触れた。どんな顔をしていたのか、彼女自身わからない。


「まったく、お前たちは揃いも揃って。仲がいいのは結構なことだが。トーコには熱を上げすぎるなと言ったが、お前にも言っておくべきだったかな」


 ノエルは微苦笑を浮かべると、カクテルに口をつけた。

 そこにいるのは、もういつもの彼女だった。


 神村籐子もメッセンジャーに選ばれているのは、考えてみれば当然だった。


 そして、同じように聞かれたのだろうか。一ノ瀬鈴花が犬だったなら始末してくれるか、と。そのとき、籐子はどんな反応をして、最後はなんと答えたのだろうか。


「支配人。わたしは〈ビスカム・デパート〉の戦争担当社員です」


 鈴花はそれを聞く気にはなれなかった。なぜなら、答えは決まっている。籐子もきっと同じことを言うはずだ。


「誰であれ必要なら始末します。家族、友人、恋人から飼い犬まで」

「ふふ。結構」


 ノエルはカクテルグラスを軽く掲げた。


 話はそれで終わりだった。

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