2.悪くないね
復興初期の闇市から発展したツバメ・ストリートと呼ばれる一画は、いまや復興東京で最大のスラム街であり、払うものさえ払えばなんでも手に入る巨大闇市だった。横流しされた正規品の最新家電もあれば、武器も、麻薬も、出所不明の情報も、とにかくなんでもある。
違法建築のうえに無作為に増築された低階層の建物とバラック小屋が立ち並び、迷路のようになった街はいたるところで露天商が怪しい商品を広げていた。空を仰げば盗電用の電線が頭上をのたくり、向かいの窓から窓に渡されたロープには洗濯物が吊るされている。
「あっ、おねーさん、ごめんなさい」
狭い道で、虫も殺せなさそうな子どもがぶつかってくる。
抜け目なく財布を擦ろうとしてくるので、鈴花は容赦なく足払いをかけて転ばせた。
「くそっ! ハーフエルフ! ドブス!」
悪態をついて子どもが走り去っていく。
「はあ、もう、はあ。いつきても最悪だわ」
「まーね。復興東京を煮詰めたような街だからね」
肩を並べて歩く籐子は、そう言って左右の露天からの勧誘を笑顔でいなしていた。
「知ってる? ここはもともと野球場があったんだよー。なんとかスワローズ」
「だからツバメ・ストリートなの?」
「魔王が核ミサイルで吹き飛んだあと、球場は原型が残ってたらしくさー。人が集まって闇市になったっぽいんだよね。まだ復興省もなかったし、メガコーポも誘致される前だからね」
「籐子って、妙なところで博識よね」
「ネットの受け売り」
「そんなことだと思った」
自分の表情や態度が、いつもと変わっていないのか気になってしまう。
組織に潜入した榎本の犬――つまりは一ノ瀬鈴花――を探して始末しろとは。
ノエル・エーデルワイスはなにか掴んでいるのか。確信があるのか。あるいは疑惑のレベルなのか。そして、自分は疑われているのか。考え出したらきりがない。
「支配人は、どうして急に犬を探せだなんて?」
「ロシア人との取引があったじゃん? あれが新規の小規模な取引だったのにさ、榎本のやつがドンピシャだったからねー」
情報を流したのは鈴花だ。それをどう料理するのかは、榎本の問題だった。摘発することもあれば、泳がせることもある。
「支配人が言うにはさー、もうすぐ大きな取引があるらしいよ」
「大きな取引?」
鈴花は中途半端に長い耳をぴくりと動かした。
聞き捨てならない情報だ。こんなときですら、彼女は警察官だった。榎本の言葉のとおり。
「詳しくはあたしも知らないけどね。どの道、あたしたちに情報が回ってくるのはもっとあとだよー。戦争屋の仕事は、取引でドンパチが起きたときの保険だから」
「犬を探すのも保険のひとつというわけね」
「そういうこと。でも手がかりがあるわけじゃないしさ。まずは探偵気分で気楽にやろうぜ。ベスパがあれば最高だなー」
そう言った籐子は胸元に引っ掛けていたサングラスをかけて、にやりと笑った。
二人は住人お手製の案内標識を頼りに、いつも湿っていてすえた臭いのする道――というよりは建物と建物の間――をしばらくさ迷い、ようやく目的地にたどり着いた。
籐子は露天商からソフト帽を買わされて、本当に胡散臭い探偵みたいになっていた。
他のバラック小屋より幾分か上等な建物を前に、籐子が〈ロウ商会〉という手書きのプレートが貼りつけてあるドアをがんがんと叩いた。
「おーい、カトレアー」
一拍の間があり、ドアが開いた。
「やあやあ、よくきたねえ。歓迎するよ」
カトレア・ロウは相変わらずスウェットの上下にサンダルという格好で、まるっきり冴えない女だった。前髪が邪魔なのかヘアゴムで無造作にくくって額を露出している。変なちょんまげみたいになっており、缶チューハイを手にしているところがなおのこと救えない。
だが、そんな女が巨大闇市ツバメ・ストリートを根城にしている、一流の手配屋であることに偽りはなかった。
カトレアは籐子の格好を見て、にへらと笑つた。
「探偵気取りかい、カミムラ」
「たまにはドンパチ以外の仕事もするよ」
鈴花も何度か訪れたことがある〈ロウ商会〉の事務所は、少しばかり小綺麗なスラムの住宅そのものだった。狭い部屋、建てつけが悪い窓、急な階段、そんなものだ。
仕事用のデスクの上には、大量の缶チューハイの空缶と食べかけの宅配ピザがある。
狭い事務所には来客用のソファといった気の利いたものもなく、籐子は適当に椅子を持ってきてどかっと座った。
「こんな場所にピザなんて頼めるのかよー」
「もちろんだよ。住所がなかろうがGPS情報でドローンが宅配してくれる」
「自爆ドローンにすり替わってないか気をつけなよ」
「おっそろしいこと言うねえ」
手にしていた缶チューハイを飲み干すと、カトレアはデスクの端末に向き合った。
鈴花が生まれる随分と前に一世を風靡したソニーのノートPC。いまでは後継機も製造されておらず、中身も別物だろうが。鈴花も好きなモデルだった。
「それ、いいモデルですよね」
「わかるかい、イチノセ。そうなんだよねえ。メイド・イン・ジャパンはさあ、ホサカやオノ=センダイよりソニーがいいよ。ジャンク屋で見つけてきて趣味で使う分には楽しいさ」
ずれていた眼鏡を押し上げると、カトレアは端末のスリープを解除した。
「さてさて、頼まれていた件だけどねえ。やるだけはやってみたよ」
その言葉からして、あまりいい結果ではなさそうだ。
カトレア・ロウは依頼すればどんなものでも電話一本、メール一通で手配してくれる。死体の処理業者でも、足のつかない新しいクルマでも、復興省の機密情報でも。
彼女は様々な分野の専門家ネットワークのハブで、俗っぽく言えば人材派遣業の元締めみたいなものだった。抱えている人的リソースは膨大で、世界中に広がっている。
この女がどういう出自なのか、鈴花も多くを知っているわけではなかった。
ただ、〈ロウ商会〉という組織が、香港を拠点にした世界有数の歴史ある貿易商社であり、黒社会の一大勢力だったことは知っている。抗争に破れて壊滅したことも。
殺された組織のボスには一人娘がおり、彼女は数百億ドルの資産を仮想通貨に変えてマネーロンダリングし、単身で香港を脱出した。その後、持ち出した資金を元手に世界中に構築されていた〈ロウ商会〉の人的ネットワークを復活させ、復興東京で手配屋のビジネスをはじめた。
この噂を聞くたびに、話ができすぎているな、と鈴花は思う。
「ちょいと腕の立つコンピュータ・カウボーイに復興省人事局のデータベースに潜ってもらったけどねえ。これを見なよ」
カトレアは端末に膨大なページ数のファイルを表示した。それは復興省人事局が管理している、職員の顔写真つきの履歴書だった。現役の職員だけではなく、退職者のものまである。
「よく潜れるやついたねー。高いお金払った甲斐があるよ。復興省の防壁はヤバいんでしょ?」
「ネットにつながっていれば絶対の安全なんてものはないからねえ」
鈴花はじっとりとしたいやな汗が流れるのを感じた。
榎本は一ノ瀬鈴花の記録は警察官訓練学校に入学したことも含めて、完全に抹消されると言った。だが、万が一にも自分の履歴書が登録されていたらどうなる。
「こいつと〈ビスカム・デパート〉東京支店の構成員の顔写真を照合したわけだけどねえ」
カトレアが別のファイルを開く。
「一致はゼロだ。整形していることも考慮してもね。仮に潜入が本当にいるとして、復興省人事局は管理していないってことだねえ」
「えー、そんなことあるー?」
椅子を前後にがたがたと揺らし、籐子が不満そうに言った。
鈴花は内心でほっとしながらも、一方で不安にもなった。本当に復興省人事局のデータベースに登録されていないのだとしたら、一ノ瀬鈴花が警察官であることをなにが証明してくれるのか。榎本の「お前は警官や」という言葉だけか。
「アタシが思うに、潜入捜査官なんてヤバい情報はデジタルデータで管理していないかもしれないねえ。紙情報で管理して厳重な金庫に放り込んでおくのが一番安全だ」
「うげー、それは勘弁だなー。金庫破りなんて専門外もいいとこだよ」
鈴花は無意識に左手の時計に触れた。
籐子とカトレア、二人の会話が耳に入っては抜けていく。
「金庫破りに困ったら、凄腕を手配できるけどねえ。ロンドンのハットンガーデンで超厳重な金庫から数百万ポンドを盗んだ連中さ」
「冗談でしょ。当てもないのに復興東京中の金庫をやらせるつもりかよー」
「言ってみただけだねえ。もしくは、潜入を運営している人間が属人的に管理しているかも」
「榎本が個人で管理してるってこと?」
「可能性の話さ。その場合は完全にオフラインにした端末や、それこそ紙情報かもねえ」
「結局は貸金庫のパターンじゃんかよー。そんなの家や職場に置いとく?」
「そう思わせておいて、案外デスクの一番下の引き出しにあるかもねえ」
「もー、やだなー。考え出したらきりがないよ」
籐子は勢いをつけて立ち上がった。
「鈴花はどう思う?」
いきなり話を振られて、ぎょっとする。
「え?」
「え、じゃなくてー。ぼーっとしてないでさ」
「うん、あの、ごめんなさい」
「大丈夫? なんか調子悪い?」
「大丈夫よ。うん、少し考えごとをしていただけ」
鈴花は自分がいま、どんな顔をしているのかわからなかった。
ただ、少なからずいつもどおりではないのだろう。
潜入についてまだなにもわかっていない段階で、動揺している場合ではない。
うまく立ち回り、危険を回避し、情報を榎本に伝える必要がある。〈ビスカム・デパート〉が犬探しをはじめたこと。近々、大きな取引があること。
だが、いままでと同じ方法で連絡を取ることは危険だ。
榎本から支給されている連絡専用のスマホも、見かけることがほとんどない公衆電話も、デッド・ドロップによる受け渡しも、なにもかもリスクがある。
いままでは大丈夫だった些細な行動も、不審に思われるかもしれない。
ならば開き直っていっそ接触するか、と鈴花は思った。
「潜入が本当にいるのなら、榎本はなんらかの方法で情報を得ている」
小さく頭を振り、不安や動揺を振り払う。
「榎本を行確しましょう」
その提案に、今度は籐子がぎょっとした。
「マジかよー。潜入と接触するまで?」
「接触がなくても、情報をやり取りする方法がわかれば手がかりになると思う」
「まったくもって、あたしの相棒は澄ました顔して大胆だぜー」
「悪くないでしょう」
限りなくいつもどおりに、鈴花は言った。
「悪くないね」
籐子は笑った。
彼女の笑顔はいつだって眩しくて、鈴花は奇妙な安心感と少しの罪悪感を覚える。
大丈夫。
わたしは警察官だ。




