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8.あまり熱を上げすぎるなよ

 復興東京でノエル・エーデルワイスのことを知らない者はもぐりだ。


 彼女は〈ビスカム・デパート〉東京支店の支配人として赴任してくると、ニューヨーク本店や香港支店でやってきたやり方で、敵対組織に容赦のない戦争を仕掛けて組織を大きくした。家族、友人、恋人から飼い犬まで、徹頭徹尾皆殺しにした。そして、ときには札束で頬をぶん殴って握手を交わす。その過程で彼女は復興東京を代表する有名人になった。


 鈴花もネットニュースで何度も写真を見たことがある。


 一言で言えば完璧なエルフだ。


 癖のないブロンドはきらきらと輝き、長く尖った耳にかかっている。きめ細かい肌はウソみたいに美しかった。エルフ特有のその碧眼は同性であってもドキリとする魅力があり、長く繊細なまつ毛だな、と鈴花は場違いにも思った。


「ふふ。トーコがうちの人事担当副支配人に推薦を持ってきたときには驚いたよ」


 ノエル・エーデルワイスはそう言って小さく笑った。

 そのクールな美貌と、ときに見せるチャーミングな笑顔で、ネットには彼女のファンが溢れていた。


「ミズ・イチノセ、スズカと呼んでも構わないか?」

「はい。光栄です、支配人」


 鈴花は左手首の時計を無意識に触りながら、テーブルを挟んで座るノエル・エーデルワイスにできるだけ笑顔を返した。


 テーブルには見たこともない高級な中華料理が並んでいたが、手をつける気にはなれなかった。こんな大物が組織に入ったばかりの下っ端と食事をするなど、本来はあり得ないことだ。


 ノエル・エーデルワイスの秘蔵っ子。神村籐子のその評判は、間違いなく本物のようだった。


「鈴花ってば緊張しすぎだよー」

「トーコ、お前はもう少し緊張してくれ。ほかの副支配人連中がうるさいんだ」

「えー、なにそれ。あたしが気に食わないなら、あたしに言えばいいじゃん」

「〈ビスカム・デパート〉全社のなかで戦争担当副支配人の着任最年少記録を持つお前に、正面から喧嘩を売る度胸があるエルフはなかなかいないさ。私だっておっかない」

「ひっどいな。あたしの前の最年少記録は支配人なんだから、どっこいどっこいだよ」

「お前のほうが鉄火場には向いているよ。むらっ気があって少しばかりいただけないが」

「支配人に言われちゃ立つ瀬がないなー」

「ふふ」


 ノエル・エーデルワイスは紹興酒の注がれたグラスに口をつけ、わずかに笑った。

 その視線がこちらへと向けられ、鈴花は息を呑んだ。


「トーコは腕はピカイチなんだが、どうにも気まぐれでな。いままで誰とも組もうともしなかった。それが突然、君を連れたきたものだから。よっぽど気に入られたんだな」

「わたしも驚いています。わたしみたいなチンピラを」

「鈴花とならいいコンビになれると思うよ。それに言ったじゃん。あたしは鈴花と友達になりたいんだ。あたしより年下の女の子なんて超貴重だよ」


 それを聞いたノエル・エーデルワイスは二人の顔を交互に見やり、なにかを考えるように取り出した煙草に火を点けた。彼女にはあまり似合わない、香港の安い煙草だった。肺を紫煙で満たし、言葉と一緒にゆっくりと吐き出す。


「姉妹のような友達か、トーコ?」

「……そういうことじゃないよ」


 もごもごと、神村籐子は答えた。


 あまり彼女らしくない態度だな、と鈴花は思った。


「トーコには妹がいた。生きていれば君と同い年だ、スズカ」

「もー! 言わなくていいよ、支配人」


 鈴花はちらりと神村籐子を見た。

 彼女は少しばかり不機嫌になって、頬を膨らませていた。


「その――妹さんは?」

「もう一〇年以上前にさ。あたしが支配人に拾われる前にね。どこかの組織の抗争に巻き込まれてさ、家族はみんな死んじゃった。復興東京じゃ、よくあるちょっと不幸な話のひとつだよ」


 さばさばとした表情で、神村籐子は言った。


「不幸自慢にもならないし。だからあたしはさ、前向きで明るいことを考えて生きることにしたんだ。殺し屋を引退したら、両親がやってたカレー屋をチェーン展開するのが夢なんだよね」


 頭の後ろで手を組んで、にかっと笑う。彼女がちっとも流行っていないカレー屋のオーナーである理由は、こういうことだった。


「殺し屋だって夢とか希望があってもいいじゃんね?」

「そうですね」


 鈴花は素直にそう言った。


 復興東京ではよくある、ちょっとした不幸な話。

 それは彼女にも当てはまることだったし、少しは共感できる。不幸自慢をしても仕方ないし、なにか生きる理由を見つけなければならない。だから彼女は警察官になることにしたし、神村籐子は殺し屋になってもカレー屋を経営している。


「別に鈴花が妹に似てるとか、そういうのじゃないよ。妹もエルフだったし。支配人が変なこと言うから、代わりみたいに思われたらどうするんだよー」

「大丈夫ですよ。わたしは気にはしませんから」

「あたしは気にするの」


 そうは言っても死んでしまった妹と年齢が同じだという事実は、無意識であれ神村籐子の心理に影響しているはずだ。そうでなければ友達になりたいなんて言うわけがない。


「それにどう頑張っても、ハーフエルフのわたしでは妹さんの代わりにはなれませんし」

「もー、そういうことじゃなくてさ。あたしは普通に仲良くしたいだけなんだよー」


 目をバッテンにして、神村籐子は白金の髪を両手でわしわしする。


 その様子がおかしくて、鈴花はほんの少しだけ笑った。


〈ビスカム・デパート〉の戦争担当副支配人が、何者でもないハーフエルフと仲良くしたいなんていう理由で困っているなんて、なんともバカバカしいと思ったのだ。


「おっ、やっぱり笑うと可愛いじゃん!」

「そういうお世辞はいらないですね」

「あー……すぐ無愛想に戻る」

「妹であれ友人であれ。トーコ、私はお前がそういう相手を見つけてきたことを嬉しく思うよ」


 二人の様子を眺めていたノエル・エーデルワイスは、不意にそんなことを言った。


「スズカ、気まぐれな彼女と仲良くしてやってくれ」


 微苦笑を浮かべると、彼女は紹興酒のボトルを手にして新しいグラスに注いだ。


「私が戦争担当副支配人として長くいた香港では――」


 琥珀色の美しい液体が、透明なグラスを満たしていく。


「対立していた黒社会の連中は厄介だった。義兄弟の契りを交わすようなことも珍しくない。つながりは鉄より強固で、血よりも濃い。暴力にも金にも屈しない。鉄血の絆だった」


 彼女は煙草を灰皿に押しつけると、紹興酒で満たされたグラスを差し出してきた。


「酒に誓えるか」


 意味がわからずに、鈴花は戸惑った。


 グラスを受け取った神村籐子は、眉根をひそめて少しばかり困った顔をした。


「鈴花はこんなの知らないと思うし、あたしだってちゃんとしたのは知らないんだけど」

「私だって正式なものは知らないさ。だが、酒に誓えば姉妹であり友人だ。お前たち二人が妙なことを気にする必要もない」

「もー、しょうがないな」

「神村さん、これからなにを?」

「あたしと義兄弟になるんだよ。あ、姉妹か。だから籐子でいいよー」


 紹興酒の入ったグラスを掲げ、


「上に天あり、下に地あり」


 神村籐子は朗々と言った。


「我ら二人はいまこのときより義を結んで姉妹となる。我、神村籐子はこの酒に誓って言う」


 彼女の視線に射られて、鈴花は身動きできなかった。


「我ら二人、心同じくして助け合い、喜びも苦しみもわけ合う。生まれた日もときも違えども、死する日は同じことをここに願うなり」


 神村籐子はそう宣言すると、紹興酒を半分まで飲み干した。


 グラスを鈴花に差し出してくる。


 どうすればいいのかは、なんとなくわかる。


 鈴花は意を決してグラスを受け取ると、彼女と同じことを口にした。


 そのまま一気に紹興酒を煽る。人生ではじめて飲む酒は思っていたよりは口当たりがよく、なんとも奇妙で重厚な味だった。


 鈴花が空になったグラスをテーブルに置くと、ノエル・エーデルワイスは満足そうに笑った。


「トーコ、あまり熱を上げすぎるなよ」

「そういう言い方は鈴花が変な意味で勘違いするじゃん!」


 こうして一ノ瀬鈴花は、神村籐子の相棒になった。


 鈴花が組織で頭角を現すのに、時間はあまりかからなかった。


 そして、いつの頃からか。


 彼女は神村籐子のことを、「神村さん」ではなく「籐子」と呼ぶようになった。


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